1話:不思議な水のお陰で早稲田に合格
佐野家は何代も続く、豪農の家で家系図があるほどで、大きな農園と昔からの小作人に土地を貸していて、なに不自由ない生活をしていた。その佐野家に1949年9月13日に佐野公康が生まれ、その後1951年、次男の佐野泰之が誕生した。
1960年代に入ると、軽トラの他に、トラックとクラウンを持っていた。佐野公康は物心がつくと、近所の多摩川と遠くに見える山、真っ赤な夕日が記憶に残った。やがて、その自然が好きで両親がセリやフキ、山に入り、タケノコ、きのこを取ってきた。
それらを使った料理では、特にセリ、きのこ、タケノコの天ぷら、タケノコ御飯、きのこの味噌汁が大好物だった。やがて小学校へ行くと父が軽トラックで津久井湖、相模湖、道志川に連れて行ってくれたが、その自然が、ますます、好きになった。
そして小学校の夏休みに道志村にドライブへ行った時に湧き水があるから飲んでみようと言われた。そこで大渡の湧水の場所へ行き蛇口から飲んでみると冷たくて旨い。冷たい水を飲むと、すっきりして集中力が増していろんなアイディアが浮かぶような気がした。
持って帰ろうと言い、持参した焼酎の瓶に2本、湧き水を入れて帰った。そして夕食後、寝る前に、その水で入れた、お茶を飲むと、今度は何か、無性に何かをしたくなった。そこで夏休みの宿題を始めると30分、2時間、3時間と全く疲れず、何となく奇妙な暗示がした。
しかし宿題は早く終えるに超した事がないので続けてると、父が、もう0時になるぞ、早く寝ろと言われた。仕方なく寝たふりをして父が部屋に行ったのを確認して電気スタンドを枕元に持って来て、次々を宿題を終え、ついに算数の夏休みの宿題を全部終えたので寝た。
もともと佐野公康は好奇心、旺盛で本を読んだり、音楽を聴いたり、絵を描いたりしたが、飽きっぽい性格で長続きしないという欠点があったが、それが、あのお茶を飲んだら持続力が増し集中して宿題をした。
この経験をしてから父に言って20Lのポリタンクを数個買ってもらい毎週、大渡の湧水を汲んでもらってくるようになり公康の部屋の隅におき自分専用に飲んだ。他の家の人は腹を下したらいやだとか言って誰1人手をつけなかった。
やがて公康も中学に入り物思いにふけったりアイディアを出したい時、冷たい大渡の湧水をコップで飲むと良いアイディアが浮かんだ。そして、それを温めて飲むと自分がやり始めたことに没頭できた。そのため中学に入ってから成績が急上昇した。
そして中学1年でクラス5位、2年でクラストップ、3年で学年でトップ争う様になった。その頃、次男の佐野泰之は八王子の工業高校を出て実家の農家を継いだ。佐野公康は、この地域の名門、都立国立高校へ1965年に合格した。
特に数学、理科が好きで、ものを考えたり新しいアイディアを考え出すのが大好き。しいて言えば暗記が少し弱かった。電気が好きでゲルマニウムラジオ、真空管ラジオ、中古のステレオを買った。高校でも数学、理科は、トップで、良い大学を目指すようになった。
受験勉強のためにカセットテープレコーダーを買ってもらい英語の単語を徹底的に覚え、英文法の法則を身につけた。すると国立高校でも学年ベスト10に入るようになり高校3年を迎えた。大学は早稲田大学理工学電子工学科を目標にし1968年、大学受験の年を迎えた。
冬の雪降る中、受験会場へ向かい、全力を尽くし3月に合格を掴んだ。八王子から早稲田大学まで約1時間で着いた。大学に入ってからは頻繁に秋葉原電気街に出かけてオーディオ・マニアになりヨーロッパ音楽に心酔した。