第一話 出兵
初めて投稿しました。
楽しんでいただければ幸いです。
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目に美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
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目に映り込む非常灯の赤い光り、
耳に鳴り響く避難指示の放送、
鼻を擽ぐる火薬の匂い、
口に広がる鉄の味、
身体中に伝わる傷の痛み、
五感全ての情報が幼い少女の頭に入り込む。入り込むというよりは詰め込まれていくと行った方が正しいだろうか。彼女の脳の情報処理能力をフルパワーで使用し出された答えは『ショートした』。幼い少女が目の前に広がる光景を目の当たりにしたらこうなるのは必然なのだろう。数秒後、彼女は今ある全ての情報を洗い流す。即ち、現実逃避。彼女は一から考えた。そして出された答えは、
帰りたい、一度も帰ったことはないけれど。
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十年後 新東京駅
「お願いです。二人で帰ってきてください」
駅の東第二中央口で母は息子たちに言った。そして二人を包み込む。その細く弱々しい腕から出ているとは思ないほどの強い力で。そして優しい温もりも感じる。どんなタチの悪い悪戯をしても許してくれそうな聖母のような優しい温もりだった。
母は泣いている、そして二人も涙を流す。
周りの連中はぎこちない笑顔で笑っている。家族との永遠の別れになるかもしれないから最後に笑おうとしているのだろう。
今から出発しようとしている者のほとんどは帰らぬ者になる。最後くらい大声で泣いてしまえばいいのに。
刹那、駅中にディーゼル列車の汽笛が鳴り響く。発車10分前の合図だ。
二人の息子は離そうとしない母の手を優しく解き先程の要望に答える。
「ねぇ母さん、知ってる?」「なぁ母さん、知ってる?」
「渡鳥は帰って来るんだよ」「渡鳥は帰ってくるんだぜ」
そして二人同時にホームへと歩き始める。できる限りゆっくりと、床を踏みしめて。このまま時間が止まって二度と進まなくなってしまえばいいのに。
「涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだぞ、時雨」
「……夕立もだろ」
「それな……」
母と別れ停車しているディーゼル列車へ乗り込むため召集令状のはじについている新東京〜舞鶴海軍基地駅行きの切符を駅員に提示する。
すると何故だか分からないが二人ともトイレットペーパーを一個ずつ渡された。二人だけではない、先程ぎこちない笑顔をしていた周りの連中全員にも配られていた。
何故だか分からずみんながキョトンとした顔をしていると二度目の汽笛が駅中に響き渡る。今度は列車のすぐそばでかなりうるさかったので思わず耳を塞いだ。発車二分前。急いで切符に書かれていた四号車に向かう。
列車に乗り込み席の指定は無く自由席だったので二人は隣に座った。所詮は兵員輸送列車、乗り心地は悪いのだろうと思っていたのだが思ってのほか座席が柔らかかった。座るとかなり沈み込み一瞬焦った。
『召集兵全員の乗車が確認できましたのでまもなく発車いたします。お座りのままお待ちください』
今走って列車を出れば死ぬまでの時間が伸びるのではないかと全員が思っているだろう。
そしてもし列車を出たとしても戦場へ行く運命は変わらないということも。
『扉が閉まります、ご注意ください』
扉が閉まりプシューっと空気の流れる音が静まり返った車内によく響く。
誰もが列車を飛び出ていればよかったと後悔した、確実に。
車両内に不気味なまでの静けさが走り回る。誰一人として喋らない、動かない。いや、全員の足は小刻みに震えている。
『発射いたします』
ディーゼルエンジンの音と振動が高まり内臓が震えた。列車はゆっくりと動き始め段々とスピードを上げていく。
そして今まで我慢していたであろう感情がダムの決壊の如く溢れ出る。最初は後ろの席からだった。
少女の少し高めな泣き声が車内に響き渡る。次にその席の近くの青年の低めの泣き声、次にその辺り一帯、次に車両全体、次に隣の車両。……この涙の感染症は誰にも止められない。
パンデミックだ。
「なるほど、この為のトイレットペーパーだったのか」
「俺らはもう泣きすぎて日上がってるからこれはいらねぇな」
そう言って時雨と夕立はトイレットペーパーを列車の窓から投げ捨てる。それは彗星のような美しい尾を引きながら弧を描いて線路脇へと落ちて行った。
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