第五話『スサノオ』
カナコの涙を見た翌日も、ミズキは〈タカマガハラ〉に来ていた。
昨日は泣き疲れたカナコをカヤに預け、帰宅の途に就いた。ヤヒロが代わりに〈スサノオ〉の格納庫まで案内をしようかと提案してくれたのだが、それは丁重に断った。理由はカナコに案内してほしかったからだ。ミズキの意図を察したヤヒロはそれを了承し、代わりにと、彼女を車で自宅まで送ってくれた。
そして今、ミズキはカナコと並んで、改めて格納庫へと続く廊下を歩いていた。
「昨日は、ごめんなさい。その……取り乱してしまって」
ふいにカナコが呟いた。出逢った頃と変わらぬ無表情のはずだが、どこかよそよそしいのは、人前で泣いてしまった事を恥じているからだろう。
「ううん。気にしなくていいよ、そんな事」
対するミズキの返事はあっさりしたものだった。カヤなら面白がって話を混ぜっ返すところだろう。
だが、ミズキはそれをしない。基本的に真面目な性格なのだ。
『好きな子をいじめる』より、『好きな子には好きだとアピールしたい』タイプとも言える。
ともあれ、カナコにしてみれば追及されないのはありがたかった。
だから――
「……ありがとう。その、色々――」
口をついて出てしまった感謝の言葉に、カナコ自身の気持ちが追い付いていけていない。言葉尻が途切れてしまう。
「…………ごめんなさい。上手く、伝えられなくて」
足を止め、俯いてしまう。
そんなカナコを、ミズキはどうしようもなく愛おしいと感じてしまう。母性本能をくすぐられるなどといった甘いものではない。
(なんだろう、この気持ち?)
ミズキは己に問いかける。カナコに対して感じる感情の正体を。
(友情?)
それは微妙に違う気がする。
(愛情?)
近い気がする。
誰かを大切にしたいと思う、この気持ち。
切なく、優しく、愛おしいと感じる感情。
それは――
(恋……?)
† † †
自己嫌悪。
恐らく、自分にもっとも似合う言葉のひとつだろう。
まったくもって嫌になる――カナコは心の底からそう思う。
ありがとう――ただ、ミズキにそう伝えたかっただけなのに、余計な事を言ってしまう。
どれだけ消極的なのかと、自分の思考が嫌になる。
こういう自分が嫌いだ。
根暗で。自虐的で。マイナス思考で。
ほとほと愛想が尽きる。
それでも、これが自分だ。
やめる事も、棄て去る事も出来ない。
一生付き合っていくしかないのだ。
いつしかカナコは、そんな風に諦めて生きてきた。
だが……。
(もう、こんな風に考えるのはやめよう)
だって――
(ミズキがいてくれるのだから)
俯いていた顔を上げる。そうして見えたのはミズキの笑顔だった。
言葉にはせず、ただ気遣うように、ぎゅっと自分の手を握ってくれている。
それが嬉しかった。
それだけで立ち向かえる気がした。
嫌いな自分に。
だから――
「…………ありがとう――」
もう一度、そう言った。
今度は無粋な言葉で終わらせないために、ぐっと唇を引き結んで、じっとミズキの目を見つめる。小動物を思わせる黒く大きな瞳を。
見様によっては睨んでいるように見えるかもしれないが、それは仕方ない。ミズキなら判ってくれる。そんな勝手な希望を込めた。
「……うん」
ミズキの返事は簡潔だった。
しかし、カナコにはたくさんの想いが込められた一言に思えた。
伝わったのだ、カナコの想いも。
それが嬉しくて、カナコはミズキとつないだ手を、ぎゅっと握り返した。
無愛想なままなのは仕方ない。
今はこれが精一杯だから。
† † †
そんな小さなやり取りを終え、二人は〈スサノオ〉の格納庫に到着した。
そこに控えていたのは、人と同じ四肢を持った全高八・五メートルの巨人だった。
対タタリガミ戦用機神〈スサノオ〉。
