(五)期限は日没
「いいかい、ここからが肝心だ。手順を繰り返すから、よく聞きたまえ。ポール教授はまだ部屋にいる。君が魔法大学に入学できる条件は、今日の日没までにもう一度ポール教授の部屋へ入り、ポール教授から直接入学許可をもらうことだ。では、健闘を祈る」
リリィーナさんは去り、そうして僕は中庭に取り残された。
「今日の日没までって……もうすぐじゃないか」
僕は呆然と呟いた。
何をどうやればいい?
それを自分で考えないとだめなのか。
これが試験……最後にリリィーナさんは試練と言っていたが、どう違うんだろう。
ともかく窓口入学の意味を、その方法を、考えないと。
――いかん、さっぱりわからない……。
僕は目の前の建物へ駆け込んだ。
こんなときは始めからやり直しだ。
さっき案内されて昇った階段を上り、二階の部屋を目指す。
ポール教授の部屋は、入口横の階段を上ってすぐ左だ。
あ、ドアが開かねえ。
鍵が掛かっている。
ノックした。
返事はない。
「ポール教授、里藤悟です。開けてください」
僕がドアをドンドン叩いていると、
「ふむ、やっと来たか。残念だが、今日はもうこのドアは開かないのだよ」
含み笑いをしながら喋るポール教授。ドアのすぐ向こうに居るんだ!
「そこをなんとかお願いしますッ。やっぱり魔法大学に入りたいんです」
魔法使いになりたいとは、心の底から言えない自分に罪悪感をちょっぴり抱きつつ。
この間にも僕の心に浮かぶのは、さきほど出会った美少女ローズマリーの輝くような面影のみ。
もう一度彼女に会うためなら、僕はどんな犠牲を払っても良いとさえ考えている。
どうせ日本に帰ったって、滑り止めに適当に受けた高校に入るだけだ。
好きな物も嫌いな物も特別無い。
高校生活の後に続くべき就職も進学も、なーんにも、考えていなかった。
それならば――もしも、僕にこれからの人生を選ぶ権利が少しでもあるのなら、僕に好意を持ってくれた美少女が存在する世界で、魔法使いになる人生を選んでみても――いいんじゃないかって。
「ふうむ。どうしてもというのなら、窓口入学なら受付けるがね」
なんとも楽しそうなポール教授の声。
「って、それはッ!? その意味がわかりませんッ。教えてくださいッ!」
コツコツ、とドアに近付いてくる靴音がした。
「いいかね、よく聞くんだ。リリィーナはすでに君へヒントを与えている。そのヒントの全てを思い出して、よく考えたまえ。これが君の入学テストだ」
考えろ、考えるんだ。
リリィーナさんが言ったこと。
どうすれば、窓口入学の手掛かりがわかるのか。
リリィーナさんには訊いた。ポール教授にも。
もう訊ねられる人はいない。
僕が求める正しい答えはどこにある?
「リリィーナさんには、ポール教授の部屋で入学許可をもらえば良いと聞きました。ここで入学を許可してください」
今、ポール教授は部屋の中に居る。
だから、この答えも間違いではないはずだ。
「おや、惜しいね、だが、それは正解ではない。しかし、なるほど、君は一人で考えて、ここまで辿り着いたんだね」
ポール教授の、ははは、と笑う声が嬉しそうに聞こえるのは、気のせいじゃない。僕が正しい答えの端っこを見つけたのを喜んでいるんだ。
よし、これで一つクリア。
でも、まだ足りない。
何とかしてポール教授から、次のヒントのカケラをもぎ取らないと、今日の太陽と共に僕の希望も沈む!
焦る僕の思考を覗いたかのように、ボール教授が、うほん、と咳払いした。
「よろしい、その努力に免じて、私からもヒントを授けよう。答は非常にシンプルだ。リリィーナは優秀な試験官だ。君が必要とするすべてのヒントは、最初からマニュアル通りに全てが開示されている。さあ、これで教えられることはすべて話したよ。日没まであと30分だ。もう一度、中庭に出て考えるんだね」
ドアの向こうで、ポール教授の気配が靴音とともに遠ざかっていった。
「待ってください、ポール教授、ポール教授~ッ?!」
僕はドアの向こうへ必死で呼びかけた。
ポール教授の返事は無い。
くそッ、やっぱりだめか。
半分は自業自得だけど……。
生涯一度にして最大の選択ミス。
心の底から後悔しながら、僕はふたたび中庭へ出た。
さあ、考えろ。脳みそをフル回転だ。
僕は、リリィーナさんとどんな会話をしたっけ?
