(五)岩石城を攻略せよ
僕らは昼食を10分で食べ終えた。
地面に寝転がって40分昼寝。
軽く準備運動してから、次のアスレチックフィールドへ向かう。
ロープ橋渡りは、池ならぬ緑に澱む沼にあった。手前の岸辺から向こう岸まで細い丸太を水中に何本も突き立て、ロープで編んだ網の橋が渡してある。
支柱の丸太には、数メートル間隔でちょっと太目の丸太が突き立てられている。その丸太の幹には、一本のロープがスタートからゴールまで延々と張り渡してある。そのロープを手で伝いながら、網の橋を進むのだ。
沼の向こう岸までは、ざっと目測して100メートルくらいだろう。
『カエルヶ沼のロープ橋渡り』
看板に書かれたロープ橋の長さは120メートルだ。途中に直角に曲がったルートが何カ所が見えるから、沼の半径より橋の方が長い。
看板の解説イラストでは、テディベアが片手でロープを伝いながらロープ橋を渡っていく。網の目に足を突っ込んで転けたり、沼へ落ちたりしたらマイナス点だ。沼の深さは1メートルだから、落ちても溺れはしないだろう。
解説図の最後には、沼に落ちて泣いているテディベアの頭の上に、緑のカエルが一匹のっかり、歌っているマークなのか『♪』が描かれていた。
「カエルなら、グリフォンの群れとモグラの穴だらけと突発的大洪水に比べれば、うんとマシだよ。とっとと渡ってしまおうぜ」
僕が一番、アイルズが二番、カイルが三番でロープ橋を渡り始めた。
沼はドス黒い緑色だ、底は見えない。水面で、ボコッボコッ、と泡が弾ける様子は、ホラー映画に出てくる魔界の沼さながらだ。冷たい水の匂いはするけど腐臭のような嫌な匂いはしないから、見た目だけの演出だ。
このウィザードアスレチックを用意したのはリリィーナ教官だ。ビジュアルデザインはいかにも作り物みたいで面白いけど、微妙にイヤな趣味だな。
僕らが最初の曲がり角にさしかかった、そのときだ。
「るぷーいっ、ぷう~ッ!」
空中をふわりふわりと、ピンクのテディベアが飛んできた。ぬいぐるみ妖精のシャーキスだ。沼の上に滞空し、左手に持った籠から何かを掴み出しては空中へ撒いている。白っぽい粉が、フワ~、と風に飛散して、沼の上に消えていく。
「おーい、シャーキス、なにしてるんだい?」
嫌な予感がした僕はその場に止まり、シャーキスへ手を振った。
「るっぷりい、お手伝いデ~ス、ぷーいッ」
シャーキスは素直に答え、籠を逆さまにして振っている。籠から白い粉がパラパラ落ちた。露骨に怪しい。あれが魔法の粉なら、どんな魔法だ?
僕は左手でロープをしっかり掴み直した。
「誰のお手伝いで、何を撒いたんだい?」
僕の低い声に驚いたのか、
「る? そ、それは、もちろん、リリィーナ教官ですぷい! では、これにて失礼!」
シャーキスはあたふたしながら飛び去った。
ぬいぐるみ妖精は嘘を吐かない。リリィーナ教官がただの粉を撒かせるわけがない、絶対に、何かが起こる!
「アイルズ、カイル、全力疾走するぞ!」
僕が叫んだその時だ。沼の水面のすぐ下で、何かが蠢いた。
プクン。
水面で一際大きな泡が弾ける。
僕らは見動きひとつせず、待った。
ゲコッ。
水面にポコッと出たのは、小さな目、大きな口の緑色のカエル数匹。不気味な沼のイメージからはほど遠い、可愛い小型のアマガエル達だ。
グエコ、ゲコッ、ゲゲッコッ!
