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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魂の宿った和人形【夏のホラー2019】

作者: 江渡由太郎 原案:J・みきんど

 これは私の友人から聞いた実際に体験した恐怖体験である。


 出雲崎莉奈は友人たちとカラオケの帰りに終電に間に合うように駅へと向かった。


 電車に乗車したのは出雲崎莉奈と数名だけであった。


 たまたま座ったまま座席の足元に小さな木箱があったので、莉奈はそれを拾い上げた。


 その木箱が思いのほか重かった為に片手で持ち上げきれず、小さな木箱が足元へ落ちたのだ。


 すると何かが裂けるような音と共に木箱から日本人形が転がり落ちた。


 それを拾い上げてみたが、昔ながらの和服姿の和人形であった。


 そして、莉奈は木箱を拾い上げて見ると裂けた御札が付いていることに気がついた。


 あきらかに不穏な感じしかないので、莉奈は木箱に人形を押し込んで再び足元へと押し込んだ。


 すると丁度下車駅に到着したので電車から降りて駅の改札口へと向かった。


 駅員が近づいて来て声をかけてきた。


「これ、お忘れですよ」


 莉奈は木箱を持っている駅員から逃げるように階段を駆け下りて逃げたのだ。


 そんな出来事があったことも忘れかけた数日後、夏物を出すために祖母が以前使用していた和室の押し入れから衣装ケースを出し、衣替えをしていた。


 押し入れに衣装ケースをぶつけた時に、押し入れの天井の裏からひとつの桐の小箱が落ちてきたのだった。


 その桐の小箱の中には日本人形が納められており、先日の日本人形と同じ種類のように見えた。


「偶然よね……」


 祖母の私物だと思い、再度元あった場所であろう天井の所へしまい込んだ。


 その後に少しの間外出していたのだが、帰宅すると玄関の側の階段の上にその日本人形があるのである。


 莉奈が出かけている間に母親が帰宅して、人形を移動させたのかとも考えたが、出かけて十数分しか経過していない。


 近くのコンビニエンスストアへ行って帰ってきただけなのでそれは考え難かった。


 莉奈はとりあえず日本人形を玄関の棚の上に置いた。


 すると突然、スマートフォンの液晶画面には母親からの着信を表示している。


「お母さん、どうしたの?」


「莉奈、お母さんね、今夜病院の夜勤が入ったから今夜は一人で留守番お願いね」


「お婆ちゃんは?」


「敬老会の温泉旅行へ出掛けたから今夜は戻らないわよ」


「はいはい」


 莉奈は電話を切ろうとした。


「それから……」


「ん!?」


「なんでもないわ……あとはお願いね」


 母親からの電話が切れた。


「それからって何なの? 気になるじゃない!」


 莉奈は母親からの電話が切れたスマートフォンを握ったまま独りごちた。


 一戸建ての家には莉菜が独りっきりである。


 父親は出張で帰ってこない。


 母親は看護師として夜勤で帰ってこない。


 冷蔵庫の中にあるもので簡単にサラダを用意して食卓テーブルのあるダイニングで食べた。


 独りで食べるのには慣れている。


 今夜は慣れているはずの食事がとても違和感を感じた。


 最近、夜勤で月十日程は母親と会えない夜を過ごしているのだが、知らずしらずのうちに寂しさを育んでしまっていたのかもしれない。


 父親は金曜日の夜に帰ってきて土曜日と日曜日は家にいるがそれ以外は出張で帰ってこない。


 帰って来ても会話もないのが日常的だった。


 そんな家族の形を疑問にもったいないようにしてきた。


 祖母が家にいる莉奈はおばあちゃん子であり、祖母がそんな莉奈を優しく包んでくれていたのだ。


 莉奈は自分で用意した独りっきりの寂しい食事を終えた。


 食事中の違和感は消えない。


 誰かに見られているような視線を感じる。


 莉奈はそれは気のせいだと思うようにした。


 寂しい感情が生み出した錯覚のようなものだと。


 食器を台所の流し台へさげた。


 一度気にしだした視線は莉奈の中で不安として膨れ上がっていく。


 気分転換のために入浴することにした。


 温かい湯に浸かれば嫌な気持ちも忘れて癒されるものだと思った。


 莉奈はお気に入りの入浴剤を脱衣室にある戸棚から取り出した。


 薔薇の香りの入浴剤を選んだ。


「ローズはリラックス効果あるんだよね」


 独りであることも忘れて気持ちを弾ませていた。


 バスタブへ湯を溜めるために湯を注ぎ始めた。


 扉を閉めて一旦この場を離れようとした時、莉奈は先程感じた何者かの視線を感じた。


 辺りを見渡すが誰もいない。


 気のせいだと思い湯が浴槽に溜まるまでの間、十分ほどこの場を離れた。


 浴室から浴槽に湯が溜まった時を知らせるアナウンスが流れた。


 莉奈はバスタブに湯が溜まるまでの間、スマートフォンでYoutubeの動画を閲覧している最中でさえ、何かの視線を感じた。


 気にしてるから意識してしまうのだと思い、なるべく違うことを考えるようにしていたのだ。


 脱衣室へ着き浴室の扉を開けようとしたら、鍵がかかっていて開かなかった。


 何で!?


