新しい環境
そんな暗闇が消え去るかのように、耳元でジリリリリッ!の金属が擦り合わさったけたたましい音が鳴った。
目を瞬きすると、さっきの真っ暗闇と真逆で、眩しすぎるぐらいの日光の光がベッドの前の窓から差し込んでくる。鳴り続ける目覚まし時計を止めると、立て続けに玄関のチャイムが鳴る。
凛月はまだ眠気が覚めない中、目をこすりながら覚束ない足取りで玄関へ向かった。
玄関の小さい丸穴から覗くと、そこには幼馴染の藍原怜音が高校の制服姿で何やらイライラした様子で立っていた。その時、一昨日入学式の前に孤児院に顔を見せに行く約束をしていたことを思い出した。慌ててドアのチェーンロックを外し、鍵を開ける。
「あ、ごめん。忘れてた」
「忘れてたじゃないだろ。集合場所に来ねえからどうしたかと心配して電話しても出ないし、なんのための携帯だかわかってんのか?」
ベットに置いてあるスマートフォンを確認すると、ロック画面に10件分の不在通知があり、詳細を見ると全て怜音からの電話だった。ついでに時間を確認すると、もう7時半。高校までは約30分かかる。孤児院は高校のさらに奥あるため、寄っている暇はない。
「怜音、ごめん。私まだ着替えられてなくて……」
「いいよ、軽い飯作っとくから、その間に着替えちまえよ」
「え、でも…」
怜音は玄関にスクールバックを置き、キッチンのほうへ向かい、冷蔵庫から食材を出し始める。凛月は申し訳なさそうな目で怜音を目で追うが怜音はお構いなしのようだった。怜音が食材をきっている間にベットの左側にあるクローゼットから、高校のブレザーを取り出す。白のワイシャツに紺のブレザー、太い青色と細い金色のレジメンタルストライプのネクタイ、紺と青の二色のチェックのスカートが高校の制服一式だ。
制服に着替え終わるころ、後ろではフライパンからがジュージューなる音や、パンの香ばしい匂いがした。
「終わったか?」
「うん、もう終わった」
最後に靴下を履きベット手前の低い丸テーブルのところへ向かうと、すでにトーストの上にベーコンエッグが乗った皿が置かれていた。だが、皿は一つしかなく、凛月の座る方にしか皿はなかった。
「ありがとう…。でも、怜音のがないよ。」
凛月は自分だけ食べてしまっていいのかと困惑した表情だった。
「俺はお前と違ってもう家で食ってきたの~。大丈夫だからとっとと食っちまえよ。」
凛月は皿に手を伸ばし、トーストを口に入れる。薄くマーガリンが塗られたトーストは少しあまじょっぱくて、ベーコンエッグのベーコンがカリカリしていて美味しかった。それを口あえてに出さず無表情で食べている凛月だが、彼女にとっては唯一の家族と同じ空間にいることが何よりも心が落ち着く時間なのだ。
怜音は凛月の健康な姿を見てひっそりと安堵していた。今まで何度もリストカットをし、自殺未遂を繰り返してきた。一番危なかったのは深夜に誰もいない浴室でリストカットをして、出血多量で一週間眠っていた時だった。ここに引っ越してきてからも頻繁に様子を見てきたが、最近はあまりリストカットをしていないようだった。だが、彼女の心の傷はまだ塞がらず、体にもまだ所々薄くだが傷が残っている。
ずっと俺は彼女が笑顔になれるのを祈っている。でも、それには彼女の自己嫌悪を誰かが蹴散らしてくれないと先には進めない。俺では家族同然のように長く居すぎて、厳しいことを言えなくなってしまった。たまに思ってしまう。もし言ったら俺を捨てた家族みたいに、また捨てられるんじゃないかって、離れてしまうんじゃないかって。俺じゃない誰かがいつか笑わせてくれる日が来てほしいもんだ。なあ、院長。
片付けやらなんやらしてると時刻はすでに8時。今出れば丁度いい頃合いだろう。
凛月は緊張しているのかそわそわしだした。それもそのはず、幼稚園はおろか小学校、中学校もまともに行かなかった奴が、見ず知らずの他人と一日を過ごさなければならないなんてさぞかし地獄のような気分だろう。ここ10年以上引きこもり生活をしてた凛月からすれば、ほぼほぼ初めての学校というものは新鮮に感じるだろうが、恐怖もその分大きい。
荷物をまとめ玄関をでる。
外は春の日差しが差し、心地よい風が吹いていた。アパートの周りの木々がざわざわと音を立て、小鳥の囀りが響く。アパートの前の坂には、ピンクのワンピースを着た少女と両親らしき男女が少女の手を引いて歩いていた。
小学校の入学式だろうか。少女が「学校、楽しみだね~」といったのに対し両親は笑顔でうなずいていた。
「おい凛月、なに突っ立ってんだ。行くぞ」
「うん、今行く!」
私は親子と逆の方にいる怜音の方へ小走りで向かっていった。
学校までは約歩いて30分。途中には住宅街や郵便局、コンビニがある。やはり、今日入学式の小中高の学生がちらほらと親御さんと登校していた。中には友達と一緒に会話しながら登校する子や、親子二組で楽しそうに和気あいあいと向かう人たちもいた。
「凛月、今日の式終わったら帰りに孤児院寄っから、校門で待ってろよ」
「うん…わかった。なんか途中で紗代さんの好きだったおはぎでも買っていこうよ」
「あぁ、。ばばあは甘いもん好物だったしな」
高校の近くの公園を通ったところだった。なにやら騒がしい声がしてみてみると、同じ高校を着た女子が数人集まっていた。そして、よく見てみると1人小柄で日本人では珍しい赤毛の髪の少女がその中心にいた。少女は下を俯き、自分のバックを両手で胸元に大事に抱えていた。
私たちの周りにいた同じ高校生たちがざわざわしていた。
「あれ、滝川さんじゃない?う~っわ、あの子可哀想~。初日からマークされてんじゃん」
「また始まるのかな…滝川政権。滝川さんとだけは同じクラスなりたくないわ~」
「怜音、あの子…」
「凛月、あいつらには関わるな」
「え、なんで?」
それっきし学校に着くまで怜音は黙ってしまった。
気まずい雰囲気になってしまった。話をするにもさっきの人たちが気になって新しい話題が出てこない。賑やかな通学路で私たちだけがまるで空気のようにその空間に溶けていった。
学校につくと昇降口前に、クラスの一覧表が張り出されてあった。AからDクラスまであるようだ。
「探さなくてもわかる。俺とお前はA組だ。同じクラスにしてもらえるようばばあが死ぬ前に理事長に頼んでたらしい。」
「もしかして、だから私に高校に行こうっていったの…?紗代さん、怜音とだったらいけると思ったのね」
「ばばあの考えてることなんかお見通しだ。行くぞ.俺ら一年は三階なんだ。早くいかないと遅れんぞ」
私たちは下駄箱で靴を履き替え3階の教室へと向かった。