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ミスター・K

作者: 北風 嵐

p1

私が再度履歴者を書く事があったら、最終職歴はこうなります。

特別養護老人施設 生活相談員 定年にて退職。

資格:社会福祉士、ヘルパー2級。


社会福祉士の資格を通信教育で取り、60前にして介護の現場に入ったのです。資格は取っても、就職の口はあるだろうかでありました。


ミスター・Kを語る前に最初の介護の現場・デイサービスの1年に少し触れてみます。


幸い、ある上場会社(医療事務派遣の大手)が経営する子会社のデイサービスに就職出来たのです。本社東京、関西地区で8つ程デイの事業所を運営をしていました。研修や実習見習いで、個人経営や、1つだけの施設は何時も人が足りない状態で大変なことを知りました。それで、少し大きいとこがいいかと応募したのです。ベテランの生活相談員が看護職で病院勤務に復帰し、社会福祉主事をもつ介護職の若い女性がその後を受け持つことになったのですが、相談業務を若い人に任せられるのか?その事業所の所長は、少し年齢の行った人物のホローがあったほうがいいと私の採用になったようです。それとデイサービスでは社会福祉士の資格を持った人物は要ったのです。身分は1年更新の契約社員でしたが、社会保険の適用はありました。新しい出発は上手く行ったと思えたのですが・・。


その事業所で、スタートで恥ずかしい大失敗をやらかしたのです(長い仕事生活の中でも初めてでした)。その事業所では契約終了の1年間いたのですが、殆どをその失敗の回復だけに費やした思いが今でもするのです。


新しく相談員になった彼女と同行して、利用希望のご家族さんの家庭を訪問しました。彼女が契約書を読み上げて説明しているときに、横でただ、聞くだけの私に‘’摩の一瞬、睡魔が襲ったのです。ほんの一瞬でした。横の彼女を見て「見られてなかったか」と思いましたが、彼女はたんたんと続けて説明を続けていたのでよかったと安心したのですが・・。所長から呼び出しでした。「やる気があるのか!」の一喝でした。見られて報告されていたのです。出だしの失敗の信頼回復は大変なものでした。何をしても、色めがねで見られてしまいます。


施設は私鉄沿線の駅前にあり、開所6年を迎え、経営も軌道に乗っていました。送迎車も沢山あり、利用者さんは常時35名前後、スタッフも看護師、介護福祉士、本採用の介護職の女性、パートの女性とスタッフ数も足りて、若い人は男性介護職員2名と相談員のその女性が3年目でした。開所以来と言うベテラン勢の介護スタフで、定着率も良く、ここがしっかりした事業所であることを意味していました。介護現場はともすれば定着率が悪く、移動が激しく、慢性の人手不足で、それがサービス力の低下となって現れます。

ここは35名の定員近くが毎日利用されていました。車が多いのはここが後発で遠方の客を取らねばならなかったからです。


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所長は45才、妻と子供二人、前の勤務先が倒産し、途中転職、介護職未経験でした。1年、グループの他の事業所勤務の後、開所以来ここの事業所を任され一筋、苦労して軌道に乗せたのです。乗ったのはやっと2年前からと語りました。この事業所はグループ会社というより、優れて彼の個人商店でありました。センターのスーパー・バイザーも来ますが、ここだけは彼流を認めているようでした。それが彼の実績を証明していました。

ここの施設の特色はと聞かれたら、真っ先に上げるのが男性の利用客が圧倒的に多いことです。普通みなさんも多分このように想像されるのではないでしょうか。ほとんどが女性で、男性は4~5人で所在なげに新聞など読んでと・・。週のうち2日はオール男性の日があるのです。あとの4日も男女比、3:2で男性の方が多いのです。


男性が多い理由の一つにパワーマシンを一早く導入して、アスレチックスタイルを入れたことが挙げられます。一応の日課スケジュールは、午前中は入浴、二つの湯槽を持つ個浴で、男性が済めば女性、あくる日は女性が先というスタイルで、同性介助で、男性は男性だけでよく、女性はなかったので私は助かりました。

