にげよう
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「フェ」
「おい、シーフー!!」
「グフッ!」
次の日の朝、数日前に私が破壊して修繕した扉がカチャリと小さな音を立て、シーフーの声が微かにした瞬間、奴が恐らく私の名を呼び終わる前に、扉を押し開けた。
本当なら屋敷に飛んで帰りたいところだったが片腕男がめちゃくちゃ止めるものだから帰れなかった。あの男ごときの拘束なんて屁でもないし、すぐ飛び出していけたはいけたけど、青い顔で「お前が出て行ったら俺がヤバい」というものだから仕方が無い。
というかお前そんなんでやっぱ無理だろ、なんだっけ大陸統一だったっけ。
パーーン!と小気味良い音を立てて開いた扉をまともに喰らい、仰向けに倒れたシーフーに馬乗りになって掴みかかった私を男が「ちょ、」だの「お前何やってんだ」だのアワアワいいながら狼狽えている。いや、絶対無理だろ。なんだっけ、世界征服だっけ。
「おはようございます。フェリル様。これはこれは熱烈な挨拶で」
「おい、シーフー。お前、この国がどうなろうが人々が虫けらのように殺されようがどうでもいいって言ったそうだな。本当か?」
「いや、そこまでは言ってないけどな」
相変わらずの笑顔で、胸ぐらを掴まれ仰向けになったまま何事も無かったかのように挨拶をするシーフーはさすがとしか言いようがないし、目を泳がせながら何かを呟いた男は残念で仕方がないが、今はそれ所ではなくて。
「はあ、まあ、ええ、言いましたけどね」
「お前……本気じゃないよな?」
一瞬キョトンとした顔をしてから、ちらりと男に目を向け、シーフーはやはりニッコリと微笑んだ。
本気なわけが無い。こいつは昔っから家(マーデリック家)に仕えてくれていて忠実で優秀で出来るやつなんだ。怒ると怖いし変態だし変なやつだが、悪いやつじゃないし、私はこの男を家族みたいに思っているんだから。
だってそうだろ?「私と暮らせる場所があるならそれでいい」ってことは、お母さんもお父さんもネリーもメディも別にどうなってもいいってことだろ? そんなわけが無い。こいつがそんなこと言うわけが無い、だって私達は家族も同然で…。
「ああ、だからフェリル様、珍しくそんな顔してるんですね。ダメですよ、そういう汚くて無駄な感情を貴方は持ってはいけないんです。楽しくて心穏やかなことだけ考えていましょう」
未だ、馬乗りになっている私の肩をやんわり掴んで腹筋を使って起き上がると、シーフーは私をそっと地べたに座らせた。
いつもと変わらない笑み。何年前から共にあるのかは忘れたが物心がついた頃から傍にあって私を支えてくれた世話係。シーフーは例え何があっても絶対に味方でいてくれた。
その微笑みに、あの男の言っていたことはきっと何かの間違いだとほっとして、笑みがこぼれる。そうだ、そんなわけがないじゃないか。だってシーフーはいつも私の味方で私と共にあってそう誓ってくれているんだ。
すっ、といきり立っていた心が落ち着いていくのがわかる。シーフーは私の顔を見て更に笑みを深くした。
「良かった」
「当然でしょう、フェリル様。私は貴方のために生きています」
「いや別にそこまでしてくれなくて全然良いんだけど。とにかく、そうだよね、シーフーはいつも私の味方でいてくれてたから」
「当たり前です。私だけは何があろうとも貴方様と共にあり続けます」
「いやいや、なんか怖い重い、別にいい」
「近頃は人間社会と貴族社会に近づけすぎたと反省して居たところです。公爵家に恩があるとはいえ、旦那様の好きにさせすぎたせいで要らぬ接触を防げなかったこと本当に後悔しています」
「……ん、ちょっと待って、なんの話ししてるの?」
「なんの? 勿論、フェリル様が私にとっていかに大切かと言う話ですが」
「……えっと、ごめん、シーフーは私の味方だよな、あいつが言ってたこと、本気じゃないよな…?」
「ええ、勿論。私が大切なのはフェリル様ただ一人で、あなた以外の何者がどうなろうと全くもって関心がありません」
