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63話:両親とのポルトガル旅行3

 そして、「ポルトガルが誇るマヌエル様式建築の最高傑作」と称賛されるジェロニモス修道院の中でも、特に評価が高いのは、繊細な彫刻で飾られた回廊や彫像で飾られた「サンタ・マリア聖堂」。回廊とは、修道士たちが、修行のために瞑想をしながら歩く場所。ありとあらゆる部分に装飾が施されている。アーチのあたりは、まるでレースのように見えます。硬い石に掘ったとは、とても信じられない。


 マヌエル様式で繊細に装飾されたモチーフは、海や動物や植物などの他、ロープや地球儀、船、珊瑚、海藻もある。まさに、海洋国家ポルドガルを象徴する彫刻となっている。ここでは両親とも、ため息をついて装飾豪華さに見とれていた。父がポルトガルの印象が変わったと言った。そして1時間ほどで見学終了し、次にベレンの塔へ向かった。ベレンは テージョ川 の河口の町。まるで、お城のミニチュアみたいで可愛い。


 川を行き交う船の監視と河口を守る要塞として、マヌエル1世の命によって1519年に建てられたベレンの塔。バルコニーの柱廊はルネッサンス様式の影響を受けたものだ。哨兵台の形といい凝ったデザイン。最初に目につくのは砲台が並ぶ一角。地下は政治犯を収容する地下牢。3階にある謁見の間。ここは王家が謁見するためのお部屋。4階の礼拝堂。天井にはポルトガルの伝統様式であるマヌエル様式が見られる。イエスを抱くマリアの像。まるで船乗りを見守っているかのような佇まい。


 まーとにかく美しいと母の一言だった。次に発見のモニュメントへ移動した。テージョ川のほとりに建つ大航海時代の記念碑「発見のモニュメント」は、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路へ旅立つ際の船出の地として知られ、1960年にエンリケ航海王子の没後500年を記念してつくられた。 高さ52mの巨大モニュメントの先端には、ヴァスコ・ダ・ガマをはじめとする33人の偉人像を従えて、堂々とエンリケ航海王子の像がたっている。


 大航海時代とは、15から17世紀にかけて、ヨーロッパ人たちが、海を渡って世界に乗り出していった時代。中国で発明された羅針盤「らしんばん」がイタリアで改良され実用性を持ち、これあってこそ大公開が実現できた。そして彼らが探し求めていたものは、実は「スパイス」だった。オールスパイスの中でも、特に、胡椒「こしょう」は、当時大変貴重だった。胡椒「こしょう」は、防腐剤の役割りを果たすだけでなく、肉の保存にも効果的。


 そういうわけで、胡椒「こしょう」は、多くのお金をもたらすものとして人々が長年探し続けていた。ヴァスコ・ダ・ガマが持ち帰った胡椒「こしょう」の値は、渡航費用70倍もの金額だった。発見のモニュメントの前の小さな広場。ここはピンクとグレーを基調にした大理石のモザイクで世界地図を表している。地図上には、それぞれの国に年号が刻印されている。この年号は、ポルトガルがその国を発見した年。


 父が格好いいと、ヴァスコ・ダ・ガマは、どんでもなく偉大冒険家だったと再認識した様だ。3つの名所を終えて13時過ぎていて、ホテルの人の話にあったベレンのジェロニモス修道院近くのパステイス・デ・ベレンへ行くと大行列だったが、佐野公康が1人2つ、8個のエッグ辰路と珈琲をテイクアウトしてもらおうと売店に並んで15分後戻って来て、通りの向うのベンチで食べたが濃い、旨い、さすが大行列はずだと理解できた。


 甘くて濃厚なエッグタルトと苦めの珈琲は最高の組み合わせだ。最後にリスボン大聖堂へ向かった。リスボン大聖堂はリスボンをイスラム教徒から取り戻したアフォンソ・エンリケス「後のポルトガル王アフォンソ1世」が、モスク跡地に1147年に建設し始めた。

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