相談員と云っても相談業務ばかりあるわけでありません。介護スタッフと同じ仕事をこなし、その合間に相談業務をこなすと考えて貰った方がいいでしょう。私はヘルパー2級の資格を合せ持っていたのも、高齢であるのに採用に役立ったようです。


ほかの人はこの間、自分の趣味や好みに応じて自由に時間を過ごします。団扇を作ったり、ビーズ物を作ったり、キルティング加工をしたり、女性はしながらのお喋りを楽しみます。テレビを見る人、一日中新聞を読む人、本は希望を訊いて市立の図書館から一週間10冊借りてきます。やはり見ていていいなーと思えるのは、男性では将棋、囲碁が出来る人です。時間持ちができます。又、腕の接近した相方と会える楽しみが出来ます。囲碁、将棋が出来ない人のため、麻雀教室が週1回開かれます。これは職員が2人つき、指導をかねて入っていいのです。パイを積むのは、手の麻痺した人にはいいリハビリになります。半チャン終えるのに時間は掛かりますがね。


昼は取り寄せのお弁当です。デイでは食事を売り物に自ら厨房を持ち、料理を作って出すところがありますが、これは設備、人手、保健衛生と大変なのです。介護食専門の業者があって、糖尿病食、食アレルギー、きざみ、軟食と色々対応してくれて、今は充実しています。なんにしても食事時間は楽しいものです。配膳を終えて職員も交代で、休憩室でお弁当になります。利用者さんの食事中も当番が2名付きます。幸い食事介助のいるような人はいていませんでしたが、誤嚥やむせが怖いのです。実際飲み込みの悪い人では注意していないととんでもないことが起こります。あと認知の人に食を進めることです。「さっき食べたでぇー」いう人もいるのです。


食事が終わって、入浴が終わった頃、「サーやってみよう!何とかデイサービスのエキササイズ、もう覚えただろうねぇー!」と運動の時間です。職員は椅子に座って準備体操の指導。「大きく息をすってー、吐いてえー」「肩の後ろから大きく手をまわしてぇー」とやります。利用者さんは天井から下げられた赤いロープを持って、身体を支えたり、スイングしたりします。脳卒中の後遺症で、麻痺の人も多いのです。準備体操が終われば、マシーンがあります。バイクペダル、あとはジムにあるやつで介護用に設計されたやつ。これはスエーデン製で、以外に高いのです。値段が高級車1台分と聞いてびっくりしました。(上場会社が親方だから出来たのでしょうね)利用した人の状態にあわせて、負荷の設定を職員がします。間違うと反動でトンデモないことに繋がり、結構注意がいるのです。

歩行の困難な人には手引きで順次誘導していきます。椅子に座らせる、機械にまたがらせるのも大変です。「どっちの足が悪かったんだっけ」と新米は苦労するのです。転倒のリスクは皆ある人ばかりです。結構この運動は指導する方に体力がいるのです。利用者さんは熱心にする人、チンタラを楽しむ人、色々です。運動が終わった人にはお好きな飲み物が出ます。「ビール!」と言われてもそれはありません。午後4時に車で送って、利用者さんの1日は終わります。


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2年目・ヘルパーステーション


辞めた私は、住まいに近いヘルパーステーション(訪問介護の事業所)のヘルパーとして勤めました。利用者さんには気を使うだろうが、下手な職員間のことに気を使わずに済むと思ったのです。その事業所は3年前ほどに出来て、なんとか続いているようなので応募したのです。常勤は嫌だったので、非常勤で最低月このぐらい欲しいと言いました。そこの所長は何とかしましょうと言ってくれました。その時の利用者さんに、ミスター・Kがいたのです。


訪問介護は家事援助と身体援助に別れます。30分単位でつくのですが、身体介護の方が勿論多く受け取れます。入浴介助なんかは身体になります。移動ができない人を移動させてのお世話も身体になります。排尿、排便介助も当然身体です。食事作りは家事援助ですが、食事を食べさせるは身体です。介護保険は事細かに決められているのです。窓ガラスは部屋の中から拭く分はいいが、外から拭く分はサービスにならないとか、庭の水やりはダメだとか利用者さんからしたら、「何でぇー???」というモノが沢山含まれているのです。


