第七話
「桐島、お前実は霊能力者なんだって?」
木名瀬から、そんな噂が流れているという事は聞いたが、面と向かって聞かれたのは初めてで、私は思わず苦笑した。訊ねてきたのはクラスメイトの、たまに話すくらいの間柄の奴。
「違う」
「例の廃屋行ったんだろう」
「誰から聞いた」
「B組の木名瀬」
あん畜生。
「幽霊と戦ったんだって」
「なんだって?」
「私を幽霊から守ってくれたっす!って何か興奮してたぞ」
私は頭を抱えた。
伸べ火の如く噂が広まっていく光景が目に浮かぶ。真実を話す事は自分が異常者であることを吹聴して回るのと同義であり、中二病の自称霊能者とどちらがいいかは天秤に測りかねる。
私に鎮火の手段はない。
こうしてまた私の大して積極的ではない青春に、ただ汚点だけが増えていくのだ。
約束通り、その日の昼は木名瀬と久慈と三人で学食へいった。
「なんでもおごるっす!」
取材に付き合ってくれたお礼という。何でもすると言うからもっと何でもしてくれるのかと、淡い思春期の妄想を抱いていたのだが、まあこんなものだろう。
「桐島さんて、大人っぽいすよね」
と木名瀬が言った。
「何だ急に」
「なんか落ち着いてるっていうか、仙人っぽいというか」
「なんだ仙人って」
「そうね」
と久慈が乗っかってきて、
「達観してるっていうか年相応、って気はしないわね」
「……それはつまりおっさんくさいという事か?」
「誉めてるつもりだったのだけれど」
「それを言うなら久慈も大概、年相応という気はしないぞ」
「……おばさんくさいという事かしら?」
「誉めてるんだよ」
「そうす。二人とも大人っぽいっす」
と、スプーンをくわえて木名瀬が呻く。
「羽々ちゃんはその上スタイルもよくて羨ましいっす」
「そうなのか」
「見ないでよ」
「夏はもう羽々ちゃんは男子の視線独り占めっすよ。桐島さん、羽々ちゃんの水着は凄いっすよ。悩殺っす」
「悩殺なのか」
「……何で一々聞くのよ」
久慈は鼻息荒く、箸を置いた。
「視線なんかいらないわ。私はもっと地味に生きたいの」
言う割には化粧や髪にも十分気を使っている気がするが。
「大丈夫。キャラクターは地味な方だと思うぞ」
「フォローじゃないわよねそれ」
「そういえばぼちぼちプール開きか」
「ああ……嫌っす水泳の授業……」
「プール嫌いなのか」
「泳げないっす」
「へえ」
「その上私は羽々ちゃんのような悩殺ボディも持ち合わせていないっすし……」
「何でそこに着地させたがるの」
久慈は木名瀬を半眼で睨んで、何かに気付いたように、ははあ、と言った。
「結実、この間のあれは絶対貸さないわよ」
「んんん、何の話っすか」
「本当に何の話だ」
「桐島さん聞いて下さいっす、実は羽々ちゃ――」
と、テーブル越しに手を伸ばして久慈が木名瀬の口を塞いだ。そうして私ににっこり微笑みかけて、
「男子には関係ない話よ」
私は笑顔の奥の気迫に圧倒され、
「分かった」
と言った。
「羽々ちゃんズルイっす、インチキっすよ……」
「結実」
と、男子禁制らしい暗号のやりとりをしていた。
「ところで桐島くんって、友達いないの」
「聞くかそういう事」
「だっていつも一人だし」
「この高校にはいないな」
「なんで」
「一人が好きなんだ」
「だめっすよ、一人なんてよくないっす」
と木名瀬が割り込んできて、
「野球少年だった桐島くんはどこいっちゃったんすか!あの頃の気持ちを思いだすっす!」
熱弁した。私も苦い顔をする他ない。知った風な口をきくと思うが、的外れでもない。事故以来、自分が変わってしまった事は認識している。
しかし、私は狂人で、人並みに友達をつくる資格など、もうないのだ。
「私は桐島くんの友達っすよね!」
と、木名瀬が私の肩を叩いた。私は、ありがとう、と言った。久慈がくすくすと笑っていた。
ちくりと心が痛む。
私は彼女達を騙している。あの小屋での出来事だ。私も動転して思わせ振りな事を口走っていたし、彼女達が私の事を誤解しているのは事実だ。
本当の事を言った方がいい。
しかし、何と言うか。
家に帰りパソコンをつけた。
昨日の書き込みに何件かの回答があった。
『僕も幻覚を見ます。疲れてきたり、気分が沈んでいる時によく見ます』
『私の母も幻覚幻聴に悩まされています』
存外に、似たような経験をしている人が多い。気になって幻覚幻聴について検索してみた。幻覚は殺されそうになったり、幻聴は悪口を言われたりといった症状が多いようだ。そういえば私の場合の幻聴は、罵倒や悪口よりは全く意味不明な内容の方が多いかもしれない。
一人ではないという事に若干勇気づけられる。
医師に貰った安定剤を服用し、床についた。
その夜は珍しく夢を見た。
薄暗い茶の間にぽつんと、私がいる。
母も父もいない。
私は椅子に腰掛け、母が用意してくれるだろう夕食を待っていた。ふとテーブルを見ると、見たこともない人形が落ちていた。
ああ、これが山下の壊した人形だな。
何の根拠もないのにそう感じた。
日本人形のようであるが、外国人のように彫りの深い顔つきで、目も大きい。一見すると可愛らしくも思えるが、よくみると精巧なくせにアンバランスで、グロテスクにも思える。左腕が無い。人形は何か言いたげに私を見ている。
滅多に鳴らない携帯が鳴った。設定のない着信音だった。私は人形からはなるべく視線を外さず、手探りでテーブルの上の携帯をとった。
「……もしもし」
「……」
がやがやと喧騒が聞こえる。喧騒に紛れて赤ん坊の泣き声が断続的に聞こえてくる。私は息を飲んで、
「……木名瀬か?」
尋ねた。
「……ろしに…く…わ……」
ぽつりと聞こえてきた、聞き取りにくい低い女のような声。木名瀬のものでない事だけははっきりと分かる声が言った。
殺しにくるわ。
私はそう解釈した。