大合唱が始まった。怪しい沼の風景にふさわしくもにぎやかなBGMに脱力した僕は、ハア、と大きく息を吐き出した。
「ははっ、水の中じゃ、僕らには届かないな」
僕は焦ったのが恥ずかしくなったが、
「いや、タマゴの次はオタマジャクシになるはずだから、いきなり成長したカエルは変じゃないか?」
アイルズが常識的な知識を披露してくれて嫌な間が抜けた、次の瞬間だった。
グエエッコオオオ――――。
エコーのかかった大音声が響き、沼の水面は無数の小さなカエルの顔で、びっしり埋め尽くされた。
「うわあああッ!?」
僕は悲鳴をあげた。女子みたいにカエルを見ただけでは逃げたりしないが、ここまで大量に群れたらさすがに不気味だ。
「わーッ、2人ともなに突っ立ってるんだ、襲われるぞ、逃げろッ!」
カイルがアイルズと僕を追い抜いていく。グリフォンは平気だったのに、カエルは嫌いなのか。
カエルはさっきまでカイルがいた近くへ集まって盛り上がった仲間の体を伝い登り、てっぺんの一匹がロープ橋へ手を掛けようとしている。こいつら賢すぎないか。カエルに襲われるパニック映画ってあったっけ。
いかん、僕も思考が現実逃避しようとしている。
僕はカイルを追いかけた。
カイルは太目の丸太にしがみついてガタガタ震えていた。横顔が白い。けっこう重傷だな。カイルが早口で語った過去のトラウマは、3才児の頃、庭で昼寝をしていて目が覚めたら、池のカエル数十匹に囲まれていた。驚いて泣き出したそれ以来、カエルと見ると条件反射で怖いらしい。3才時の記憶が今も鮮明だというから、幼児にはそうとう怖い体験だったのだろう。
「落ち着け、下へ落ちなければだいじょうぶだ」
僕自身はカエルに対してトラウマはない。小さい頃は田舎でよく見たけど、好きでもないから触りたくもない程度だ。
「そ、そうだな、相手はカエルだ、襲われたってケガはしない、噛まれたりしないから、だいじょうぶ、だいじょうぶなんだ」
カイルがようやく丸太から手を離したとき、アイルズが追いついてきた。
「いや、そうとも限らない。サー・トール、カイル、気を付けろよ、どんなカエルも、皮膚表面には、もれなく毒があるんだ、素手で触ったらかぶれるぞ」
3人の中でただ1人悲鳴をあげなかったアイルズは、とても冷静そうだ。一歩一歩、慎重な足取りで追いついてきた。
「カエルに詳しいんだな。もしかして君も経験者か」
僕はふと訊いてみた。
「そうなんだ。幼い頃、カエルを捕まえて両手がかぶれた。それ以来、大嫌いだ」
青ざめたアイルズの足がかすかに震えているのを、僕は見なかったことにした。
僕らはお互いを励まし合い、ロープ橋の行軍を再開した。
心配していた沼への落下は、一番手で僕が落ちた。原因は、橋脚の丸太を昇ってきたカエルが、僕が右足を踏み出した先にいたからだ。
僕はカエルを避けてロープ橋の網目に右足を突っ込み、バランスを崩した。
アイルズとカイルが引き上げようとしてくれた。
カイルはカエルに顔面へ飛びつかれ、僕の横に落ちてきた。
アイルズはカイルを助けようとして道連れになった。
僕らはホントに気が合う仲間だ。
沼に落ちた僕らはカエルまみれになりながら、橋脚の丸太にしがみついた。
太目の丸太には下の方から、半円形の板がハシゴ状に付けられていた。僕らはそれを掴んで登り、ロープ橋へと這い上がった。
僕らは合計3回カエルまみれになった。
カイルはどうやら、2回目にカエルまみれになった時点で、幼児期のトラウマを克服したらしい。3回目にロープ橋に這い上がった時には、頭に乗ったカエルを黙ってもぎとり、捨てていた。
