(二)魔法学のテストの謎は深淵よりも底が深い②
「キイコード№7か……」
どんな意味があるんだろう。
僕は、裏面を読むのは後回しにした。プリントの表紙を眺めてみる。
突然、背筋がぞわりとした。
なぜかリリィーナ教官の顔が脳裡に浮かんだ。
おかしいな、リリィーナ教官には普段から親切にしてもらっているのに、不吉な予感しかしないなんて。
じつはすごい悪戯好きだと、入学テストの時に知ったからだろうか。
――まさか、ね……。
僕は、頭を左右にプルプルと振った。きっと考えすぎに決まっている。
かりにも局の魔法大学で教官職に就いている人が、大事なテスト問題の作成で悪ふざけをするなんてことは、ない……だろう、たぶん…………。
「これは、魔人を呼び出す召喚魔法の類いだな。アラジンと魔法のランプみたいなやつかもしれない。魔人はこの魔法陣の中に、召喚されるんだな」
アイルズはプリントの四枚目にある魔法陣の図を見せた。
「魔人って、開けゴマの呪文で魔法のランプから出てくる奴か?」
カイルはノートに絵を描いていた。魔法陣を書き写している。なんでもこまめにノートを取るタイプだ。魔法陣はシンプルな図柄だけど、円は手描きだと歪むから、難しい。
「いや、開けゴマは、宝物の隠し場所を開ける呪文だ。魔人は、ランプをきれいに磨いたら煙が出てくる方だ」
アイルズとカイルも僕と同じく地球出身だ。グリム童話やアンデルセン、千一夜物語とか、共通する基礎知識があるから話が通じやすい。
「少なくとも、ロンドンでは聞いたことが無いな。きっと境海世界の言葉だろう」
アイルズはカイルに同意を求め、カイルは頷いた。
「ああ、同感だ。ジュゲムジュゲム、ゴコウノ、スリキレ……意味がぜんぜんわからないぜ、こんな呪文は!」
あれ?
僕はプリントをめくりかけた手を止めた。
カイルはいま、なんて言ったんだろう。
聞き覚えのある日本語だったような……?
僕は急いでプリントをめくった。
魔方陣の円が描かれた下に、『唱えるべき呪文』が、ごく、小さい文字で書かれている。
「じゅげむ、じゅげむ、ごこうのすりきれ、かいじゃりすいぎょの……?って、ええ!? これ、落語の寿限無じゃんか!?」
僕が叫ぶと、アイルズとカイルがものすごく驚いている。
「なに、サー・トール、君はこの異世界の呪文がわかるのか!?」
「おお、すごいな、なんて意味だ?」
アイルズとカイルは、未知なるモノを解き明かしてもらえる期待に、目を輝かせている。いや、ちょっと待ってくれ。
「なんでこれが魔法の呪文なんだよ。あきらかに、日本人の僕をピンポイントで狙った冗談だろうッ!?」
「え?」
2人は声を揃えた。
「サー・トール、その、日本人向けとは、どういう意味なんだい?」
「アイルズにも俺にも、意味の通じない異国の呪文にしか聞こえないんだぜ?」
二人とも真剣で、本当にわからないみたいだ。
僕をからかっているようには見えない。
そりゃまあ、地球出身だけど外国人だし、よほど日本文化が好きでないと、古典落語のストーリーまでは知らないだろう。
「ええと、だから、これは、日本の落語っていうものの、寿限無っていうお話の一部分なんだよ。題字はごていねいに漢字で書いてあるし、間違えようがないよ」
「漢字って、日本語の文字のことだろう、そんなものどこに書いてあるんだ?」
「いや、アイルズ、サー・トールと俺達では文字の見え方が違うんだ、これは原文が日本語なんだ」
カイルが言うと、アイルズも「ああ、そうか」と頷く。
見え方が違うって、なにが?