移動が不自由な人は当然介護度も高く、そこに認知がつけば、介護度5の最高ランクになり、サービスを受ける時間も長く貰えるのです。

「多村さんの条件を満たす利用者さんがありました。この人にほとんど付いてもらって、空いてる時間を近まで埋めたら上手く行きます」。その辺は所長にまかせました。

男性50才、単身マンション住まい。要介護度5。世話は元嫁が来てやっていたが、本人も鬱を患っている。介護保険制度があることを知らなかった。病院に行く為に乗り込んだタクシーの運転手がたまさか、ここの所長と友達で、介護保険のことも聞いていたので、繋いでくれたという経緯があったのです。

最初、この事業所の主任介護士がついて元妻と一緒に病院に行く介助に入ったのですが、ミスター・Kは行くのは嫌だと言ったのです。無理に車椅子に介護士が乗せようとしたとき、パンチを食らったと云うのです。元妻曰く、元プロボクサーでフライ級3位まで行ったとか。身体もがっしりしていて、とっても女性介助では2人つけてもむつかしい、で、男性介護士の私に白矢が立ったというわけです。


「多村さん、頼みます。お金にはなります。幾分、点数加算に配慮はしますよって」と所長は言いました。男性ヘルパーが女性ヘルパーに勝る範囲は、力のいる介護、セクハラ、暴力の範囲であります。このために男性ヘルパーは採用されていると言っても過言ではないでしょう。避けられません、パンチは覚悟しました。主任介護士は可哀想に片目のパンダでありました。両目であったほうが良かったのか悪かったのか、とかく自慢の美形は当分無理であります。その彼女が「尿瓶のおしっこも飲むから注意してね」と耳元で云いました。一体どんな利用者さんなのだろうか、手を焼いていたときに、いいカモの新入りがあったということでしょうか‥。


初日、主任介護士と出向きました。古いマンションの2階で、入ってキッチン、トイレ、お風呂があって、8疊のフローリングの二間の配置で、マンションの前は公園になっていました。元妻も来ていて、名前は「ひとみチャン」、ミスター・Kはそう呼ぶのです。入って主任介護士はビックリの声を上げました。風呂場では風呂桶がひっくりかえり、居間ではてテレビがひっくり返っていたのです。彼は歩けないはず、夜中いざって来て、上半身の力で浴槽をひっくり返したのです。

私にはとうてい無理な話であります。私は金もなければ力もありません。力のある彼が羨ましかった・・それより、私がビックリしたのはその彼のベッド回りなのです。ベッドの回りだけが彼の居住範囲なのでしょう。食べかすにカビが生え、し尿の跡と染み付いた匂い。脱ぎ散らかされた下着に、衣類。浴槽や、テレビは元に戻せば済むが、そのベッドの辺はどうしましょう。「見ただけで逃げ出したくなった」と、言ったら分かってもらえるでしょうか・・。


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言葉もない、どこから手をつけたらいいのか、「せや、ここが俺の職場やないか、職場をきれいにや!」狭い部屋だのに、よし、仕事をしようという気になる環境作りに10日ほど要しました。ベッド回りを綺麗にするのに3日かかりました。不潔の温床(ベッド下が出来る)ベッドは捨てることにしました。フローリングの上にマットでいいのではと考えたのです。転倒したり、落下して危ないもの、冷蔵庫の上にあった電子レンジやテレビは浴槽の中に片付けました。(彼は目が悪くテレビを見れません)こうしておけば、彼でも引っくり返すことは出来ないでしょう。使わない布団、着ないだろう衣類、本、雑誌、ひとみチャンの許可(こちらに全て任すということで)を貰って捨てました。他人だからこそ思い切って捨てられるのです。捨てた、捨てた、惜しげもなく・・唯一家具らしかった長いキャビネットも捨てました。残って使うもの、キッチンの冷蔵庫、居間の長椅子、ベランダの洗濯機。カーテンもレースのカーテンだけにして、捨てました。ホント、部屋中はスッキリしました。私の頭もスッキリして、私の職場は出来上がったのです。

