4話:ある女性の就職願いと塾開始
平日は図書館で本を読んで、たまに藤野駅近くの喫茶店で1人で、お茶していた。藤野は小さな町で八王子の大農家の息子が来て塾を開いたという噂が、直ぐ広まり喫茶店でも佐野公康の方を見て談笑する若い女性が、たまにいた。
そんなある日、喫茶店で珈琲とケーキセットを食べていると小柄な可愛い女性が、ちょっと、お話して良いですかと来たので、どうぞと言い向かいに座った。私は玉村文代と言い八王子の商業高校を出て八王子の和装店で働いていた。
しかし最近、和装の女性が減って、その店も閉店する事が決まり困っていますと言い、あなたの学習塾で雇ってもらえませんかと言った。それを聞いて安い給料しか出せませんが。それで良ければと言い、条件はと聞かれ。現状では、月に3万円で夕食付きと言う条件ですと言った。
すると、もし生徒さんが増えたら給料も増えるのですかと聞くので、もちろんですよと答えると、是非、お願いしますと言うので、佐野公康が一応、履歴書も欲しいと言うとカバンから履歴書を出した。それを見ると1951年生まれ、住まいは、相模湖町と書いてあった。
了解しましたと言い仕事は土日祭日で週2日勤務で、授業時間は書いてあるとおりですというと、たったこれだけですかと唖然とした。そこで現在の生徒さんは17人で1人4千円の月謝で合計6.8万円で、あなたに3万円を渡し私が3.8万円と言った。
それを聞いて、そんなに給料を出して大丈夫なのですかと言うので、来年は、君の力も借りて、もっと生徒を増やせば何とかなると思うよと笑うと驚いていた。それでは今週から来てもらえるのですねと聞くと彼女がわかりましたと言うので塾のパンフレットを渡した。
自転車で通勤しますというので雨が降ったらと聞くとカッパを着るだけですと笑いながら言った。1980年2月9日土曜日午後16時15分前に文代さんが佐野塾に来ると佐野と文代さんが、長机と椅子を並べた。その後、ポットにお湯を沸かし机とホワイトボードを拭いた。
やがて生徒が来て最初は中学生で塾と言うよりも質疑応答形式で授業を始めて次々と生徒の質問に丁寧に佐野が説明。生徒は問題集を解いて解らない所を聞く形式であり佐野も忙しいと言うほどでもなかった。授業が終わる17時10分前に、熱い、お茶ありますので飲んでと文代さんが言った。
中学生達が、ありがとうございますと言い飲んで帰って行った。入れ替わりに高校生がやってきて次々を椅子に座り17時から塾を開始、高校生も質疑応答形式で次々と質問に答えていた。ちょっと回答に自信がないと佐野が、次までに詳しく調べて書面にして渡すと笑いながら言った。
勉強の仕方が解らないと言う質問も多く英語はカセットテープレコーダーやNHKの放送を聞いて発音を良く聞く事が肝心と言い数学は多くの問題を解くことが重要だと説明した。3月に入ると中学生、高校生の受験が始まり早く合格した人から、ありがとうございますと、次々とお礼を言われた。
中には高校生で希望した国公立大学に入れなかったと言う生徒がいて、なぜ、不合格だったのかを考え、次の私立大学に絶対に受かるように必死に勉強しろと言った。中には国公立大学しか入れられないと言われた。
そこで受験に失敗して落ち込んでる男子生徒に大学だけが人生じゃない、しっかり働いて、夜学に入る方法だってあると言い、この近所にも八王子には中央大学の2部「夜間部」があると教えた。