アイルズとカイルは、日本の落語の文章が書かれたプリントを、スラスラ読んでいるじゃないか。
僕が初めてここの教科書や本を見た時は、ここの使用言語は、日本語なのかと思った。その次には、生徒の出身世界別に、言語別の教科書が用意されているのか、と考えた。
今回のテストのプリントもそうだ。
アイルズとカイルのプリントは、僕のとまったく同じだった。
いや、まあ……ここへ来た当初から、なんか変だなとは思っていたけどさ。
リリィーナ教官とポール教授は、初対面から日本語が流暢だった。そこは魔法使いとやらのお約束として、異国の言語が理解できる魔法を使っているのかと思っていた。
「僕のは英国英語だ。僕には普通に、アルファベットでの表記に見えている。この文章も読めるけど、ジュゲムの発音や意味はさっぱりわからないな」
アイルズは自分のプリントを僕に見せた。
やっぱり僕には日本語に見える。
「俺も、英語だ。入学願書は英語で書いて申し込んだから」
カイルもプリントを僕の方へ向けた。3人とも、内容はまったく同じだ。きっと、僕のプリントは、2人の目には英語に映るのだろう。
「入学願書が、ここでの使用言語に関係してくるのか?」
僕の入学届け用紙は、きちんとした日本語による文面だった。
「なんだ、サー・トールは、何も知らないで俺達と喋っていたのか。留学案内のパンフレットに、いろいろ書いてあっただろ?」
カイルが訝しむが、僕はそんなパンフレットをもらっていない。
だいたい僕には留学準備期間というものが無かった。
リリィーナ教官にいきなり白く寂しい通りへ誘拐され……もとい、連れて来て、もらったのだ。
あの状況では詳しい説明はできなかっただろうけど。
パンフレットくらい、あとで渡してくれたらいいのに……。
「いや、ここでは僕以外の人はみんな、魔法使いだと思っていたから」
僕がしょげた声を出すと、アイルズとカイルは「何も知らずによく異世界へ来たもんだ」と感心した。
「授業では境海世界の事も習うけど、さすがに基本的すぎることは、境海世界の常識として教科書にも載ってないね。境海世界では、ほとんどの場所で共通言語が使われているんだ。文字は、異なる世界もあるけど、地球よりは広範囲に、共通性が高いらしいよ」
と、アイルズ。
「そうそう、だから、局が発行した新聞も、あちこちの世界に輸出されていくんだよ。俺らに関して言えば、局員クラスの魔法使いになれば、高度な魔法が身について、境海世界のどんな場所でも、言語の不自由は無くなるらしいぜ」
カイルが補足する。
「でも、本だって新聞だって、初めに書く人の文字が異なれば、他の人には読めないだろう」
僕が放った素朴な疑問に、カイルは「いやいや、そもそも基本的に地球とは違うんだ」と、首を横に振った。
「魔法文字ってのがあってさ、文字そのものに魔法を掛けるんだ。そこそこ高度な魔法だけど、その魔法を掛ければ、どこのどんな文字でも、見た人すべてが意味を取れるようになる。局が流通させている読み物にはぜんぶ使われているし、俺らは当たり前に思っているけど、俺らの教科書だって、学校の中にある文字はみんな魔法だらけだなんだぜ」
カイルの説明に、僕は愕然とした。
ぜんぜん知らなかった……。
白く寂しい通りに来て約3ヶ月、これまで疑問に思わなかった僕も馬鹿だったと認める。でも、リリィーナ教官もポール教授も、僕に対して留学のための手続きを、どれだけ省略してくれたんだッ。
いや、それで別に不自由は感じていないけど、わざと手抜きしたんじゃないかとさえ疑うな。
僕がその辺の事情を打ち明けると、2人は自分達が読んだ留学案内のパンフレットの内容を、教えてくれた。