あるとき、ケアーマネージャーと主任介護士が一緒に突然やって来ました。ケアーマネージャーも最初の惨状は見て知っていたので、この変化に「いいお世話をしていただいてますねぇー」と云って帰りました。主任介護士、所長の私に対する信頼は絶大なものになったのは言うまでもありません。最初のデイサービスの事業所とは大違いです。何事も最初が肝心です。


私の日課とミスター・Kの日課は連動します。9時30分、ヘルパーステーションに行きます、前日のサービス記録の提出、本日の予定確認、自転車で15分、10時マンションのドアーを開けます。

「Kさんお早う」返事はありません。部屋に入って、まず窓を開けて、空気の入れ替え(冬でも)をします。

「Kさん朝やで」と肩を叩いて起こします。この起こすのが大変。彼は私と背丈は一緒ぐらい、身体は筋肉質でしまっています。ほぼ2年近く寝たきり状態なのに筋肉は落ちていないのです。羨ましい鍛えられた身体付きです。ボクサーと云っても20代の頃、その後、大工になり、下に一人大工を置き棟梁と呼ばれるようになりました。

ひとみチャンの前に、結婚していた妻との間に子供二人、離婚理由は分かりません。ひとみチャンと、この部屋で暮らしていましたが、3年ほど前にちょっとした病気で入院になり、そして退院。その後、足が痛くなって通院していましたが、片麻痺が生じ、目もほぼ見えなくなりました。寝たきりになって、そのうち夜中に奇声を発し、暴力を振るうようになって離婚。ひとみチャンにも鬱が出て、診療内科に通院するようになって、しかし気になるので昼と夕方だけ来て、食事をとらす最低限の介護しか出来なくなりました。タクシーの運転手さんに介護保険があることを聞いて、今、ヘルパーさんにもこのように来てもらって感謝しています。と、ひとみチャンの説明でありました。


捨てずに残したモノに彼のアルバムがありました。ひとみチャンの説明以外に、そのアルバムが彼の過去を語ってくれて、アルバムは役に立ちました。現状でその人を見てしまうと、どうしても尊厳に対して低く見てしまいます。おむつの中の便を見せられてでは、正直な気持ちそうなります。あとは職業意識だけであります。

彼は相撲が好きだったらしく、神社相撲の写真が沢山ありました。絞まった身体に白ふんどし姿は凛々しく、男として羨ましくすらありました。幼い子供たちとの楽しそうな姿。妻だった人と肩を組んだサングラス姿でお洒落な格好は20代の頃でしょうか・・。今とは大きく違て見えますが、やはり彼であります。何故かボクシングの写真は1枚もありませんでした。


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何とか長椅子に移しておむつを取り替え、おしもをきれいにせねばなりません。身体の清拭を熱い蒸しタオルで行います。シャツを着せ替え、歯を磨き、うがいをさせて、アンパンと牛乳で朝食をとります。忘れてはいけないのは目覚まし珈琲です。インスタントですが、彼は珈琲好きなのです。ブラックで飲みます。一緒に飲めと云います。本当はいけないのでしょうが、一緒に飲みます。彼はご機嫌です。

小さなラジヲにスイッチを入れます。音楽が流れます。知っている歌が流れると「お富さんや」とポツリと云います。それから掃除と云っても一旦綺麗にしてしまうと、フローリングを拭けば終わってしまいます。洗濯といっても彼一人が日々身体に身をつけているものだけで、毎日洗濯はしますが、枚数は多くはありません。カバーをしていてもおもらしは避けられません。薄い洗える布団を買って使うことにしました。冬は暖房温度を高めに設定しておくのですが、ひと部屋なのでそう電気代はかかりません。

