(一)汝、万全を期してお茶会を準備せよ
「これでカップは人数分揃っている、と」
わたしは朝から何度も数え直したティーカップを、もう一度数えた。
テーブルセッティングには自信がある。
だって、修道院で暮らしていた頃は毎日やっていたもの。
わたしは『花の聖母』修道院で育った『花の子』だ。修道院の庭に咲く、月光花から生まれた花の精霊の申し子である。出生がちょっと変わっているけれど、わたし自身は普通の女の子だ。
花の聖母修道院では、収入源として、お菓子やワインを生産販売している。花の聖母修道院印の生産品は、品質と信頼性が高く、境海を越えた遠い国から外国人貿易商も買い付けに来るほどだ。その接待で、院長のお茶会は連日のように催されることがある。
お茶会と一口に言っても、さまざまだ。午前と午後と夕方では、供されるメニューが違う。
そして、今回のお茶会のコンセプトは『学びの庭でお茶会を』。
主催は、わたし、ローズマリー・ブルー。家政学の権威たる偉大なポピィ教授の指導のもと、今日のメニューを考えたのだ。
うん、完璧なお茶会の計画だわ。
あとはお菓子が揃えば、申し分なし。
キッチンスペースの方から、焼けたわよー、とエリカの声がした。
「パウンドケーキ3本、ティーブレッド3本は、型から出して。あと、オーツビスケットが冷めてるからお皿に並べて。お土産用のクッキーは、袋づめにしてちょうだいね」
家政学課一番の優等生は、作業の手を止めることなくてきぱきと指示を下す。さすがはエリカだ、持つべきものは料理上手な親友よね。
「はーい。あ、シュークリームは?」
わたしは大皿にオーツビスケットを並べながら、エリカに訊ねた。
「あとはシューの皮が冷めたら詰めるだけよ。そっちのマカルーンも冷めてるでしょ。お皿に移し替えてね。それと、洗い物を頼んでもいいかしら?」
エリカの指示で、作業は次々と片付いていく。
おまけにマカルーンだ。シュークリームのカスタードを作るのに、大量のタマゴの黄身を使ったら、白身が残った。その白身とアーモンド粉を使ってマカルーン・クッキーを作るなんて天才だわ!
「まかせてちょうだい。洗い物は得意よ」
わたしは腕まくりをして、流し場へ向かった。
お料理は超がつくほど苦手だけど、それ以外の台所仕事は長年みっちりやってきた。
とくに洗い物は、得意中の得意といっても過言ではない。熱いお湯を使って洗うのでも火は使わないから爆発事故も起こらないし。
もっともここには、火の精霊サラマンダーはいないけど。
キッチンテーブルの上には完成したスコーンやタルト、クッキーにパイが三種類にケーキが五種類、所狭しと並べてある。
サンドイッチ用のパンは昨日のうちに焼いてあった。具はトマトとハムだ。トマトは水分が多いから、パーティが始まる直前に仕上げる。
サンドイッチ用パンにバターを塗るのはパンが具の水分でふやけないようにする防水対策だけど、エリカはやたらと「ヘルシー」に拘り、今日の調理ではバターの使用を、極力控えめにしていた。
ハムも美味しいけど、ローストビーフのサンドイッチが作れないのは、本当に残念だ。やっぱり、ローストチキンとハムの丸焼きも出したかった。予算の都合じゃ仕方ないけど。
わたしは溜め息を吐いた。
「食べ盛りの乙女十四人に、男子が十四人集うパーティーなのよ。これでもまだ足りないんじゃかしら。やっぱりタマゴのサンドイッチを、あと三十人前くらい用意しない? タマゴなら予算内で使え……」
ブシュッ、と、ものすごい破裂音がした。
キッチンカウンターで、スポンジケーキにバタークリームのデコレーションをしていたエリカが、バタークリームまみれになっている。
「だいじょうぶ? 絞り出し袋が爆発したのね」
わたしが修道院に居た頃は、薪を燃やして使うカマドで似たような爆発事故が頻発したものだ。近代的な業務用オーブンには、花の精霊の申し子であるわたしと相性の悪い、意地悪な火の精霊サラマンダーも住んではいないはず……。
「いえ、バタークリームは爆発しないしッ。あなたが三十人前なんて恐ろしいことを言うからよ、いったい、どれだけ食べる気なの?」