白を基調にしたカラーリングに、ヒロイックでスマートなデザイン。頭部は小さく、『目』が二つある。
「…………すごい。本当に〈スサノオ〉だ――」
たっぷり三十秒は見上げたままの姿勢で、ミズキはようやく、それだけ言葉にした。
カナコも改めて自分の愛機を見上げてみる。
確かに、ミズキのようなロボット好きにしてみれば『カッコイイ』のかもしれない。
カナコにしてみれば、もう二年以上、共に戦った戦友だ。それが憧憬のまなざしで見られるのは誇らしくはある。
だが、ミズキの興味が別の対象に移ってしまったようで、それはそれで面白くないとも感じる。
「……コクピットも見てみる?」
それでもミズキが喜ぶなら――そう思って提案すると、
「いいの!? 見たい見たい!!」
予想以上の食い付きに、カナコは内心で少しだけ引いていた。
† † †
それから小一時間ほど――ミズキは〈スサノオ〉のコクピットのシートに座り、操縦桿を引いたり、ペダルを踏んだりしては、興奮して嬌声のようなものを上げていた。
何が楽しいのかは正直、理解に苦しんだが、ミズキが満足ならそれでいい。
そう自分を納得させてカナコは、コクピットから出るのを惜しむミズキを連れて昇降機を操作する。床に降り、ミズキはもう一度〈スサノオ〉を見上げる。
「あたし、〈スサノオ〉に乗っちゃった――」
どこか恍惚とした表情を浮かべるミズキ。
それを呆れ顔でカナコが見ていると、
「――よう。もういいのかい、新人のお嬢ちゃん?」
と、声を掛けられた。
声のした方に二人で振り向く。そこにいたのは五十代くらいの年齢に見える男性だった。
「野口さん。〈タカマガハラ〉の整備関連のチーフをしている人」
「よろしくな」
カナコの簡潔な紹介を受け、野口はミズキに握手を求めた。
だが、ミズキがそれに応じようとすると――カナコが制した。
「駄目よ、あまり近づいたら。無害そうな中年に見えるけど、実際はセクハラ親父だから」
「――へ?」
カナコの言葉の意味が一瞬では理解出来ず、ミズキが間の抜けた声を出す。
すると、野口は短く舌打ちし、
「いいじゃねえか、カナコちゃんよぉ。女子高生の手を握るくらい?」
と、のたまった。
「そういう思考だから駄目なのよ。セクハラをするならカヤさんにしてください。あの人なら――ええ、何の問題もありませんから」
「はあ? 二十代の女なんかに興味はねえ。おじさんは十代の女の子が好きなんだよ」
「――行くわよ、ミズキ。ここは危険だわ」
「まあ待て。お城ちゃん、〈スサノオ〉の解説とか聞きたくないかい? おじさんが色々、教えてやるぜ?」
野口の言葉にミズキのロボット好きセンサーが反応した。
「聞きたいです!」
「そうこなくっちゃな! まあ、立ち話もなんだ。飲み物でも奢ってやるから、ゆっくりしていきな」
そう言って野口はミズキを自販機に誘導していく。
「…………はあ」
カナコは盛大に溜息を吐き、二人に続いた。
† † †
買ってもらった緑茶の缶を片手に、ミズキは野口の声に耳を傾けていた。カナコは『セクハラ親父だ』と言っていたが、〈スサノオ〉の解説をしてくれる彼には、悪い感情は抱かなかった。
「――とまあ、そんな感じだ。なんか質問があれば訊いてくれていいぜ?」
やはり気の良いおじさんに見える。先ほどの『十代の女の子が好き』発言はどうかと思うが。
「じゃあ――〈スサノオ〉って動力は何なんですか?」
「さすがはロボット好きだな。普通、女子高生がメカの動力なんぞに興味は持たんぜ?」
「えへへ、やっぱり変ですかね」
「いや、実に素晴らしい。ちなみに〈スサノオ〉の動力は――核融合炉だ」
ミズキの質問に、野口は真顔で答えた。
「ええっ!? 核融合炉って実現化してたんですか!?」
「いや、すまん。冗談だ」
