8話:吉村君の弟子入り志願
そして1983年5月10日、佐野の奥さんに2人目の子供ができ11月1日、出産予定日だと知らされた。今年から1クラスの人数を増やし2人で塾生の質疑応答を受けることにした。それにより効率よく授業ができるようになった。
また年4回のテストやテスト結果を出すのも手分けして、早くできるようにし、マンツーマンで1人1人、弱み強みも解ってきた。そして8月、夏休みに塾生に多くの個人の克服すべきテーマと宿題を出すようにした。それにより10月のテスト結果も以前に比べ実力が上がって気がした。
その後1983年が終わり1984年を迎えた。1月から毎年恒例のラストスパートへ突入した。受験期間に突入し2月の結果は4人不合格で私立大学受験に回り1984年3月10、15日、不合格者なし20日全日程終わり全員合格、しかし、めざす国公立で4人が不合格で私立に合格だった。
それでも佐野は満足できる結果と胸をなで下ろした。この結果を書いて1984年度の塾生募集を昨年と同じ八王子、西八王子、高尾、相模湖、藤野の各駅でビラ配りすると4月15日までに50人、5月連休前に62人となった。
1984年も4月中にアルバイト学生に指導方法を徹底的に仕込み塾生へ厳しく当たる様に指示。4月の塾生へのテストの採点を終えて塾生の個人の弱点を見つけアルバイト学生と情報を共有した。その後、5月の連休は家で徹底的に塾生、各自の弱点を克服するために勉強するように指示した。
7月も同様に6月のテストで残っている弱点強化に努めるように塾生、各自に伝えた。10月に弱点克服の度合いを見て弱点克服できてない塾生を個別に呼んで冬休みの勉強のテーマを指示。そして冬休みに入り1985年を迎え1月の最終模擬テストで弱点を克服できたかの最終チェックした。
その結果、2人が克服できてないので残りの1ヶ月、個別指導をして合格へ導こうと、最大限の努力をした。そして2月に入り受験が始まり合否が次々と入ってきて2月中は全員合格3月に入り2人が不合格となった。62人中、志望大学合格者数58名。最終合格者総数が60名で不合格者が2名だった。
この結果について、学生アルバイトの諸君を集めて議論してもらった。多くの意見が出たが最終的には自分を信じて試験に臨めるかどうかメンタルの問題だという話になった。そして今年度もパーフェクトに、ならなかったと佐野が悔やんでいると吉村悟という男が佐野を訪ねてきた。
聞いて見ると最初の塾生とわかり東京都立大学に合格して卒業した。しかし会社のやり方に疑問をもって会社という組織の従属者として一生生きて行くのが嫌になったと打ち明けた。そして多くのことを考えているうちに佐野さんがソニーを心身症で退職した。
そして、この塾を開いたという話を思い出して、ここで働きたいと思いついたと言った。それに対して、そう言っても、ここの塾での稼ぎは知れているぞと言い、ここで働くのは構わないが結婚しても夫婦共働きでないとアパート代、奥さんの出産費用、子供の教育費を払えないぞと言った。
すると何でもしますから私を弟子にして下さいと言ったので驚いて自分の事は自分で切り開けと突っぱねた。とにかく、ここで働かして欲しいというので、それは了解すると言った。
でも給料は大企業のようには出せないことだけは理解しておけと言った。その後、吉村悟君に給料は10万円でボーナスなし通勤手当、その他の手当もないと言う条件で納得するなら採用すると伝えると、それで結構ですと言い入社した。