11時半に終わって、私は家に帰って昼食を取り再び出向きます。Kさんには12時半に出前がくることになっています。「食べるのはカツ丼か炒飯でそれ以外は食べない」とは、ひとみチャンの言でありました(主任介護士からもその指示)。お茶を添えて出します。水分補給は大事です。お茶以外にもポカリスエット、アイス珈琲なんかを冷蔵庫に用意しておきます。昼は掃除も、選択もないし、食事介助をしながらおしゃべりの時間です。それが終わると車椅子で外にお散歩となります。と云っても前の公園がほとんどですが・・。


夕方、又1時間入ります。おむつ交換です。そして長椅子からマットレスに移動させて寝かせます。記録を書いて4時で終わりです。それから他の利用者さんに1時間入って私の1日は終わります。Kさんの夕食はひとみチャンが買ってきて食べさせてくれます。

Kさんには、午前1.5時間、昼1.5時間、夕方1時間計4時間入ることになります。週6日入ります。日曜日はひとみチャンです。


人間の交流には時間と辛抱がいります。最初は『拒否』であります。おむつの交換も、食事もさせないのです。誰でも、誰か判らない人に突然身体を触られて「はい、どうぞ」にはなれないですよね。こちらの言っていることが分からない以上、『拒否』は当然であります。

「お前は誰じゃ?何でここにいる!」

「多村じゃ!お前を世話するためにいる」と言っても分からない。

本当、おむつを無理矢理代えようとして、パンチを浴びそうになって、「うんこの海で溺れてちょうだい。俺は知らんよ」で、途中で帰ったことや、自信もなくなって代えてもらおうかと思ったことも1度や2度ではありません。でも、絶大な信頼、期待の新星であります。「実は・・・」とは言いづらく、悪いけどどうしても身体が動かず、ヘルパーステーションにも連絡せず休んだ日がありました。あくる日、気を取り直して行きます。

「Kさんお早う」

「昨日こなんだな、なんでや?」ときはった。『しめたと』思いました。悪いことでありましたが、結果オーライでありました。

「飯くわさん、オムツかえさせん。Kさんとこに来るのが嫌になったんじゃー」と言いました。その日は素直に、オムツは替えさせてくれる、食事はしてくれるでありました。あくる日からたまにごねる時があると、「明日休もかっなぁー」と云うと、「仕事やろ、真面目にやれ」とおっしゃった。「Kさんも、真面目にやってくださ~い」。


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何ぼ考えても、昼はカツ丼かチャーハンで、ええねんやろか。ふと疑問?

「ひとみチャンから云われてるんやけど本当にそうなの」と訊くと、

「ひとみチャンがそう言ってるのならそうだ」と云います。

最初は云われた通りにしていたのですが、便が固くて出ないのに困りました。最後は爆発して、臭いのなんの、野菜の必要を感じました。「トマトにキュウリにセロリに人参」と言ってみた。「トマト好き、人参嫌い」の返事が帰って来たのです。トマトを早速買って来ると、食べて「うまい」でありました。人からの言い伝え、アホみたいに信じた方が悪い。嘘か誠か試せばいいことだけなのです。何となくこんなこと一杯ありますよね。


野菜ジュースに色々と工夫。お金ですか。週に1万円、ひとみチャンが箱に入れてくれます。レシートをその箱に入れて、1週間後に残金は回収されて、新たに1万円が入れられます。マットレスとか金額のはる物を買うときは事前に書いたメモを入れておきます。別封筒に入れてくれています。ひとみチャンも生活保護です。勿論、サービス記録には金銭出納は書きますが、無駄な買い物は出来ません。

自分の時は10円、20円高くても、近くて便利な方を選ぶのに、仕事となると違いますね。朝はチラシを見るようになります。「あっ、小松菜98円。安い」とか。ひとみチャンは大雑把でレシートも見てないみたいです。いつも箱に残っていて、私が何月分と書いて封筒に入れて台所の引き出しに仕舞っておきます。主に使うももの、食事代、それと紙おむつ代、介護保険から現物支給されるますが、それでは全然足りません。このオムツ代が結構ばかにならないのです。


昼は出前より、スーパーのお弁当の方が安いので、その分でフルーツなり、プリンが買えます。朝のパンはアンパンしか食べないは嘘で、トースト、オッケーでした。チーズやトマトスライス、レタスやハムでサンドイッチもできるようになり。便秘は治り、肌のカサカサもなくなりました。食生活は大事です。男の私がチョットしたぐらいで効果あるのですから・・みなさんも是非、是非。