 莉奈は混乱した。


 浴室の扉の鍵は浴室の内側からかけることができるが外側から鍵はかけられないのだ。


 莉奈は扉を引いたり押したり叩いたり揺すったりと考えうる限りの動作を試しが扉は開かなかった。


 浴室の内側でバスタブから溢れだしているお湯の流れる音が莉奈を更に窮地へと追いやった。


 莉奈は幹博へ電話をした。


 浴室の扉の鍵がかかって外側から開けられないことを伝える。


 幹博にドアノブの種類を聞かれ、丸いドアノブだと伝えた。


 マイナスドライバーを入れるような鍵穴を回すように言われたが、ドライバーセットがどこにしまってあるのかも分からない。


 こうしている間にもバスタブからお湯が溢れ出し排水溝へ流れ続けているのだ。


 莉奈は自分の人差し指の爪をドアノブの鍵穴らしき部分へ引っ掻けて回してみることにした。


すると、解錠されて扉が開いた。急いで元栓を捻りお湯を止めた。


 スマートフォンで通話中の幹博に礼を言って電話を切った。


 莉奈はなぜ浴室の内側の鍵がかかったのか考えたが、当然答えは見つからなかった。


 たまたま何かの拍子に鍵がかかったのかもしれないということにして気にしないことにした。


 浴槽にはなみなみと湯が張られている。いったいどのくらいのお湯を無駄にしたのかと考えると冷や汗が出た。


 そこへ薔薇の入浴剤を投入した。


 ローズレッドの香りに包まれた。


 莉奈は浴室でリラックスしていた。


 先程のどたばた劇がまるでなかったかのようである。


 莉奈は長い髪にシャプーで洗髪した後、トリートメントを髪に馴染ませていると、浴室の扉の向こうに人の気配がした。


「誰かいるの?」


 莉奈は家の中には誰もいないはずなのを承知で声を出した。


 返答はなかった。


 不安が心を支配しようとしていた。


 この扉を開けて脱衣室に誰か居たらどうしようという妄想が、さらに不安を煽る。


 莉奈は長い沈黙の後に勇気を出して、ドアノブに手をかけた。


 扉の向こうからこちらを見据えている視線と何か漠然とした言葉では言い表せない不安を与えてくる気配は、扉を開けた瞬間に消えた。


 脱衣室を覗き込んだが、そこには誰もいなかった。


 莉奈はやはり気のせいだったのだと思い、再び浴室の扉を閉めた。


 シャワーヘッドから温かなお湯が勢いよく流れ出た。


 シャワーの音しかしない浴室内は閉鎖された空間であり逃げ場のない独房にさえ感じられた。


 その不安を払拭すべLiSAの“紅蓮華”を口ずさんだ。 


 曲にノリながら髪に残っているトリートメントをシャワーで洗い流した。


 そして湯気の立ち上る温かな湯で満たされたバスタブに肩まで浸かる。


 浴室内はローズの香りに包まれた。


 どうかしてると自分の気の弱さにため息をついた。


 あれからずっと昌也とも連絡がとれないまま、数日が過ぎていることも気になっていた。


 ここのところ、莉奈自身も夏休みの不規則な日々で生活リズムを完全に崩していたため気が滅入っていた。


 今夜は早く寝て、この憂鬱なな気持ちを早く払拭しようと考えていた。


 入浴を終えて、自分の部屋でくつろいでいた。


 スマートフォンでゲームをしていると、またもや何かの視線を感じた。部屋の中を何度も繰り返し見渡してみた。