ロープ橋を渡り終えて丸太の階段を下りたら、僕の頭にへばりついていたカエルの最後の一匹が落ちて、どこかへいなくなった。
影時計の制限時間は10分以上過ぎていた。
僕らは全身ズブ濡れだった。訓練服は沼のプランクトンで黄緑色に染まり、あちこちに沼の藻が貼り付いている。
アイルズが、ガタガタ震え出した。移動中は我慢していたらしい。
「うう、気持ち悪い、どこかで体を洗わないと、かぶれるッ」
アイルズは落ち着きなく辺りを見回した。遊具と遊具のルート区間にはトイレがある。そこへ駆け込もうとした彼を、僕は止めた。
「落ち着け、これが仕掛けなら、グリフォンの時と同じだ。きっと、もうすぐ……」
僕が言い終えないうちに僕らの体は乾いていき、汚れた訓練服は元通りキレイになっていた。
『岩石城』の見た目は小高い岩山だ。クリアして出口へ抜けなければ、野外キャンプ場へは戻れないルート設定になっている。
岩石城の中は、壁を登ったり大岩を乗り越えたり、トンネルをくぐったりする立体迷路構造だ。
魔法のカラクリ仕掛けがあって、スタートから10分経つと入口近くの通路から順番に、曲がり角にある大きな岩が動き出す。
通過した道は封鎖され、代わりに岩が動いた所が開く。
それで立体迷路のルートが変更されるから、始めに覚えた道筋を引き返すことはできない。
最短時間で岩石城を攻略するには、正しい道筋を間違いなく進むこと。
曲がり角までの各区間を10分以内に通過することだ。
ストレートに踏破した場合の全長は3キロ。
僕らは看板の解説文の解読を試みた。
『岩石城は1時間で通過できる立体迷路です。それ以上経過したり、通行で不正をしたりすると、大きなマイナス点になります』
1時間は正しいルートを最短で攻略した場合の所要時間だろう。制限時間ではなく『通過できる時間』というところが怪しい。
グリフォンヶ原と土の竜ヶ原とカエルヶ沼では、ミニ・グリフォンとモグラとカエルに襲われたんだ。ここではいったい、何が出る?
だが、悠長に検討している暇は無い。
「とにかく行こう、時間が経つばかりだ」
暗記力の1番良いカイルが看板に描かれた迷路図を完璧に覚えたというので先導を務め、フェンシングで動体視力を鍛えたアイルズが2番手について状況を判断、3番目の僕はいざというとき、アイルズと一緒にカイルを助けることにする。
通路の幅は僕らが両手を広げた程度。床はコンクリート、壁は岩石が凸凹に埋め込まれている。それも怪しい。岩だらけの迷宮で怪しい岩に接触すれば、何かが起きるのはお約束の展開だ。触らないように気を付けよう。
3回目の角を曲がった先に、右の壁から青灰色の岩が他より手の平1枚分くらい突き出していた。通路の幅はそこだけ狭い。肘が当たりそうだと思って左に寄ったら、左手が反対側の白い岩に触れてしまった!
白い岩が、かすかに震えた。
ヤバい。僕の遅れに気付いたアイルズがカイルを呼び止め、2人が振り返る。
僕は慌てて2人に追いつき、背中を押した。
「ごめん、岩に触ったら動いた、急いでくれ!」
僕らは早歩き、いや、疾走した。
次は右、次は左、そこは登る、カイルが矢継ぎ早に指示を飛ばす。
岩石城は約1時間で通過できる、と書いてあった。となれば、1時間では抜けられなくなるような障害物が仕掛けられている可能性が高い。それはきっと、魔法を使った、リリィーナ教官好みの面白くも迷惑な何かだ!
後方で、ゴゴゴ、と重い物を引き摺る音がした。
通過してきた通路の岩が動き出している。
ついにトラップ発動か!?
