(一)記憶と未来の希望を測れば
僕は地球へ帰らなかった。
自分でもあきれるほど簡単に、白く寂しい通りに留まることを決めた。
日本の自分の家に帰らないと家族が心配する……その可能性は、僕も考えた。
しかし、今の状態で地球へ帰ったら、僕は二度と白く寂しい通りには来られないと思う。なぜって、魔法大学に入ったから将来は多次元管理局員になる、なんていう将来の希望を、どう両親に説明すれば良いのかわからないからだ。
黙って家を出てしまえば、留学ではなく、ただの家出だ。両親が警察に届けたら間違いなく行方不明者扱いになる。今日からいきなり行方不明になるのも、ダメな事だとわかってはいるけれど……。
僕が困っているとリリィーナさんが、
「日本での必要な手続きは、局の方でうまくやるから任せなさい。ご両親への連絡もわたし達がうまくやるから」
と、言ってくれた。その親切に甘えて、その日のうちに、僕は魔法大学の寮に入らせてもらった。
魔法大学の現時点での生徒数は、122人。いろいろな世界から、スカウトや自薦他薦でやって来た留学生が集まっている。入学ゼロの年もあるので、今年のように同年代の少年少女が揃うのは珍しいという。
魔法大学付属学院は全寮制だ。
二つの大きな洋館があって、男子寮と女子寮に分かれている。
僕を案内してくれたのは、寮母さんの「ヒルダおばさん」。金髪をひっつめ髪にした小太りの小柄なご婦人だ。年齢は50代前後、笑うと唇の左にえくぼができる、愛嬌たっぷりの優しそうなご婦人だ。
ヒルダおばさんは部屋の使い方を説明する合間に、特待生の特権と規約も教えてくれた。寮では、生活に必要な衣服や必需品はヒルダおばさんに言えばすべて支給される。また、白く寂しい通りにある学校指定のお店での買い物はすべて、局の必要経費として処理してもらえる。これは現役局員と同じ待遇なんだそうだ。
さらに僕は、特待生なので毎月のお小遣いも支給される。
その金額は日本円にして約13万円。子供の小遣いにしては金額が多すぎないかとヒルダおばさんに訊いたら、
「あら、だって、君は局員になってもらうために、リリィーナがわざわざ地球に行ってスカウトしてきたのよ。学生でも局員なんだから、お給料はもらうものよ」
お金は白く寂しい通りにある銀行に振込みだ。
銀行へは明日、リリィーナさんが案内してくれるという。他にもやらなければいけないことはたくさんある。でも、ほとんどは明日からだ。
寮の部屋は個室だ。広さは六畳くらい。中庭が見える大きな張り出し窓に星空模様の青いカーテンが掛かっている。入口の側には背の高い帽子掛、大きな本棚、シンプルな木製机と椅子とベッド、作り付けのクローゼットの扉には姿見が付いている。洗面所にトイレとシャワールームまであった。
僕が支給された文房具や日用品を引き出しやクローゼットに整理していると、リリィーナさんが訪ねてきた。
「ご両親の方は心配しなくていいよ。そこは魔法の力を使って、上手く辻褄を合わせておいたよ」
その日の夜遅く、寮を訪れたリリィーナさんは、僕の家族にどんな説明をしたのかを報告してくれた。
「君は、遠い外国の全寮制の学校に留学したことになっている。ご両親の記憶の中の真実をどうするかは、君が魔法大学を卒業して、多次元管理局員になってから決めればいいことだ。その時には、君は自分で魔法を使えるようになっているからね。わたしが魔法でご両親にした事は、君もできるようになる。記憶操作を解除して真実を教えてもいいし、君が信じて欲しいと願う内容に書き換えてもかまわない。局の存在は、地球では知られていないだけで、秘密ではないんだ。地球では、異世界の存在が信じられない人が多いんだよ」
リリィーナさんは海外留学のコーディネーターということになっている。
日本には多次元管理局の支局があり、そこには地球向けのダミー会社がいくつか作ってあるそうだ。今後はそこの支局員の人が僕の担当コーディネーターとして、実家への手紙や緊急時の連絡などを取り次いでくれる。事前に連絡さえすれば、長期休みに里帰りするのも自由だ。
リリィーナさんは、僕の家から何か持ってきたい物はあるかと訊ねてくれた。
僕は何も無いと断った。
あまりにも自分の出身世界に未練が無さすぎると、リリィーナさんの方が驚いていたけれど、僕自身は何も不思議に思わなかった。
この清々しいほど地球に未練を持たない僕自身の謎は、しばらく解けない。
それがわかるのは、数年後、僕が局員になる時だ。
この時の僕は、自分自身に謎があるなんて、夢にも思っていなかった。
リリィーナさんが帰った後、僕は部屋着としてもらった新しいスウェットの上下に着替えてリラックスした。なんとこの服は日本からの輸入品だった。
リリィーナさんが地球に来たように、白く寂しい通りと地球との行き来は自由にできる。ただし、異世界間の行き来は、局員のようにハイレベルな魔法使いだけの特権だ。
局員には日本人もいるという。その影響もあってか、日本製品はこちらの世界でも人気が高く、日本人の最初の局員が誕生した年から、局が率先して日本製品の輸入を始めたそうだ。白く寂しい通りには日本製品の専門店まで在るという。
リリィーナさんが「君の生活は、日本にいるのと変わらないだろう」と言っていたのがよくわかった。
夕食に呼ばれるまでの間、僕はベッドに腰掛け、ヒルダおばさんにもらった明日からの授業の時間割り表を見てニヤニヤしていた。
明日は初日なので、始めに担当教官のリリィーナさんの案内で構内を見学する。それから担当教諭や級友との顔合わせだ。その後、ポール教授を交えた面談があり、僕の学ぶべき課目の説明を受ける。
12時から午後1時まではランチタイムだ。
これで予定通り、ローズマリーに会える!
僕の中の時間割り表には、すでに彼女の名前がしっかり書き込まれていた。