 だが、いつもと同じで何も変わった様子はなかった。


 暫くすると部屋の中で乾燥した小枝が折れたような聞き慣れない音がした。


 莉奈はスマートフォンをベッドの上に置き先程の音に耳を澄ました。


 再び小枝が折れる乾いた音がした。


 家の建材である木材が、乾燥して鳴る音だと思うことにして不安を払拭した。


 暫くすると今度は窓ガラスに小石が当たったような音がした。


「な、何なのよ……」


 莉奈は苛立ちながらベッドの上から身をお越し、窓際へ行って耳を澄ました。


 莉奈はスマートフォンのカメラ機能を起動させた。


 悪戯をする犯人を携帯電話のカメラで撮影し、証拠写真として写してやるつもりだった。


 再び窓際から窓ガラスに小石が当たった音がした。


 莉奈は勢いよく厚手の布の遮光カーテンを開けた。


 そして窓に向かってカメラを向ける。その瞬間、目にしてはならないものを目にしてしまった。


 そこには目を疑うようなおぞましい光景が携帯電話の液晶画面に映し出されていたのだ。


 それは窓の外から逆さまの状態で宙吊りの女性の顔が窓の上からこちらを覗き込んでいるものだった。


 この世に恨みある形相で歪んだ顔を見たときには恐怖のあまり心臓が止まるほどの衝撃を受けたのだ。


 莉奈はカメラのシャッターを押すこともできないまま、液晶画面に映し出されている女性の目が自分を見詰めているのに絶叫した。


 悲鳴をあげて携帯電話から手を離すと、それは床の絨毯の上に音もなく落ちた。


 肉眼で、窓に視線を戻すと、窓の外には先程の女性の姿はもういなかった。


 莉奈は隔絶するために慌てカーテンを閉めて外部と遮断した。


「何なのよ!」


 恐怖感の大きさのあまり感情が混乱して制御できなくなった。


 確認のためにカーテンにもう一度、手を伸ばしてみた。


 この布を隔てた向こう側を確認して、先程目にした異常な出来事は錯覚なのだという保証が欲しかった。


 しかし、このカーテンを引いた時に、先程見たものがまた見え場合には、どうしたらいいのか対処の方法が分からない。


 この手に握られたカーテンをどうするべきかの葛藤の渦に呑み込まれ、時間だけが無情に流れていく。


 結局、莉奈はカーテンの向こう側を確認することをしなかった。


 恐怖心が極限まで達しており、これ以上は自分の理性を正常に維持できない。


 気持ちを落ち着かせるために、ベッドの上に再び体を預けた。


 突然、部屋の明かりが消えた。


「停電?」


 誰も答えるはずはないが、恐怖のあまり口から自然と言葉が出てしまった。


 カーテンを開けて外の様子を見たかったが、その勇気が出ない。


 周りの家も停電しているのかさえも確認ができなかった。


 莉奈はスマートフォンに手を伸ばし液晶画面の明かりを頼りにベッドから足を下ろした。


 何かがつま先に辺り驚きのあまり悲鳴をあげて足を引っ込めた。


 携帯電話の液晶画面の明かりでその正体を確認すると、一階の玄関にあるシューズクローゼットの棚の上に置いてあるはずの日本人形がそこにあった。


「何で! 何でここにあるの!?」


 莉奈はその日本人形を掴み、先程のコンビニエンスストアで買い物をした時に使用したビニール袋にその忌々しい人形を入れて、二階の自分の部屋から階段を駆け降りて、外へと飛び出した。