Kさんは一日、長椅子で座って暮らします。ラジヲはかけているのですが私がいない時は、ほとんど寝ています。4時に帰るときにマットレスに寝かせるのに、これまた大変なのです。自分から起き上がれない、横になれない人は大変です。あるとき、彼が相撲をしていたことを思い出して、「Kさん、相撲で投げられるやろ。投げられて倒れるんや」と教えました。マットレスの上で組み合って僕がこかそうとすると、彼は力を入れるのです。

「入れたらあかんねん、Kさんは負けるねん」と云うと、やっとマットレスの上に転がってくれるのです。でも、たまに泣くのです。どうして?負けて悔しいからです。何だか見てると、申し訳なくて、もっと他に方法なかったかと思うのですが、これが一番こちらとしては楽なのです。たまに私も休む時があります。代わりのヘルパーさんに出てもらう時、長椅子からマットレスの移し方をこの方法で云います。「投げたら、泣いてはったよ。何で?」と聞かれます。彼は神社相撲の大関だったのです。

 

他に、Kさんがたまに泣く時があるのです。昼から行く時は「また、来たぜ」と挨拶します。ドアーの開ける音で目を開けて、「お、遅いやないか」という日は待ってくれている日。何にも言わない日は不機嫌な日。たいてい、長椅子で座って眠っています。そのKさんが、長椅子よりずり落ちて、長椅子の手すりを持って、泣いているのです。

「どうしたのかな?」と思ってオムツの中を見て分かりました。長椅子に座ったまま便は出来ません。長椅子に捕まって腰を浮かしてくれていたのです。コロっとした状態で私は助かりました。この後2、3回同じようなことがありました。私を助けていてくれているのです。そして、そのようになってしまった自分を悲しんでいるのです。


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Kさんにボクシング時代のことを聞きます。このときの返事は何時も活き活きしています。

「リング名はなんて云ったの?」

「ミスター・K」

「変やなぁー、普通、川島英吾、120パウンドーて言うでぇ。頭に横文字使うか」と云うと、

「ガッツ石松、ファイティング原田」と返ります。

「何でミスター?」これはお判りでしょう、彼は巨人、長嶋フアンだったのです。

「関西やのに、何で阪神タイガースにならなかったの」と訊くと、

「弱い奴は嫌いじゃ」と答えが返ってきました。頑張れタイガース!

「強かったの?」の質問には、

「強かったから、フライ級3位まで行けた。弱かったからチャンピオンになれなかった」が答えでした。


長椅子ばかりと思って、天気のいい日は出来るだけ、車椅子で外に出るようにします。ヒゲを剃れ、ない髪に櫛を入れろ、帽子がいると、ミスター・Kはお洒落なのです。彼のユーモアセンスは抜群で、雨だったので今日は出れないなぁーと、話していたら突然晴れて、表の公園に行きました。途中、私が「雨がやんだら・・♪」と歌うと、「お前の歌ではまた雨が降ってくるからやめろ」と云いました。


Kさんとの公園でのベンチでの二人の会話風景です。日当り良好、風微風。

公園のベンチで若いママたちがぺちゃくちゃお喋り。「誰かいるのか?」どうやら、Kさんはある狭い範囲しか見えていないのだと思います。「若い女性や、べっぴんやでぇー」というと「何か云え」と云うのです。「何と言うんや?」と云うと、「僕、愛してます、と云ったらいい」と、遊ばれているのです僕は。


昼間、ベンチで二人腰掛けていると、「どうしてひとみは来ない」と云うので、

「昼間はお仕事。何やったらひとみチャンが昼来て、僕が夜行こうか」と云うと、ニヤリと笑って嫌だと云います。

「ひとみチャンが昼間お仕事に行ってるから、Kさんもこうして暇出来てるんやろう」と云うと、

「お前も、暇そうにしているから、仕事に行け」と言われました。


たまに、吉野家の牛丼に出かけたり、壱番館のカレーを食べに行くと、「お前の作ったやつより美味い」と云うのです。どうやら僕が行きだして、スーパーで買って行った出来あいのモノは、僕が作っていたと思っていたようです。外で食べるとやっぱり「外食は美味い」のでしょう。


