(三)僕らの夏と野外キャンプの二週間
魔法大学付属学院が略して『魔法学園』と呼ばれるのは、魔法使い専門の養成所だからである。
そこが主催する『野外レクリエーション研修』という名称を耳にしたとき、いったい何人が、その正確な内容を察することができただろう。
本来なら、全員参加のゲームかキャンプファイヤーでしか集まらない広場へ。
本当なら、女子と合同のピクニックに出発していたこの時刻に。
僕らは、今朝早く配給された濃い緑色のツナギに着替え、整列させられた。
なんの因果か、僕は最前列だ。
カイルとアイルズも僕の左右にいる。
広場の北側には先生方がズラリ並び、その前にはジャガイモの空木箱が一つ。
先生方の列から見知らぬ教官が出て来て、ジャガイモの空木箱に登った。
濃い金髪碧眼の、紳士然とした風貌だ。肩幅や胸板は厚く、明らかに鍛えたとわかるその体躯に森林迷彩色の戦闘服がよく似合う。見知らぬ教官は、トレーニングメニューの説明を始めた。
「では本日より、野外サバイバル訓練を行う。今日から二週間、君達にはこのコテージから少し離れた訓練場でテント生活を体験してもらう。今日のトレーニングは軽くロードランニングからだ」
堂々と大声をはりあげる態度は、現場で陣頭指揮を取る指揮官のようだ。
それにしても、なぜ学生の僕らが夏休みなのに、朝から軍隊に入隊したての新兵よろしく、強面の教官から訓示を聞かされなければならないのか。
その答を知る生徒は、ここにはいない。
僕の背後で、生徒達のざわめきが大きくなっていく。
あれ、ポール教授じゃないよな。
ちょっと似ているけど、ポール教授はあっちに立っているよ。
じゃあ、誰だろう。
最初に自己紹介していたけど、よく聞こえなかったな……。
「あの人は、フレミング教官だ」
僕の左側で、カイルが小声で喋った。それを右隣にいるアイルズに、僕は囁き声で伝えた。
「予備役の局員らしいぜ。第一線は退いたが、ベテランとして局の仕事を続けているそうだ。リリィーナ教官と同じだな。生徒のいる間だけ、先生をやるらしい」
さすが、カイルはクラス一の情報通だ。カイルは続けた。
「出身世界は地球、ポール教授の同郷だ。局に入る前は軍人で、最終階級は大佐。それ以上は俺の叔父さんも知らないそうだ。だいたいにおいて、スカウトされてきた中途採用の局員は、局内でもあまりプロフィールを公開しないらしい」
カイルの情報源は、主に多次元編集局勤めの叔父さんだ。
親戚が現役局員にいると便利だな。
「それを聞いてきたってことは、カイルは夏休み前から、フレミング教官が野外研修の指導教官になるのを知っていたのか?」
僕はボソボソと訊ねた。口をあまり動かさないで喋るのは難しい。
「いや、野外研修に予備役の局員が協力するという話を聞いただけだ。特にフレミング教官のことを調べたわけじゃない」
「フレミング教官はどこの所属だ? 万能捜査課じゃないな」
最近、僕は局員の知り合いが増えている。その多くは、リリィーナ教官がかつて所属していた万能捜査課、略して『万課』の方々である。
放課後、廊下を歩いているとリリィーナ教官に偶然会うのは、よくあることだろう。
あるいは喫茶エクメーネでローズマリーとお茶をしている時、リリィーナ教官も、たまたまコーヒーブレイクに来るとか。
その時なぜか、局員という人も一緒にいて、紹介されるのだ。その人数はすでに二桁を越えた。
学校関係者はほとんど局員だし、喫茶エクメーネは局員行き付けの店だから会っても不思議ではない。でも、アイルズやカイルが行く時は局員と遭遇しないらしいから、奇妙な偶然もあるものだ。
そんな僕も、フレミング教官を見るのは今日が初めてだ。
フレミング教官は一日の訓練メニューの説明を終えると、ニヤリとした。こんなときに嬉しそうな笑顔を浮かべるなんて、まるで何か企んでいるときのリリィーナ教官みたいで怖いな。