それを聞いてミズキはがっくりと肩を落とした。核融合炉といえばロボットアニメの代名詞とも言える作品で使われている動力機関だ。それだけに冗談である事が惜しい。
「じゃあ、何で動いてるんですか? もしかして蓄電池ですか? まさかガソリンじゃないですよね?」
ロボットアニメ史上、ロボットがガソリンを燃料に動いていた作品もある。あまりSF的ではないが、それが味があるという声も聞く。
「あー……」
「?」
野口がカナコの方を向いて、窺う(うかがう)ような表情をした。それに対してカナコは『了承』というように頷いた。
それで相談は済んだのだろう。野口はミズキの方に向き直ると、
「――わからん!」
と口にした。
「……『ワカラン』? 聞いた事ありません。それって、どういう理論なんですか!?」
「いや、そうじゃなくてだな。判らないんだ」
「……判らない?」
ようやく漢字変換が出来たミズキは、呆気にとられた表情で繰り返した。
「そうだ。〈スサノオ〉が何で動いてるのか、俺達には判ってないんだよ」
野口の言葉に耳を疑いながら、ミズキは甘いブレンドの缶コーヒーを啜っているカナコの方を見た。
「本当よ。〈スサノオ〉がどういった理論で動いているのか、誰も知らないわ」
そう言ってカナコは、〈スサノオ〉が〈タカマガハラ〉で運用されるに至った経緯を話し始めた。
† † †
〈人類の黄昏〉。
時代が二十一世紀となり、十年が経過した頃――今から約百年前にそれは始まった。
劇的な変化が起きたわけではない。むしろ、その頃を境に変化は起こらなくなった。
具体的に言うと――技術の進歩が止まった。
理由は判らない。
ただ、科学技術と呼ばれるものの発達が見られなくなった。
技術の停滞。
日進月歩などという言葉は過去のものとなり、衰退こそしないものの、人類は新たな技術を生み出せなくなった。
それを『人類の進化の袋小路』だと言う者もいた。
それでも人は今日まで生き続けた。
それは緩慢な滅びへと向かう日々でもあった。
知恵を得て、文明を築いた人間は、巨大化した社会を維持するためのシステムを造り、それを維持しなければならなかった。
それは走り続ける事だ。
より豊かに、より便利に、より良い未来のためにと。
もはや、止まる事は許されない。
止まるという事は、衰退する事と同義なのだろう。
少しずつ、確実に、人類はその生物としての活動を縮小させていった。
結果的にこの百年、人類は長い歴史から見れば驚くほどに『何もしていなかった』。
携帯電話の形や機能は変わっていない。移動手段にしても、光の速度を超えられず、瞬間移動の類の技術などなく、車は今もタイヤで地面を走っている。ネットワーク技術もインターネットを超えるシステムは開発されず、連絡手段は未だに『紙』を使っている。宇宙進出など夢のまた夢だ。
ただ一つだけ喜ぶべき事があるとするなら、『戦争』と呼べる規模の争いが起こっていない事かもしれない。
この百年――戦争は一度も起こらなかった。
それに引きずられるように、紛争やテロ行為すらも発生件数が激減した。
無論、ゼロにはならない。だが、確実にゼロに近付いていた。
誰もが待ち望んでいた『世界平和』は、誰もが思いもよらない形で実現されつつあったのだ。
しかし、戦争のない世界で多くの人が途方に暮れた。
誤解を恐れずに言えば、それまで人は戦争によって生きながらえてきた。
兵士として戦うだけが戦争ではない。戦争で使われる兵器・武器・弾薬の製造に関わる者。食糧その他の物資の供給をする者。彼等の利益の恩恵を受ける者も、間接的に戦争をしているようなものだ。
戦争と無関係な人間などいない。
食料品や日用品が入手出来るのも、経済が回っているのも、何かしらの形で戦争と関わりがある。
