(一)白く寂しい通りへの招待状
「君、魔法使いにならないか」
俺の前に立ちふさがった黒い背広の謎の紳士は、穏やかな声でそう言った。
「初めまして。わたしは不思議探偵のリリィーナ。元多次元管理局員だ。今は白く寂しい通りで不思議探偵をしている。君は魔法大学付属学院で学ぶべきなんだ。わたしと一緒にきたまえ」
帽子のつばに軽く指先を当てた挨拶をして、その人は俺を見下ろした。俺より少し高い身長は、175センチくらいか。近くでよく見るとスーツの色は、黒ではなく深青色。素人目にもわかる高級感あふれる三つ揃いがひどくさまになっている。
――で、今、何つったんだ、この人は?
戸惑う俺を無視して、不思議探偵リリィーナは続けた。
「君には魔法の才がある、百年に1人の逸材だ。君は将来、第ゼロ次元の多次元管理局員になるべく定められている。ようするに、君の宿命というやつなんだよ」
――いや、おかしいだろ、それは。
ツッコミは心の中に留め、俺は無言で一歩さがった。
そりゃ現代の日本では、魔法も魔術も魔法使いも、単語だけなら巷には溢れかえっているご時世だ。
だが、本当は魔法なんて、現実には無くて当たり前。
少なくとも、まともな大人が初対面の中学生に話しかける話題じゃない。
俺はジリジリと後退した。
不思議探偵リリィーナとやらは、年齢は20歳前後だろう、目深に紳士帽を被っているので顔は全部見えないが、怖い感じはしない。どちらかといえば優しそうだし、妙に目を惹き付けられる。これまでの人生ではお目にかかったことのない、風変わりな雰囲気の持ち主だ。鋭いふうなのに、どこか軽やか。
こういうのを油断ができない気配とでもいうのだろうか。
それは暴力や恫喝めいた危険とは異なる、全身から醸し出される魅力と言うか、一種独特の迫力のような『何か』だった。
しかしだ。
こんな事をいきなり話しかけてくるやつは、一般常識に照らして変なヤツだと認定した方がいい。
すなわち、走って逃げるべし。
俺は正しい選択をした。クルリと半回転して不思議探偵リリィーナとやらに背を向けるた。
だが、
「おっと、これは驚かせて悪かったね、里藤悟くん」
不思議探偵リリィーナの声は俺の真正面から聞こえた。
なぜ、一瞬で、目の前にッ!?
慌てて逆へ走ったのに、またもや俺の進行方向へ現れた。
「君は魔法使いになるべきだよ」
「うわあッ!?」
まさか、瞬間移動したッ!?
いや、そんなわけない。
きっと、とてつもなく足が速いんだ。
「ここで立ち話もなんだから、私と一緒に来たまえ、魔法大学に案内しよう」
礼儀正しく右手を差し出す不思議探偵リリィーナに、俺は首を横に振った。
「すいません、遠慮しますッ。俺は普通の中学生ですッ」
こんな時でも年長者に対して敬語を使う自分が偉い。いや、自分を褒めている場合ではない、こいつヤバイだろ。目に留まらないほど速く動ける運動能力ってどんな反射神経と筋肉なんだよ。
まずい。これはさからったら本当に命が危険かもしれない。
俺の本能が危機管理能力をフル回転させる。
とにかく逃げよう。
俺はふたたび踵を返したが、
「そんなに謙遜しなくていいのに」
「わあッ!?」
また正面に移動していた!?
「君には魔法使いの才がある」
ギョッとしてもう1回体の向きを180度変えたら、またもやそこに現れる。
もう、足が異常に速い人とか思うのは、絶対に不可能だ。間違いなく、瞬間的に移動しているんだ、この人は。
超能力者?
宇宙人?
それとも悪魔?
なぜか魔法使いという発想は出なかった。
もしかしたら、化け物とか?
うわ、怖!
リアルホラーな相手になりふり構っていられるもんか。
俺は目を瞑り、無我夢中で不思議探偵リリィーナの左横を走り抜けた。
だが、塀の角を右に曲がった左側に、不思議探偵リリィーナはいた。腕組みして塀にもたれている。帽子のつばが陰を落とす右横顔で、目だけをジロリと動かした。
俺は恐怖で総毛立った!
「君がどう思っているのか知らないが、魔法の才はめったに見出せない、貴重な人材なんだよ?」
――そんなことより、メチャ怖いんですけど!
すぐに元来た方へ引き返したのに。
やっぱり進行方向で、仁王立ちしている不思議探偵リリィーナと御対面した!
もう悲鳴も出ない。これがホラー映画なら、冒頭部分で挨拶代わりに惨死する犠牲者のシチュエーションそのまんまじゃないか。
「君は魔法使いになるべきだ。さて、そろそろ追いかけっこは切り上げだ。約束の時間が迫っている」
不思議探偵リリィーナは目を落としていた銀色の懐中時計をチョッキの右ポケットに仕舞い、帽子の角度をサッと直した。
紳士帽のボルサリーノ。帽子のつばを触る手付きが恐ろしくスマートで怖いほど。
つい見惚れてしまった。
いつか、こんなふうに背広を着こなせる大人になりたい、と、状況を忘れた感想をいだく。この人なら紳士服のモデルとかもできそうだ。
いや待て、騙されてはいけないぞ。
魔法だなんて、じつに怪しい話だ。
見た目の格好良さとは切り離して考えないと。
ここは断固として辞退しなければならない!
俺はジリジリと後ろへさがろうとしたが、
「まあまあ、そう怯えずに。すぐそこだから」
不思議探偵リリィーナは俺に背中を向けた。
「ほら、もう着いた」
「へ?」
俺は、間抜けな声を出した。
辺りには白い霧が漂っている。
石畳の道路を挟んで、煉瓦作りの建物が延々立ち並ぶ。
俺が三年間通い慣れた通学路は、見知らぬ外国の街のような風景に変じていた。
「ようこそ、白く寂しい通りへ。さあ、行こう」
だが、不思議探偵リリィーナは歩きかけてすぐに止まった。
「どうした、一緒に来たまえ。それとも一人で地球に帰れるとでも?――試してみるのはかまわないが、帰れる保障はしないよ」
不思議探偵リリィーナが俺に背中を向けること、数秒。
白い霧の塊が俺の前に漂ってきた。
霧が濃くなっていく。あの背中から一瞬でも目をそらせば、不思議探偵リリィーナは霧の向こうに姿を隠してしまいそうな不安感に襲われる。
こんなわけのわからない所で1人にされてはたまるか。
――これが究極の選択ってやつだな。
ここまで連れて来られたのだ。いきなり殺されたりはしないだろう。
不思議探偵リリィーナが歩き出す。
俺は見失わないように、追いかけた。