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【電書化】羽ばたく蝶は契約の証  作者: 三沢ケイ


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29 領主の最後

 翌日は雲一つ無く晴れ渡ったさわやかな日だった。そんな中、アクアストルは久しぶりに清々しい朝を迎えていた。窓を開けると小鳥のさえずりが聞こえ、昨日までの体の辛さが嘘のように気分が良い。


「おはよう、アクア。気分はどうだ?」


 起き出して身支度をしていると、いつも通りの時間にカーテナートが部屋を訪ねてきた。入口付近でこちらの様子を覗うカーテナートも色々と吹っ切れたようで清々しい笑顔だった。兄の笑顔を見るのは本当に久しぶりだ。アクアストルもつられて笑うとカーテナートはその様子を見て、なにか変なところがあるのかと自分の格好を見直してから顔を上げて不思議そうな表情をした。


「ふふっ。カテナの笑顔を見るのは久しぶりだと思って。もう何年もずっと難しい顔ばかりしていたわ」

「そうか?? そんなに難しい顔ばかりだったか?」

「ええ、それはもう」


 アクアストルが笑って見上げると、近づいてきたカーテナートもアクアストルを見下ろして微笑んだ。

 弟の姿が見えなくなってから、カーテナートはいつも暗い表情をしていた。そして、アクアストルが体調を崩し始めるとそれは益々顕著になり、常に何か思い詰めているような様子になったのだ。しかし、今のカーテナートは家族と暮らしていた頃のようにおだやかな微笑みを浮かべている。


「大事な妹が死にそうになってたからな。今日、バナール族の仲間が解放される筈だ。領主様には離縁して貰ってアクアも一緒にここを離れよう」

「ええ、そうするわ。何人くらい残ってるのかしら?」

「さあな。十数人じゃないか?」

「みんな働き口と安住の地がみつかると良いのだけど……」

「何とかなるよ。どこでもここよりはましだろう。体調が良いなら久しぶりに従業員用の食堂で一緒に朝食にするか?」

「うん!」


 笑顔で喜ぶアクアストルを見てカーテナートは目を細めた。自分が無力なせいで妹と弟を不幸にしたと少なからず自責の念に悩まされていたカーテナートにとって、妹が笑顔になってくれることは何よりも嬉しいのだ。二人はそのまま世間話をしながら女中や兵士が使う別棟の質素な従業員用の食堂に向かった。カーテナートは近づくに連れていつになく人が集まっていることに気付いた。


「最近はこんなに混雑するほど領主館には人がいるの?」


 不思議そうに聞いてくるアクアストルの横でカーテナートは眉をひそめた。普段ならば、この時間の食堂はほとんど人がおらずがらがらなのだ。ちょうど近くにいた顔見知りの護衛兵に聞いてみる事にした。


「今日はどうしたんだ?」

「ああ、昨日から領主様が伏されているから今日は副領主さまが代理だろ? 普段なら食堂を使えない通いの奴らなんかもみんな食堂を使って交流して良いって気を利かせてくれたんだよ」

 「へえ、そうなのか。」

 

 元々ナキナ領主は治世など全く行っていなかった。全ては副領主に丸投げされていて、その手柄だけをナキナ領主がやったものとして横取りしてきたのだ。今後、ナキナ領主は領主の座を副領主に明け渡すことになるだろう。ナキナ領は今よりも更に発展するかもしれないとほのかな期待がカーテナートの胸をよぎった。


 アクアストルが食堂で食事をするのは本当に久しぶりだ。数年ぶりに訪れるそこはとても賑わっていて、席はほぼ満席、料理をとる列も行列になっていた。アクアストルとカーテナートもトレーを持って列に並ぶと、厨房の中では火を使って卵や肉を炒めている様子が見えた。パンやスープを受け取ると二人で空いている席に腰を下ろした。


「美味しそうね。カテナと食べるの久しぶりだわ。いつも一人ぼっちだったから」

「これからは毎日一緒に食べられるよ」

「ふふっ、そうね」


 アクアストルは兄の方を向いて微笑んだ。元々アクアストルは五人家族だった。両親とカーテナートとアクアストルと弟。賑やかだった家族は今はたった二人だけ。でも、頼りになる兄が居るだけで圧倒的な安心感を得ることが出来た。アクアストルはカーテナートとこれからの話をしながら楽しい食事の時間を過ごした。料理もいつもの倍近く食べた。

 食事を終えて部屋に戻る途中、アクアストルはカーテナートに呼び止められた。


「アクア、領主様にご挨拶に行こう。早めに行った方がいい」


 カーテナートの提案にアクアストルは一瞬その表情を強張らせたが、すぐに思い直したように「そうね」と同意した。

 顔をあわせ辛いからと先送りしてもどうしようもないのだ。ナキナ領主は昨日の負傷で医務室に居るはずだ。重い足取りながらそこを訪ねてゆくと、ナキナ領主は思った通りに医務室のベッドに横たわっていた。ノックをしてから恐る恐る医務室のドアを開けたアクアストルが見たのは顔を強張らせたナキナ領主だ。


「旦那様、おはようございます」

「領主様、おはようございます」

「貴様ら、何しをしに来た!」


 ベットに居ながらも悪態をついて高圧的な物言いをするナキナ領主にいつもの威圧感は無く、体もひとまわり小さくなったようにも見えた。


「旦那様、長らくお世話になりました。今日よりここを出て兄妹で助け合い生きていきとうございます。以後は(いとま)を頂戴したくお願い申し上げに参りました」


 アクアストルは丁寧に腰を折ると、深々とナキナ領主に一礼をした。


「お前のような恩知らずはさっさと出て行け。二度と顔を見せるでない!」


 満身創痍でもやはりさも偉そうに命令するナキナ領主をみて、アクアストルとカーテナートはなんとも言えない苦い思いが込み上げてくるのを感じた。

 この人はこんなにも小さく弱い人だっただろうか。今まで自分達はいったい何に怯えていたのだろうかと拍子抜けした。


「領主様、アクアストルは今までずっと領主様のお世話になっており世間を知りません。広い外の世界を見せてやりたいと思います」


 アクアストルの横で頭を下げるカーテナートにナキナ領主は返事はおろか視線すら合わせなかった。


「数日中に王都より調査官が参ります」

「だまれ!!」


 ナキナ領主がベッドサイドの置物をカーテナートの方向に投げつけて、壁に当たったそれは粉々に砕け散った。カーテナートとアクアストルは何も言わずに一礼すると部屋を後にした。


 昨日、ハナルジャンはユングサーブに呪文とやり方を教えられて自白(ベール)の術をナキナ領主にかけた。自白(ベール)の術をかけられると、嘘をつくことが出来なくなる。すなわち、取り調べでナキナ領主は嘘をつけずにこれまでの罪を自供してしまう。これまでの罪を全て考えると領主の座はもちろん剥奪されて、おそらく罪人となるだろう。


 ナキナ領主が取り調べ期間中に自室で自害し、代わりに副領主が領主になったとお触れが出たのはその約一週間後の事だった。


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