だんしかい
「ねぇねぇシーフー。そんなに気になるならついて行けばよかったじゃないか」
先程から落ち着きなく腕時計を見ては目を伏せ、物音がする度に肩を揺らす執事に、僕は呆れて声をかけた。
近頃のこの男には余裕というものが感じられない……気がする。
今までこの男の印象は、いつも余裕に満ち溢れ、よく回る口で姉さんと父さんを好きに操ってるヤバい奴、だったのに。
「……メディ様。たかが一介の執事である私が行ってどうするのです。馬車の番でもしていたら宜しいのですか」
はぁ、とため息をついてその長身がくるりとこちらを向く。
ニッコリとした美しい笑みはいつもの事だが細められた瞳の奥には何が隠れているのか本当に
得体がしれない。
マーデリック家からして言えば悪いやつでは無い、家に不利益なことはしないし裏切りもない、ついでに言えば興味もないのだろう。この男が執着しているのはただ、姉さんだけだ。
姉さんお手製の薬湯を殿下がえずきながら飲み干す時も、物凄く冷たい顔をしていた。
この男がもつ執着がどういう感情なのか未だに不明だが、婚約者役である殿下をよく思っていないことだけは確かだ。
「シーフーとしてじゃなく、リアム・フォスターとして。伯爵の名があればどうにか通してもらえるかもしれないだろ」
「それは旦那様にお借りしている領地も持たない名ばかりのものです。それにこの国に仕える気はサラサラありませんのでその身分は必要ありません。私はただのシーフーです」
「領地を持たないのはマーデリックだって一緒さ。上手く使い分ければいいのに、もったいない気がするなあ。近衛騎士にだってなれるくらいの実力だっていつか父さんが言っていたよ」
「私は騎士になりたかったわけでも、この国に仕えたかったわけでもありませんから。無理を言って騎士学校に通わせていただいたことは本当に感謝していますが、騎士になる気はありませんし。この国の王族がどうなろうと何も思いません」
仮にも王子殿下がいる場での発言とは思えない暴言に肝を冷やして殿下を仰ぎみてみるが、特に気分を害した様子もなく、いつもの笑みを浮かべていない顔でシーフーをぼんやり見つめていた。
というか、ユーリウス殿下ってこんな顔だったのか。いつもの貼り付けた笑みばかりが印象づいているけど、そうしていれば幾らか若く見えるな。……いや14歳の僕が何言ってるんだという感じではあるけれど。
「おや、殿下。申し訳ございません、ついうっかり本音が漏れてしまいました」
まったくもってフォローにはなっていないが、シーフーの言葉をユーリウス殿下は片手をあげて制した。
「君達の屋敷で君達が勝手に話すことです。私のことは気にしないでください」
「寛大な御心に感謝致します」
シーフーが長いからだを折り曲げて腰を折る。殿下は咳払いをしてからそれを翡翠の瞳でじっと見つめて口を開いた。
「…………ですがひとつ聞きたい。では何故騎士学校に? 先程の話を聞く限りでは、貴方が望んでそうしたように聞こえましたが」
それは僕も思っていたことだ。
父さんに聞くところによるとシーフーは孤児で、ある日突然ウチに来た。何故かは知らないし何時からいるのかも定かではない。
ただ、ある日、久しぶりに姉さんが森から帰るとこの男がもう傍にいたのだ。
シーフーはそうして姉さんの世話係となりどこにいても姉さんに付き纏った。
姉さんが本格的に森で暮らすようになると、彼は森とこの屋敷を行ったり来たりして、マーデリック家と姉さんを繋ぐ役割をし、いつからか騎士学校に通い始めた。
父さん曰く「シーフーがそう望んだ」らしい。その忠誠心と能力を高く評価していた父さんは彼を養子にするつもりだったらしいが、彼がそれを拒んだ。
しかし、後見のいない身元さえろくに分からない男を騎士学校に入れるわけにはいかず、父さんは自身が持つ爵位の一つを形式上与えた。領地も無いはるか昔に没落した貴族の姓であるが、マーデリック家が後ろにいるとなれば十分だ。
その代わりにシーフーは生涯、マーデリック家に忠誠を誓ったらしい。