エリカは両手で握りしめていたパックリ裂けた絞り出し袋を、テーブルに置いた。キッチンタオルで顔を拭きながら、わたしを睨む。バタークリームは、緑色のエプロンはもちろん、ふわふわの黒い巻き毛にまで跳ね飛んでいた。
ここまで汚れたら、シャワーを浴びた方が早いんじゃないかしら……。
「でも、お腹を空かした男子が十四人来たら、そのくらい必要だとは思わない?」
わたしは熱めのお湯ですすいだボールを、水切りカゴに置いた。ケーキ作りに使用した道具を、リネンの布巾で水気を拭き取っていく。拭きにくい凸凹なクッキー型は、大きなザルに入れて自然乾燥だ。
ちなみに、クッキーは二種類、五百個作った。
これだけあれば、先生方へ貢ぎ物に持っていく分も、充分だろう。
「ぜんぜん思わないわね」
エリカは冷たく言い放つ。
「そうかしら。だって、悟くんは、わたしの作ったサンドイッチ5人前をペロリと食べちゃったのよ」
悟くんは教養学課の男子だけど、わたしの大切なお友だちだ。この魔法大学付属学院に編入した日が、奇しくもわたしと同じだった縁で知り合った。
「悟くんって、サー・トールは、ローズマリーには特別でしょ。他の男子とは比べられないわ」
エリカは悟くんのことを、他の皆と同じにサー・トールという。
わたしは知り合ってすぐに、仲良くなりたくて、悟くん、と名前の方で呼ぶことを許してもらった。彼の級友がサー・トールと呼び始めたのは、その後だ。
いまでは先生方もサー・トールと呼ぶ。
だったらわたしも皆と同じに呼ぶ方がいいかしら、と、悟くん本人に訊いてみたことがある。すると、顔色を変えて反対された。
そして、その理由を、次のようにわたしに説明した。
「自分は日本人だけど、皆が発音しにくいならサー・トールと呼ばれてもかまわない、でもローズマリーは、この二つ名が付けられる前に知り合って、普通に悟くんと呼んでくれた、特別な存在なんだ。だからこれから先もずっと、ローズマリーには僕のことを悟くんと呼んで欲しいんだ」
と、縋り付かんばかりに頼まれたので、わたしは悟くんと呼んでいる。
うん、たしかに悟くんは特別なのね。
「その話だけど、どう聞いてもサー・トールは、あなたへの好意があるからこそ、切るのに大失敗してものすごく分厚くなった食パンのサンドイッチを、ムリヤリ食べてくれたのよ。それに、私のアイルズくんは、五人前も食べないと思うわ」
アイルズくんはエリカのボーイフレンドだ。悟くんと同じクラスで、悟くんの親友でもある。
エリカは喋りながらもテーブルを片付ける手を休めない。お料理上手で女の子らしくて勉強もできるんだから、天は二物を与えているとしか思えないわ。
こんなに働き者なのに、たったひとつ、変わっているのは、すごく少食なことかしらね。
「そうかしら。アイルズくんは悟くんの親友だし、悟くんは剣道、アイルズくんはフェンシングをやっているんだから、きっとお腹を減らしてくるわ。わたし達だって、護身術の時間の後は、お腹が減るでしょ」
ここは修道院と違い、おやつがふんだんにあって、天国のようなところだ。食事もおかわり自由なのに、エリカ達は少ししか食べないのが、わたしは不思議で仕方がなかった。みんな少しも太っていないのに、おやつの時間は「太るから」といってあまり食べないのだ。
「あのね、私達の食事量が普通の一人前なの。3回もお代わりして食べるのは、あなただけよ」
「ヒルダおばさんやリリィーナ教官だって、たくさん食べているじゃないの」
わたしがお昼の食堂での風景を思い出して言うと、エリカはひるんだ。
「う、それは……。あの人達は大人で体型を気にしない……い、いえ、あのお二人を、私達と同じ人間だと思ってはいけないわ。リリィーナ教官は剣の指導教官だし、ヒルダおばさんは……ヒルダおばさん、だから!」
エリカは時々、わたしには理解の出来ないことを言い出す。でも、他の女子も似たような事を言ってたっけ。特にリリィーナ教官は謎だらけの人だし。
「はいはい、局員は特別ってことよね。でも、同じ人間じゃなければ、何と思えばいいのよ?」
ときどき、『人間じゃない』という言葉を、他の人に対して花の子のわたしが使うのはおこがましいかしらと思うけど……。
