6話:株投資成功と家を買い結婚へ
やがて夏休みになり富士急ハイラントと箱根に、お泊まりデートに行った。秋が過ぎ、冬になり1980年が去り1981年を迎えた。1981年1月から3月までラストスパートだと佐野が塾生にハッパをかけ真剣に指導していき、やがて3月を迎えた。
今年は高校生20人で志望校に合格したのが18名であった。しかし落ちた1人は東大と東工大で東大に落ちた生徒は慶応大学経済学部へ東工大を落ちた生徒が早稲田大学理工学部に合格した。ちなみに僕も早稲田理工学部だと言い頑張って勉強しろよと言って彼の肩をたたいた。
志望校合格率90%は、すごいと佐野が言うと文代さんが100%めざさないのと、まるで女将さんのような発言をして2人で大笑いした。そして、また今年も昨年同様に、文代さんの、お母さんと弟さんに塾のビラ配りをお願いした。
すると、今年は志望校合格率90%とチラシに書いたこともあったのか高校生が22名、中学生が8人応募があり、4月末で高校生が26名と中学生が12人となった。22人の高校生を1人で教えるのは、これが限界かも知れないと佐野は考えた。
来年、もっと塾生が増えたら大学生のアルバイトも募集しなければと考え始めた。そして1981年4月、以前買ったソニー株が上昇し2600円で全株が売れ税引き後利益が863万円となり佐野の財産が1230万円となった。そして500万円をN証券の証券口座に送金した。
そのため手元に730万円が残った。その後、藤野のアトリエの持ち主に電話して300万円で買うと言うと喜んで家賃をもらったから250万円で良いと言い売ってくれた。この家が佐野の家になり佐野の資産が480万円となった。
1981年4月26日の授業の後、文代さん、この話をして結婚してくれないかとプロポーズした。それを聞いて私でホントに良いのと言い両親に了解をもらってくると言い分かり次第電話しますと答えた。その後、うれしそうに帰っていった。
その晩、佐野が実家の両親に、この話をすると喜んでくれ近いうち、その子を連れてこいと言うので了解した。その後、文代さんから電話で両親が一度お会いしてから直接、佐野さんにお答えすると話しているというので、明日、車で朝7時に行くと言った。
そして、翌日6時半に家を出て玉村家に行き、挨拶して自己紹介すると八王子の大農家の佐野さんの家ですかと聞かれた。そうですと答えると驚いた様に、私どものようなものでも良いのですかと聞き返すので、もちろんですと言った。
それでは結婚に賛成していただけるのですねと確認を取ると宜しくお願いしますと両親が言い両家で結婚の了解をもらった事を伝え結婚式は8月の学校の夏休みの時にしましょうと告げ、詳細は決まり次第、お伝えしますと言い佐野は玉村家を後にした。
結婚が決まり佐野は塾の仕事に熱が入り質疑応答にも積極的に意見を言い塾生も指示に従った。そして今年は4月に長野県高遠の小彼岸桜を見に朝5時に玉村家に彼女を迎えに行き可憐な小彼岸桜を多くの写真に収めた。
そして、おみやげに信州そばを買って玉村家に文代さんを送って帰って来た。その後1981年9月15日火曜に八王子の結婚式場で結婚式をすると招待状を合計40人に送った。やがて9月15日になり八王子で結婚式となり洋式の結婚式で執り行われた。
13時から披露宴会場に新郎、新婦が入り、型どおり結婚式を終えた。新婚旅行は9月29日から10月1日、車で松本の浅間温泉と甲府に湯村温泉に泊まって2泊3日で帰って来た。そして、忙しく1981年が過ぎて1982年となった。