けれどシーフーは騎士にならなかった。それどころかこの国への愛は皆無だ。それなら何故、そんな面倒な事をしてまで騎士学校に入ったのだろう。
父さんはその質問には答えてくれなかった。
シーフーは笑顔のままユーリウス殿下と視線を交わし続け意味ありげに首を傾げた。
「そうですね……、強いていえば、守るべきものを守るためですか」
「それで何故騎士である必要があるのですか」
「……騎士の称号を持っていれば帯剣が許されますでしょう? この国では。貴族も同じ事ですが戦争を長く経験していない貴族の剣など知れています。私は手っ取り早く強くなり、武器を手にしていたかったのです、殿下」
シーフーはそれからこう付け足した。
「私は傲慢な人間ですから、自分の力しか信用できません。誰よりも強く誰よりも鋭い剣を手にしていなければ安心できないのです。騎士学校は己を強くするのにうってつけでしたし、武器を肌身離さず持ち歩いていても咎められない。……謙虚な殿下には私のような卑しいものの考えはお分かりにならないでしょうけど」
嫌味たっぷりに言ったシーフーの言葉に殿下が珍しく苛立った顔をしていた。体調が悪いせいか表情を繕うのに苦労しているのかもしれない。
それをからかうように、シーフーの完璧な笑みが落とされる。
…………つまり、なにもかも姉さんの為だったのだろうか。シーフーが守りたいものというのは恐らく姉さんのことだろう。
だが、それは果たして愛情や恋慕と言った類のものなのだろうか?執着している事に間違いはないだろうけど。
……なんとなく、そんな可愛らしいものではない気がするのは僕だけだろうか。
それに、ずっと昔から疑問だったんだ。
シーフーという名前はトルヴァンではまず聞かない。トルヴァンでは珍しい発音で珍しい名前だ。
しかし、僕が知る限り、外国の言葉で一つだけ同じ響きの意味を持った言葉がある。
「…………お前に僕の何がわかる」
気がつくと殿下は多分完全に素で話していた。
一人称は「私」から「僕」へ。いつも崩されない美しい敬語は剥がれ落ち、鋭い視線をシーフーへ向けていた。
「おや、お気にさわりましたか? 私のようなものが過ぎた口を。大変申し訳ございません。ついつい話しすぎてしまったようで。
高貴な血を持つ方がお考えのことは私などには到底分かりません。どうかお許しくださいませ」
そう言って膝をつくシーフーを殿下はそれ以上責めるつもりがないようだったが、それでも苛立ちは隠しきれていない。
正直、僕にしてみれば何がそんなに気に障ったのか、と思うのだけど。
確かにいちいち、嫌味っぽい喋り方をするし、ずっと笑顔なのは気持ち悪いし、何を考えているのか分からないし、変な人物なのはそうだが、それは元からだし……。
「……シーフーと言いましたか」
「第三王子殿下に知っていただけているとは……。勿体ないですね」
「勿論、私の婚約者の一番近くにいる使用人を知っているのは当然でしょう」
「婚約者、役、であるだけの殿下に必要な情報だとは思えませんが」
「……貴方、一体何者なんですか」
シーフーは笑みを深めてトントン、と指を顎に当てた。
ひょろりと細長い体躯が緩やかに動き出し、そっと、僕と殿下の少し前で止まる。
シーフー、彼はずっと昔からマーデリック家にいる、優秀な男だ。
お裁縫から剣術まで彼にできないことは無いだろう。
けれど、それと同時にシーフーはじつに謎の多い男だった。
シーフー。
僕が知り得る外国語、三ヶ国語のうちの一つがザイオンだ。
東の大国、軍事に秀でた飛龍が棲むと言われる土地。
そのザイオンに似た発音の言葉がある。
「私は、ただの執事です。マーデリック家に仕える一介の執事、それだけです」
師、という意味を持つがそれがこの男と関係あるのかどうかは分からない。
いつもありがとうございます!
新展開……ぽくなっていたら嬉しいな…。
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