リリィーナさんは何と説明してくれた……?
――ほら、あの窓だよポール教授の部屋は。
この大きな木の枝が伸びている先だ。
迷子になると困るから、場所をよく覚えておくんだよ。
君の面接試験はあの窓の部屋で行われる。
そう、その通りに面接試験は行われた。
その直後に運命の出会いがあると知る由もなく、愚かな僕はいちばん楽な入学チャンスを棒に振った。
――今日の日没までに、窓口入学という方法でもう一度ポール教授に会って入学許可をもらうしかない。それが君が入学できる唯一の可能性だ。
リリィーナさんの言葉が僕の脳裡をグルグル回る。
ポール教授が居るあの部屋に、どうやって入れば良いのだろう。
あのドアから入るのはもう無理だ。
別の入口なんか無さそうだし、ほかに入る方法なんて……。
「いや、待てよ。ドアから入れなくても、中へ入ればいいのなら……!?」
わかったぞ、正解が!
それは、リリィーナさんの言葉を額面通りに受け取ること。
答は最初から、この中庭にあったのだ!
僕はポール教授の窓の下に立った。
大きな両開きの窓は全開だ。
ここへ案内されたその時から、あの窓はああして開放されていた。
窓口とは受付の事かと思ったけれど、窓から入って入学するなら、これも窓口入学で間違いない。
ドアがダメなら、窓から入る。
それでポール教授に入学許可をもらう。
簡単なことだ……たぶん。
梯子代わりになりそうな大きな木が建物のすぐ近くに生えている。
樹齢数百年は経ていそうな大樹だ。
太いデコボコの幹と頑丈そうなたくさんの枝は、非常に登りやすそう。
しかも1本だけ長めの枝が『そこへ』と答を示す指先のように、ポール教授の窓へ向けて枝先を伸ばしている。
木登りが校則違反だったら困るけど、いまの僕はこれしか思いつかない。
直径一メートルはありそうな太い幹に手を掛ける。幹のデコボコを掴み、足掛かりにもして、ゆっくりかつ慎重に、木登りを開始する。
思った通り、登りやすいや。
絶対に誰かが何度も木登りに利用している。
この幹のデコボコ部分の磨り減り具合がその証拠だ。
窓の方へ張り出している枝に届いた。予想より太目だったが、窓の方へ近付くにつれ、先細りになっていく。
枝の先端から窓までの距離は1メートル無いだろう。
しかし、僕の体重なら、枝の先端ギリギリまで歩けそうだ。
そしてそこからなら僕の跳躍力でも窓へ飛び移れそうな間隔になる。
これが正解だとしても、普通なら絶対にしてはいけない危険行為だ。日本だったら『けっして真似はしないでください』っていう注意付きの方法を、僕はあえて選択した。
幹から手を離し、太い枝の上を歩く。
開け放されている窓は、たやすく入れそう。
僕は、跳んだ。
枝の上で踏み込んだとき、急に細くなった枝に右足を滑らさなければ、目測通り窓の中へ飛び込めたんだけどッ!!!
落ちた――――!
瞬間、僕はギュッと目を閉じた!
この直後に全身で味わうだろう凄まじい衝撃に備え、全身の筋肉を固まらせて。
だが…………衝撃はいつまで待ってもこない。
かわりに、フワリと無重力感。
身体が上に引っ張られている。
僕は『上昇』している!?
目を閉じたまま首を傾げていたら、今度は襟首をグイと引っ張られた。
まるで首根っこをつかまれた猫のよう。
そして、ポイッ! と、放り投げられた!
「うわあッ!?」
さすがに怖くなって目を開けた。
暗い。
黄昏を通り越した夜の暗さ――闇の中を見回した、直後。
ドベチャッ!
