15話:新しい成績分析方法
一方、株投資では1989年10月11日に証券会社から電話でソニー株が上昇してるので成り行き全株売りを指示され、その通りにすると9400円で売れ、税引き後利益1710万円、口座残高が1790万円となり、佐野の資産が900万円となった。
やがて1990年を迎え、1月の模擬試験の結果、弱点の塾生、数学7人、英語7人、科学7人と全く減っていない。弱点を克服した人もいるが新たに弱点になった人が出てしまったのだ。何も有効な手を打てず、ゴールを迎えた気がした。そして2月になり25人の不合格者が出た。
東大2人、東工大4人、一橋大4人、横国大4人、横市大5人、都立大6人の不合格者だった。これは、まさに、佐野が怖がっていたことが起きてしまった。やがて3月に入り私立大学受験となり次々を合格者が出て最終的に108名の合格者となり96%の合格率であった。
これだけ見れば、良い結果に見える。しかし国公立にだけに、ついて言えば75%と言う低い結果となる。この結果について、その後、検討会をも持ったが結論が出なかった。弱点あるかないかでなく受験科目ごと10点満点で何点かという表示にして難関校については8点以下が弱点とした、
1ランク落ちる学校については7以下が弱点とか工夫すべきだと意見が出た。確かに受験校別に点数を出す方法しか対策がないと言う結論に達した。しかし、それを算出するのは大型コンピューターに個々のテストの点数結果を入力しないと、人の手だけではできないと言う意見が大勢を占めた。
しかしプロの進学塾としては講師の勘でも構わないが、そう言う資料を作らないと、今回のような事件が起きる可能性があると佐野は講師全員に話し、これができてこそプロの難関校の合格請負人じゃないかと言った。それに対し論点は間違いない、
本当は、そうあるべきかも知れないが時給千円で、そこまで要求されたら、たまらないと言われると、佐野は全く反論できなかった。そして苦い経験の1989年度のだった。しかし佐野はあきらめずに腹心部下の本田とケイトに、この話をした。
すると、そのチャートグラフの草案を考えてきますと本田が言ってくれた。そしてケイトも作るべきでしょと賛成した。その後、本田が円形の中心点から8科目なら8つの線を等間隔をあけて中心点から外に向かって直線を引く。次に、その直線を10等分して1から10までの点を打つ。
そして8教科の個々の実力を数値化して数学が8なら8の所に赤印をつけ、国語が7なら7の所、英語が10なら10の所、理科、社会、科学、と点数化して、その点を結ぶと完成する。私立大学の場合は受験科目が少ないから3科目で3角形5科目で5角形。
6教科で6角形の形を作って個人の能力判定に使っていけば良いと提案した。これをホワイトボードにフリーハンドで本田が書き出すとケイトがパーフェクト、エクセレントと言い、佐野が完璧と驚く様に言った。
早速、その原案を作り何も書き入れてないグラフをB5用紙に2つ作り次々とコピーして15部、30のグラフを書ける用紙が完成した。次の会合の時に、その原案の話しをするとアルバイト大学生がすごい、完璧だと、うなった。
だれが、これを考えて作ったのと聞いたので本田君だと言い本田が前に出て使い方を詳しく説明した。すると驚きの声が巻き起こった。これで行きましょう、これすごい特許ものですと言い、他の進学塾に、もれたらまずいというものも現れたほど好評だった。