私が異世界転生ものが嫌いな理由
私が異世界転生ものが嫌いな理由は、一言で表すのなら「自分勝手」だからだ。
異世界転生ものを見ると、大抵の主人公は引きオタニートなど現実世界で不幸だったり上手くいかない人生を送っていて、ひょんなことからトラックに轢かれて死んで、人生を後悔しながら異世界に飛ばされ、生まれ変わって成功した人生を送る。
それは「現実世界が嫌だから死んでしまいたい。でも自殺するのは気が引けるし、誰かに殺されて痛いのも病気になって長く苦しむのも嫌だ。自分は被害者だ、そうありたい。全部誰かのせいにしたい。生まれ変わって自分じゃない誰かになりたい」というマイナス要素の強い欲望だ。
引きオタニートの主人公は自分の分身。轢かれるのが電車でなくトラックなのは、車の事故死なら絶対的に運転手を加害者に仕立て上げることができ、自分は悲劇の主人公として死ねる。普通自動車にしないのは、トラックの方がより確実に死ねるからだ。生まれ変わるのは、今の自分自身が大嫌いで、別の誰かになりたいからだ。
なんと自分勝手な話だろう。あとに残される人のことも、トラックの運転手のことも、なにより今生きて存在している自分のことをまったく考えていない。とてもひどい考えだ。
誰かが言った。ライトノベルは読む人の欲望を映し出す鏡だと。
私は悲しい。今ライトノベルを読んでいる人々の求めているものが「現実世界での死」であることがとても悲しい。
人生をやり直したいなら、時間を巻き戻す話にすればいい。異世界に行きたいのなら行けばいい、でもそこへは現実世界の、今生きている自分で行けばいい。なにも死ぬことはないはずだ。
現実世界で与えられた命を大切にしない人間が、たかだか別の世界へ行ったくらいで幸せになんかなれるはずが無い。「自分じゃない誰か」になって得た成功に意味は無い。それが例え文章の中の世界の話であっても。
「死にたい」という気持ちを何度も見るのは嫌だ。もっと希望のある話が読みたい。