(四)級友と美少女は天秤に載せられない
その日、1限目の授業で、金髪碧眼の賢そうな少年が僕の隣席に座った。
授業は自由席だ。
僕は黒板を見やすいから、いつも最前列に座る。
「よろしく、アイルズだ」
初めて隣になった彼は、礼儀正しく握手を求めてきた。
生徒数30人のクラスで、僕は彼をしっかり覚えていた。
二つ名討議の際に、僕の事を騎士の家系かと訊いてきた級友だ。あの時は名前を聞かなかった。寮では舎監室の前に在室確認の名札があるが、夕食時以外は全員集合しないため、個人的に知り合わないと名前と顔は一致しない。
授業の始まる前に少し喋って、アイルズとは気が合うと思った。すごく真面目で誠実そうで、しっかりした委員長タイプだ。身長は僕と同じくらいだが、肩幅や筋肉の付き方は細身ながらスポーツ選手みたいにがっしりしている。
聞けば、五歳からフェンシングをやっていて、ここでも続けているという。
――そうか、彼は将来、局員になりたくてここにいるんだよな。局員とは警察官みたいなもの、とリリィーナさんにも聞いたっけ。
僕も、これからは局にいる日本人の先生について剣道を習う予定だ。
小学生の時みたいに挫折せずに頑張ろう。
1限目の授業が終わり、15分間の休憩時間になった。
僕とアイルズは一階の食堂へ急いだ。校舎の各階にある休憩室でも無料の自販機や給水器はある。でも、食堂の一角にあるセルフサービスの軽食コーナーでは、ポットで煎れた熱い紅茶やコーヒーが飲めるし、お菓子も置いてある。
食堂に近くなると、コーヒーや紅茶の良い香りが漂ってきた。食堂はカフェテリア形式だ。白で統一された清潔感のある風景の中、いくつもの円卓には、生徒や先生方がお茶を飲んでくつろいでいた。
僕は軽食コーナーで、大きな白いマグカップに紅茶を注れた。あまりのんびりできないから、熱い紅茶には冷たいミルクをたっぷりいれる。
紅茶ポットの横には、白い大皿に大判のクッキーがあった。
「お、今日はクッキーか!」
アイルズが嬉しそうに硝子の蓋を外してクッキーを1枚取った。
僕も1枚いただいた。右手に紅茶のマグカップ、左手には掌くらいある大きなクッキーを持ち、僕とアイルズは軽食コーナー前のテーブルに陣取った。
「オートミールのクッキーだね」
と、アイルズ。
僕はオートミールが何なのか知らなかった。
アイルズは朝食に食べる穀物のお粥みたいな物だと説明してくれた。寮でも出されたことは無いらしい。お粥のクッキーなんて想像できないが、このクッキーは気に入った。
大判のクッキーは、噛むとサクッと崩れて、新鮮なバターの香りと仄かな甘みが口中に広がる。素朴なのでいくらでも食べられそうだ。僕らは一枚目をあっと言う間に食べ終え、2枚目をもらった。
この魔法大学では、英国出身の先生がいて、紅茶を飲む習慣を広めたらしい。午前10時と午後4時のティータイムを奨励しているという。さらに英国出身の紳士を誉れとする先生は、お茶の時間とは大切な紳士教育の一環である、と主張しているそうだ。先生の思惑はどうでもいいが、おやつが食べ放題なのは良い学校だと僕は思う。
「あら、悟くん、いらっしゃい」
調理室の入口から、ローズマリーが出てきた。シンプルな白いエプロンがよく似合う。両手に捧げ持った硝子カバー付きの大皿には、黄金色した貝殻形の焼き菓子が盛られていた。
「おはよう、ローズマリー」
僕は落ち着き払って挨拶を返した。
「三日ぶりだね、やっと会えた」
「本当だわ、校舎が違うとこんなに会えないなんて思わなかったわね」
ローズマリーは嬉しそうだ。
その笑顔が僕に会えたからだったら、僕も嬉しいんだけど……。
僕は目の端でアイルズの様子を確認した。
アイルズは右手にマグを、左手にかじりかけのクッキーを持ち、視線はローズマリーに釘付けで固まっていた。
「今日は家政学の調理実習だったの。そのクッキーも、わたし達が作って持ってきたのよ」
ローズマリー達が家政学の実習室で作ったのを持ってきたのだという。
「もう食べたよ。すごく美味しかった!」
僕の正直な感想に、ローズマリーの笑顔が輝いた。
「ありがとう! 良かったら、このマドレーヌも食べてみてね」
ローズマリーは軽食コーナーのクッキー皿の横に、マドレーヌの大皿を並べた。
「もちろん」
僕は椅子を立ち、ローズマリーの側に並んだ。小さなマドレーヌを一つ摘まみ、半分囓じる。本当は、こんな小さいお菓子は2個くらい一口だ。でも、下品なヤツだと思われたくないから、ローズマリーの前では絶対しない。