 裸足で外にある物置の扉を開けて、手にしていた袋を物置の中へと放り込んだ。


 気づいた時には先程まで漆黒の闇のような家の中には明かりが灯っており、近隣の住宅も温かな灯りに満たされていた。


 安堵して、自分の足元を見ると裸足だということに気づく。


 莉奈はつい笑ってしまった。


 こんなに取り乱したことは生まれて初めてではないだろうか。


 莉奈は夜風に震えながら玄関に戻った。


 自分の目を疑いたくなるような光景がそこにはあった。


 確かに、物置へ放り込んだはずの日本人形が玄関のところにいるのである。


 莉奈の帰りを待っているかのように、屈託のない微笑を湛えている。


 莉奈を見詰める日本人形の目はまるで生きている人間の眼球のように生々しかった。


 その目を見たとき背筋が凍る思いがした。


 莉奈は言葉を失ったかのように声すら出なかった。


 莉奈はその日本人形を鷲掴み町内のゴミ集積場まで走って行き、忌まわしい人形を放り込んだ。


 自宅まで四軒ほど隔てた場所まで走って行ったが、裸足だったため帰りは足が痛んだ。


「本当にいったい何なのよ!! いい加減にして!!」


 一通り感情を吐き出した後、目の前の電柱から橙色に優しく照らしている灯りを見上げると、濃紺の夜空に輝く小さな星がたくさん見ることができた。


 先程まで体験した全ての怖かった出来事はまるでなかったかのように気持ちが落ち着いた。


 冷静になると足元のアスファルトから伝わる冷たさと、上着も纏わす寝衣であるパジャマ姿であることを思い出し、夜風を浴びて肌寒さに震えた。


「早く家に帰りたい」


 小走りで自宅まで戻ろうとしたときに、また先程の魂の奥までも見透かす様な視線を感じ後ろを振り替えると誰もいなかった。


 ほっと安堵の溜め息をつき、足元に視線をむけると先程の日本人形が莉奈の足元にいた。


 悲鳴も出ないほどの驚愕が全身を駆け巡った。


 恐怖のあまり日本人形を蹴りあげると、放物線を描いて近所の塀を飛び越えて庭へと落ちていった。


 莉奈は震える足で必死に走り、自宅に着くと玄関へ逃げ込むように駆け込んだ。


 震える指で扉の鍵を閉めて、玄関のタイル床の上にへたりこんでしまった。


 莉奈は現実なのか何なのか感情の処理が追いつかない。


 ただ、ドアをじっと見詰めているので精一杯であった。


 ドアノブがゆっくりと捻られていく。


 しかし、施錠されているため扉が開かなかった。


 莉奈は全身の力が抜けて歩けなかったが、何とか這うようにして一階のトイレに駆け込んだ。


 トイレの扉を閉めて施錠した。


 照明の灯りが燈されていない閉鎖された個室はまるで棺桶のようであった。


 莉奈は何かないかと辺りをさぐってみたり、衣類を調べてみた。


 すると、パジャマのポケットにはスマートフォンが入っていた。


「あった!」


 先程コンビニエンスストアの袋に人形を入れているときにポケットに入れていたのを思い出した。


 莉奈は携帯電話の液晶画面の明かりすがりついた。


 小さな灯りに安堵し緊張の糸が切れたのか、抑えていた感情が溢れ出して涙がとめどなく溢れて頬を伝い流れ落ちた。


 トイレの床に足を抱えるように小さくなって座った。


 そして自分の存在さえもこの世から消すかのように、じっと身動き一つせずに気配を消して静かにしていた。


 暫くすると、トイレの前の廊下を歩く人の足音が聞こえた。


 木製のフローリングを踏むたびに軋む不快な音がする。


 トイレの扉の下の部分から人影みたいなのが垣間見ることができた。


 お母さんは夜勤で今夜は帰ってこないはずだし、お父さんも出張で週末まで帰宅しないはずだと莉奈は思った。


 だとしたら、このトイレの扉の向こうにはいったい誰がいるのだろう。


 考えれば、考えるほど不安だけが膨らみ続けるゴム風船のように大きくなっていく。


 そして、莉奈しか居ないはずの家の中で誰かが今扉を隔てた向こう側で莉奈を見つけたのである。


 トイレのドアレバーが下方へとゆっくり動き扉を開けようとしているが、施錠されているため扉は開かない。


 扉を隔てた向こう側でその何者かが苛立ちをあらわにしたように、激しくドアレバーが上下に振れ続き金属のぶつかり合うような激しい音を奏で続けた。


 そして次の瞬間それは止んだ。


 莉奈は嗚咽が漏れるのを口を必死に両手で覆って堪えた。


 今度は、扉の鍵の金具がゆっくりと捻りはじめ今まさに解錠され始めている。


 莉奈は慌てて鍵の金具を掴み元の位置へと鍵を戻して施錠し直し、そのまま金具が動かないように握ったまま力を入れた。