「というわけで、この二週間は、諸君らの体力の向上と、境海世界で万が一、自然の脅威にさらされた場合、生き延びるために必要な技能を授けることを目的とした、コンバットサバイバル訓練(CST)である。これから15分の休憩後、ここへ集合、のち、訓練フィールドへ移動する。では、解散!」
フレミング教官が木箱から降りた。
それを合図に、並んでいた先生方も解散していく。
広場に取り残された僕らは、いっせいに「え?」と小さく驚いた。
唖然とした瞬間が過ぎると、皆が困惑を露わに騒ぎ出した。
「おい、今の、最後の訓練名だけ、なんか違ってなかったか?」
「誰だよ、野外研修は屋外でテント張って、バーベキューするだけって言ってたヤツは」
「おい、聞いたか、この訓練はサー・トールがリリィーナ教官に頼んだらしいぜ」
「サー・トールの発案でリリィーナ教官が企画したんだろ」
「サー・トールはこの訓練内容を知ってたんだな」
「サー・トールの希望で訓練内容が決まったのか」
サー・トールが……。サー・トールの……。サー・トールに……。
僕は総毛立った。
今、僕の背中には、苛烈な視線の集中砲火が浴びせられている。
リリィーナ教官が「男子生徒だけで野外キャンプをしたら暴動が起きるかも」といっていたのは、あながち的外れじゃなさそうだ。
「なあ、これって、僕が危険な立場になっていないか」
「ああ、たしかにまずい状況だ」
カイルとアイルズがうなずく。二人は、僕がリリィーナ教官とウサギの話をした事情を知っているから非難はしないが、眉間に縦皺をよせている。
「振り向かない方がいい。僕達の後ろに残っているのは、あのお茶会で、サー・トールが参加するから女子を紹介してもらえるという、歪んだ噂に騙されたやつばかりだ」
アイルズ曰く、参加者は全男子生徒の三分の二。そのほとんどは、ローズマリーと親しい僕を通じ、家政学課の女子を個人的に紹介してもらおうと下心のあるやつだという。
カイルが、ハハッ、と乾いた笑い声を上げた。
「朝食前にヒルダおばさんから聞いたんだが、野外キャンプに不参加の男子生徒は、自主課題やら体調管理の問題やらが、野外キャンプのカリキュラムにどうしても合わないから、参加を免除になったそうだ。彼らの今日の予定は、女子も含めてピクニックに行くらしい。つまり、ここにいてお前を逆恨みしているのは、あのお茶会であぶれたうえに、ピクニックにまで行きそこなった、ものすごく不運なやつらということだな。俺達も含めてさ」
カイルが自虐的な笑みを浮かべ肩をすくめた、その時だった。
「おい、サー・トール」
ふいに僕の右肩を掴んだのは、同じクラスのスミスくん(16歳、第ゼロ次元から程近い国の出身)だ。いつもは垂れ目が優しいハンサムな彼が目を吊り上げ、鬼のような形相で僕を睨んでいた。
「なあ、オレ達が今日のピクニックに行けなかったのは、お前のせいだってな」
スミスくんの背後には、彼と同じ疑問を抱えた大勢の男子生徒が、殺気のこもる目で僕らのやりとりに注目している。
僕はうろたえた。
朝食後、ここへ整列させられたのは皆と同じなのだ。
今朝起きたら部屋に訓練服が置いてあり、それを着るようメモが付いていた。
この野外キャンプがCSTに変更した経緯を知らなかったのも皆と同じなんだが……。
僕の肩を掴むスミスくんの手が震えた。
「この前のお茶会のせいで、数少ない女子の半分がカップルになったんだぞ。しかし、まだ残り半分はフリー! サー・トールに付いていけば女子と話す機会が増えると聞いていたのに、今日はピクニックじゃなくてコンバットサバイバルトレーニングってのは、どういうことだ!?」
怒っているポイントはそこかよ。
「い、いや、まさかこんなことになるとは……」
僕こそ、それを聞きたい。リリィーナ教官に指導を頼んだのは事実。だが、訓練内容なんて知らなかった。ウサギ料理の作り方を教えてもらう話が、どうひねくれたらここまで変更になるのか、さっぱりわからないッ!