影時計は00:04:31。表示されているのは区間ごとの制限時間だ。この区間に入ってからまだ10分経っていないのに、なぜ岩が動く……いや、これが岩に触れてしまった代償かよ。
僕らは大慌てで次の分岐点へ辿り着いた。元の道は次々と岩で封鎖されて後戻りできないが、今のところは正しい道を進めている。
角を曲がって次の区間に入った途端、むわっと熱風が吹き付けてきた。
僕は一瞬、息を止めた。
まるで高温のサウナか、キャンプファイヤーの巨大な炎のすぐ側にいるみたいだ。
たちまち汗が全身から噴き出す。額を流れた汗が鼻筋を伝い、顎から滴り落ちる。
岩が、床が、通路全体が、熱い。周り中の岩が発熱しているようだ。
空気が熱いから、走ると呼吸が辛い。
酸素不足で自然と足が鈍くなる。
こんなペースだと、10分あれば抜けられる1区間に倍以上の時間がかかりそうだ。
僕は右袖で額を拭った。ローズマリーとデートの時はアイロンがけしたハンカチを携帯するが、ここではトイレで手を洗った後も拭くのはズボンだ。
「もしかしたら、この岩石城は活火山を模しているんじゃないかな」
アイルズですら右手の袖で額の汗を拭っている。さっきハンカチを絞っていたから、ポケットからいちいち出すのが面倒になったんだろう。
「よせやい、マグマを吹き上げる仕掛けだったら、命に関わるぜ」
カイルが茶化した直後に、頬を引きつらせて黙り込む。
僕とアイルズも笑えなかった。いくら魔法でも、活火山とマグマを使うのはあぶないし、沼の水とはわけが違う……と言いたいが、仕掛け人はあのリリィーナ教官だ。
僕らはフリークライミングの壁から落ちてもアリアドネ・フローラのスパイダーネットのおかげで平気だった。でも、たとえ水深が1メートルでも、水中に落ち込めば溺れる危険はあったんだ。
「野原でグリフォンだろ、モグラの落とし穴に大雨と大洪水で、その次は沼でカエルまみれ……」
僕は数え上げているうちに、ふと、思い付いた。
「カエルは水の中で『水』だろ、モグラは土中で、つまり『地』だ。グリフォンには翼があった。飛んだところは見ていないけど、空を飛ぶ翼を持つ幻獣は『風』の象徴と言えないかな。これは地水火風の四大元素の3つじゃないか?」
僕の推理に「あー、なるほど」とアイルズとカイルがうなずく。
このウィザードアスレチックは、地水火風の四大元素に倣って創造されたんだ。
その象徴的存在が、小さなグリフォンやモグラやカエル。各々のフィールドで使われていた魔法は、僕らが学んでいる精霊魔法の基本的な技の応用だ。
だからリリィーナ教官は『魔法使いのアスレチック』なんてネーミングを付けた。ウィザードは魔法使いのこと、魔法使いは僕ら自身を指す言葉なんだ。
アイルズとカイルは察しが早かった。
「とすると、次にくるのは火で間違いないわけだ。まだ出ていないからな」
と、アイルズ。
「もうひとつ、ここが魔法使いのためのアスレチックフィールドなら、俺らも精霊魔法を使ってかまわないって、ことだよな」
カイルもニヤリと笑う。
この世界を構築する四大元素の地水火風、そのそれぞれを司る四大精霊の力を借りる精霊魔法。僕らは、ここまで魔法無しで遊具の障害物をクリアしてきた。
リリィーナ教官はこの競技で魔法を使ってはいけない、とは言わなかった。
各遊具の看板の説明書きにも、魔法の行使は禁止とは書かれていなかった。
つまり、クリアするために魔法を使っても良い、と解釈してもいいわけだ。
「もうすぐ頂上だけど、この熱気をなんとかするとか?」
カイルが、クイ、と顎をしゃくった。
アイルズも僕を見る。
「火には水だ、単純に水で冷やしてみるってのは?」
「それいこう、水!」
