しつじがいうには
二人の天使はその日、難しい顔で退散していったきり、特になにもしてこなかった。相変わらず綺麗な笑みを浮かべるばかりの執事兼世話係のシーフーに貴族としての振る舞いやらマナーやらを再度叩きこまれ直す毎日に飽き飽きしつつ、文句は言えないので(何故なら自業自得だから)少しでも早く終わらせようとまじめに取り組み、窓の外に思いを馳せ、シーフーに笑顔で咎められ、連れ戻される日々。
わたしは邸の外に一歩も出してはもらえなかった。それもこれも来る東の王太子との会合の為だ。
少しくらい外の空気が吸いたいとシーフーに物申したことが一度あったが「フェリル様は目を離すと猿か何かのごとく木でもなんでも伝って消えそうなのでダメです」と言われた。
およそ、従者が一応は公爵家の娘に言うことではないが、はるか昔、そうやって森に逃げ帰ったことがあるので、わたしは小さくうめいて押し黙った。
余談だが、この執事は多分、根に持つタイプだ。しかも相当しつこいに違いない。
「なんです? フェリル様」
「な、なにがだ!」
「なにか私に言いたいことがありそうな……」
「な、ななにもない! 何も考えていない!」
「まあ、貴方がなにも考えていないことは知っていますが」
「……ん? ちょっと待て、なんか侮辱された気がするぞ」
「気のせいですよ、それより、ネリー様とメディ様になにか言われましたか?」
びくっ!!
跳ねかけた肩をどうにか押さえつけた。あ、危ない、びっくりした。わたしを捉えて離さない焦げ茶色の瞳が楽しそうに細まる。ひい、なんで楽しそうなんだこの執事は、まったく。
な、な何か言われたかって、何がだ。そりゃあ、一緒の邸に住んでる家族なんだしなんか言われることもあるに決まってるし、それにあの二人に口止めされたわけでもないし。
ただ、シーフーの言ったことをまるっと忘れろ、と言われただけで、別に悪いことは何もないのに。
……そうだ、別に隠すようなことじゃないじゃないか。それなのに、どうしてわたしはどきりとしてしまったのか。そ、そうだよ。別に大したことじゃないんだし、そんなびっくりしなくても。
「と、とくには」
「そうですか。私のやり方にああだこうだと言ってきそうだと思っていたのですが、やけにおとなしいので、フェリル様に直接お話に行かれたのでは、と」
「う、うむ、なにもなかったぞ」
「はい」
焦げ茶色がにんまりと弧を描いて危うく悲鳴が漏れそうだった。いや、別に全然やましいことなどないのに恐ろしく思ってしまったのはなぜだろう。
この幼いころから共にある、ずっと変わらない美しい執事を、親よりも長くいるだろうこの世話係の笑みを、いったいなぜ恐ろしく思ってしまったのか。
「し、シーフー」
「なんでしょう。フェリル様」
「シーフーはわたしの味方、だよな?」
シーフーが顔を少しだけ傾けた。
まるで何故そんなことを聞くのか理解できないといった様子で。そしてわたしはやはり呑気にも、この漆黒の闇のような髪を持つ執事を美しいと見つめるのだ。
「この私があなた様の味方でない時がありましたか?」
そう、お父さんを怒らせてしまった時も、嫌なことがあった時も、勉強漬けで逃げたくなってしまった時も、お母さんが姿を消して寂しい時も、邸でも、森でも、いつも彼はわたしを慰めてくれた。
森に引きこもった後も、時々訪れては王都の話や、マーデリック家の話をしてくれた。
幼少の頃、人付き合いがうまくできず貴族社会、人間社会に馴染めなかったわたしに森という居場所を提案してくれたのもそういえばシーフーだった。
連れ戻そうと躍起になるお父さんを説得してくれたのもシーフーだった気がする。
「私はずっと貴方様の味方ですよ。これからもずっと」
「……ありがとう」
シーフーが手袋越しにわたしの髪を撫でる。いつもと変わらない笑顔に微笑み返して、あの双子にはシーフーがどう見えているのだろうと不思議に思った。
シーフーが偏っている? いったいどういうことだろう。シーフーはいつだってわたしの味方だったのに。
「だから、さっさと面倒なことは片づけて、森に帰りましょう。ユーリウス殿下のことなどどうでもいいはずです」
笑顔の奥で焦げ茶色がきらりと光ってわたしは目を見開いた。……そう、そうなのだけど。早く、わたしは森に帰りたいのだけど。ユーリウス殿下に不快な思いをさせたままでいいのだろうか。
ネリーとメディが言う様に、少しでも良い関係を築いた方がいいのではないだろうか。マーデリック家のものとして。
殿下のごみをみるような目を思い出す。
わたしがそれほどまでにこの短期間で嫌われ切ったのは仕方がない。自分のせいだろう。でも、そんなわたしと婚約者だとされる殿下がかわいそうではないだろうか。こちらが一方的に巻き込んでおいて。あの二人の言う通り。それに、殿下の想い人はどう思うだろう?
わたしは、件の事件を引き起こした張本人として、もっと殿下とその想い人に真摯に接するべきなのではないだろうか。そして、ぜひとも協力していただきたい。これ以上の面倒ごとはもうごめんだし、誰も巻き込めない。
なのに、シーフーはもろもろを置き去りに、わたしだけさっさと森に帰れとそういうのだろうか。
「そうでしょう?」
瞬きを数回するばかりのわたしにシーフーが念を押す。覗き込んでくる切れ長の瞳をまっすぐ見返したまま、けれどわたしは何故だか頷けなかった。
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