 解錠しようとする力に必死に抵抗していると、扉を激しく叩く音がしだした。


「もう、いい加減にしてよ!」


 莉奈は扉に向かって叫んだ。


 そして、これはきっとあの日本人形の祟りだと思い、自分の家で信仰している仏教の宗派の念仏を必死で唱えながら、心の中で早くいなくなってと繰り返した。


 激しく扉を打つ音は次第に弱まってきた。


 莉奈は気を緩めることなく必死に念仏を唱え続けた。


 どのくらいの時間が経過したか分からないくらいの間、集中力を欠くことなく必死に念仏を唱えていたのだ。


 やがて、扉を叩く音が止んだ。


 それでも莉奈は念仏を唱え続けた。


 完全に扉を激しく叩く音は消えたことをやっと認識した莉奈は念仏を唱えるのを止めた。


 これで、何もかもが終わって、開放されたのだという安堵感に満たされた。


 暫くして、トイレの床から起き上がり、扉の鍵を解錠しようと金具に手を伸ばしたときに戦慄が駆け巡った。


「そんなの効かねぇーよ」


 扉の向こうから邪悪な声がした。


 時間が止まった感覚に襲われた。


 一秒がいつもよりも数倍長く感じた。


 永遠の一秒と言ってもいいほどである。


 莉奈は完全に頭の中が真っ白であり、あらゆる思考回路がショートしてしまったかのように何も考えられない状況に陥っていた。


 このまま物言わぬ石像のごとく固まってしまうかのように微動だにしなかった。


 呼吸をするのも忘れていたので、突然息苦しさに見舞われた。


 そして思い出したかのように慌てて無我夢中で呼吸をした。


 たしかに扉の向こうで言葉が発せられた。


 それは間違いない事実である。


 そして、莉奈は必死にその言葉を思い出そうとした。


 確かにあの時に聞こえた言葉はぞっとするほど低い声であった。


 男性なのか女性なのかそれともその両方なのか分からなかった。


 だだ、地の底から響くような声に悪寒が走ったのだけは鮮明に覚えていた。


「地獄の悪魔としか思えない」


 莉奈は手に持っている携帯電話のカメラ機能を起動させ、その声の正体を写真に収めるための準備をし、恐るおそる解錠した扉を開けた。


 扉の蝶番が耳障りな金属の軋む音鳴らす。


 いつもならそんな音は気にもならないのだが、今だけはその音が静まり返っている家の中全体に響き渡っているようなそんな気がしてならなかった。


 扉を開けたその向こう側にはあの忌まわしい日本人形が立っていた。


 日本の子供の姿をした人形の表情は作り物じみているところが更に不気味だった。


 あの人形は確かに先程、近所の庭へと蹴り上げて落ちていったはずである。


 だか、それが今自分の目の前にいるのだ。


 莉奈は携帯電話のカメラを古びた和人形へと向けると、液晶画面の画像が乱れてしまった。


 その後も何度か試したが、カメラ機能が作動しなかったり、スマートフォンの電源が突然落ちたりと不具合が生じていた。


 写真部で心霊やオカルトなどにも興味がある男子が以前言っていたことを思い出した。


 それは、霊がいると電子機器に不具合が出て、機械が動かなくなったり壊れたりすると言っていた。


 今、莉奈の携帯電話には機能的な不具合が起こっている。


「まさか! そんなことって……」


 莉奈は液晶画面から目が離せなくなっていた。


 日本人形の背後に人間の裸足の足が映っているのだ。


 カメラはその後も古びた人形ではなく背後の人間にピントを合わせて徐々にカメラを上方へと移動させていく。


 白い着物のような衣服が映りだした。


 それでも、まだ上方へとカメラを移動させていくと、長い髪の裾が映り込みだした。


 莉奈は写真部でオカルト好きな男子が話していた内容をもうひとつ思い出した。


 ”霊はカメラに映る”と確かに言っていた。


 カメラは携帯電話のカメラや一眼レフカメラ、ビデオカメラなど、静止画像から動画まで電子機器を通して見ることができると言っていた。


 電子機器で撮影できるが、霊がその場に存在すると霊的磁場の影響を電子機器が受けてしまうとも言っていた。


 莉奈はスマートフォンの液晶画面から目が離せずにいた。 


 これ以上は見てはいけない気がしたが、見ずにはいられないという気持ちになっていた。


 それは、好奇心からではなく、興味を引かれたからでもない。


 確認せずには要られない、あくなき探究心に似たようなものに近かったかもしれないし、何かに操られていたかのように自然とカメラを顔の方へ移動させられていたのかもしれない。


