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第四話『涙』


 タタリガミ。

 それは――異形の存在。

 それは――災厄を呼ぶもの。

 形状は様々だが、全高はどれも十メートル前後。既存――もしくは空想上――の生物の姿を模した個体が多く、一般人からは単に『怪獣』とも呼ばれている。

 タタリガミが初めて確認されたのは二年前――西暦二一一二年四月三日。日本の宮崎県・高千穂(たかちほ)町だ。

 その形状は八つの頭を持った蛇――日本神話に登場する怪物・ヤマタノオロチを想起させるものだった。

 これに対し、日本政府は対タタリガミ戦用機神〈スサノオ〉を投入し、タタリガミに対し勝利を収めた。日本政府はタタリガミの出現を予測しており、そのための対抗手段として人型兵器をあらかじめ用意していたのだ。

ヤマタノオロチに酷似した怪物を、スサノオの名を冠した巨人が倒す――それは神話の再現のようだった。

 それ以降、タタリガミは何度も確認された。

 そして、そのすべてが〈スサノオ〉によって殲滅(せんめつ)された。

 タタリガミが現れる理由、その目的は完全には判明していない。

 だが、その出現位置は高千穂の地に限定されており、対抗する手段もある。だから、タタリガミによる実質的な被害は極めて小さい。進路が変えられない台風や、予測不可能な地震の方が、まだ災害としての恐怖は大きい。

 局地災害指定生物とされながら、人類にとってタタリガミはそれほどの脅威ではない――はずだった。

 

          †  †  †

 

「――というのが、一般に公開されているタタリガミと〈スサノオ〉に関する情報ね」

 説明を終え、鳴海カヤはコーヒーで唇を湿らせた。

 カナコと出逢った日の翌日。

学校を終えたミズキは〈タカマガハラ〉のブリーフィング・ルームに来ていた。

正式に〈タカマガハラ〉の特別スタッフとなったが、服装は私服で構わないと言われた。そもそも、ミズキはまだ高校に入学したばかりの学生であり、その立場はカナコの相談役という、極めて特殊なものだ。

それでも最低限の情報は知識として知っておいてほしい――そのためにカヤが今回の説明会の場を用意した。

ちなみにミズキの隣の席にはカナコが、つまらなさそうに座っている。

神宮寺カナコ。

〈スサノオ〉の搭乗者。

(つや)やかな長い黒髪と、黒曜石(オブシディアン)のような黒い瞳。細くしなやかな肢体を黒いセーラー服に包んだ、はっとするような美貌の少女だ。

「……なに?」

ミズキの視線に気付いたカナコが口を開く。

「うん、カナコは本当に綺麗だなと思って」

 臆面もなく、そんな事をのたまうミズキ。

「……馬鹿じゃないの?」

 そう言うとカナコは、ふいとミズキから視線をそらせた。

 普通なら機嫌を損ねたと思うだろう。だが、ミズキにはなんとなく、それがカナコの照れ隠しなのだと判っていた。

カナコは無表情ではあるが、無感情ではない。ただ感情表現が苦手なだけなのだ。

人と接するのが苦手な不器用な少女。

そう考えるとカナコが可愛く見えてくる。

同時に、笑ってほしいと思う。歳相応の少女のような笑顔が見たいと思う。

だからミズキは言葉を重ねる。

()てついた彼女の心を、少しずつ解きほぐすように。


          †  †  †


 顔が熱い。

 カナコは沸騰しそうな頭をなんとか冷やそうと、努めて平静を装っていた。

 本当に、この少女は何を考えているのだろうか?

 及川ミズキ。

 身長はカナコより少し低く、体格は小柄。肩にかかるくらいの、ややウェーブがかかった黒いショートヘアと、黒く大きな瞳。ほわっとした雰囲気はハムスターのような小動物を思わせる。

 充分に可愛いらしい容姿だろう。だが、特筆するほどでもない。

 昨日知り合ったばかりの、どこにでもいそうな普通の少女だ。

 なのに、なぜか彼女の言葉を意識せずにはいられない。

 今までは、こんな事はなかった。

 他人に心を乱される事などなかった。

 自分はどうかしてしまったのだろうか?

 それとも――

(ミズキの言葉だから?)

 そんな風に考える。

 ちらとミズキの方に視線を向ける。

 ミズキはカナコと目が合うと、にっこりと微笑んだ。

(――――!?)

 慌ててまた視線をそらす。

カナコの鼓動が早まる。

これでは、まるで恋する乙女のようではないか。

(恋? 私が? ミズキに?)