「すごく美味しいね」
お世辞抜きで、マドレーヌの味はお店で買うのと遜色ないおいしさだ。焼きたてなのを差し引いても、これまで食べたお菓子の中では最高だと思う。ローズマリーの手作りと思えば、僕が独り占めしたいところだが、さすがに公共の場に提供された物ではできない。いつか僕だけのためにお菓子を作ってもらえばいい。
「嬉しいわ。褒めてもらえたって、皆にも伝えるわね」
ローズマリーは調理室へ戻って行った。
すると、アイルズが動いた。大急ぎでクッキーを食べきり、残りの紅茶も一気に流し込んでいる。
「なぜだ。なぜ、あの子は、サー・トールだけに挨拶して行ったんだ!?」
アイルズは僕に言いたい事が山ほどできたようだったが、僕らは次の授業のために急いで教室に戻らければならなかった。
昼休みに入った瞬間、アイルズは僕を捕まえた。食堂へ向かいながら、アイルズは僕を質問ぜめにした。
「白状しろよ、あの美少女は噂の特待生なんだろう?」
アイルズがローズマリーのことを言っているのは明白だ。
嫌な予感が強くなる。
「そうだよ、僕と同じ特待生のローズマリー・ブルーだよ。僕らは同じ日に編入したんだ。皆より一日早く知り合っていただけさ」
僕は勝ち誇った笑顔にならないように必死で奥歯を食いしばった。
「次に会ったら、ぜひ紹介してくれ!」
目を輝かせたアイルズは、僕の両肩をガッシリ掴んだ。
やっぱりこいつ、ローズマリーに一目惚れしやがった!
「嫌だ」
僕は厳かに告げた。
アイルズは僕の肩から手を離し、ムッと口を歪めた。
「そういや、彼女も君も、名前で呼びあっていたな。君達は付き合っているのか」
「いや、僕も編入した日に知り合ったばかりだ」
僕はいささか気分を害しながら応えた。本当にローズマリーと付き合えて一年くらい経っていたら、こんなにやきもきしなくていいんだろうけど。
「それならただの友達だ。だったら、俺が彼女に声を掛けてもいいよな?」
アイルズは眉をしかめて僕を睨んだ。
「きっぱり断る」
僕は即答した。
「なんでだよ?」
「僕もローズマリーが好きだから」
そう、僕だって男だから、譲れない一線がある。
アイルズはポカンと口を開けた。僕の顔をしげしげと見つめてから、ニヤリと口元を歪めた。
「でも、俺が彼女に話しかけるのは自由だ。あの娘は、まだ君のカノジョじゃない」
アイルズは冷静に述べた。
「その通りだ、僕はまだローズマリーの恋人じゃない」
僕は頷いた。今日の午前中から僕らの間に築かれたばかりの友情という名の垣根は、一瞬にして、底の見えない氷河の裂け目へと姿を変えた。
「じゃあ、お互いに正々堂々、紳士的に闘って、勝負をつけようじゃないか」
アイルズは真剣だ。よし、受けて立ってやるぜ。
「いいよ、次に一緒にいるときにローズマリーに会ったら、君のことはクラスメートだと紹介する」
僕がどんなに嫌がったって、同じ学校に居たら、いつかは遭遇するだろう。
これは避けられない現実だ。
もしも、ローズマリーがアイルズと出会い、彼に好意を持ったとしても、僕に止めることは出来ない。それよりは、僕自身の手で危険な芽を少しでも摘んでおける方がいい。
「よし、これは、紳士協定ってやつだぞ。彼女がどっちを選んでも、恨みっこなしだ。君とは親友になれそうな気がするからな」
自信たっぷりのアイルズは、食堂の入口で僕の左肩を軽く叩いた。
だが、男のプライドを賭けた勝負は、食堂へ入った瞬間、決した。
「悟くん、お昼ご飯を一緒に食べましょうよ」
ローズマリーは、まっすぐ僕の方へやって来た。
「いいよー。何にする?」
僕は舞い上がらんばかりの嬉しさと慣れないシチュエーションの緊張を隠し、自然体に見えるように努力した。
僕らは親しい友人で、まだ恋人同士じゃない。
もちろん、いずれはそうなりたいし、こうして親しい距離に近寄ってくれるローズマリーの好意を純粋に信じたいけど、彼女の本当の気持ちまではわからない。だからこそ、アイルズには負けるものか。徹底抗戦してやるさ。
「シェフのお薦めは、チキンのサンドイッチセットですって」
ローズマリーと僕は自然と連れ立って歩き出した。アイルズは、わざとほったらかしておく。
「サンドイッチは僕が取ってくるよ、先に席を確保しておいてくれる?」
「あ、紅茶はわたしが取ってくるわ」
「いや、それも僕が……」
僕はローズマリーと仲良く喋りながら、キッチンカウンターに向かった。
その間中、アイルズは、彫像のように食堂の入口に突っ立っていた。