リリィーナ教官を捕まえて事情説明してもらうのが一番早いのだろうが、あのリリィーナ教官のことだ、「サー・トールに頼まれた」と事実のみを述べるだろう。
嘘つけ、いや本当に知らない、そんなわけないだろう、僕もここで聞かされたんだ、本当かよ?……という埒が明かない言い合いをしている間に、15分の休憩は終わってしまった。
フレミング教官が戻ってきた。
僕らはフレミング教官の号令一下、駆け足でフレミング教官に従った。
僕とスミスくん達の間には、イヤな誤解が残った。
湖の岸辺を北へ十分ほどランニングした僕らは、キャンプ場のコテージを見下ろせる対岸の高台に到着した。
ローズマリーの居るコテージから遠くなった。今日からは厳しい教官の監視下で、二週間のキャンプ生活か……。
平坦な広い野原だ。湖の岸辺からは百メートルくらい離れている。僕らがテントを張る予定地の夏の青草は、刈られて短かかった。およそ十メートルおきにテント用具が置いてある。
まず、やらされたのは三人一組みでのトイレ作りだ。
風向きや地形を考慮し、テントから適度に離れ、しかも遠すぎない場所にしなくてはならない。
フレミング教官に指示されたのは、テントを張る場所から後ろへ五メートルほど離れた所だ。
そこの草は刈られておらず、僕らの胸くらいまである草丈がそのまま目隠しになる。
トイレットペーパーは近くでフレミング教官の指導に従って採取した大きな葉っぱをストックしておく。
お菓子等の持ち込みは禁止。
生徒がポケットに隠し持っていたチョコレートやキャンディは見つかって没収された。
トイレを作り終えた僕らは昼食を取り、今度はティピー型のテント張りに取り掛かった。
ティピー型テントは、3本の支柱を三角形に組んだ上に、半円形の防水布を被せて組み上げる簡易住居だ。いちばんに支柱を立てる場所の地面をきれいに掃除した。石や草の根っこを取り除き、い草を編んだ敷物を敷く。
フレミング教官の丁寧な指導で、全員が夜の寝床を確保した。
午後6時。夕食が済むと、自分達で片付けをした。
午後7時になった。空はまだ明るい。
僕らはティピーの中で休憩していた。
小さなランタンにロウソクを点し、車座になった真ん中に置く。
こんな状況下だと、魔法使いなら魔法の灯りを使えば良いと思うだろうが、何も無い処に一定の明るさを作り出すにはそれ相応の魔力が要る。技術と、持久力も必要だ。あいにく新米魔法使いの僕らは、そのどちらも無い。
僕らはランタンの黄色い光に照らされながら、各々の寝袋の上に座っていた。
明日のために、ここに来てから支給された手帳サイズの『境海サバイバル教本』をめくって予習する。木を使っての火起こし方法、飲める水の探し方。方角を知るための、境海世界の星座の見つけ方。内容はけっこう面白いけど、全然頭にはいらない。
なぜなら、
――グウウ~ッ。
大きな鳴き声の正体は、僕の腹の虫だ。こいつが騒がしくて集中できないのだ。
「腹減ったな」
僕が呟けば、呼応するように、アイルズとカイルのお腹が、グウッと鳴いた。
「腹減った」
「なんか食いたい」
アイルズとカイルも出てくる言葉は一つだ。
昼食はハムとタマゴとトマトのサンドイッチ、夕食はワンディッシュメニューだった。
コッペパンみたいなパン二つにハムとソーセージ、ホウレンソウのキッシュパイ。
デザート代わりのチョコバー2本。
飲み物は、薪の火で沸かしたお湯で淹れた紅茶。
必要な薪は、森の中で15分ほどかかって集めた。
昨夜の夕食とのあまりの違いに、脳が幸せだった昨日の記憶を自動再生する。
たっぷり肉の入ったウサギのシチューはお代わり自由だった。
焼きたてパンとデザートのブドウと桃も食べ放題だった。
どうしてもっと食べなかったのだろうと、心の底から後悔する。
そして、余計に腹が減るという悪循環に、僕らは陥っていた。
「こんなの、夏休みの野外キャンプじゃない……」
アイルズは、知り合ってから初めて見るうつろな目になっていた。
夏休みの課題にフェンシングを申請しているアイルズは早朝五時からの練習で疲れている。彼の気持ちはよくわかる。僕も今なら、大盛りラーメン三杯にどんぶり飯二杯くらいは軽く完食できそうな気分だ。
「今日はエリカとピクニックに行くはずだったのに……」