最近は、多次元管理局は『人外』の人が多いから、わたしがいても目立たな…………と、安心するようになった。
いえ、べつに先生方が変人ぞろいと言うわけでは……あるけど。
エリカは、なぜか、うむむ……、と重苦しい間を開けた。
「あの方達はやっぱり、魔法使い、と言うべきよね。なんでも魔法でコントロールできちゃうから、きっと体脂肪や体重も……いえ、なんでもないわ」
エリカは頭を横に振り振り、汚れた布巾を持って流し台へ移動した。
わたしはクッキーをお土産用の小袋に詰めていった。
今週は、月曜日から、毎日放課後に、お菓子を作り続けている。
おもにエリカが。
わたしはアシスタントだ。
いえ、はじめはわたしも頑張って、毎日一品づつ、お菓子を作るつもりだった。けれど、これまでのわたしの調理実習の実績を鑑みたエリカがストップを入れた。
その理由は、「いくら学校が用意した食材でも、メニューの半分が作り直しになったら、もったいなさすぎる。それよりは、私が作業ぜんぶの指示をする」と、言ってくれたから。
なんて優しいのかしら。
ただ、そう宣言した時のエリカの表情がものすごく暗かったのは、今でもちょっと気になっているけど……。
「エリカのおかげでお菓子も全部まともにできたし、わたしもエリカの助手として、お菓子作りは手伝ったから、作ったことになるもんね」
すると、エリカが動きをピタリと止めた。
ゆっくりと、わたしの方へ顔を向ける。
あれ? なんだか急に辺りが暗くなったような……。気のせいよね。
「……ローズマリー、あなたの努力は認めるわ。でも、開き直って堂々と言っているんじゃないわよ。あなたがどんなふうにお菓子作りを手伝ったか、サー・トールに詳しくバラされてもいいわけ?」
エリカの声には、地の底から轟いてくるような迫力があった。
わたしは震え上がった。
最近、こうしてエリカに脅されることが多くなった気がする。アイルズくんを紹介してからだけど、どうしてかしら。
「ごめんなさい、それだけはやめて、お願い」
悟くんはなぜか、わたしのことを、お料理が得意だと勘違いしているのだ。
もしも、本当はお料理が下手だとしれたら、きっと、驚いて……。
えーと……驚いて、どうなるのかしら?
悟くんは優しい。
この前のタマゴサンドだって、ポピィ教授をして「冬の羽毛布団」と言わしめたほどの分厚い食パンで挟んであった。パンの厚みはあの段階からもう半分に水平に切れば、一センチ強の薄さに改善できただろう。
でも、わたしは、切り口をあれ以上にデコボコにするのが怖くて、そのままでサンドイッチを作ってしまった。
それを、悟くんは、美味しい美味しいと褒めながら食べてくれた。
まさに優等生の鑑、これを善人と言わずしてなんと言うのか。
わたしが、むむっ、と考え込んだので、エリカはクッキーの袋の口を赤いリボンで結びながら、わたしを横目でちらりと見た。
「普通なら、騙されてたっ、ローズマリーは嘘つきだ~って、怒るわよね」
エリカの言い様に、さすがにカチンときたわたしは、きっと顔を上げた。
「嘘なんか吐いていないもの。悟くんって、出会った初日からあんな感じだったのよ。落ち着いているというか、優しそうというか、話しかけやすかったというか。でも、リリィーナ教官いわく、初めて異世界へ来て心細くて不安だったというし、とても可哀相な人なのよ」
わたしが「可哀相な」というところを強調すると、エリカは眉間に縦じわを寄せた。どうもエリカの表情の変化が読めない。
ここって悩むところなのかしら。
「あのね、サー・トールがあなたに夢中なのは、誰が見てもわかるけど、あなたはサー・トールのことが本当に好きなの?」
エリカの表情はいつになく真剣だ。
「大好きに決まっているじゃないの。じゃあ、エリカこそ、どうしてアイルズくんのことが好きなのよ?」
ちょっとずるいが、わたしは質問で返した。
だって、エリカは、たまに校内で見かけるアイルズくんを遠くから眺めていただけだ。悟くんに紹介してもらうまで言葉を交わしたことさえなかったというから驚きだ。
それなのに、どうして仲良くなりたいと思えたのだろう。
エリカは、ふふん、と鼻で笑った。
「それこそ愚問だわ。アイルズくんはかっこいいじゃない。童話の絵本に出てくるような、金髪で碧い眼の綺麗な王子さまそのものじゃないの」
