おとうとのきこう
この所、城は大変忙しい。
東のザイオンの王太子一行がこの国に訪れるのがひと月を切ったからだ。
訪問と滞在の理由は外交上、まあいろいろとあるのだが、王太子の一番の目的は恐らく嫁取りだろう。
かく言う俺たち第二騎士団も警護の準備、城下の警戒など忙しく過ごしている訳だが、それよりも何よりも我が団はとある異常事態に悩まされていた。
「……イル様、ちょっと」
「……はぁ、カーチス、またか」
執務室でここひと月で三倍くらいに膨れ上がった書類と睨めっこしていた時に控えめなノックの後、そろりと開けられた扉の隙間に覇気のないカーチスの瞳が覗いた。
うんざりとした表情でこちらに助けを求めるこの部下もまた仕事に追われているのだ。
俺はため息を落として、ペンを置くと無言で執務室を出た。
目的地も呼ばれた内容も、聞かなくとも承知である。
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「ユーリ」
第二騎士団の兵舎前の門前でウロウロしている金髪の男を見つけて俺はウンザリしながら声をかける。
男はあからさまに肩を跳ねさせて、ぎぎぎ、と音がするほどぎこちなくこちらを向いた。
オロオロとしていた門兵がほっと胸をなでおろし俺に弟を嬉々とした顔でなすり付け下がっていく。
まったく……この弟にも困ったものだ。
「……い、イレネー様」
「やあ、ユーリウス。昨日ぶりだな、今日はいったいどうした? ザイオンの関係でお前にも仕事が山積みだと思うけれど」
「…………書類仕事はカタをつけてきました」
瞬時に繕うような隙のない笑みを浮かべる弟にやれやれ、と思いつつその言葉に素直に驚いた。
弟は立場上“ 本当に全力で”何かをすることがない。スペアのスペアで価値のない自分が何ででも俺や長兄を超えてしまってはいけないと多分思っている。
器用なことに、王族として恥ずかしくない程度、で何もかもを辞めてしまうこの弟の真の実力というものが俺にもよく分からないが、あの量の書類仕事を昼過ぎまでに片付けられるくらいの能力はあるらしい。
俺では到底無理だ。そもそも文官や政に全く向いていない俺は事務仕事が大変不得意だが、次期王となる兄でも、それほどの処理能力があるかは怪しい。
というか、そうやって居場所を守ることに必死だった弟がそれを投げ打ってしまう程の事態に俺は心底驚いていた。
「……で、そんなに大慌てで仕事を片付けてまで
お前はなんでここにいるんだ?」
今日だけではない。
実はユーリはあの合同試合の次の日から度々第二騎士団の兵舎前をうろうろとし、その度に部下を困らせていた。
理由が分からない上に、相手は王族で、部下じゃ手の出しようがないのだ。
そのくせ、俺が駆り出されて声をかけるといつもの隙のない感情の読めない笑みを浮かべて「なんでもありません」と去っていく。
暇ではないだろう弟が何をしたいのかよく分からないが、どうやら今日は少しだけいつもとは様子が違った。
「その……ちょっと気分転換に……」
「気分転換にわざわざ毎回、毎回、兄の顔を見に来ているのか? それなら最初から兵なり騎士なりに言って入ってくればいいだろう」
俺がため息混じりにそう言うとユーリは少しだけ笑みを強ばらせ狼狽えた様子で、やがて肩を落とした。
実の兄にでさえどこか一線を引いているこの弟がそんな可愛らしい理由でこんな所まで来るはずがないのだ。
現に合同試合以前はこんなこと一度もなかった。
「……なあ、ユーリ。何かあるならはっきりと言ったらどうだ? お前はいつもそうやって笑顔で本心を隠して、人と関わりたがらない」
「いえ……私は、」
口ごもるユーリは依然として笑顔のままだが、混乱したように瞳を揺らしている。
それがなんだか可哀想で俺はもう随分目線の近くにある金色の頭を数回小突いた。
「イレネー、様」
「いっつも何を遠慮してるのか分からないが、俺はお前の兄だしお前は俺の弟なんだから。立場とか価値だとか、そういうのあんまり気にしなくていいんだぞ」
ふわり、と微笑んで出来るだけ優しく言ってみたがユーリはいつもは美しい笑みを奇妙に崩して翡翠色の瞳を思い切り見開いていた。
こいつは大人ぶってなんでも知っているように見せかけてはいるが、人と関わらない分なんにも知らないのかもしれない。
ずっとプレッシャーを背負い、危うげな立場で、他人の目をひたすら気にして、孤独で生きてきたのかもしれない。そう思わせてしまったのは俺や兄のせいでもあるんだろう。
「あ……の、」
ユーリが俺の手から逃げるようにして俯き、なんだかしんみりとした時間がしばらく続いたあと、弟はゆっくりと震える声で口を開いた。
「ん?」
「あの……」
少し俺と距離をとった位置でユーリが顔を上げる。
そこにはいつもの他人を拒絶するような隙のない笑顔は見当たらなかった。
真剣な翡翠色の瞳がそれでも時々迷ったように揺れながら俺を真っ直ぐ見ていて、それから告げられた予想外の言葉に俺は情けなくも面食らった。
「フェ、フェリル・マーデリック公爵令嬢は……こちらにはお越しでないですか」
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