アイルズが深い溜め息をついた。
「そうだよな、今日はピクニックだったんだ」
カイルも、あーあ、と残念そうだ。
「それは僕だって……」
今日はローズマリーとピクニックに……くそっ。僕は途中で唇を噛んだ。
僕だけは半分自業自得かもしれない。
でもまさか、ピクニックや野外研修の楽しいアレコレが全部潰れてCSTになるなんて夢にも思っていなかったよ。
「なあ、ここには食えるものなんて、ないよな」
カイルがティピーの中を見回した。寝袋の他に支給されたのは2リットル入りの水のペットボトルが1人2本。それもすでに全部飲んでしまった。
外には水飲み場もあるけど、水ばかり飲みたくない。
今朝まで居たコテージには、湯沸かし器と紅茶を淹れるティーセット一式があった。
お菓子ポットにはクッキーやビスケットが詰められていた。
こことは天国と地獄の差だ。
僕はティピーの真上に開いている煙出しの窓から、夜空を確認した。
空はまだ薄蒼い。就寝時刻の午後10時まではフリータイムだ。
「何か探しに行くか……コテージへ!」
こっそりコテージの自分の部屋に入り、常備してあるお菓子を食べてから、ここへ帰ってくる……簡単な計画に思えた。
走って10分の距離だし、道は一本道だ。
僕らは黙ってうなずきあった。
静かにランタンの火を消し、マッチをズボンの左ポケットに入れた。火の消えたランタンは左手で持つ。外の月は明るいが、懐中電灯みたいな便利な道具がないから、念のためだ。
ティピーの入口から顔を出して辺りを確認した。
教官による見回りや、見張られているという気配はしない。
蒼灰色の夜空には月と星が昇っている。半分に膨らんだ月は黄金色に輝き、草地の小石まではっきり見えた。
抜け出したのは、僕らだけではなかった。ゆるやかな丘をくだる途中で、2人3人と合流してくる。
僕の隣へ、スミスくんが走ってきた。
「腹減りか」
「ああ」
スミスくんは、真剣な目で僕を見返した。
お互い、短い会話で事足りた。
僕らは同志だった。
コテージに戻って食料を手に入れるという極秘ミッションを遂行する、敵地を駆け抜ける戦闘部隊だ。
やがて数十人の集団となった僕らは黙々と走りつづけた。野外キャンプメンバーの半分は来ていただろう。左手にランタンを持った僕は、先陣を切っていた。
もうすぐゆるやかな下り坂が終わる。コテージのあるキャンプ場の敷地に入るはずだ、と思った次の瞬間。
いきなり足下が真っ暗になった。
「うわあッ!」
急に足を止めた僕はつんのめり、前に転ぶまいとして、後ろにひっくり返った。
先頭の僕がバンザイして倒れたので、後続の皆が驚いてその場に止まる。
どうした、だいじょうぶか、と声を掛けられたが、僕は返事が出来なかった。
前に投げだした僕の両足首から先は、漆黒と化した地面に沈んでいたのだ。
一瞬にして、口の中が緊張でカラカラになる。
僕は右手を付いた地面を見た。普通の地面だ。草も石も見える。
「おい、サー・トール、どうしたんだ?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
カイルが手を貸してくれたが、僕はすぐには立てなかった。
僕は、ゆっくりと膝を曲げて、足を引き戻した。
よかった、スニーカーも何ともない。
後で確認したことだが、僕同様に地面が漆黒に見えていたのは、魔法学が得意な、ごく少数の者だけだった。地面には魔法によって何かがされていたのだ。見え方の違いは、各々の魔法の才能によるものらしかった。
僕がようやく立ったとき、突然、皆が騒ぎ出した。
「ここはどこだッ!?」
「なんだよ、これ、どうなっているんだッ?」
いけない、パニックになりそうだ!
僕は慌ててポケットからマッチを出して、ランタンに火を点した。先生に見つかるのが怖いなんて言っている場合じゃない。
ランタンで地面を照らすと、柔らかな黄色い光に染まるように、地面から黒い闇が引いていった。
すぐ前は、崖だった。
僕が足を投げ出していた先から向こうの地面が、失われている。向こう側まで10メートル以上は離れている。下を覗けば深い谷。真っ暗闇だ。落ちたら一巻の終わりだろう。
コテージへ戻る道は、地面ごと断ち切られていたのである。