かなり、親しくなっても、どうしても僕の名前を「タムラ」と覚えてくれず、「加治前」と呼ぶのです。今までの文で「多村」と書いたのは混乱しないためで、Kさんの呼びかける「タムラ」は「加治前」に代えて下さって結構です。ひとみチャンに訊いてみました。Kさんの下で働いていた職人さんが加治前さんで、二人は仲が良く、仕事が終わると一緒に飲みに出るのが常でした。「弟分みたいな人」とひとみチャンは云いました。いくら云っても加治前なら、「僕が加治前になればいいんや」と思ったのです。なりすましです。いくらなんでも「兄貴」とは言いませんでしたよ。

例えば昔の事で聞きたいことがあったら、「どうして、あの時はああだったのだろうか?」と云うと、「お前は物忘れがひどいなぁー。こうじゃなかったかな」といった調子で。中々云うことを聞いてくれない時は「弟子が頼んでいるんだから、親方、頼みます」といった調子で、上手く行くのです。もっとも調子に乗りすぎてパンチを喰らいそうになったこともありましたが・・。


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ひとみチャンは夕方来て、夕食の世話をして帰ります。デモ、たまに朝行くとひとみチャンが長椅子で寝ていることがあります。私が朝行くと、チョットぐつの悪そうな顔をしますが、「Kさんは夕べは幸せやたんや」と素直に私は喜んだのです。

冬の朝、行ってこんなことがありました。ベランダ側の引き戸が開いて、Kさんがベランダの洗濯機のそばで震えているのです。帰りのベランダ側の戸締まりは、私はひとみチャンがするもの、ひとみチャンは私がしてくれているものと思っていたのです。たまに洗濯機を彼女が使うことがあるので、鍵をかけないことにしていたのです。鍵といっても内側からくるっと、回せばいい簡単な奴ですが、Kさんはそれで開くということすら理解できなくなっていました。只、引っ張ったら開いたのです。簡単に云いますが、凍死のリスクもあったのです。冬でしたが極寒でなかったことや、朝方に出たのかもしれません。そんなことで、それから、ひとみチャンとは確認事項を作りました。ベランダ側の鍵は、私はしめないことに決めました。

どちらかに、きちっと決めることがだいじなのです。


連絡ノートも作りました。昼間の様子、食べたモノなんかを書きました。ひとみチャンは最初読んではいたようですが、彼女の書き込みはありませんでした。「食事を作る」はサービスメニューにはなかったのですが、買ってきたものでは限界もあります。お米を買って来て、たまにご飯を炊いて、煮物をすることがありました。

「冷蔵庫に茄子の煮物あり」「炊飯器にご飯残りあり」と書いたら、「ありがとうございました。美味しかったです」と書かれてありました。それからたまに夕べは何を食べたとか簡単な記入が入り、帰った後の様子が書かれていたり、そのうち質問事項も書かれるようになりました。例の長椅子からマットまで移動させて寝かせる困難が書いてありましたので、「相撲手で投げられる、たまに泣くことあり」と書きましたら、「私では泣きませんでしたよ。立ち上がらせて、手引きでマット迄連れて行って投げるのはやはり、非力な女性ではしんどいので、私は考えました。マットを長椅子の前に持ってきて、長椅子から突き落としました。上手く行きました。突き落としたら子供のように笑っていましたよ」と返事が書かれてありました。他にも方法があったのです。


そのうち、ひとみチャンはたまに料理を作っているようでした。「冷蔵庫に材料の残りあり」と書かれてあったりするのを見るようになったのです。ベランダで寝て寒かった日、足浴をして温めました。それからサービスメニューにはありませんが、冬の間は足浴を朝取り入れました。最初からサービスメニューの範囲内で考えてしまうから、何時も手足が冷たいと思いながらこんなことにも気が回らないのです。反省しました。まず、ベストは何なのか?それからサービスメニューと付き合わせ、出来る出来ないを考えるのです。当然いらないサービスメニューも出てきます。