平和な国に生まれて平和を実感出来るのは、どこかで戦争をしている国がある事を知っているからだ。
平和は、どこかの誰かを犠牲にして得られている。
ただ無自覚なだけで――いや、気付いていない振りをしているだけだ。
気付いていながら、気付いていない振りをする。
食事のたびに『この料理のために家畜が殺されたのか……』などと考えないように。
そうでなければ――生きていけないから。
しかし、戦争のなくなった世界は、その現実を人々に突き付けた。
ああ、自分達は戦争をして、その犠牲の上に生きてきたのだと……。
戦争のない世界で、人類は少しずつその数を減らしていった。
蔓延していく虚脱感と倦怠感は人々の活力を奪い、厭世観を持つ者が増えた。
平和なはずの世界で、しかし、人は生きていけなかった。
技術の停滞が戦争をなくしたのか。
戦争のない世界が技術の進歩を止めたのか。
それは今になってはどうでもよかった。
ただ、人類が緩慢な滅びへの道を進んでいる事だけは間違いない。
そんな〈人類の黄昏〉が始まって半世紀以上が経過した頃。
「三十年前――西暦二〇八四年に〈スサノオ〉はここ、高千穂に降臨したの」
教科書通りの講釈を述べた後、カナコは普段通りの淡々とした口調で言った。
「降臨?」
オウム返しに口にするミズキ。
「言葉通りの意味よ。〈スサノオ〉は空から降りてきたらしいわ」
三十年前の話だ。当然、ミズキもカナコも生まれていない。
「それで?」とミズキは続きを促す。
しかしカナコは、
「それだけよ。これ以上の事は私も知らない」
と、匙を投げるように言った。
ミズキは混乱した。〈スサノオ〉は日本政府が開発したと発表されている。しかし、それが空から降りてきた?
「空って、宇宙っていう意味……?」
ミズキの疑問に、しかしカナコは「いいえ」と答えた。
「その日、大気圏外から日本上空に突入するコースに正体不明な物体は観測されていなかったそうよ」
「それじゃあ、つまり――」
「〈スサノオ〉は高千穂に突然現れた事になるな」
それまで黙っていた野口が、ミズキの考えを代わりに言ってくれた。
「だからって、馬鹿正直に『〈スサノオ〉は突然現れたんです。私達にもよく判りません』なんて発表したら、民衆は不安になるわ。それに、〈スサノオ〉には役目があった」
「役目って?」
「詳細は知らないけど、〈スサノオ〉が現れた時に、メッセージがあったそうよ。〈スサノオ〉という名前はそれで判明したらしいわ」
そこで、野口がカナコの言葉を継いだ。
「そして、タタリガミの出現もそれで知らされたそうだ。当時の日本政府はそれを信じて〈タカマガハラ〉を組織した。ここが戦いの場になる事も判ったから、大急ぎで区画整理やら法整備も行ってな」
ちなみに、技術解析のために分解しようと試みたが、〈スサノオ〉の装甲にはメンテナンス用の分割線すら無く、内部構造は不明のままだそうだ。故に動力機関は元より、関節機構すら見る事が出来ない。
「じゃあ、〈スサノオ〉は整備出来ないんじゃないですか?」
ミズキがもっともな疑問を浮かべた。
対して野口は、
「出来ないというか、要らないんだよ。完全に整備要らず(メンテナンス・フリー)。壊れたら自動で修復してくれるんだわ、これが」
と、それでいいのかと疑いたくなるくらいきっぱりと言ってのけた。実際、先日の戦闘で損傷した〈スサノオ〉の左腕は完全に修復されていた。
これが自己修復というなら、まさにSFだ――ミズキは驚きを通り越して感動すらしていた。
「〈スサノオ〉を造ったのは、本当に神様かもしれない」
どうして人間を乗せる必要があるのかは謎だけどね――とカナコは、どこか自嘲的に呟いた。
「どういう事?」
「私はロボット工学の事は知らないけど、二本足で立たせるだけでも大変なんでしょう?」
