ふおん
馬車が目的地を城へと変え動き出した後もフェリル・マーデリックはどこかソワソワとしていた。
この超マイペースな彼女がここまで動揺することって一体なんなんだと考えては見たが、変わり者の彼女とあの危険な匂いがプンプンする異常な執事との関係なんぞわかったものでは無いし、答えに行き着く気もしないので素直に聞いてみることにした。
「それで、何があったんですか?」
手の震えも落ち着き、忙しなく窓の外を覗く視線もどうにか定まった頃、そう尋ねると彼女は人間離れしたその金の瞳をやはりウロウロさせてそれからため息をついた。
「その……怖くてな」
「怖い? あの執事とあなたは幼い頃から一緒なのでしょう? 並々ならぬ信頼関係があると思っていましたが……、それとも、やはり何かあの男が暴力とか」
「さ、さされてない! された事ない! むしろ私がシーフーの骨を折ったり、殴ったりはあったけど」
え、骨を?
無意識に距離を取ってしまった僕に気づいていない様子の彼女は未だにアワアワと弁明を続けているが、あの腕っ節が立ちそうでやたらと自信に溢れたあの長身の男が骨を折られたり殴られたりするのか。やはりフェリル・マーデリックは僕の想像の斜め上を行っているというか、なんというか……。まあ彼女と常に一緒にあれば普通ではありえない事が多々起きるのかもしれないけど……あの得体の知れない男がちょっと可哀想に思えてきた。
「では何故怖いんですか? まさか、ただの喧嘩か何かで叱られそうになって逃げてきたとか、そんな子どもみたいな理由じゃないですよね」
「……ぅっ、いや、なんでと言われると、何をされたって訳でもないんだけど……」
「なんですか、ハッキリしませんね」
僕の言葉に彼女は顔を俯かせて、彼女自身が迷っているような顔で口を開けて、閉じて、を繰り返し、それからため息をついた。
「……シーフーがあんなこと言うなんて思わなかったんだ」
「あんなこと?」
「シーフーは昔からずっと私の傍にいてくれて、何があろうと味方でいてくれた兄のような友達のような、そんな奴なんだ。実の家族よりも過ごした時間は長いし、シーフーの言う事はいつも正しくて、シーフーの言う通りにしていれば何も問題は無かったんだ」
「…………まさか、私と初めて顔を合わせた時のあのおかしな態度も……」
「……? ああ、うん、そうだぞ。ああするのが貴族令嬢らしくて、王都の流行りだと聞いて、シーフーが教えてくれた」
「やっぱり……」
キョトン、とした顔でこちらを見上げる彼女の瞳にまたもや胃の奥を鷲掴みにされるような鈍痛を覚えるがどうにか無視をする。
……あの男。おぞましい令嬢のフリはやはりあの男が仕組んだものだったのか。確かにああいう令嬢は少なからずいるが、フェリル・マーデリックと知り合ったあとで思い出してみると、彼女と最初の印象と実際の彼女の性格の乖離が凄すぎる。もしあの時、今の決して貴族らしくは無いが素直で真っ直ぐな彼女自身と出会っていれば僕が彼女に抱いた感情はもっと違ったものだっただろうし、初対面であれほど軽蔑はしなかっただろう。
一体どうしてそんなことをしたのか、と呟けば「後で私の見た目に騙される人間をこれ以上作らない為とも言っていた」と彼女はあけすけに口にした。
……なるほど、まあ一理あるか。
彼女の稀有な外見は確かに目を引くし、そういうことなら、あの変な態度は間違っては居ないのかもしれない……が、どう見ても彼女は僕に対してそう見せようとしていた。つまり、僕に嫌われようとしたのだ。あの男の助言によって。
一理あるかもしれないが、どう見ても後者がついでで、第一の目的は僕が彼女を嫌うように仕向けたに違いない。
「……あの男、だから、何故」
「あの男?」
「…………すみません、続けてください」
そうか? すごい顔してるぞ? と不思議そうに首を傾げた彼女に大丈夫だと伝えて先を促す。
いろいろと思うところはあるがまずは彼女の話だ。あの執事にはどうにも謎が多すぎる。本当に一体僕になんの恨みがあるというのだ。
「シーフーが、この国がどうなっても興味が無いと言ったんだ。お父さんもお母さんも双子たちも、イルやユーリウス殿下も、どうなってもいいって。私と暮らせればそれでいいって」
「は、はあ」
ん? なんだそれは、熱烈なプロポーズかなにかか?
