なにがおきたんだ
森の木々から漏れる光を背で浴びて、肩ほどまでの金の髪がちらちらとさざめいている。
陽の光で透けるように見える緑の瞳はいつもと変わらず優しげに細められていた。
「イル!!」
「やあ、フェリル」
思わず扉を思い切りこじ開けてしまい、金具が嫌な音を立てたが、そんなこと気にもとめずに私は外に出た。
もう随分懐かしく感じる濃紺の騎士服。腰に下げられた美しい長剣。
同じ剣を下げた男なのに昨日のあの男とは比べようもないほどに品があって荘厳だ。うんうん、騎士ってやっぱカッコイイよな。剣を携えるものはこうでなくてはな。第二騎士団の皆は気さくで気のいい人ばかりだが、平民出のものも貴族出のものも総じてどこか誇りと品を感じた。野蛮なあの男とは全然違う。
それはきっと団長がイルだからなんだろうな。
「なんでイルが森に??」
 
「いやあ、近頃君の姿を全く見なくなったからマーデリック公爵を脅……聞けば体調を崩していると聞いてね。心配で今朝屋敷によってみたんだけど、王都のはずれの森にいるって言うから」
会いに来た。
そう言ってはにかむように微笑んだイルは、やはり頭をポンポンと撫でた。大きな掌がくすぐったくて目を細め、随分高い位置にある顔を見上げると彼は少し困ったような顔をして、いつかのように髪をぐしゃぐしゃにした。
「な、ちょっと!」
「あーーーー、久しぶりに見たらいかんな。眩しすぎる。はは」
「何がだよ」
「何でもないよ」
目を逸らして訳の分からないことを言うイルから少し距離をとると、彼は満足そうに頷いた。
まったく、イルはやっぱりなんかわたしのことを犬かなにかのように扱っている気がするぞ。まあ猿よりも随分マシだけど……なんていうか、いつも距離が近くてゾワゾワするんだけど、なんだこれ。みぞおち辺りが気持ち悪い。朝食腐ってたのかな。……あの男大丈夫だったかな。
「君ね、まさか誰にでも彼にでもこんなんなんじゃないよな」
「だから何がだ」
「警戒心ゼロ……というか、何しても子犬みたいにしっぽ振ってるって言うか……」
「しっぽなんて無いわ!」
「はあ……本当心配なんだが……」
さすがにな、わたしにもな。人間だもの。
少々呆れたように片眉を上げて近づいてくるイルが訳分からなくて、そう抗議してみたが、彼はやれやれとかぶりを振ってため息をついた。
「……まあ、そういうとこが可愛いんだけど、心配だよなぁ」
「か、かわっ……?!」
え、今可愛いって言ったか? 猿だとか猪だとか、馬鹿とか見掛け倒しとかしか言われたことない私が可愛いって言われたか? ……いや、気のせいか。そんなわけない。こんな麗しい顔できらきらしい顔を見なれまくっているイルがそんなこと言うわけない。
  
もし、もし仮にいったとしても、それは犬とか猿を可愛がるみたいな、そんな意味に違いない。
うん、そうだ、そうに決まっている。…………だから熱くなるのを止めろ、私の顔。
 
