第八話 ハーフマラソンと戦闘糧食
『カメラのレンズを見てくださーい』
家には無かったデカくてゴツい一眼レフカメラが時雨に照準を合わせる。
「笑えー」
「全国紙に載るんだぞ、かっこつけろー」
「俺らも入れろー」
冷やかしを纏ったヤジが飛んでくる。これの発信源はもちろんあいつら。
『スィール!』
フラッシュが時雨を照らしシャッターが切れる音がした。
左胸の位置につけられた勲章はそこまで厚みはないがずっしりとしていてジャケットの左側が少し下がったような感じがする。
「勲章が授与されるとは聞いていましたがせいぜい“白銀奮戦章”くらいかと思っていました。まさか白鳩級とは……」
須藤教官が参ったように頭をいじる。ちなみに他の五人も仲良く一階級昇進して一等陸士となった。
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今いるのは駐屯地内にある広間。憩いの場として大勢の兵士が訪れるためそこそこ人口密度が高い。そこに設置されているソファーに腰掛け全員が息を抜いている。
「いきなりいですが明後日から戦闘地域に配属となります」
一気にその場の空気がピリついた。当たり前だ、あんな事が常時起こっている場所だ。
「またっすか、なんか急いでいる気がするっす」
「確か俺たちの部隊の配属日は数週間先ですよね。どうしてですか?」
「私たちの班だけ先に配属です」
「なんでまた」
「……君たちの現時点での能力は前線でも通用すると上層部が判断しました。そのため更なる練度向上を目的として他部隊よりも早く配属が決定したという訳です」
「あんな化物に勝てたのはまぐれです!しかもまだ徴兵されて数日ですよ!?」
納得がいかず不満が溜まった鍾馗が机をバンと叩いて立ち上がり周りの兵士たちの視線を集める。それを落ち着かせる様に須藤教官が
「私たちは軍組織の一員、命令は絶対です」
ですが、と続ける。
「私から見ても君たちは前線で生き抜けそうに見えます。もちろん最初から最前線の激戦区にとばされる訳じゃありません」
この班はたとえ戦闘経験があり、一人が仮にも白鳩級といっても数日前に徴兵されたばかりのほぼ素人の新兵で構成されている。流石に最前線行きは免れたらしい。
最前線ではない、この言葉は喜ぶべきだろうか。
「じゃあどこ配属になるんですか」
「第726輸送大隊隷下の護衛部隊に編入され、そこで輸送部隊の護衛をします。直接戦闘する機会はかなり少ないですが奴らが全くいない訳ではありません。前線に慣れるには丁度いいでしょう」
「……まだマシな配属先でよかったぜ」
須藤教官が持っていたタブレットを机の上に取り出しマップを表示する。
「私たちの目的地はここから北に約200キロのハンカ湖、そこで輸送部隊と合流し最前線のハバロフスクまで護衛します」
明後日までに200キロの移動。航空写真を見た限り近くに飛行場らしき物はない。ということは空路ではなく陸路での移動になる。
「明日の午後にここを出発してその日中に到着する予定です。それまでに基本の対SE’s戦術を叩き込みます」
SE’s monster との最も効果的な戦い方、それは野戦砲による遠距離からの火力投射だ。これは対人の戦争と変わらない。しかし実戦ではそんな戦い方が必ず出来るとは限らない。たとえば室内での戦闘、砲撃支援を受けられない戦場。そこで起きるのは近距離戦という最悪の状況だ。基本的にSE’s monster は武器に使用しない肉弾戦に特化した化物、しかも正面は強力な12.7ミリ弾すら弾くほどの硬さの外殻を持っている。その圧倒的な近接戦闘能力に対抗するために生み出されたのが『対SE’s monster 基本囲的近接射撃戦闘術』、通称『対SE’s戦術』だ。
さっきまでいた海軍基地から数キロ先、陸軍管轄の基地にやってきた。というより時雨達は陸軍所属なのでこっちにいる方が普通であり、たまたま勲章を受けた司令部が海軍基地に併設されていただけだ。
基地の敷地内にある演習場は見事に市街地、森林、草原、砂漠が再現されている。が、ここは極寒のロシア自治区。どこのエリアも雪に覆われた銀世界と化しており、特に砂漠エリアはパッと見ただの雪原にしか見えない。そしてそのことについて『ロシアでの戦闘を想定してんだから砂漠いらねぇだろ。作る予算あるならレーションの味改善しろよ』と須藤教官が愚痴る。
「主戦場も今の時期は雪に覆われておりこの演習場はそれをほぼ完璧に再現できています。明日までに大体のことはできるように訓練します」
「夜は?」
「夜戦訓練です」
「「「「またかよ」」」」
須藤教官は『まずは走ってここまで来てください』と言い地図を渡して一人ジープに乗って先に行ってしまった。地図を開くと市街地エリアに赤いサインペンで印がつけられている。