主任介護士が更新のとき、残しておいた点数で最後のサービスを設計しました。答えは、入浴です。風呂場の現状はお判りでしょう。訪問介護で一番大変なのは入浴介助です。家の環境、本人の状態を付き合わせてするのですが、施設はそれなりの環境と広さがあります。個人宅では大変なのです。訪問入浴介助車のサービスがあるじゃないかと思いますが、これは点数を喰うのです。軽介護度の人はこれを入れたらほかのサービスが出来ないということになってしまうのです。

主任介護士は少し点数の空きを作らねばならないので、いらないサービスを聞いてきました。私はそれにはすぐ答えられました。タムラさんの力量も少しはアップしていたのであります。かくて、Kさんは週に1回入浴サービスを受けられることになったのです。それまでの清潔は熱いお湯で絞ったタオルでの清拭でした。やっぱり人間はお湯に使って、泡でゴシゴシが一番です。


p9

訪問入浴介護車がやってきました。組立の浴槽を部屋まで運んで部屋の中でやる奴です。スタッフは3名です。看護師1名、介護士ほか2名です。たいてい1名は男子が付きます。浴槽の運搬です。この事業所のスタッフのいいこと。看護師、介護士、美人で、愛想がよくて腕がいい。私かて、デイサービスで入浴介助していたのですから、手際の良さはわかります。男性もジャニーズ系で、ひとみチャンお気に入り、訪問入浴のとき一番張り切ってやってきます。

「ミスター・Kいいなぁー。まるでお殿様やなぁー。美人二人に隅々まで洗って貰って気持ちイイやろぅ」と羨ましそうに云うと、「お前も一緒に入れ」と云ってくれるではありませんか。

「おおきに、もうチョット広かったら、入れるのになぁー」と云いましたが、本当にもうチョット広かったら一緒に入ったかもしれません。それぐらいミスターの顔は満足げであったのです。


Kさんとは1年のお付き合いでしたが、デイサービスの起ち上げがあって、生活相談員として力を貸して欲しいという話が入って、私はそのヘルパーステーションを辞めて、ミスター・Kともお別れになりました。

「なんでじゃ、どこに行くのや?」とKさんが訊きました。ひとみチャンが「遠いところの仕事が入ったの、あんたと遊んでいる暇はなくなったのよ」と、上手く言ってくれました。

ひとみチャンの鬱も軽くなったのか、うっすらと化粧もするようになった〈ひとみさん〉は中々チャーミングでした。彼女は泣いて別れを惜しんでくれました。ミスター・Kは元気な声で「加治前、新しい職場でも頑張れ!」と言いました。



補記:

これは、ほぼ実話である。しかし、文章にすれば、どこかフィクションも入る。中編小説とした。

たまにKさんのことを考えることがあります。テレビも見られず、ラジヲも聞いているのかどうか、話し相手はひとみチャンと「加治前」の二人です。1日を長く感じているのか、いないのか?認知の介護度5は相当ひどい状態です。どこまでが、正常でどこまでが異常かは、Kさん側から考えるときと、私から考えるときとでは違ってきます。

「自分が、ああまでなって生くる価値ありや?」と、問われれば、私はミスター・Kを思い出して「価値あり」といえます。Kさんのようにユーモリストであれるかどうかは自信ありませんが・・。


介護保険、生活保護、年金、医療保険どれもどっかケチっているとこがあります。大判振る舞いをせよと言っているのではないのです。ケチっても、結局他で要ってしまうのです。トータルの考え方がないのです。日本の福祉制度が沢山のお金をかけながら、貧相に見えてしまう一因になってはいないでしょうか。及び腰の制度がいくつ寄っても及び腰です。横綱の土俵入りであります。一つでいい、完成度を高めた中心を作る。そうして脇は固められるのです。原子力予算にはああまで大胆になれるのにと思ってしまうのです。


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