ままならない
「やあ、ユーリ。どうしたんだい、機嫌が悪そうだけれど」
「……ジェラルド様」
白金の髪がさらりとなびいた。城の廊下で僕を見つけたジェラルド様が軽く手を上げて向かってくる。大量の護衛騎士を引きつれて。まったく、ぞろぞろと鬱陶しい。
ため息が漏れそうなのを押し殺して人受けの良い笑みを浮かべた。
「ああ、騎士かい? はは、ごめんね。お前があまりこういうの好きでないのは知っているのだけれど、どうしてもね」
「いえ、気にしません」
するだろうに。そういってジェラルド様はなんとか騎士たちを少し離れたところに追いやってくれた。ジェラルド様は僕の六つ上の兄で、第一王位継承権を持つ方だ。彼は多分このまま王になる。とても立派な方だ。
二番目の兄イレネー様も立派だが、彼は王に向いていない。ご自分でもそう言っているし。だからもうこれは決定のようなもので、立太子されているも同然。あとは時期を見計らっているだけだ。父王もまだまだお元気だし、なかなかタイミングがないだけで。そんなわけだから彼に護衛が何人もつくのは仕方のない事なのだ。
スペアのそのまたスペアである僕とは決定的に違うのだから。
「あちらで話そうか。たまには兄弟水いらず、庭を散歩するのも悪くないだろう」
「はい」
笑みを浮かべたまま頷いた僕にジェラルド様は口の片方だけをあげて目を細めた。
「そういえば、婚約者ができたとか。おめでとうユーリ」
「……あまり気は進みません」
「なぜ? マーデリック公爵の娘さんなのだろう。精霊を射止めたあの変りもの……奇特な叔父の」
精霊の娘なんてマーデリック家以外にいないぞ。そういって肘で小突いてくる兄に顔が引きつりそうで笑顔で隠す。別に精霊の娘だとか、そうでないとか、どうでも良い。お近づきになりたいわけでもないし。
確かに精霊と結婚するなんてマーデリック公爵以外に聞いた事がない。貴重な存在の精霊を射止めた公爵は大層変わり者だが、同時に英雄視すらされている。……いや、でもやっぱり随分変わってるけど。
そんな公爵と人間ですらない精霊の娘なんて普通じゃないに、決まっている……。
……それなのに。
「まるで女神のように美しいと聞いたぞ。なにが不満だ」
「……別に、見た目がどうとか、精霊がどうとか、そういうことでなく」
確かに、フェリル・マーデリックは美しかったかもしれない。水を閉じ込めたような不思議な光を放つ水色の髪も、淡く、蒼が散った、穏やかな春の日差しのような温かい金の瞳も。その顔立ちも。
ザイオンの王太子が女神と見まがって求婚するのも頷けるかもしれない。
あの人間味のない美しい顔がどんな笑みを作るのか、すこしだけ気になったかもしれない。あの一瞬、ほんの少しだけ。
でも、結局、彼女はほかの貴族と全く変わらない媚び諂った顔で、猫なで声を出して僕を呼んだのだ。
精霊の娘だといっても、あの斜め上の行動をする公爵の娘と言っても、所詮は権力と王族の名に目がくらんだ他の女たちと何一つ変わりはしない。
……別にはじめから期待もしていないけれど。
笑顔が曇ったことに気が付いたのか、兄が眉を寄せた。言いたいことは分かっている。僕も馬鹿ではないつもりだ。
「ユーリ、分かっていると思うが、お前は王族だ」
「はい」
「あの男爵令嬢と本当に結ばれると思っているのかい」
どこか、憐れむような色をともしたジェラルド様に少しむっとした。それでも笑顔は張り付けたまま、頷く。
「私は所詮第三王子でしかありません。ジェラルド様が王位を継がれたら騎士にでもなりましょう」
「……そんな簡単じゃないと思うけどなあ」
やれやれとジェラルド様が首を振る。
そんなことは分かっている。分かっているけれど、僕に価値があるのはこの血だけだ。貴族たちがそれでも王家とつながりを持ちたがっているのは心得ている。でも、それでも、僕は……。
「あの子がすきなんだね」
「……はい」
「若いなあ、ユーリ。私はもうそういう感覚忘れてしまったよ」
はははと乾いた笑みを浮かべるジェラルド様に苦笑する。この方にはそんな我儘許されないのだ。僕がいうような自由は一切ない。そういう役割の方だ。
「……すみません」
「なんでお前が謝るの? 決められた婚約者も案外悪くないよ。私たちはパートナーとして上手くやっているからね」
「お二人のお姿に憧れている国民は多いです」
「でも、お前は違うのだろう?」
僕と似た、けれど全く違う優しい瞳が僕を捉える。
無駄に豪華な見慣れた庭を歩く足が止まり、一瞬時が止まったような錯覚を覚えた。
この人には自由が一切ない。王になるために生まれてきた人で、生まれたころから王になることを義務付けられた人だ。
それこそ生まれた時から婚約者がいて、道が決まっていた。
でも、僕はそうではなかった。スペアのスペア。王になる可能性など殆どない。だからある程度の自由と我儘が許された。
だから、僕は……恋に憧れた。
人を、愛してしまった。愛人にすればいいとイレネー様は言ったが、そんなの絶対に嫌だ。僕は彼女しか愛せない。誠実に向き合いたい。
「……すみません」
「謝ることはないよ。私やイレネーが抱きすらしなかった感情が私にはいまいちよく分からないが」
「でも、ジェラルド様とルルーリエ様のように互いを支えあうお姿には憧れています。心から」
僕のまっすぐな視線を難なく受け止めて、ジェラルド様はやわらかく微笑んだ。
「ありがとう。じゃあ、まあお前にとっては災難だったんだね。マーデリックの精霊姫は」
僕はなにも応えなかった。答えなかったけれど、ジェラルド様はふうん、と鼻を鳴らした。
「では私はかわいい弟が、その恋とやらを成就させられるよう祈っているよ。――ザイオンの王太子の問題がうまくいくこともね」
ジェラルド様がきらりと瞳を光らせて、僕はついに顔を引きつらせた。
ああ、この人は、本当に。
最初から、それを言いに来たんだ。僕にどうにかしろ、と釘をさすために。“逃げるなよ”と。
……本当に、厄介なことに巻き込まれたものだ。出会ったばかりの“婚約者”のあの媚びた笑顔を思い出して僕はまたため息をどうにか呑み込んだ。
あの女のことはやはり、どうあっても好きになれそうにはない。それがたとえどんな意味だったとしても。
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