シーフーがぶちギレた時のあの絶対零度の笑みを頭の中に思い浮かべて、どうにか顔の暑さを抑えることに成功した。……いやむしろ、寒くなってきた。なんなんだシーフー、お前怖すぎるんだよ。あの笑顔……。
「まあ……思ってたより元気そうで安心した。カーチスも隊のみんなも会いたがってる」
「そ、そっか、わざわざありがとう。わたしも会いたいな……」
カーチス、みんな元気だろうか。もう随分会っていない。あの日々は本当に毎日がキラキラしていて楽しくてかけがえの無い宝物だ。
誰かの役に立てる充足感、毎日ヘトヘトになって得る疲労と充実、誰かに必要とされる心地良さ、そしてあの日の達成感……。
きっとわたしの人生で一番輝いていた瞬間だった。
森でほとんど一人で生きていたわたしには味わうことの出来なかっただろう奇跡。…………そして、森で生き森で死ぬだろうわたしには、これからも多分二度と味わうことの無い宝物。
…………なんだか泣きそうだ。いやいや、馬鹿か。なぜ泣くんだ。みっともない。
イルを見た時、あんなに嬉しかったのに……何故だろう今はものすごく寂しい。
もう暫くしたらきっとイルはこの森を出て、わたしはまた一人になるんだ。いつもみたいに一人で、この森で生きていくんだ……。
あんなにこの森が好きで一人でいるのが楽で、毎日楽しかったのに、今は何故か昔のようにそうは思えない。なんでだろう。わたしが望んでここに来たのに。
俯きがちになったわたしからイルの顔は見えない。どんな顔をしているのだろう。いつもみたく優しげに笑っているのだろうか。はにかむように笑ってまた頭を撫でてくれるのだろうか。
イルはこうして逢いに来てくれたけど、でも、もう多分これが最後だ。
…………あまりにも住む世界が違う。
イルは王子様で騎士団長で、わたしは貴族としてどころか人間としてお話にならないレベルのただのポンコツだ。
いつかシーフーが言ってたように。
「フェリル?」
「な、なんでもない! 懐かしいな〜って思って」
心配そうな声が降ってきてわたしは慌てて顔を上げた。
少し屈んだイルが濃い緑色の瞳でまっすぐこちらを見据えていて、少しドキッとした。
わたしの弱さを見透かされているようで、こんな汚い気持ちを悟られるのが嫌で、ギュッと目を閉じて次の言葉を待つ。
「……そうだな、本当に懐かしい。過ごした時間は少しなのに、君は俺や部下に鮮烈な印象を残して行ったよな」
「……それはこっちのセリフだ」
「…………やめてくれ、そんな顔をされると離れがたくなる」
そ、そんな顔ってどんな顔だ。
別に普通の顔しかしてないだろ。……イルの方こそ、そんな何かを耐えるみたいな顔してるとなんか心配になるし、こう、なんかゾワゾワするからやめて欲しいし……。というか、わたしの体調を気遣って来てくれただけなのならもう帰らないと行けないんじゃないのか? そろそろ残念なことにシーフーも戻ってくるだろうし……。いやいや、なんで残念なんだよ。シーフーなんて気がついたらそこら辺にいるもんじゃないか。昔っから。でも、何かわからないけどこの場面見られたら凄い面倒な気がする……。なんか、なんとなくだけど……。
「……早く、帰らなくていいのか?」
「早く帰って欲しいの?」
「違っ!」
ボソボソと言った言葉はわたしなりにイルを気遣ったつもりだった。
だってイルは王子様だし騎士団長だし、こんな森でのんびりわたしなんかと話している暇なんてないはずなのだ。
それなのに、イルは捨てられた子犬みたいに悲しげな目をしてこちらを見てくるものだから、慌てて口を開いた。
「はは、悪い、ちょっとからかっただけだ。夜会の時の貴族らしく美しい君も素敵だったけど、やっぱりフェリルはフェリルのままがいいな」
そう言ってまたくしゃくしゃと髪を乱すものだから、ただでさえろくに整えていない髪はもう大変なことになっているに違いない。
自分の頭をイルから取り返して(なんか凄い状況だな)、手ぐしで髪をどうにかするわたしをイルは優しい笑みをたずさえながらじっと見つめている。そんなに見られたら変に緊張するから本当にやめて欲しいんだけど。
「…………実は、本当は今日別れを言いに来たんだ」
「は、え?!」
「イレオラ地方に転属が決まってね。いつ戻るか分からない。だから行く前に顔が見たかった」
「い、イレオラって……」
ここからずっとずっと東の、山をひとつ超えた、国境の地域じゃないか! と、遠いしいつ戻るか分からないって……そんな。
…………いやいや、元々もう会う事もないはずじゃんか。どっちだって同じことだろ……。
自分でそう言い聞かせて、ガツンと殴られたような衝撃に顔を顰めた。……でも仕方がない。偶然出会ったけど、元々は多分一生会うことのない人だったんだし……。
「イレオラから戻ったら本当は言いたいこともあって、今日は君の顔を見てすぐ帰るつもりだったんだ」
「言いたいこと……? 別に今でもいいけど」
「…………言えたら楽なんだろうな。本当はこのまま君を連れ去ってしまいたいよ」
「え……? ごめん、聞こえなかった」
ものすごく儚げに微笑んだイルは何かを呟いたけど、風に攫われてなんて言ったのかイマイチ分からなかった。楽だとかこのまま、だとかなんか聞こえたけど、なんの事だろう?
ぽかん、と多分あほ面を晒している間に、いつの間にかイルはわたしの目の前に立っていた。うぉ、っと女らしくない悲鳴がうっかり漏れて、少し落ち込んだ。だって仕方がないじゃないかビックリしたんだもん。
「フェリル」
「は、はい?」
「……俺は君を守りたい。ユーリでもあの執事でも無く俺が。だから行ってくる。でも絶対帰ってくるから」
「え、え?」
「待ってて欲しいだなんて無責任なこと言えないけどな、でも、出来ることなら誰にも触れてほしくない、こうやって頭を触られるのも、髪を掬われるのも俺だけにして欲しい。無防備に誰にでも懐いて欲しくない」
そういう素直なとこが良いんだけど……勝手だな。と、イルは自嘲気味に笑って最後にこう言った。
「全部俺の身勝手なひとりごとだけど、願わくば、素直で真っ直ぐな君が俺の言葉で、頭の中いっぱいになればいいのにって思ってるよ」
少しだけ赤くなった頬、照れくさそうに下がった眉、真っ直ぐにこちらを向く緑色の瞳を細くして、イルはゆっくりと腰を折ると、わたしの額にちゅ、っと僅かな音を立てて口をつけ、そして固まるわたしをそのままにヒラヒラと手を振って去っていった。
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