僕は空中にバスケットボール大の水の塊を作り出し、前方の壁にぶつけた。水の球は壁に触れるや否やジュッと音を立て、水蒸気と化した。文字通り焼け石に水だ。辺りにはもうもうたる湯気がたちこめ、よけいに暑くなった。
「こりゃだめだ、余計なことはせずに進もう」
もしも僕らに魔法の護りが掛けられていなければ、ローストチキンのようにこんがり焼けたんじゃないかと思う熱気の中を、懸命に歩いていく。
「頂上だ!」
円形広場の中央に、頂上の印の赤い三角旗が立てられて……。
なぜに、ユラユラ揺れているのだろう。
赤い三角旗の下へ視線を移動させれば、その土台は、真っ赤で長い……何かの頭。右を向いているその顔は、馬には似ていないが馬みたいに長く、鹿のような角が生えていた。揺れているのは、呼吸の度に頭と体全体が上下するからだ。爬虫類ぽい鱗の皮膚も赤い。左の壁際に向けられた背中には、真紅の布の塊みたいなものが付いている。きっとたたまれた翼だ。
あれ、ドラゴンだよな……。
僕らは声も無くうなずき合った。もしかしたら生徒のために特別に用意された、シャーキスみたいな魔法のぬいぐるみ妖精かと希望的観測を持つが、それにしては大きすぎる。
鱗や顔の生物ぽさが半端なくリアルだ。布製品には見えない。
赤いドラゴンの巨体はこの岩石城の頂上面積の3分の1を占領している。
頂上の円形広場は直径10メートルくらいだから、狭い道に2トントラックが駐車しているようなものだ。障害物がドラゴンかよ……。
眠れるドラゴンの顎の下に重ねられた手の爪は、銀色の槍の穂先のよう。僕の拳が入りそうな鼻の穴から、ブフォーッブフォーッ、と吐かれる息と共に、炎が噴き出され、反対側の壁まで届いて道を遮る。
――あかん、通れない。
そういえば地球で、これと似た経験をしたな。遅刻しそうな朝、家を出た時間がいつもとズレたせいで開かずの踏切に引っ掛かってしまった。
あの時は、踏み切りが永遠に開かないような気分になったっけ……。
「くそ、ルートは……あ、あっちか!?」
右前方、ドラゴンの炎の息が届かない場所に、大きなルート案内の←を描いた看板があった。
『安全な回り道はこっち←ゴールまで10キロ。ドラゴンは起きないよ』
10キロって、岩石城の全長より長いんじゃないか!?
「おい、サー・トール、あれを見ろ」
カイルの指差すドラゴンのお尻の方、長いトゲトゲ尻尾の向こう側にも看板が!
『ここが近道。↓扉をくぐればゴールまでたった2区間! でも、ドラゴンが起きちゃうからね』
影時計は残り4分。回り道をしていたら、陽が暮れるまでにキャンプに帰ることもできなくなる。
「近道を選ぶしか選択肢がないじゃないかよッ」
僕の見たところ、近道までのルートを塞いで寝そべるドラゴンの尻尾は壁から50センチほど離れている。炎の息を交わして向こう側へ行き、壁にぴったり沿って進めば、ドラゴンに触らずに行けそうだ。というより、そうやってギリギリで行けるようにされているのだろう。
だが、炎の息が怖くて進めない。……いや、待てよ。
「炎の息が出るのは、息が吐かれた時だから、息を吸い込んでいる間、炎は出ない。その時を狙えば、通り抜けられる!」
空中に炎があるのは、ゴオッ、と鼻息が吹き出している間だけ。炎熱の影響範囲は前後一メートルくらいだ。その距離さえ突破すれば、近道へ行ける。
壁のどこかにドラゴンをどうにかする仕掛けがあるのでは?と、周囲の壁を調べていたアイルズとカイルは僕の提案に驚いたようだが、同意してくれた。
僕はドラゴンの呼吸するタイミングを計った。巨大な生き物の呼吸リズムは、人間に比べればとてもゆっくりだ。
1……2……で長ーく吸って、3、で吐いている。影時計で秒数を計ったら、吸って吐くまでが2.5秒、炎の息が吹き出されている時間は1秒足らずだった。
よし、いける!