平らな場所へ放り出された。
「あいて、いって~ッ!」
お尻で軽くはずんでから、コロンコロンと転がって、大の字にひっくり返った。
僕は、ガバッ! と跳ね起きた。
周囲は変わらず暗闇だ。
僕は急いで叫んだ。
「ポール教授、入学許可をください!」
これが最後のチャンス。
怖くて膝が震えている。
ポール教授はこの暗闇のどこかにいるはずだ。
僕はもう一度ローズマリーに会いたいんだ。
そのためならどんな犠牲でも払う覚悟がある。
窓はまだ開いているはずなのに、闇の中には一片の灯りすらない。
僕はキョロキョロした。こんなの変だ。太陽が地平線に沈んでも30分くらいは明るいのに、いきなり真夜中になったみたいだ。
ここは密室なのかな。
それとも知らないうちに僕は気絶していて、これは夢で、すでに何時間も経ってしまったとか?
手をついた床は冷たくツルツルで、草いきれにも似たワックスのかすかに甘い匂いがした。
僕は室内にいる。
ポール教授の部屋に。
「やれやれ、ずいぶん遅かったじゃないか」
暗闇の奥からポール教授の気配。
僕は勇んで立ち上がり、声がした方向へ体ごと向いた。
「僕を入学させてください、お願いしますッ!」
ビシッと直立不動して、九十度に頭を下げる。
「残念だが、私が入学許可を出す期限は今日の日没までと決まっている」
ちっとも残念そうではない声でポール教授が言う。
僕はゴクリと唾を呑み込んだ。
落ち着け悟。まだチャンスはある。
ポール教授が嘘や冗談を言っているのではなく、僕が考えた通りなら、試験はまだ終わっていないんだ。
「僕は、ここで、この場所で、入学許可を求めました。今こうしているこの瞬間には、太陽は沈ん出いるかも知れませんが、ここへ入った時点ではギリギリ日没前だったはずです。それは僕をここへ放り込んだリリィーナさんが証明してくれます」
この部屋へ入るために、僕はあえて危険な行動を取った。
僕は、この世界に居る間ならば、多少の危険を踏んでも大丈夫じゃないだろうか……と、小狡い計算をした。
じつのところ、勝算ある賭けだった。
――君の身柄はすでに多次元管理局の保護下にある。何があろうと傷付いたりしないように魔法で護られているんだ――
リリィーナさんは、僕が試験に落ちたらどうなるのかを訊ねたときにそう説明した。
僕を連れてきたのはリリィーナさん。試験官なら、必ず僕の近くにいなければならない。
この白く寂しい通りに来た僕へ護りの魔法を掛けて庇護できたのは、リリィーナさんしかいないのだから。
「僕をここへ放り込んだのはリリィーナさんです。地球へ帰すつもりでいたなら外の地面へ下ろせば良かったのに、窓口入学の規定通りに、窓からこの部屋へ入れてもらえました、だから……」
ここで僕は息切れして、軽く深呼吸してから続きを口にした。
「だから、入学許可はすでにもらえています。だからこそ、僕はここにいるんですからッ!」
僕はそこで息を止めた。緊張しすぎたからだ。
それから水に溺れた直後のように、せわしなく呼吸を再開した。
暗闇と沈黙のなかで、僕は待った。
待つのは長かった。
実際は5分も経っていなかっにせよ、僕にとってはひどく長い時間だった。
「いいだろう、及第点だ」
パン、パン、パン……と、ゆったり手を叩く音。
突然、視界が明るくなり、僕は目が眩んだ。
焦って閉じた目蓋の裏は金色だった。
光に十分目がなれてから、僕はゆっくり目を開けた。
入ってきた窓は僕の後ろにあって、空は夕焼けに輝いていた。
室内は金と赤と橙色のまだらに染まり、大きなデスクの横にリリィーナさんが立っている。ポール教授はデスクの前に腰掛けていた。
「里藤悟くん、君の入学を許可する。歓迎しよう。君は今日からここの特待生だよ」
ポール教授が喋り終えたとたん、室内は燃えたつような真紅色に満ちた。
太陽が地平線へ没する前に放つ、最後の光――本当の日没。
そして、今度こそ室内に、紛うことなき本物の薄暮が降りたのだった。