25話:ヤフー株をとりあえず1株購入
1997年11月21日第三金曜日の投資勉強会の席でリスクは高いがインターネットという境域に新しい日本の企業としてヤフーが上場した話をして、そのインターネットの将来性について不安はあるが予想通りに行けば新しい時代の幕開けになり、日本のこの領域ではヤフーが最初に市場を獲得するだろうと説明すると、ちょっとオーバーじゃないと言われたが、オーバーかどうかは、1年後に判明すると佐野が答えた。
そして、この研究会では斎藤勇さんと満田さんと佐野が1株ずつ買ったと言うと満田さんが私の友人にも伝えたので合計4人が買ったと言った。以前、佐野が言った「最悪の環境になった時、始めて、優良株も値を下げて買い時になる」と言うことが現実になりつつあった。1998年10月9日にソニー株が下げてきた。そこで投資残高を3000万円に増やした。1998年10月30日の午後14時にN証券の担当者から佐野に電話が入り、ソニーが下げてるから買いじゃないかと言われ7300円で4000株買いを入れた。
その後電話が入り2920万円で買え投資残高80万円と連絡が入った。翌11月1日、月曜日の投資研究会でソニー株買ったと斎藤勇さんと満田さんに聞くと7500円で買いましたと言った。佐野が7300円で4000株買ったというと完璧ですねと言った。しかし1997年11月17日に
北海道拓殖銀行が1年以内の清算を発表し戦後初の都市銀行の破綻となった。続いて11月24日には4大証券の一角を占めていた山一証券が自主廃業に追い込まれた。
損失補てんなどの不正が明るみに出たことや破綻した北海道拓殖銀行の主幹事として資金提供を行っていたことが影響した。北海道拓殖銀行、山一証券の破綻で日本は未曽有の金融危機に突入した経済界は凍り付いた。そして日本経済界にとって悪夢の1997年が終わり1998年を迎えた。1998年を迎えるとヤフー株が上昇し始め1998年5月に540万円、7月に620万円、12月に860万円となった。
1999年があけて1999年2月2000万円、1999年3月26日、最初の2分割をした。その後、株価は上昇1999年6月4500万円、8月6200万円、1999年9月27日に2度目の2分割、当初から4分割、1999年10月5400万円、11月7500万円、12月9000万円、2000年1月10000万円、2000年2月16000万円で2000年2月22日16800万円で全株売り、税引き後利益となった。
ヤフーを買った斎藤勇さんと満田さんとその友人の3人は1人、59000万円の税引き後利益を得て、借金を完済した。そこで利益から5000万円ずづヤフー株の買いを奨めた佐野に5000万円ずつ謝礼を払うと言ってくれた。佐野は更にソニー株も同日に33150円で4000株を売り税引き後利益12000万円とヤフー株の59000万円で71000万円と資産の5000万円で総合計76000万円となった。
そして佐野の実家を建て直すために現在の古い農家を解体し佐野と両親の木造の家を建てることにして両親の家が2階建て3LDKで3千万円、佐野の家が4LDKで4千万円、古屋解体と土地の整地、電気、ガス、水道の整備で2千万円、車の買い換え、2件分の電化製品一式でその他で合計1億円を出した。更に高尾駅から徒歩5分の道に面した所に100坪の建ぺい率100%容積率300%の土地を7000万円で購入した。
知り合いの工務店を通じて鉄筋三階建て建坪50坪、総床面積150坪のビルの各階に男子用の専用トイレ8個と普通4個、女性専用トイレ10個と、その脇にシャワールームを2つずつ作り、各階にガスを引込、簡単なシンク、エレベーターを2機設置してもらった。整地費用と電気、ガス、水道を整備して、その他エアコン4つ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機電化製品、食器や備品、車と自家用車の買い換えも含めて全部で28000万円で総合計38000万円を使た。
そして佐野の残金が32000万円になった。これで株投資研究会を解散しようと考えて、その話をすると仕方ないだろうと納得してくれた。高尾駅近くの新しいビルは2000年3月1日に着工して6月末の完成予定で工事に入った。