 「いや! お願い! やめて!」


 莉奈は懇願した。


 しかし自分の意思とは相反して、携帯電話のカメラを通して日本人形の背後の人を液晶画面に映し出した。


 先程、二階の自分の部屋で見た女性だった。カーテンを開けたら窓の外から宙吊り状態で部屋の中を覗き込んでいたあの女性の顔であった。


 先程の戦慄が蘇った。息ができないほどの緊迫感が襲い掛かってくる。


 その女性は莉奈の顔をじっと見詰めていた。


 大きく見開かれた真っ赤な目は”悪意”に満ちていた。


 携帯電話のカメラ機能が停止し電源も落ちたのほぼ同時に家の中の照明機器全ての電源が落ちて、暗闇に包まれた。


 古びた日本人形の真っ白な顔の色と真っ赤な目が暗闇の中で浮かび上がってきた。


 燃える炎のような紅い瞳はとてつもない怒りを感じる。


 生きとし生けるもの憎むその人形の目はまっすぐと莉奈を見据えていた。


「お願い、来ないで……」


 莉奈は震える声で訴えた。


 古びた和人形はまるでからくり人形のように莉奈へ近づいてくる。


 床の上を滑るように移動して両手を前へ突き出し迫り来る。


「来ないで! 来ないで! 来ないで!」


 絶叫に近い叫びをあげていた。


 それでも無表情の日本人形は作り物っぽい表情で、莉奈との距離を縮めて来るのだった。


「来ないで!」


 莉奈は手に握っていた携帯電話を日本人形に向けて投げつけた。


 スマートフォンは人形の着物の胴の部位にある帯に当たった。


 古びた人形は後方へ弾き飛ばされた。


 漆黒の闇の中へ姿を消した忌まわしい和人形を完全に見失ってしまった。


「いったい、何処へ……」


 辺りを見回しても何処にも見つけることができなかった。


「消えてしまった……」


 莉奈は安堵の溜め息をついた。


 暗闇の中を注意深く意識して何かの気配は感じ取ろうとしたが、自分の呼吸の音と心臓の音が感じられる。


 莉奈は自分が生きているという実感をこんなにも明確に感じたことはなかった。


 人間とは死に直面して初めて本気で”死にたくない”という思いを感じるのかもしれない。


 ゲームのようにリセットしてやり直すことができるのなら、この脅威を感じずに済んだのかもしれないが、人間の現実世界はゲームの世界ではないのである。


 今のこの現状が架空の世界の出来事で、ゲームのようにプレイを終了すれば先程までのおぞましい出来事全ては非現実世界だと割り切れるのにと莉奈は思った。


 今が現実なのかさえも半信半疑であった。


「終わったの!?」


 莉奈は暗闇の中で座り込んでいた。


 荒い呼吸も心臓の鼓動も落ち着きつつあった。


「え!?」


 上から何かが降ってきた。


 それは座り込んでいる莉奈の膝の上へと落ちた。


 悪い予感がした。


 そしてその悪い予感というものは予想を裏切らないものなのだ。


 古びた日本人形の長い黒髪はまるで生き物の触手のように、莉奈の細い指一本いっぽんに絡み付いていた。


 あの殺気に満ちた真っ赤な目で莉奈を睨みつけていた。


「わたしからは逃げられないよ」


 地の底から響いてくるような邪悪な声が再び聞こえた。


 心臓が止まりそうなくらいの恐怖と錯乱しそうなほど動揺が莉奈を支配した。


 必死に指に絡みついた人形の髪を振りほどこうとしたが、両手を振って払っても絡みついた黒く長い髪は縺れていく一方であった。


「誰か! 誰かたすけて!」


 ヒステリックなほどの金切り声で叫び続けた。


 人形は日本人の子供の顔を莉奈の手の甲に近づけて、噛み付いた。


「痛い!」


 確かに今、この人形に噛み付かれたのである。


 手の甲には人間の歯形がついていて血が出ていた。


 まるで小動物の栗鼠や兎に噛まれた時の痛み似ていた。


 莉奈は先程よりも激しく力の限り指に絡みついた髪の毛ごと忌まわしい日本人形を振り回した。


 何かが引き千切れるような不快な音と共に人形は再び暗闇の中へと吹っ飛んでいった。


 莉奈の指には千切れてしまった黒髪が力なく巻きついていた。


 髪の毛の束を指から引き剥がすして、その場から立ち上がった。


 いったいあの人形は何なのか理解できなかった。


 人形が生きているわけではない。


