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第五話

 足が重い。山道に入ってからまとわりついていた嫌な気配が段々強くなってくる。


 疲労もあり、三人とも口数が少なくなっていた。目的地に辿り着く頃には太陽は西に大きく傾いていた。


 「……ここか」


 昔テレビでみた事がある、二階建て木造の家だった。あちこち腐敗が進んでおり、今にも崩れ落ちそうな感じがする。表札はとっくに剥がれ落ちて、そこに住んでいたのが何という人物だったのか知れない。


 木名瀬がスポーツバッグから取り出した懐中電灯が二本。一つは私が、もう一つは木名瀬が持つ。


 玄関を潜るとすぐに茶の間のような場所だった。床が腐りかけており歩く度に悲鳴のような軋んだ音を上げる。ちゃぶ台や箪笥。全て木製だ。奥の部屋へ続く襖は穴だらけ。あちこちに張り巡らされた蜘蛛の巣。


 「……なんかくさいっす」


 木が腐敗した匂いだろうか。それだけでなく色々な匂いが混ざっている気もする。


 視覚、嗅覚にうったえかけてくる恐怖に全身が粟立っている。確かに肝試しにはうってつけの場所だろう。木名瀬も久慈も不安そうな顔をしている。


 「……で、何から調べるんだ」


 「……」


 「木名瀬」


 「あ、はい。なんすか」


 私は溜め息をついた。


 「何か調べるんだろう」


 「う……そうすね……まずは山下くんが壊したっていう人形を探すっす」


 「人形」


 「日本人形ぽいやつらしいっす」


 茶の間にはそれらしいものはなかった。


 「奥の部屋か」


 襖で仕切られた部屋のへ視線を移した時、


 「――ッ」


 不意にバランスを崩した。


 床が抜けて右足が埋まっていた。


 「大丈夫っすか桐島くん!」


 木名瀬が駆け寄ってくる。


 「馬鹿!近寄るな!」


 「ひゃっ!?」


 案の上、私と同じ目に合った。もっとも私が片足だけ埋まってしまったのに対して木名瀬のところの床は更にガタが来ていたのか、綺麗にすっぽり両足とも床を割った。元々背が低いのもあってか、下半身が丸ごと埋まってしまった格好である。笑ってはいけないが、何だか、面白い。我慢したつもりだったが僅かに口もとが弛んだかもしれない。


 「うぅ……」


 悔しいのか、恥ずかしいのか、呻いた。


 木名瀬は半べそをかきながら、差し出された久慈の手を掴んだ。


 「怪我は?」


 「……ないっすけど、びっくりしたっす」


 「大丈夫?」


 私は二人のやりとりを聞きながら自力で脚を抜いた。床にへたりこんだ時、左手に何かが触れた。


 「――」


 腕だった。いや、本物ではない。かなり小さい。人形の腕だろうか。一瞬ひやっとしたが、久慈が、


 「桐島くんも大丈夫?」


 と聞いてきたので気がそれた。


 「ああ」


 「この辺は歩かない方がいいわね……」


 ちゃぶ台の周辺の、特に床が変色した所を指して、久慈が言う。そういえば山下も腐った床で脚を怪我したと聞いていたのに迂闊であった。私はかぶりを振って気を入れ直した。


 「……奥の部屋だったな」


 と、改めて私は視線を移した。が、


 「――」


 視線が釘付けになる。


 女がいた。


 穴だらけの襖の部屋の向こう。ほんの数メートルの距離だ。柱の影から半身だけ出して、私を見ていた。


 荒れた長い黒髪。白いワンピースのような服。薄暗く掴みにくいが、瞳が血のように赤く燃えている。


 まず激しい鳥肌が立った。遅れて首筋のひんやりがきた。


 あ、これは凄いぞ。


 咄嗟に思う。首筋の不快感が、だ。大体の事なら我慢できる自信があったが、これはちょっと、我慢出来そうにない。過去に経験した事がない程の激しい波である。


 例によって女は、私に対して激しい殺意を向けてくる。私と女はそのまま見つめ合った。目をそらせなかった。どころか指先に至るまで全く動かせない上に、呼吸すら上手く出来なくなる。


 私は、声にならない声をあげた。


 「ど……どうしたすか桐島さん」


 聞こえてはいるが反応が出来ない。


 「桐島くんやめてよ……ふざけてるのよね……?」


 久慈が私の肩に触れた。縛られていた縄が切れたように、私の身体は少し自由になった。


 「……帰れ」


 声が出た。


 「え」


 「女が……いる」


 ひっ、と木名瀬が短い悲鳴をあげる。


 「やめてよ、本当怖いんだから……」


 それまで落ち着いていた久慈の声も震えている。


 首筋のひんやりは治まらない。叫びだして暴れまわりたくなるのを辛うじて抑制していたのは後ろの二人の存在だった。全部幻覚に過ぎない。分かっている。しかし理解は理性などとっくに越えて、現実と幻に境がなくなっていく。


 刹那。


 空気を詰めた紙袋を叩いたような、小さな破裂音が奥の部屋から響いた。


 「きゃあっ!」


 木名瀬と久慈が悲鳴をあげた。気付くと柱から半身だけ出していた女が、直立不動の体制のまま、少しだけこちらに近付いていた。


 女が近付いた分だけ私の感覚もまた麻痺し始めていた。もういつ狂ってしまうか分からない。いつか教室で暴れ狂ってしまった時のトラウマが甦る。私のあんな姿を二人に見られたくなかった。


 「……木名瀬、久慈。早くこの家をでてくれ。家を出たら、あとはふもとまで走るんだ」


 私の身体の自由が利かない以上、私の狂気を見られない為には、二人に居なくなってもらう他なかった。


 「……桐島くんは?」


 「あとから行く……頼むから言う通りにしてくれ……頼む」


 木名瀬はもう泣きじゃくって、話が通じるのは久慈だけだった。久慈はしばし考えていたようだったが、やがて言われた通り、木名瀬の手を引いて離れていった。


 「人を呼んでくるわ!」


 二人の気配が遠くなっていく。


 女と睨みあったまま、どれだけの時間が経ったか分からない。

 

 現実か幻かなどどうでもいい。全く微動だにしないのに、女は、段々私に近付いてきていた。もうとっくに狂っているのだろうが、身体が全く動かない上に声も殆どでなかった。


 近付くにつれ女の顔がはっきりとしてくる。肌はまるきり水分がないかのように渇き、赤黒い血管が浮き出ている。血走った瞳はただ私に殺意と狂気を向けてくるばかり。いつしか私と彼女の距離は僅か1mほどに縮まっていた。


 「みつけてよ」


 何?


 私はいぶかんだ。


 聞き取りにくい上意味も分からず、私は黙っていた。少しして、女の形相が一変した。


 「みつけてよおぉぉぉ!!!」


 頭を振り乱し、じだんだを踏んで、私に何かを訴えているようである。私も叫んだが、全く声にならない音が喉から漏れただけだった。

 

 次の瞬間、女の腕が私の首を掴んだ。


 私の身体は動かない。ただ、怒りに狂った女の顔を眺めている事しか出来ない。


 苦しい。


 殺される。


 視界が霞み、思考が霞み、


 私は意識を失った。

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