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秋水からの手紙

結婚を約束した桜花とクラウス。それなのに、また会えない試練の時が始まります。

 私が日本に帰国して以来、クラウスから連絡がない。手紙にも返事がない。プロポーズされたことに自信を持っていい、と自分に言い聞かせていたが、日を追うごとに不安は増してきた。仕事をしっかりして、ドイツ語の勉強をしようと意気込んでも、すぐに集中力が途切れる。続かない。

 そんなある日、ドイツから分厚い封筒が届いた。あわてて中を開くと、便箋の一枚目は日本語だった。


 こんにちは。お久しぶり。左門秋水です。

 なぜ僕が君に手紙を書いているのか、順番に説明していきます。

 僕は大学を卒業してから、商社に就職しました。クラウスとは彼が留学を途中でやめてしまってからも親友です。彼の家を訪問したこともあります。それで、今回クラウスの両親が僕に手紙の日本語訳を頼んできたのです。そう、クラウスの治癒したはずの病気がまた再発したのです。彼は手紙や電話を受けられる状態にありません。クラウスの両親は、日本語ができません。それに両親の書いた手紙にはとても個人的で繊細な問題が含まれています。だから彼らは翻訳業者に依頼せず、僕を頼ったのです。

 こんな形で君に手紙を書く日が来るとは思ってもいませんでした。君は僕に対して、何か恐れを抱いているかもしれないけれど、それは杞憂です。親友と片思いしていた女性が結婚することになっても、穏やかに祝福できるくらい大人になっています。おめでとう。これから伝える内容は君にとってつらい部分もあると思うけど、きっと乗り越えられるよ。

 まず、両親の手紙の訳の前に、クラウスがドイツに帰国してからの五年間どんなことがあったのか、僕の知る範囲で簡単に話しておくね。きっと君もなぜ五年も全く連絡してこなかったのか気になっているだろうから。それにしても君にそこまで想われてクラウスは本当に幸せ者だよ。おっと、これは脱線。

 クラウスはドイツに帰国して、心の病気を治すためにカウンセリングに通った。カウンセリングは丁寧で、ゆっくりと進んでいった。順調に見えた。でもそれは、カウンセラーがクラウスに何度も長く会いたいがために本来なすべき治療に手を加えていたんだ。カウンセラーはクラウスに恋をしたんだ。恋じゃないかもしれない。でも、クラウス以外のもの、特に家族が急に価値のない意味のないものに思えてきたんだそうだ。カウンセラーは良心の呵責と仕事に対する自負や誇りを失っていなかったから、スーパーバイザーにその事実を報告した。そしてクラウスの担当を外された。事情を知らされていないクラウスは、信頼してきたカウンセラーが治療の途中で突然交代していなくなって、その時見捨てられた気分になったそうだよ。しかし同じ病院で別の人によりクラウスの治療は続けられた。カウンセラーは他の病院に配属された。カウンセラーとクラウスの接点はなくなった。しかしカウンセラーの家族が何か変だと気が付いた。妻が、そうカウンセラーは中年の男性だったんだ。妻が夫が隠していた写真を見つけたんだ。隠し撮りされたクラウスの写真。妻にはそれが誰だか分らなかったけれど、背後に病院の建物が映り込んでいたので、職員か患者だろうと見当をつけた。妻は常軌を逸し始めた。夫の前の勤務先の病院の敷地に何時間も立つようになったんだ。幼い娘と手をつないで。クラウスの診察はその頃4週間おきだったんだけど、その来院する瞬間を妻は見逃さなかった。一方的にクラウスにしゃべりだした。「あの人を元に戻して。あなたのせいで、夫ははまるで小虫か落ち葉を見るような目で私達を見るのよ。あなたのせいよ」そして妻はカバンからナイフを取り出した。クラウスにはいったい何のことか全くわからない。その時幼い娘が「マァマァ」と言って妻のスカートを握ったままその場に倒れこんだ。脱水症状だった。うまく機能していない家庭では食事だって十分に与えられていなかった。三人が硬直して動けなくなっているところへ警備員が来て、場を収めた。

 そこからクラウスの病気は急激に悪くなった。転院もしたけど、医師やカウンセラーを信頼することが怖くなった。日本で無理心中の末亡くなった女の子と、目の前で意識を失い倒れた女の子が、重なって感じられた。自分を責めて病気になったクラウスが、それまで以上に自分を責めるようになった。当然治療は長引いた。だけど家族の支えもあって病気を克服し、やっと自分に自信を取り戻し、君に再会する決心をしたんだ。治療中は人生の大きな決断をしてはいけないといわれているからね。転職とか離職とか離婚とかそういったこと。正しい判断がしにくいし、その判断に後々後悔することも多くあるからね。それに何よりクラウスは君のことをとても大事に思っているからこそ慎重を期したんだ。そして晴れて君と再会して・・・・・それからのクラウスの様子は、君自身が一番よく知ってるよね。僕はクラウスの両親から聞いた話しか知らないけれど、両親は君のことを奇跡の聖女みたいに感謝してたよ。

 その希望に満ちて元気になったクラウスに、また不幸が襲ったんだ。クラウスが君にプロポーズする一部始終をあの最初のカウンセラーが見ていたんだ。偶然なのかストーキングしていたのか僕は知らないけれど、そのあと彼は空港の駐車場でカッターで自分の両手首と首を切ったそうだ。わざわざクラウスの家族が通るであろう場所を選んだ事実を僕は許せない。クラウス達が車に戻ろうとしたとき、駐車場はすでに騒然となっていて、救急車も到着していた。人だかりの隙間を縫ってクラウスと血だらけのカウンセラーの目が合ったそうだ。そしてクラウスは最も悪い状態へ引き戻された。

 ねえ、桜花ちゃん、こんなことあっていいんだろうか。あんないいやつが、何も悪くないのに、どうしてつらい目に遭い続けるんだろう。クラウスには夢がある。才能も能力もやる気もある。二十代のおそらく人生で最も輝かしい時間をクラウスは恐ろしい暗闇にのまれて何年も過ごしている。

 ごめん。僕の気持ちを言うより、君の気持ちを察するべきだね。まだまだ青いな俺。

 僕はクラウスの力になりたいと思っている。できることはしてあげたい。君とクラウスの両親との手紙の翻訳など、喜んで引き受けるよ。でも君は手紙を盗み読まれている気がするかもしれない。だったら、翻訳業者に頼めばいいと思うよ。

 それから、クラウスのお父さんが、自分の親族に心の病気を抱えた人がいることを気にしています。僕も病気について少し勉強してみたけれど、なかなか言葉が見つかりません。関係ないとも言い切れないし、関係あるとしてもそれでお父さんが罪悪感を持つ必要があるだろうか。僕はないと思う。

 では同封されているクラウスの両親からの手紙と、僕が訳したのを読んでください。

 僕の連絡先も書いてあります。僕でよければいつでも話を聞きます。それから僕に変に気を使って返事する必要はありません。君は君自身とクラウスのことだけに集中してください。

 君とクラウスの幸せを祈ってます。

   

お読みいただきましてありがとうございました。

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