剣道の対戦で相手の動きを見切るのに比べれば、一定間隔だから読みやすいんだ。
チャンスは、炎の息が吐かれた一瞬後にダッシュすること。そして1秒以内に、ドラゴンの顔の前を駆け抜けることだ。
ともなう危険については、僕らには魔法の護りがあるから、万が一炎の息に触れても火傷はしないと思う。ひょっとしたら、煤で真っ黒けくらいにはされるかもしれないけどね。
「僕が走るタイミングをよく見ておいてくれ」
僕が1番で走り、アイルズが次だ。カイルには僕とアイルズのタイミングをよく見てもらってから、3番目に挑戦してもらう。
僕はスタートダッシュの構えをした。
アイルズとカイルは息を詰めて見守っている。
炎の息を吐き終えたドラゴンが息を吸い込む「1」。
息を呑み込んだ、「2」。
「3」の「さ」で吐き出されたオレンジ色の炎が真横にまっすぐ延び、「ん」のタイミングで途切れる瞬間、ダッシュ!
背中に炎の熱を感じたとき、僕は、ドラゴンの長いトゲトゲ尻尾をまたいで、近道の入口横の壁に両手を付いていた。
ほどなく、アイルズとカイルも無事にドラゴンの前を通り抜けてきた!
僕らは無言で目を交わし、やっと近道へ……あれ?
スイングドアが、開かない。
「嘘だろ、鍵付きなんて!?」
よく見ると、扉の右側に←と文章が書いてある。
『鍵はドラゴンからもらってね。鼻の穴の中にあるよ』
「だああああああッッッ、なんだよ、それッ!!!」
スイングドアは僕らの胸から膝くらいまでの小さなドアだから、上を乗り越えるか下の隙間をくぐり抜けるのもできそうだが、それをしたら間違いなくマイナス点だろう。近道への選択だけでもこんなにひねくれているんだ、どのくらいマイナスになるのか怖くて想像できない。
「ちくしょー、どうやって炎を噴き出す鼻の穴から鍵を取れっていうんだよ」
僕が開かないスイングドアと格闘していると、背後でアイルズが「サー・トールッ」と叫び、カイルは「うお!?」と押し殺した悲鳴を上げたのちに、2人とも黙り込んだ。
何が起こった!? タイムオーバーか? あと何分だ?
床を見下ろせば、僕の影はより大きな影に呑み込まれていて、影時計が見分けられない。考えるのは後回しだ。体を反転させた、すると……。
ドラゴンが立ち上がって、僕らを見下ろしている。
太陽を背にしたその巨体は赤い火星の色。その目は燃え盛る黄金の炎の色で、瞳の瞳孔は三日月さながら縦に細長い。体を覆う赤い鱗の1枚1枚は大人の手の平よりも大きく、中心に星を宿した真紅のルビーのように煌めいている。
僕らは動けなかった。
ドラゴンも静止している。
僕はゴクリと唾を呑み込んだ。まさか、これを倒すのが岩石城クリアの条件じゃないだろうな。
ドラゴンと視線が合った。穏やかで深い眼差しだ。これは知恵ある者の眼ではないか?
