3話:退職後、ソニー株投資と塾経営
その晩、その話をすると両親が無理するな人生長いから、きっと、またチャンスがあると言った。会社を辞めて次の人生を考えたら良いと言ってくれた。これを聞いて佐野公康は、ぼろぼろと泣き出した。そして翌日、父が久しぶりに大渡の湧水でも飲みに行くかと言われた。
そして家を出て相模湖へ向かい周辺をドライブし橋を渡り道志村へ入り40分程で「大渡の湧水」をポリタンクに入れた。その後、湧水を飲むと心がすっきりとした。その後、道志の道の駅でアユ定食を食べて冷たい道志川の浅瀬で遊ぶと小さな頃の事が思い出され自分の居場所は都会でない。
この様な自然の中だと再認識した。すると不思議に頭がすっきりして身体の調子が良くなってきた。やがて1週間、ソニーに退職すると連絡し自宅に書類が送られてきて書いてハンコを押して、提出して退職した。
やがて夏に入り自宅の部屋で、そこの湧水をポリタンクの汲んできた。そして新しいアイディが欲しい時は冷たい水で決断したことを継続したいときには火にかけて熱くして飲んだ。その後、今後の生き方を考え始めた。
そして1週間、達ち、自分の人生を自分で制御したい。そのため自活する術を身につけるしかないと考えついた。そして得意の数学を駆使して日本の優良企業、ソニー、松下、トヨタ株を中心に投資しようと考え、将来性も考え合わせる長期投資するならソニー株と決めた。
今後、将来性のある企業を見つけて投資を考えた。現在の持ち金が550万円で200万円を原資に日本株投資を始めるためにN証券八王子支店に口座を開き200万円を入金。そして1974年11月にソニー株を490円で4千株、196万円で買い佐野公康の資金が354万円となった。
その後、弟の佐野泰之家と共に実家の農業を手伝った。給料の代わりに米や野菜、果物をもらった。1975年となり耕運機の運転を弟に教えてもらい始めた。また実家では梨、栗、ぶどうを栽培し米、サツマイモ、ジャガイモ、ナス、ピーマン、きゃべつ、白菜を植えていた。
やがて秋になり稲刈りが終わると山に、きのこを取りにいった。そして1976年を迎えた。すると佐野公康は梨栽培を中心にやってくれと父に言われやり方を覚えて9月前に幸水、豊水を収穫して八王子の駅近くの農協の売店で売る手伝いをした。
そして1977年が終わり1978年を迎えた。1978年藤野駅の近くの芸術家の人が訳あって自分のアトリエを売りに出しているが、買い手がつかないと話題になっていた。それを聞いて佐野公康が興味を持って見に行った。
自宅から車で30分弱、景色が良く相模湖も見えて南向きで日が入る10畳のアトリエと8畳の寝室とガスコンロ、風呂、トイレ付きだった。 売値が300万円だったが買い手がいなかった。そこで、佐野公康が持ち主に電話を入れて賃貸、月3万円で貸さないかと聞いた。
すると持ち主が最低5万円と言ったので、間を取って4万円と言うと1日、2日考えさせてと言って電話切った。翌日の晩、持ち主から電話で4万円で貸すので修理が必要な時は、全部、あなた持ちで私は。費用を出さないという条件で月4万円で貸すと言った。
その話を両親にすると母が、お米は毎日いっぱい炊いて、おかずも作るから持って行けと言ってくれた。そして1980年1月15日から父のカローラを借りて家を出た。その後、そのアトリエに長机と椅子を入れて、中学生と高校生の進学塾を始めた。
藤野駅前で進学塾のチラシを配り8人の中学してと9人の高校生が入ってきた。中学生が毎週2回の授業で月3千円、高校生が月5千円とし授業は土日祭日に1時間ずつ授業することにした。