エリカが初めてアイルズくんを見たのは、この魔法大学付属学院へ来た日、入学式で一目惚れだったという。
ちなみにわたしは三カ月遅れの編入生。
エリカと会ったのは白く寂しい通りへ来て、この寮に入った日だった。部屋が隣で、ヒルダおばさんに紹介してもらった。初対面で即お喋りを始め、なんか気が合いそうな女の子だなー、と思っていたら、エリカもそう考えていたというから、わたし達っていいコンビよね。
わたしが思い出してニヤニヤしていると、エリカがジトッと睨んできた。
「あのね、ローズマリー。いつも思うんだけど、こういった話題をあなたと話していると、どうにも噛みあわないわ。あなた、サー・トールのことが好きなのよね?」
「ええ、もちろんよ」
わたしは即答した。
だって、毎日お昼に遠い食堂まで行くのは、悟くんと一緒に昼食を食べたいからだ。
そうでなければ、エリカ達みたいに昼食は午前中に調理実習で作った料理で済ませているわよ。
わたしだけが一人前では足りないというわけでは……それもあるけど。
「サー・トールってね、私から見たら、ものすご~く普通のハンサムで、かえって印象に残りづらくて、記憶に留まらないタイプに思えるわ。もっとも、日本人だから、ここでは逆に目立っているみたいだけど。で、ローズマリーがサー・トールを好きになったきっかけって、何なの?」
「えっと、それは」
いざ、言葉で説明しようとすると、難しいな。
「ええっと、優しくて、真面目で、嘘が無くて、わたしのことを人外の花の子だと知らなくても、まるごと全部信じてくれて、あのリリィーナ教官にもコロッと騙されるほど純粋なところ、かな……」
わたしは、照れくさいのをこらえ、思ったことを素直にぜんぶ言ってみた。
「はあ!? そんな言い方だと、まるで、サー・トールがお人好しすぎて馬鹿みたいに聞こえ……!!」
エリカは、粉砂糖の入ったバットを片付けようと歩きかけたところで、くるっといきおいよく、わたしの方へ顔だけ振り向けた。
あ、滑った。
床が濡れていたのね。
盛大にすっ転んだエリカの手から離れたバットは、宙を飛び。
うわー、全身、粉砂糖まみれ。
もう、拭いたくらいじゃどうしょうもないわ。
エリカは床に転がったバットの横に両手を付き、プルプルと震えながら、起き上がろうとした。
わたしは、ごめんなさい、と、駆け寄り、助け起こそうとしたが、
「謝らないで! どうせどんな言い方だろうとあなたは惚気しか言わないのに、心配して真面目に訊いた私が馬鹿だったのよ。それより、私がシャワーを浴びてくる間に、お菓子のお皿を全部テーブルに運んでおいてよね」
ついにエリカはシャワーを浴びる決心がついたようだ。
「安心してゆっくり着替えてきて。完璧にセッティングしておくから」
「いえ、あなたをひとりにして安心できるわけがないでしょ。できるだけ早く戻ってくるから無理だと思ったら手を付けないで。できることだけ、気を付けてやっておいてくれたらいいから!」
エリカは他にも何やらブツブツ言いながら調理実習室を出て行った。
わたしは、お菓子を盛り付けた大皿を扉続きの隣室へ、せっせと運んだ。
調理実習室の隣は、普段はテーブルマナーを学ぶための専用食堂だ。ポピィ教授は会食室と呼んでいる。でも今日だけはステキなパーティルームに変身だ。いつもはシンプルな花瓶が一つだけど、今日は特別に、何種類もの薔薇をあちこちに飾ってあった。
わたしがすっかり冷めたパウンドケーキをすべて切り分け、お皿に並べ終わった時、エリカが戻ってきた。
きれいになったふわふわ巻き毛はパール付きのバレッタで留めてある。
服も、エリカの持っている中で一番上等な、エリカの瞳と同じ緑色のワンピースだ。
さすが、気合いが入っているわね。エプロンもおろしたてだし。
もう料理も洗い物もやる気がないみたい。
わたしがやるからいいけど。
あとはサンドイッチの仕上げだけだ。
具材は冷蔵庫に準備済。パンは食堂のパン切り専用機で切ってもらってある。
パンに具材を挟むだけなら、わたしにもできるはずだわ。
ええ、今日こそは完璧なサンドイッチを作り上げてみせますとも。