「……え」
いつもと同じ笑顔でさらりとそう言いきった男に私はぎこちない笑みを浮かべたまま、固まった。
「……意味がわからないんだけど」
「意味? 簡単なことでしょう。本気とか本気じゃないとか、そんなことではなく、とにかく私にとって重要で必要なのはフェリル様と共に暮すことです。それだけ、今までと何も変わりません。この国にたとえ何があっても、フェリル様の生活は何一つ変わりませんのでご安心くださいね」
ちょっと、待ってくれ。
意味がわからないんだが……。
私の手を両手でそっと掴み眩しいほど美しい笑みで迷いなくそう言う男になぜだか寒気がした。
確かに、私の生活は変わらないんだろう。この森でシーフーと共に今まで通り自由気ままに過ごし、誰とも交流を持たず土に還る。それだけだ。たまたまのイレギュラーが起きて王族やら他国の人間やらと関わる機会があったけど、それは私の人生のたった一瞬の出来事で、ただの小石のような事象であって、ただそれだけだ。森を出る前と生活は何も変わらない。
あの残念感ただよう男がこの国をどうこう出来るとか、王族をどうこうできるとか、できないとか、そんな問題はひとまず置いておいたとして。
たとえ、外の世界で何が起きて誰を亡くしても。私はそれすら知ることは無いのだろう。
この森で勝手気ままに生きて、一人で死んでいく。ただ、それだけ。
「いっ、」
「フェリル様?」
突然サーッと血の気が下がる思いがして思わずシーフーを突き飛ばしてしまった。
シーフーは尻もちをついてこちらを見上げて不思議そうに首を傾げた。
「嫌だ」
「何がです? 別にフェリル様にはなんの不都合もありませんよ。不都合は私が全て対処します。近頃ちょっと人と関わりすぎてしまっただけです」
「お、お前が言ってること、全然わからない。お父さんもお母さんも、ネリーとメディも、それにイルやカーチス、ユーリウス殿下とかマダムの事も、この先二度と関わらず思い出だけのものにしたくない! 私はこの国がどうにかなることも、知り合った人間たちのその先がどうなったのか知らずに生きていくことも、絶対に嫌だ!」
なんでだろう、なぜだか見慣れまくっているシーフーが全然知らない何かに思えて、ジリジリと後ずさりながらそう言った私を、シーフーは口元にだけ笑みを浮かべじっと見つめていた。
焦げ茶色の瞳が如実に光をなくし、深い空虚の底の様な瞳がまっすぐ、こちらを見据えている。笑っている、のに、全然笑っていない。
カタカタと勝手に震え出す手をぎゅっと握った。
「……今だけですよ。そう思うのも今だけ。すぐ、忘れます。貴方もあなたと関わった者達も。そんなものです」
「わ、私は忘れない、というか忘れたくないし、シーフーと暮らすのは全然良い、良いんだけど、もっと他の人間とも関わって生きて行き、」
「くっくっく、」
震えをどうにかしようと大声でしどろもどろに話している途中にシーフーはなぜだか、耐えきれない、と言うように笑いだした。尻もちをついた体勢のまま、片足を曲げ、片手で目を覆い空を仰ぎ、やがて「は、はは」と口を開けて笑い出す。
こんなシーフーを見るのは初めてだ…。
びくり、と肩が跳ね、うろうろとさ迷わせた視線の先ですっかり忘れていた男は心配になるほどに青ざめていた。
「はははは、失敗したなぁ。本当に失敗しました。王都になんて行かせるべきじゃなかった、旦那様の好きにさせたのは間違いでした」
ははは、と声を上げて笑うシーフーを呆然と見つめてしばらく、彼はフーっと息を吐いてそれから、いつもみたいにニッコリと完璧な笑みを浮かべた。長い真っ直ぐの黒髪がさらりと額を隠し、感情の読めない焦げ茶色の瞳を蔭らせた。
「……貴方は森にいるべきです。ずっと、何があろうと、私と共に。永遠に」
気がつくと私は走っていた。
行く宛など無い、決めていない、何も考えてなかったし頭は真っ白だった。
だけど、走っていた。とにかく、あの幼い頃から共にある絶対の信頼を置いていた世話係から離れたくて。遠く、離れないといけない気がしてーーーー。
ホラーかな…?