「えーっと、距離は……うっ」
橘花が距離を見て息を詰まらせる。
他が覗き込むとそこに須藤教官と思われる筆跡で『大体20キロ、ファイト!』と書かれていた。
20キロ、これはハーフマラソンとほぼ同じ距離だ。若くて身軽な時雨達にとっては決して走れない距離ではない。だがそれは何も荷重がない場合だ。今はM1や弾薬、安全のためのヘルメットを装備している。特に12.7ミリ弾は重機関銃にも使用される弾薬でこのサイズになってくると弾だけでもかなり重い。合計で10数キロといったところか。
「とりあえず行くか……」
「……おう」
ルートは一部が舗装されているとはいえほとんどが砂利道。しかも若干上りの傾斜がついている。一歩進むごとに体力が削れていくのを感じる。
「ハァ、ハッ、ゲホッ!水──、まじか……」
水分補給をしようと水筒を開けるとそこには中心が白く濁った透明な個体で満たされていた。仕方なく道端の雪を口に含み体温で溶かしてから飲み込む。これは体温が下がるためサバイバルではしてはいけないが時雨達の体はずっと走りっぱなしのため体温が高く、別に遭難しているはけでもないので迷わずやった。
一口分の水分が乾いた喉を伝って潤していく。誰もこの間足を止めなかった。
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「着きましたか、お疲れ様です。全員お腹が空いた頃だと思います。お昼ご飯にしましょう」
出発から大体三時間、途中演習場内に縄張りを持つシベリア狼に襲われそうになったがM1での威嚇射撃で追払い何とか到着できた。全員が『こんなハーフマラソン二度とごめんだ』と思っただろう。
「言っておきますが今から食べるコンバットレーションは栄養と保存期間を最優先した‘‘物’’です。味には絶対に期待しない方がいいですよ」
須藤教官はそう言いながらファイヤースターターで集めた枯れ枝に火を起こし、そこに雪を詰め込んだ飯盒をセットする。雪は春の雪解けを八倍速にしたように溶けていきそこは澄み切った雪解け水でいっぱいになった。
「あとレーションの種類は五種類だけで、しかも全部洋食です。米がとても懐かしくなりますよ」
レーションが入ってる強化ビニール製のジップロックに出来たばかりの水を流しこむ。すると水が中に入っていた加熱剤と反応し気泡を出しながらみるみると温度が上がりレーションが加熱されていった。
「あとは反応が終わるまで待つだけです。ところでさっきのハーフマラソンは何のために行ったのかわかりますか?」
「……体力作りとかっすか?」
疾風の様に普通に考えたらこの答えが出るのは当然だろうし時雨もそう思った。だが須藤教官は「それだけの荷物背負って走り切れたなら体力作りの必要なんてありませんし、そもそも私は君たちの体力は十分だと思っています」と否定した。
「実際の戦闘で自分にゴールを見せる為ですか?」
「まぁ大体正解です橘花。要するに『訓練で出来たから本番でもそれくらいは走れる』と自分自身のやる気を出せる様にする為です」
確かに体感でさっきの辛さを思い出せたのならそれはある意味ゴールが見えているわけで、それが見えてるのと見えていないのでは違いが出るだろう。
「実際、最前線の塹壕に配属されない限り戦闘よりも移動の方が多いです。だからさっきのハーフマラソンはどこかで役に立ちますよ。……流石に20キロも走ることはありませんが」
そして須藤教官が腕時計を見ながら出来上がりまであと十数分あるから雑談でもしようと提案する。
反応中のレーションを囲みながらどうでもいいしょうもない話と笑い声が飛び交った。明日に出発とは思えないほど明るく高らかに。
そんな雑談をしている間に反応が終了した。
「かってぇ、ぅぅぅんんん──んぅっ!!」
「「あっつ!!」」
「ばか飛び散ってんだよっ!」
夕立が強化ビニール製のジップロックを力ずくで無理やりこじ開ける。すると案の定、中の熱湯が辺りの班員に飛びかかった。犯人は全員から雪玉を食らい顔面が白で覆われる。
中に入っているレーションを取り出しその袋の端を多用途ナイフで切り開ける。
「連邦陸軍食糧部戦闘糧食考案課特性の一番ましな戦闘糧食、マカロニメキシカンです。召し上がれ」
袋に直接スプーンを突っ込みマカロニをすくい上げ口元まで近づける。匂いはスパイシーで食欲がそそられる。
「「「「いただきます……」」」」
口に入れて数回咀嚼をする。
「感想はどうですか?」
全員が黙り固まり動かなくなる。
マカロニはゴクっと飲み込み胃へと落とされていった。
「……ネチョっとします」
「……化学の味」
要するに
「「「「クソまずい」」」」
再び高らかな笑い声が銀世界の演習場内に響き渡る。
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