ドラゴンが息を吸い込んだ。フアァ……、と口を大きく開ける。
――クシュンッ。
かわいいクシャミだった。
ドラゴンの左の鼻の穴から、何かが勢い良く飛び出した。
ポトン。
床に落ちたのは、丸い輪付きの鍵だ。
ドラゴンは左の口元を指先でポリポリ掻くと、プイッと顔を背けた。
真紅の翼で羽ばたくと、不思議にも風は起こらず、ドラゴンは空へ飛び去った。
ドラゴンが居なくなると、サウナのような蒸し暑さはたちまち引いていった。
僕らはしばらく空を見上げていた。
――コポコポコポ……。
急に、水が湧き出る音が耳についた。
ドラゴンが寝ていた場所に丸い窪みがあって、中央の穴から水が噴き上がっている。今までドラゴンのお腹でせき止められていたのだろう。窪みの縁には『水飲み場』と刻まれていた。窪みに満ち溢れた水は、通路へ流れていく。
水の噴き上げは1メートルくらいあるので、僕らは順番に水を飲み、顔を洗った。水は雪解け水のように冷たく、顔を洗うと一気に涼しくなった。
「急ごう、あと少しでゴールだ」
夏だから、日暮れは遅い。だが、空は黄昏れてきた。
影時計は……7時30分だ。
僕らはゴールまでの2区間を駆け降りた。
僕らはスタート地点の野原に戻ってきた。
ゴールには、誰もいなかった。
夕食の時間はとうに過ぎた。
天空には1番星が輝いている。
僕らは草の上へ後ろ向きで、倒れた。
「ドン尻だよな」
僕。
「違いねぇや」
カイル。
「でも、これで攻略方法はわかったんだ。明日からは毎日、トップでゴールしてやるさ」
アイルズ。
むせかえる夏草の匂いに包まれながら大の字になった僕らは、今日1日の出来事を、大声で笑い飛ばした。
誰が呼んだか、僕らのテント村は『キャンプ・ティピー』と名付けられた。
朝食後1時間はフレミング教官の講義で境海サバイバル教本の知識を学び、15分休憩のち軽く準備運動してから、ウィザードアスレチックにチャレンジする。
グリフォンヶ原をミニ・グリフォンよりも速く駆け抜ける。
土の竜ヶ原では毎日の訓練のかいあって匍匐前進のスピードは徐々に速くなり、5日めには、モグラが出てくる前に半分以上の距離を進めるようなった。失敗して、霧が水になって落ちてきたら、迷わず全力疾走だ。モグラの穴を避けるコース取りのコツもしっかり覚えた。
フリークライミングでは、保安係の蜘蛛型ぬいぐるみ妖精アリアドネ・フローラと友情を結び、雑談を交わす余裕さえできた。アリアドネ・フローラは手を上げて合図を返すだけだけど。
崖の上の昼食では、他の生徒数人と顔を合わせるようになった。お互い食べるのに忙しいのでお喋りはしないが、競技中に姿は見えなくても、みんなが同じ時間帯に同じ遊具にチャレンジしているのだと確信できて嬉しかった。
ロープ橋渡りではカエルに邪魔されようとも冷静に振り切り、岩石城では赤いドラゴンとの駆け引きに磨きをかけた。
精霊魔法で寝ているドラゴンの近くに水球を出現させたり、拾ってきた枝を伸ばして炎の息で火を付けてみたり、いろいろやってみた。ドラゴンはそのたびに薄目を開け、呆れたような鼻息と共に鍵を落としてから飛び去る。
「いっそのこと、普通に起きてくれないかな?」
それは僕の独り言だったのだが……。
ドラゴンはパッチリ、目を開けてくれた。
僕らはドラゴンへ起きてくれるように声を掛け、鍵を出して欲しいとお願いするだけで良かったのだ。
僕らは近道を駆け抜け、朝の集合場所の野原に戻った。
ウィザードアスレチックが始まってから、13日目。
僕らはすべての遊具を制限時間内にクリアして、スタート兼ゴールである野原へ夕方前に戻ってきた。後ろから他のグループも、ポツリポツリ戻ってきた。
CSTが終わる直前のこの日は、キャンプ・ティピーに戻っても誰もいなかった。僕らは初めて、トップでゴールインできたと喜びあった。
「おはようございます、鍵をください」
最終日の岩石城で、僕らはドラゴンに丁寧に話しかけた。大きくて貫禄あるドラゴンだから、きっと僕らより年上だろうと推測したのだ。
ドラゴンが目を開けたら、炎の息は止まる。それから、ふんっ、と、炎の無い鼻息を吹いて鍵を落としてくれる。
僕は鍵を拾った。これも今日で最後。
「ありがとうございました!」
僕らは礼儀正しく頭を下げて、近道へ進んだ。
ゴールの野原が見えてくる。
これでウィザードアスレチックは終わり、あと少しでCSTのキャンプも終了だ。明日にはローズマリーに会える。
僕の足は自然と速くなった。
「あ、あれはッ!?」
カイルが空を指差した。僕らの中ではカイルがいちばん目敏いようだ。
空の彼方から、赤い輝きが降りてくる。
真紅の翼を持ったドラゴンは、野原に舞い降りた。そこで待っていた人物の側に寄っていく。
リリィーナ教官だ。右手に持った銀の剣の切っ先は地面に向けられていた。
「おかえり。君達が最後だよ」
僕らに笑いかけるリリィーナ教官の左肩に、ドラゴンは長い顎先をのっけた。もしかして、リリィーナ教官に懐いている?
