ざんねんながら
…………いや、
「……そして、それからどうしてこうなった」
わたしはお父さんに城に連れてこられていた。びらびらの重い服を着せられたのは相当久しぶりだ。
なんでこんなに布を重ねるのか意味が解らない。寒くもないしむしろ暑いのに、あと歩きにくい。
わたしを連れてきた張本人のお父さんは城に着くなりどこかに行ってしまうし、わたしはシーフーに首根っこを掴まれて大人しくする羽目になっている。早く森に帰りたいものだ。まあ、これもそれもどれも、自業自得らしいから、仕方がないけれど。
「フェリル様、笑顔をお忘れです」
「む。これでどうだ、シーフー」
「……ううーん、もっと媚びるように……ほら、あそこのご令嬢! なんと素晴らしいメス豚のような顔でしょう! フェリル様、違います。あれです、あのドギツイ桃色のドレスの! あんな感じで行ってみましょう」
シーフーがなにやら鼻息を荒げている。気持ち悪い。さすがに口には出さないがドン引きしながらその視線を追うと男数人に囲まれた一人の少女が媚びるように笑い、愛らしい顔で体をくねらせてなにやらきゃっきゃと騒いでいた。
う……うわあ。
長年こういう世界から離れまくっているわたしからするとなんというか、すごく、あれだが、王都の流行はあれなのだろうか。
実際、あの少女を囲む男たちはどこか獲物を狙うようなぎとぎとした目で彼女を見ているし、あのシーフーが興奮するくらいだし。気持ち悪い。
「こ、こうか?」
「ああ、いい感じですね。ひねりつぶしたくなります。素晴らしい!」
「ちょっと待て、本当にこれでいいのか?」
「もちろんですとも! さあそれでユーリウス殿下と呼んでみてください」
「ユーリウス殿下」
「全然だめです。フェリル様、ぜんっぜん、だめです」
いいですか? シーフーが真顔で顔を近づけてくる。整った顔の真剣さにおお、と数歩引いて、ついでに心の底からドン引きした。
「もっと、媚びないと。殴りたくなるくらい」
この執事が真剣な顔して言っていることがいまいち分からないが、こいつがここまで言うということはそうなのだろう。流行っているのか、ユーリウス殿下の趣味があれなのかは知らないが。
とにかく、あのドギツイ原色ピンクのドレスのかわいい少女のように媚びた上目遣いで、媚びた口調でいればいいのか分かった。
なにしろ、自業自得。
自業自得でこのトルヴァン王国を危険にさらしたくはない。ということでお父さんが歯ぎしりしながら言った案に乗らないという選択肢はなかった。
だって、確かに一夫一婦制だというザイオンの王太子の妻がわたしに務まるわけもないし、王の妃なんぞ言語道断であるし、さすがにその王太子とやらに同情する。国際問題うんぬんもお断りだ。
だから、お父様の苦肉の策に乗った。
まあ、これも正直どうかと思うけれど。
「第三王子、ユーリウス殿下の婚約者ということにしておこうと思う。分かったな」
「いや、わからないよ、お父さん」
「旦那様、ついに脳内に蛆が湧きましたか?」
「大丈夫だ。私の兄、つまり国王には話をつけてある。上の王子二人はそろいもそろって、殺しても死なないような奴だからうっかり王位を継ぐ心配もあるまい」
「何言ってるの、このおじさん」
「フェリル様、旦那様は心労がたたりにたたって、頭に蛆が……」
「湧いてないわ! お前いい加減不敬だぞ!」
「お父さんの方が不敬だよ。不敬罪だよ」
なんとなく、昨日の話を思い出してうんざりした。
まあ、かいつまんで説明すると、ザイオンの王太子が三か月後にこの国に公式に訪れるからその時にきちんとことわれる理由を用意しておこうと。仮にも王族の婚約者とあらばそう無茶はできないだろうと。
ついでにそのユーリウス殿下とかいう第三王子は、現在、身分の低いご令嬢に恋してしまっているらしいから、引き離すのに丁度よかろうと。おいおい。まあもし本当に恋人になったとして何の問題もない組み合わせだし、親戚だし、とかいう安直かつ第三王子がかわいそうすぎるおはなし。……おいおい。
とにかく、王太子に諦めてもらうまでの間わたしはそのユーリウス殿下に婚約者の振りをしてもらう必要があるわけだ。
だから、とりあえず、気に入られなければならない。
「フェリル様、はい練習です。そんなのでは本番でヘマをしますよ。旦那様がまた発狂されてもいいのですか」
「ユ~リウス殿下あ」
「完璧です!」
「呼びましたか」
シーフーの無感動な瞳を見上げてしなを作ったところで聞きなれない声が入ってきた気がする。呼びましたか? 呼びましたかって、なにが……。
「……え」
「おや、」
「だから、今呼んだでしょう。私を」
うっすらと張り付く美しい笑み。金髪に翡翠の瞳がこちらを見降ろしている。作り物のように整いきった美貌。お母さんや、シーフーを見慣れていても美しいと感じるほどの造形美。見たこともなければ、名を聞いたのもつい昨日。ああ、これが“ユーリウス殿下”か、と遅れて思い至る。わたしの“婚約者”ということになっている例の。
やさしげな雰囲気をまとって、しかし奥底は冷え切ったように見えるその瞳をぼんやりと見つめた。
後ろの方でお父さんが般若のような顔をしていた。あれ、どうしてだろう。ああ、ぼんやりしていたからか。しまった。
慌てて、先ほどの原色ピンクの少女を思い出し、笑みを張り付けてその翡翠の瞳を覗き込んだ。
甘く甘く、砂を吐きそうなほど甘い猫なで声で。さも、あなたにすべてをささげますといわんばかりの声で。
「はじめましてえ、ユ~リウス殿下。わたしはフェリル・マーデリックと申しますー」
にっこり、がんばって笑ったのに、わたしの名前を聞いた瞬間、殿下の翡翠の瞳は底知れない嫌悪感を露わにした。素敵な綺麗な笑顔のままで。
お父さんはもはや涙目だった。あれ、なぜ。なにが、どうしてこうなった。王都ではこれが流行っているのではなかったのか。それとも、殿下はこういうの好きではなかったのか。だとしたら大失敗だ。わたしは媚びた笑顔をそのままに青ざめた。ああ、やってしまった。
ただ、後ろのシーフーだけが満足そうに頷いていたことは間違いない。
ともかく、わたしと殿下のファーストコンタクトは失敗に終わったらしい。