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6 2人暮らし②

 ハナルジャンが仕事を終えて自宅に戻ると、まだドアを開ける前から肉を焼く香ばしい匂いがしてきて鼻腔をくすぐった。中に入るとちょうどミルエンナが夕食の準備をしている後ろ姿が見えた。


「ただいま」

「お帰りなさい、ハナル!」


 ドアを開ける音で振り向いたミルエンナは花が咲いたかのような笑顔でハナルジャンを出迎える。一見、年若い夫婦のようにしか見え無いこの光景も、実際には保護者と保護される対象者と言う関係でしか無い。

 ハナルジャンがミルエンナと始めて出会ったとき、ミルエンナは薄汚れた服を着て髪は乱雑に短く切られ、ハナルジャンはミルエンナのことを小汚い孤児の少年だとおもった。雨の中で肩を震わせて縮こまって居るのが不憫に思えて一晩宿を提供したのだが、これが原因でハナルジャンにとって多くの思わぬ誤算が生じた。


 一つ目は、まだ十歳程度の男の子だと思っていた相手が女の子であったこと。面倒を見ると宣言してしまった手前、女の子とわかって責任放棄することはハナルジャンには出来なかった。


 二つ目は、ミルエンナが予想以上に美しく素直な娘に成長したこと。栗色の長く美しい髪は後ろから見ると流れ落ちる滝のようで、細いのにつくべき所にはきちんとついたメリハリのある体付きは、若い男ならみな引き寄せられる。そして、正統派美人の顔つきは睫毛が長く、色白で庇護欲をそそった。ハナルジャンはミルエンナが成長するにつれて、どうやって彼女と接するべきなのか戸惑いが生じていた。

 ギルドの知り合いにはしょっちゅうミルエンナはハナルジャンの恋人なのかと聞かれる。いつも否定するが、どうして一緒に住んでいるのかと訝しがられることはしょっちゅうだ。


 三つ目は、ミルエンナがなかなか独り立ち出来ないこと。薬師は薬草及び薬として使用する蛇や猛獣などの体の一部の見分け、調合、症状に応じた薬の選定が出来れば一応は一人前としてみて貰える。どんなに長くとも三年程度あれば独り立ち出来ると思っていたのに、四年経った今もまだミルエンナは独り立ち出来ずに居る。彼女の師匠に聞くと、薬の原料探しは天才的なのに、しょっちゅう違うものまで混入させてしまうと言っていた。


 最後に一番厄介な事は、ハナルジャンがミルエンナに対して情が移ってしまっていることだった。少しの間だけ仕方なく間貸ししていたはずなのに、いつの間にかハナルジャンはミルエンナがいる生活に居心地の良さを感じてしまっていた。

 ハナルジャンはまだ二十代前半の健康男性だ。いつも身の回りに美しい年頃の女性がいれば、当然今以上の関係を求めたくなることもある。しかし、自分は彼女の保護者であり、自分のことを保護者としてとても慕ってくれている。

 ハナルジャンは鉄の意志をもって、ミルエンナと必要以上の身体的接触をとらないように細心の注意を払っていた。


 小さなダイニングテーブルに向かって腰を下ろすと、次々とハナルジャンの目の前に夕食が配膳されてきた。今日は鶏肉のグリルに玉子スープとサラダにパンで、どれもとても美味しそうに見える。配膳を終えるとミルエンナはハナルジャンの向かいに腰を落ち着かせた。

昔はいつも目をキラキラとさせてこんなことが出来るようになったと嬉しそうに話していたミルエンナは、いつの頃からか薬師パーティーの話題を話さなくなった。ハナルジャンはミルエンナに様子を聞くことにした。


「今日はどうだった?」

「うーん。いつもと一緒よ。シナギをたくさん見つけたのだけど、その中に一つだけハヤナが混入してて。お師匠様には『こんなことではまだ独り立ちできない』って言われちゃったわ」

「そうか。早く独り立ちできると良いな」

「‥‥‥。ハナルは早く私に独り立ちして欲しい? ここから早く出て行って欲しい?」


 食事をしていた手を止めて寂しげな表情でこちらを見つめるミルエンナを見て、ハナルジャンは困惑した。

 ハナルジャンとしてはミルエンナにいつまでもいて欲しいと思う。しかし、独り立ちすれば今より格段にいい稼ぎが得られる筈だし、ミルエンナも対外的に大人と認められる。するのとしないのではどっちがいいと言われれば当然ミルエンナにとってはした方がいいに決まっている。


 この国では成人する年齢の上限は二十歳と決められているが、下限は特に決められていない。自立して生活できるようになれば十代前半でも大人扱いされるし、ハナルジャン自身も十五歳で独り立ちして大人と認められた。


「いや、そう言うわけじゃないんだけどさ。ミーナもそろそろ年ごろだろ? いつまでも俺と暮らしているとよくないと思うんだ」

「なんで良くないの? 私はハナルと一緒がいい。」


 目に涙をいっぱいにためて訴えてくるミルエンナをみるといつもハナルジャンは強く言えない。でも、血の繋がらない年ごろの男女がいつまでもこんな関係でいることはあまり良くない事だとハナルジャンは思っていた。


「なあ、ミーナ。お前はとても綺麗だし、家事も上手だし、きっと今に色んな男が寄ってくるよ。ミーナが気に入るようなやつもきっといるはずだ。そんな時、俺と一緒に暮らしていると色々と問題だろ? それでチャンスを潰すのは良くないと思うんだ」


 諭すように話しかけるハナルジャンの言葉に、ミルエンナは強く頭を左右に振った。


「嫌よ! ハナル以外の男の人が寄ってくるなんてまっぴらご免だわ! 私は女で良かったことなんて何一つない! 今だって、私が女なせいでハナルはここから出て行けって言っているわ。私はハナルとずっと一緒がいいの!!」


 泣きながら取り乱した様子のミルエンナを見て、ハナルジャンはこの話題を振ったことを後悔した。出会った時からミルエンナは一貫して『女でよかったことなんて何もない』と言う。誰もが羨む美貌とスタイルの良さを持ち合わせ、家事レベルもずっとミルエンナが担ってきたためこの歳としては十分なスキルを身に付けている。ハナルジャンにはなぜミルエンナがそんなことを言うのかがわからない。


「ごめんな。ミーナは頑張っているもんな。まだ独り立ちできないなら、お前の面倒は俺が見るよ。約束したしな。」


 ハナルジャンは泣き続けるミルエンナの美しい髪を優しく撫でてやった。ミルエンナはハナルジャンの胸に縋り付いて「ハナルとずっと一緒がいい」と泣きながら言い続ける。


 この()は残酷だ。


 ハナルジャンは自分の胸でなくミルエンナを恨めし気に見つめた。こうやって縋って自分の傍にいることにより、益々強固な枷によって自分にミルエンナを手放し難くさせるのだ。


 いつか独り立ちして去ってゆく可愛いミーナ(いもうと)、どうかこれ以上自分を狂わせないでくれ。


 ハナルジャンはミルエンナの髪をなでていた手を背に回して抱きしめたい衝動にかられ、静かに唇を噛みしめるとその手を空で握りしめた。 


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