「君達は優等生すぎてつまらないな。けっきょく夜間の脱走も1度だけだったし」
良い子だと褒められているのか根性が無いと貶されているのか、よくわからない感想だ。
「あの、そのドラゴンは?……」
リリィーナ教官が飼い主なのかな。ドラゴンがペットなんて、リリィーナ教官なら自分で捕まえてきて飼いならしそうだから、おかしいとは思わないけどね。
「彼はサラマンドゥラ。火蜥蜴の王だ。このアスレチックコースを楽しくするために協力してもらったんだよ」
リリィーナ教官の左肩に顎をのせたサラマンドゥラは、細めていた目を大きく開けた。燃え盛る黄金の炎色した目に、僕らの姿が映されている。
「ウィザードアスレチックが終了したから迎えに来たんだ。預かりもののサラマンダーを野放しにするわけにはいかないからね」
リリィーナ教官は右手の剣の柄を、胸の高さに持ち上げた。
剣の柄頭に嵌め込まれている透明な石がキラリと光るや、ドラゴンはたちまち一条の赤い煙と化して、その石に吸い込まれてしまった。透明だった石は赤く染まった。流動する赤い炎が閉じ込められている。それは煌めく火星の色、サラマンダーの色だった。
「さて、これでCSTはすべて終了だ。ウィザードアスレチックは君達が優勝した。他の順位と賞品の受け渡しについては、夏休み最終日に発表する。今日はコテージに戻ってゆっくり休息したまえ。優勝祝いのご馳走が待っているぞ」
リリィーナ教官の言葉を、僕らは素直に信じられなかった。
「あのー、僕達は、ずっとドン尻だったんですけど……」
制限時間内にクリアできたのは数回だけだと説明しようとしたが、リリィーナ教官は僕らを制して言った。
「ラストまで完走したのは君達だけだ。ほかの者は全員、一度以上、棄権した」
僕らは驚愕の顔を見合わせてから、もう一度リリィーナ教官に注目した。
「しかし、僕らより先に崖の上に到着して昼ご飯を食べたり、キャンプに戻っていた生徒もいたでしょう?」
アイルズが尋ねると、リリィーナ教官は軽く肩を竦めた。
「いろいろ仕掛けておいたからね、どうしてもクリアできない生徒が出ることも想定済だった。お昼ご飯は食べさせないといけないし、コースアウトや、途中で動けなくなったり助けを求めた時点で、すぐにわたし達が迎えに行ったよ。初日に岩石城でサラマンドゥラを見ても救助を求めず、ゴールまで自力で辿り着いたのは、君達だけだ」
てっきり最下位だと思っていたのに……。驚きすぎたせいか、嬉しいとかのわかりやすい感情が湧いてこない。僕らは言葉も無く立ち尽くした。
「すでに谷は閉じた。君達で最後だ、このまま歩いてコテージまで帰りたまえ」
リリィーナ教官の姿が、フッと消えた。魔法で転移したのだと知識で解ったが、教官が魔法で転移するところを実際に見たのは、これが初めてだった。
こうして僕らのCSTこと、2週間の真の野外キャンプ実習は、無事終了したのである。




