14 俺が守るよ
ユングサーブは再び目の前の新婚夫婦が二人の世界に入り込む前にさっさと話を進める事にした。
「確認したいことがいくつかある。聞いても?」
「もちろんだわ」
ミルエンナはにっこりとしてユングサーブを見上げた。
ユングサーブはしげしげとミルエンナを眺めた。こうやって見つめ合ってじっくりと眺めるのは初めてだが、見れば見るほど美人だ。ついこの間まで子どもだったのに、さっきチラ見した胸もいつの間にやらかなりのボリュームがあったし、年頃の女の子と言うのは恐ろしい。
ユングサーブはそんなことを思いながらも、まず一番重要なことを聞くことにした。
「ナキナ領主から探し人の通達文が出ている。探し人はミルエンナもしくは過去にこの名を名乗った者。バナール族の娘で現在十七歳前後。栗色直毛。薄い茶色の瞳。色白の肌。左胸の上部に痣があって五年程前から行方不明。おまけにナキナ領主の養女だそうだ。ミーナちゃん、心当たりは?」
ユングサーブとハナルジャンはミルエンナの顔がみるみるうちに青ざめていくのに気が付いた。白い肌が青白くなり、さっきまで笑顔だった表情は完全に強張っていた。ハナルジャンはミルエンナを心配してその身体を抱き寄せていたが、その動揺ぶりから心当たりがあることは一目瞭然だった。
「この探し人は君だね、ミーナちゃん?」
ユングサーブの問いかけにミルエンナの肩がビクンと揺れる。その身体は小刻みに震えているように見えた。ハナルジャンは眉間に皺を寄せ、ミルエンナを抱きしめたままでユングサーブに何かを言おうとしたが、ユングサーブはそれを手で制した。
「どういう事か説明して。このままだと昼夜を問わずに次から次に賞金目当ての輩が君を狙って来る。ハナルと俺とじゃとてもじゃないけど防ぎきれないよ。こんなことなった背景がわからないと作戦も立てられやしない」
低く落ち着いた声でユングサーブに語りかけられたミルエンナはしばらくの間黙り込んでいたが、やがて観念したかのように言葉少なに喋り出した。
「ずっと幽閉されてたの」
「幽閉?」
「ええ。ハナルに初めて会った日、私は食事が運ばれる隙を見て逃げ出したの。でも、追い詰められて……目の前に空間橋が現れたから飛び込んで、気付いたらこの町にいたわ」
「空間橋に飛び込んだだって??」
ユングサーブとハナルジャンは信じられないものを見るように目を見開いた。空間と空間を繋ぐ空間橋はどこに繋がっているかわからない。飛び込んだ先が大海原や砂漠、火山口の可能性だってある。それに飛び込むなど、自殺行為だ。
「あそこに戻るくらいなら死んだ方がましだと思ったの」
ミルエンナはハナルジャンの服を持っていた手をぎゅっと握り締めた。ミルエンナの物騒な物言いを聞いて、ハナルジャンのミルエンナを抱きしめる腕にも力が入った。ミルエンナもハナルジャンの服をしっかりと握りかえす。
「でも、なんでそんなことに?」
ユングサーブは困惑顔で尋ねた。
「私はバナール族出身。純粋なバナール族の女性には生まれつき特別な力があるの。自分の唯一無二の相手を決めて結婚したときに、身体の蝶が羽ばたくの」
ミルエンナの言葉にユングサーブとハナルジャンは顔を見合わせた。またしてもミルエンナは『蝶が羽ばたく』と言った。『蝶』とは身体の呪紋のことだろうが、一体どういう事なのかちっとも話が見えてこなかった。
「『蝶』はその呪紋の事だね? ハナルの蝶はミーナちゃんが入れたので間違いない?」
「ええ、私が入れたのだと思う。でも、『呪紋』って言うのはよくわからないわ。私はハナルを唯一無二の存在と思って結婚したから、蝶が羽ばたいただけよ」
ミルエンナは少しだけ小首をかしげてみせた。
「あの刺青のような紋を魔導師は『呪紋』と呼ぶんだ。とても古い黒魔術で、今は使い手もいないようなかなり難しい術だ。それに普通、呪紋を入れるときは何かの契約を結ぶんだ。何の契約をしたの?」
「何も」
「そんなことは無いはずだ」
ユングサーブの真剣な目に射貫かれたミルエンナは居心地悪そうな表情を浮かべ、「はぁ」と深いため息をついた。
「女性は唯一無二の男性に力を与え、そのかわり男性はその女性を生涯にわたり大切に守り抜くってバナール族のみんなは言ってたわ」
「そうか。呪紋はさっきも言ったとおり要は契約の呪いだ。何かを与える代わりに何かを貰う契約を結ぶ。契約を破れば二人のどちらか、もしくは両方に呪いがかかる。今の話から判断すると、ミーナちゃんからは『力』、ハナルからは『ミーナちゃんを大切にすること』で契約を結んだことになる。破れば呪いが降りかかることを知っててやったのか?」
ミルエンナは驚いたように目をみはった。
「まさか!だって、バナール族の女性は結婚するときに自然に蝶が羽ばたくの。そのせいであんな奴に……」
ミルエンナはぐっと唇を噛み締める。
「驚いた。魔力も殆どないのに、お互いの血液も用いずに無意識に呪紋を入れるのか? そんなのは聞いたことがないよ」
ユングサーブは本当に驚いているようだった。呪紋のことはミルエンナにはよくわからないが、少なくとも嘘は言っていない。
その時、それまでずっとミルエンナを抱きしめたままで横で静かに話を聞いていたハナルジャンが口を開いた。
「ミーナ、『あんな奴』とは誰だ?」
「ナキナ領主。あいつは沢山のバナール族の仲間を殺したわ。そして、力を得るために多くのバナール族の若い娘を連れ去った。私のこともいずれは利用するつもりで幽閉したのよ。絶対に許さない。あんな奴のところに戻るくらいなら死んだ方がましよ!」
普段は温厚で穏やかな性格のミルエンナが感情を激しく表したことにハナルジャンは少なからず驚いた。それと同時に、ミルエンナにとってナキナ領主は忘れたくても忘れられ無いほどの深い傷を与えたのだと悟った。
あの日、雨の中震えていた子どもは何でもするから置いてくれと懇願し、『女でよかった事など何も無い』と言い切った。今思い返しても、普通ではない。
「ミーナは俺の妻だ。ナキナ領主には渡さないし、俺が絶対に守ってやる。だから、安心しろ」
ハナルジャンはミルエンナをもう一度抱きしめ直すと、安心させるように微笑みかけてその美しい栗色の髪をそっと撫でた。