カナコの言葉は正しい。人間は当たり前に行っているために気付かないが、二本足で立つというのは、実はバランスを取るのが非常に難しい。これを巨大な人型で、さらに歩かせるとなると、どれだけの技術と時間と労力が必要になるか見当もつかない。
「そんなすごいものを造れるなら、人を乗せなくても動くように出来たんじゃないかって思わない?」
ミズキの問いに、カナコはそう答えた。
「いわゆる自律稼働ってやつだな。まあ、安全面での配慮もあるんだろうが、俺が思うに〈スサノオ〉は人類に託されたんじゃねえかな?」
「あ――そういう考え方、あたし好きです」
「?」
野口の意見にミズキが賛同する。それに対し、今度はカナコが首を傾げた。
「まあ、メカニックに興味がないカナコには判らねえだろうが、ロボットアニメなんかだと、そういうパターンもあるんだよ」
と、野口は苦笑しながら言った。どうも、野口もミズキと同じ趣味の持ち主らしい。
「だからね――『力を貸してやるから、あとは自分達でなんとかしろ。自分達の未来は自分達で切り開け』的なパターンだね」
ミズキは非常に楽しそうだ。
「……理解に苦しむわ」
そう言いながら、カナコは無言で佇む巨大な愛機を見上げた。
物言わぬ機神は、ただ虚空を見つめるだけだ。
† † †
まだ〈スサノオ〉を見たいと愚図るミズキを多少、強引に連れ出して、カナコ達は食堂に移動していた。
気付けば、もう夕飯時になっていた。放っておいたら、何時間でも格納庫にいただろう。
ちなみに、自分も連れて行けと言う野口に、カナコが絶対零度の視線を向けて拒絶したのは言うまでもない。
「野口さん、全然悪い人には見えなかったけど?」
ミズキがのほほんとした口調で言う。
まったくもって、お気楽な性格だとカナコは溜息を吐いてみせた。
「そこが、あの人の油断ならないところなの。今日は〈スサノオ〉の話で盛り上がっていたからいいけど、普段は本当にセクハラ親父よ。だから、私といない時には近づいては駄目」
「そうなんだ……」
カナコの熱のない淡々とした口調に、どこか怒気が混じっている気がして、ミズキは反応に困ったように曖昧に笑った。
「…………」
カナコは、そんなミズキを無言で見つめる。
本当に判っているのだろうか。
いや、この人の良い少女の事だ。判っていても、他人を悪く言えない性格である事はすでに知っている。
もう一度だけ溜息を吐いて、カナコは気持ちを切り替える。
そんな事よりも、ミズキと話したい事が別にあった。
「――ねえ、ミズキ」
「ん、なに?」
注文したステーキ肉を咀嚼しながら答えるミズキ。その様は口いっぱいにヒマワリの種を頬張ったハムスターを連想させる。
(やっぱり小動物系ね)
カナコは内心で再認識する。
「?」
無言で何かを納得しているカナコに対し、ミズキは疑問符を浮かべた。
「ミズキ――出身は?」
「え?」
カナコの唐突にも思える問いに、ミズキはまた疑問符を浮かべる。
「その……私、ミズキの事を何も知らないなと思って」
「うん」
「だから、今日はあなたの事を教えてくれると……嬉しいというか。迷惑でなければだけど」
「うんうん! いいよ、何でも訊いて! 迷惑なんかじゃないよ!」
カナコの窺うような問い掛けに、ミズキは満面の笑みを浮かべて答えた。
その嬉しそうな表情に、カナコはほっとする。
「あたしね、この春に東京から来たの。それまでは東京で生まれて、ずっと向こうで暮らしてた」
「どうして高千穂に?」
カナコが疑問に思うのも無理はない。高千穂といえばタタリガミが出現する土地として世間的には認識されている。〈スサノオ〉の存在によって被害は最小限に抑えられているが、それでも皆無ではない。わざわざ危険な土地に引っ越してくるには、それ相応の理由があるはずだ。