 しかし、人間の姿をした”人形には霊が宿る”ということも聞いたことがある。


 多くの場合は、人形を使っていた人の”念”が残ると考えられていたり、人形制作者の念が宿るとする場合もある。


 人形の所有者は人形に対して愛情を注いだりする。


 自分の心を許して何でも話せる親友のように接する。


 嬉しかったこと、楽しかったこと。


 その反対に悲しかったこと、辛かったことなどを人形へ語ったり、抱きしめていると何故か心が落ち着いたり、傷ついた心を癒してくれたりしてくれる。


 それは自分自身にとっての心のよりどころにしていたという人も多いはずである。


 莉奈も幼い頃には人間の姿をした人形や動物の姿をしたぬいぐるみを大切にしていたり、お気に入りの人形はいつも持ち歩き肌身離さずにいた。


 人間の姿をした人形は特に大切にされると魂が宿るなど言われていたが、莉奈は祖母から以前怖い話を聞いたことがあった。


 人形遊びを卒業している中学生の莉奈に祖母は、桃の節句で飾られていた雛人形を見ながら言った。


「人間の姿をした人形には愛情を注いではいけないよ。可愛がられた人形には邪悪な何かが宿るからね」


 怖がりながらも理由を知りたかった莉奈に対して祖母は真剣な顔でその理由を簡単に説明してくれた。


 可愛がられた人形を妬むものがいる。


 それは悪霊と呼ばれる邪悪なものだと。


 もともと人間だった霊が悪霊となり、人間に害をなすために人間の姿をした人形を寄り代とするのだと。


 そして、愛情の注がれていた人形が、呪いの人形のように持ち主の愛情を吸い上げては災いを起こすのだと言っていた。


 人間の心の隙に漬け込んで人形に宿った悪霊の魂は、人形供養をする寺院で魂抜きをしお焚き上げしないと、人形の持ち主にもいいことはないそうなのだ。


 祖母が孫を怖がらせるための作り話だと莉奈はずっと思っていたが、今それは現実の出来事として莉奈の命を狙っていた。


 暗い廊下を慎重に歩きながら、玄関の方へ向かった。


 玄関の隣には和室があるが、今は使われていない部屋のため普段から和室の引き戸は閉められているはずが、今は開いていた。


 和室の引き戸が開かれている中へと吸い込まれるように入っていった。


 畳の冷たさが裸足に直接伝わってくる。


 辺りを見渡してみたが、特に変わった様子はなかった。


 磨り硝子のはまった格子状の窓から外からの明かりが差し込んで畳の上に碁盤の目の模様を描いていた。


 莉奈は六畳の和室へ進んで行くと、突然引き戸が音を立てて勢いよく閉まった。


 その音に振り向くと同時に、荒々しく髪の毛を振り乱した作り物の無機質な表情の日本人形が莉奈の顔めがけて飛んできた。


 咄嗟に腕で払い除けると人形は和室の壁に激突した。


 畳の床の上に鈍い音を立てて落ちると再び起き上がり、市松模様の衣装を引きずりながらからくり人形のように近づいてくるのだった。


「もう、いいかげんにしてよ! あの駅からこの家にまでついてきたんでしょ!」


 莉奈は発狂しそうだった。


 無表情な古びた人形は業火の中で永遠に燃え続けるような真っ赤な目で凝視してくる。


 それは悪意に満ちた目である。


 血のかよっていない表情のない作り物の顔には、血のかよった人間の生々しい眼光があった。


 それを見た莉奈は全身に鳥肌が立った。


 魂の宿った市松人形は莉奈の胸元へと飛びかかり、服を這い上がってきた。


 そして小さな手で莉奈の細い首を絞め始めた。


 その小さな手から想像もできないほどの怪力であった。


 息ができなくなり気が遠退き始めた。


 視界がぼやけ始めているが、息ができないために力んでいるため眼球に圧力がかかっているのが分かった。


 まだ死にたくない。


 まだやりたいことだってあるのにという思いが湧水のように溢れだした。


 最後の力で自分の首を絞め続けている人形の手を剥がすように外した。


 畳を這いつくばるように移動し仏壇の前にたどり着く。


 手を伸ばしたらそこにはあの忌まわしい人形が入っていた箱があった。


 震える手で箱を掴んだが力が入らず畳の上に落としてしまった。


 畳の上に鈍い音を立てて桐の箱が落ちて、その蓋が開いた。


 裏蓋には古びたお札が貼られていたのだ。