「学校に居る間は、心配しなくて大丈夫だ。気を付けるのは、僕らが白く寂しい通りから遠く離れた境海世界に行く時だな。君は、境海世界を旅行した経験がないだろう。局の在る第ゼロ次元から、あまりに遠く離れすぎると、魔法の法則ばかりか、物理法則すら異なる世界があるんだよ」
アイルズが丁寧に説明してくれる。
「魔法もそうだぜ、俺らが学校に居る間に使える能力は、半分は先生方にサポートされている『焼き着け』なんだ。だから、魔法を使うために必要な知識の残り半分は、自力で勉強して、実力を身に付けなきゃならないんだよ」
カイルによると、こういう知識は留学案内担当の局員から、基礎知識として指導してもらう内容だという。僕は絶対に聞いていないぞ。
「やきつけってなんだい?」
この質問にはカイルが答えてくれた。
「僕らは学校に居る間に、先生達の魔法で、強制的に、必要な知識を植えつけられているんだよ。この知識は、局の先達から後輩へと、代々伝えられていくものなんだ。ここで学ぶってのは、そういうことさ。だから、局員の魔法は境海世界でも独特で、地球でもどこでも通用するんだ」
「カイル、きみ、詳しいな。そこまでの解説はパンフレットには書いてなかったぞ」
そういうアイルズの知識源は、局員をやっている親戚から聞いたとか。
ここは縁故入学が多いんだな。僕の知り合いでそうじゃないのは、ローズマリーくらいだ。
カイルは照れ臭そうに頭を掻いた。
「アイルズだって、よく知っているじゃないか。俺の知識も、ぜんぶ叔父さんの受け売りだよ。叔父さんは英語で原稿を書いてるんだ。境海世界の一部地域では、漂着した大英帝国の船乗りの子孫が英語を広めたから、不自由しないんだってさ」
地球の歴史上に、大航海時代と言われた時代があった。
西暦1700年前後のことだ。
その頃の船は、風が頼みの帆船だった。欧州各国は、新しい大陸と資源を求めて七つの海へ冒険に乗り出したが、海難事故も多かった。
難破した船の中には、海続きに境海へと流された船があった。
境海世界に辿り着いた船はイギリス・スペイン・ポルトガル・イタリアなどだ。
カイルによると、英語を話す船乗りの船が多かったという。
英国による植民地支配が、全盛期の頃の話だ。
彼らは二度と地球の海には戻れなかったにせよ、境海世界に順応して子孫を残し、英語とその文化を広めた。
そして現在、多次元管理局が監視の手を伸ばせる範囲の境海世界は、そのほとんどが、十九世紀後半から二十世紀初頭の文化レベルにまで進歩している。
ということは、境海世界でも文明がもっと進んだら、地球のアメリカみたいな国もできるのだろうか。境海学の授業で習ったところでは、大統領制や民主主義のある国家は、すでに存在しているらしいけど。
ふと、顔をあげたら、壁際の古い大型時計が目に入った。
いかにもアンティークな文字盤の針は、午後6時30分をさすところだった。
夕食は5時30分に終わったから、かれこれ1時間近く雑談していた。
「ありがとう、僕は知らない事が多すぎるから、また教えてくれよな。ところで、課題に戻ろうよ。これは、いつやろうか?」
「ふむ、期限は今週中だったな」
「提出日ぎりぎりはやめておこうぜ。早目にしよう」
カイルの提案に、僕とアイルズは賛成した。
「テストを実行する日について、何か書いてなかったかな。僕はまだぜんぶ読んでいないんだ」
僕らはプリントを初めから順を追って、丁寧に読み進めていった。
求めた答は、長い長い説明の最後のページの中ほどにあった。
「あ、これじゃないか、このプリントのグループは、本日19時までに実践のこと……。あれ、19時って」
1日は24時間。真夜中の12時を午前0時として時間を数えていくときの時計の読み方だ。
つまり、19時と言えば午後7時のこと。
プリントに記載された日付は、どう見ても今日。
僕らは顔を見合わせてから、置き時計の方へ顔を向けた。
「あと30分ない!」
僕らは、そろって立ち上がった。