しかし――
「あのね――〈スサノオ〉をこの目で見たくて」
「…………」
カナコは無言。
絶句しているわけではない。むしろ予想出来ていた答えだ。
しかし、実際に口にされると、やはり言葉が出なくなる。
「馬鹿だって言われるかもしれないけど、あたしね、本当に〈スサノオ〉が好きなの。どうして、こんなに惹かれるのかは自分でも判らない。ロボットが好きだからっていうのもあると思う。けど、〈スサノオ〉は何か違うの。特別な感じがするの。だから、少しでも近くに行きたくて、高千穂の高校を選んだんだ」
そう言ってミズキは、また曖昧な笑みを浮かべてカナコの反応を待った。
「……あなた、馬鹿じゃないの?」
この少女は――馬鹿だ。
カナコは率直にそう思った。
だから、思ったままを口にした。
言葉を選ぶ間もなく、口をついて出てしまった。
しかしミズキは、
「あはは。やっぱり言われちゃった」
と、気を悪くした様子はない。
そう言われる覚悟があったのだろう。
「お母さんとお父さんにも反対されたんだ。高校は東京の学校に行きなさい――って」
「…………」
「だけどね、お婆ちゃんだけが『ミズキの好きにしたらいい』って言ってくれたんだ」
ミズキの話によると、彼女の母方の祖母が高千穂に住んでおり、ミズキの受け入れ先になってくれたらしい。余談だが、ミズキの父親は婿養子らしく、母親と祖母に頭が上がらないそうだ。
「じゃあ、ミズキは今はお婆さんと?」
「うん。お爺ちゃんはもう亡くなってるから、二人で暮らしてるよ」
ちなみに、西暦二一一四年の現在も首都は東京である。〈人類の黄昏〉以降も、日本でもっとも大規模な都市である事に変わりはない。
それに対し、高千穂は三十年前に始まった大規模な区画整理計画により、中心部の人口は減り、交通の便は非常に悪い。
本来は都市の発展の要となる中心部が空白地帯なのである。必然的に様々なものが分散してしまい、結果――都市としての発展はしにくくなる。
要は辺鄙な土地なのだ。田舎と言われても仕方ない。
それに加えて、被害規模は小さいとはいえ、タタリガミのような化け物が出る様な土地に住みたがる――ミズキのような例外を除き――物好きはそういない。高千穂を離れる住民も少なくないのだ。
それでも『神話の里』としては今でも有名で、いくつもある神社はパワースポットとして知られており、観光名所として知られている。
ちなみに、区画整理によって一般家屋は中心部から遠ざけられたが、学校や神社など、動かす事が困難な施設に関しては元の場所に残っている。タタリガミの出現範囲内に高千穂高校があるのはそのためだ。
「そう。大都会・東京から、わざわざ好き好んで、こんな田舎に引っ越してくるなんて――物好きにもほどがあるわ」
「うん。だって、〈スサノオ〉が好きだから」
「…………」
あきれて言葉がないカナコに、ミズキは「それにね」と続けた。
「――ここに来なかったらカナコにも出逢えなかった。だから、来て良かったって思うんだ」
朗らかに言うミズキ。
その笑顔がまぶしくて、カナコは目を逸らした。赤面しているであろう顔を見られたくなかったから。
だから、これは照れ隠しだ。
「…………馬鹿じゃないの?」
「あはは。ひどいにゃー」
無邪気に笑うミズキは本当に馬鹿だと思う。
だけど、もっと馬鹿なのは、彼女の言葉が嬉しいのに、そう言えない自分だ。
格納庫にいる間も、ミズキが〈スサノオ〉に夢中で、正直、面白くなかった。多少、強引に食堂に移動したのも、彼女と二人になりたかったからだ。
もっと話したい。
もっと知りたい。
もっと一緒にいたい。
だから――
「ねえ、ミズキ……今週の土曜日、一緒に出掛けない?」