至極真面目に思い詰めた顔でそう言う彼女の手前、口を挟むことはしなかったが、もしかして僕は盛大に惚気られているのだろうか? となるとあの男は主従の関係にありながら彼女に恋慕しているのか? 確かに並々ならぬ執着はありそうだったけど……。
「あの男が大陸統一だか世界征服だかをするって言ってて、王族も皆消してこの国も無くすだか壊すだか言ってたんだけど、それでもシーフーは別にどうでもいいみたいなんだ」
「はあ…………ん? え、え? ちょ、ちょっと待って」
「でも私はこの国が好きだし、家族も城の人にも死んで欲しくないし、私ももっと皆と仲良くなりたいし、外に出たいって思、」
「ちょっと待ってください」
多分あのいけ好かない男の話を聞いているからだと思うんだけど、やけにイライラしながら、ただの痴話喧嘩かよとか思いながら彼女の惚気を話半分で聞いていたところ、突然の不穏な単語の連発にこめかみを抑えつつ静止をかける。
……なんて言った? 世界征服? この国を無くす? 王族を、消す?
「……その消すだの壊すだの言ったのは、あの執事ですか?」
「いや、違うぞ。今森にいる知らん男だ」
「……ちょ、ちょっと待ってください、森に? どうして、森に? あなたまさかとは思いますが本当に森からここまで走ってきたんですか?」
「うん。なんか死にかけたらしくて起きた時から森で暮らしてる。その男もフラーっとやってきて今一緒に住んでる」
「一緒に住んでる!?」
「うん」
「え、知らない男って言いませんでした?」
「うん、知らない男だ。名前も素性も知らんが、シーフーは知り合いみたいだぞ」
「そんな訳の分からない男と、というか男と一緒に住んでるんですか?!」
「うん、だって家無いっぽいし」
ま、まてまてまて。いろいろとおかしいことが多すぎて頭が痛い。
この国をどうこうすると、明言しているそんな怪しい男と、彼女は一緒に暮らしていると言ったか? 家がなければ誰でも迎え入れるのかこの人は。名前も素性も知らない上、あまつさえ国家転覆を企んでいるかもしれない不穏分子と?
ただでさえ、今この国はあきらかに平素とは違い、危険なことばかりで、国防が危ぶまれているというのに……。
背につぅーっと冷たい汗が流れる。
「あ、でも大丈夫だぞ。そいつそんなこと出来なさそうだから。多分根はいい奴で、しかもシーフーになんか弱みを握られてるみたいだし」
「多分!?」
「トルヴァン貴族っぽくもないしな、耳飾りがザイオン人のやつみたいだし。別に本当に王族をどうにかなんてできないだろ。会うことも多分ないから大丈夫だ」
「ザイオン人!?」
……ダメだ、訳が分からなくなってきた。
なぜこの国に呼んでもいないそんな怪しさ満点のザイオン人が紛れ込んでいて、潜伏しているのか。
というか今の話を聞くに例えその執事に何を握られていたとしても、執事は国の窮地にも王族の危機にも関心がないのだから止めはしないんじゃないか。
「……貴方を匿うと言いましたが、しばらく屋敷にも森にも返せそうにありません。ご安心ください執事が接触してこないよう細心の注意を払います。ですが、城に着き次第今の話を詳しくお聞かせください」
「え?」
あほ面と言って差し支えない顔で、こちらを見る彼女にため息がこぼれた。
……なんてことだ。イマイチ話の流れが掴めないが、これはもしかしたら今の問題と繋がる何かなのかもしれない。
じっとりと汗ばむ掌を握りしめる僕に、タイミングよく城への到着が告げられた。