 莉奈は理解した。


 この古びた市松人形には悪霊の魂が宿ってしまっているのだと。


 莉奈は近づいてくる忌まわしい人形を箱に納めて封印しようと試みた。


 近づいてくる日本人形は畳の上を滑るように近づいてくる。


 人形との距離を目視で測りながら、行動へ移す機会を窺っていた。


 「今だ!」


 頭の中でそう本能が告げていた。


 莉奈は虫取り網で昆虫を捕まえるような感じで、人形に向かって箱を被せるように飛び掛った。


 日本人形は桐の箱に収まった。


 後はお札が貼られている蓋を閉めればいいのだと自分に言い聞かせて、蓋を閉めるために力を入れた。


 古びた市松人形はなおも抵抗を続けて蓋が閉じないように、作り物の手足をバタつかせて暴れ続けた。


 和室の磨り硝子の窓の外で黒い影が走った。


 莉奈の一瞬の隙をついて人形は桐の箱から逃げ出した。


 油断したのか、油断させられたのか分からないが、確かに外に何者かの黒い影があった。


 体の自由を取り戻した忌まわしい人形は、再びからくり人形のように莉奈の方へと近づいてきた。


「このお札を!」


 莉奈は桐の箱の蓋に貼られた裂けかけた古びたお札を剥がした。


 人形は猫が飛び掛ってくるかのように、莉奈の顔目掛けて宙を舞った。


「これで終わりにして!」


 莉奈はそう叫びながら、手に持っていたお札を古びた市松人形の顔に貼り付けた。


 獣の断末魔のような凄まじい叫び声がこだました。


 魂の宿った人形は、鈍い音と共に畳の床の上へと落下した。


 畳の上で転がっている人形は作り物の表情のまま莉奈を静かに見詰めている。


「これで本当に終わったの?!」


 半信半疑のまま片手で人形を床の上から拾い上げ、桐の箱へと納めて蓋を閉めた。


 人形を納めた桐の箱はまるで棺桶だと感じずにはいられなかった。


 莉奈は和室から出て、見ると廊下や部屋の中には明かりが燈っていた。


 いままでの出来事が遠い昔の出来事のように思えるほどだった。


 裸足のまま玄関のタイルの上を歩き、外へ出るための扉のドアノブに手をかけた。


 外は静まり返っていた。静寂の中で満月の明かりが夜空を幻想的に照らし出し、星の瞬きさえも感じられるそんな気にさせた。


 玄関の近くにある物置の扉の前に、桐の棺と化した箱を丁寧に置いた。


 今は何も考えたくなかった。


 この人形のことも今は忘れたかった。


 とにかく今は眠りたい。


 全身に蓄積された疲労が限界を告げている。


 とにかく眠りたいただそれだけだった。


「莉奈、莉奈起きなさい!」


 聞き慣れた母親の声が優しく莉奈を起こしていた。


 ゆっくりと重い瞼を開ける。


 そこにはあの忌まわしい日本人形の顔はなかった。


「お母さん、今帰ったの?」


「また、夜更かししてるから朝起きられないのよ」


 母親はそう言いながら莉奈の部屋を出ようとした。


「お母さん……」


 莉奈は去ろうとする母親を引き止めた。


 母親は立ち止まり、娘の次の言葉を待った。


「お母さん、電話であの時、”それから”って言って何かを言いかけていたけど、何だったの?」


 娘の言葉に母親は一瞬躊躇したが、話し出した。


「病院で夜勤に入る前に莉奈のおばあちゃんから電話があったの。それかが、”莉奈と日本人形が見える”っ言うのよ。だから莉奈に話そうかと思ったんだけど、何か不気味だから話するのやめたのよ」


 母親はたいしたことじゃないから気にしないでという感じで、階段を下りて行った。


「あの人形!」


 一気に目が覚めたような感覚で、ベッドから飛び起きた。


 階段を駆け下り、玄関の扉を開けて外の物置へと向かった。


 物置の前に置いた魂の宿った人形が納められた桐の箱はそこにはなかった。


「お母さん! 箱知らない? 物置の前に置いておいた木製の箱知らない?」


「そんな箱は外になかったわよ」


 莉奈は言葉を失ったまま、そのままその場に立ちすくんだ。


 あの魂の宿った和人形はまたあの駅に停車する電車の中へと戻って行ったのだろうか。


 そして、誰かがまたあの和人形の被害に合うのかもしれない。

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