 馬鹿馬鹿しい――くだらない思考を、そう切って捨てたかった。

 だが、ならば、この気持ちはなんだろう?

 カナコには判らなかった。


          †  †  †


「すごいわ、及川さん。まさかカナコを一日でデレさせるなんて」

 カナコとミズキ――二人の少女のやり取りを見ていたカヤは、感心したように言った。

 傍目(はため)には一方的に話しかけているミズキを、カナコがあしらっているように見えるだろう。だが、カヤも二年以上、カナコと付き合っているのだ。カナコの表情がわずかに緩んでいるくらいは判る。

「……誰がデレてるんですか? 適当な事、言わないでください」

 不機嫌そうな態度を隠す事なく、カナコは冷たい視線をカヤに向ける。

 常人であれば委縮(いしゅく)しそうな絶対零度の視線だが、付き合いの長いカヤは(ひる)まない。

 むしろ楽しそうに、その視線を受け止める。

「ふふふ、隠しても無駄よ――ツンデレちゃん?」

「…………」

 勝ち誇ったようなカヤの挑発に対し、カナコは無言。

 十秒ほど沈黙が続いたところで、カナコがミズキの手を握って立ち上がった。

「行きましょう、ミズキ。ここは空気が悪いわ」

「え、でも――」

「いいから。〈スサノオ〉、見たいんでしょう?」

 そう言うとカナコはミズキを連れてブリーフィング・ルームを出て行った。

「ふむ、ちょっと大人げなかったかしら」

 少女達がいなくなった部屋でカヤは独りごちた。

 言葉とは裏腹に、反省している様子はない。

 むしろ、満ち足りたような表情でカナコ達が出て行った扉を見つめていた。

 嬉しかったのだ、カナコの変化が。

 同時に少し寂しい気持ちもあった。

 自分はカナコを変えられなかった――変えてやれなかった。

 だが、ミズキはそれをやってのけた。たったの一日で。

「……私は母親には向いてないのかもね」

 カヤは再び独りごちた。


          †  †  †


「ねえ、よかったの? 勝手に出て行って」

 廊下を進むカナコに手を引かれながら、ミズキはその背中に問いかけた。

「いいのよ。あの人は私をからかって楽しんでるだけなんだから」

 カナコはミズキに振り向きながら答えた。

 そこで気付いた。ミズキが妙に嬉しそうな顔をしている事に。

「……何、にやにやしてるの?」

「え? ううん、カナコの手は温かいなって思って」

 はたと気付く。何気なくやってしまったが、今、自分はミズキと手をつないでいる。

 急にそれが恥ずかしくなって、カナコは慌てて手をほどいた。

「……ごめんなさい」

 そんな言葉しか出てこない。

「なんで謝るの?」

 ミズキは不思議そうに首を傾げた。

 カナコが何を謝っているのか判らない――そんな様子だ。

「……嫌じゃなかった?」

「カナコはあたしと手をつなぐのが嫌なの?」

「そんな事……ないけど――」

「なら、いいじゃない」

 そう言うと今度は、ミズキの方からカナコの手を握ってきた。先程までの握手に近い形ではなく、互いの指を絡める、いわゆる『恋人つなぎ』だ。

 そしてカナコの隣に並ぶと、「えへへ」と少し恥ずかしそうにはにかんだ。

「――――!?」

 言葉にならなかった。

 顔が熱くなるのが止められない。

 つないだ手から、ミズキの体温が伝わってくる。

久しく感じていなかった――人肌の温かさ。

(なんなの、この状況は……?)

ちらとミズキの横顔を見ると、カナコほどではないにせよ、緊張しているのが見て取れた。

(恥ずかしいなら、やらなければいいのに――)

 そう思いながら、カナコは悪い気分ではなかった。むしろ嬉しかった。

自分と触れ合ってくれる人がいる。

隣に並んでくれる人がいる。

それが嬉しくて。

だけど、それをどう表現すればいいのか判らなかった。

ありがとう――そんな言葉が言えるほど素直ではない。

 だから、ほんの少しだけ、ミズキとつながっている手に力を込めた。

 伝わればいいと強く願って。

 するとミズキは、カナコの方を向いて、もう一度はにかんだ。

(気付いてくれた……?)

 ミズキの表情は透明で、純粋で、無垢で。カナコには(まぶ)しかった。

(どうして、こんな風に笑えるんだろう?)

 判らない。昔は自分もこんな風に笑えていたはずなのに。

 いつからだろう。何かきっかけがあったのだろうか?

(やっぱり私は、何か大事なものが欠けてるんだ……)

 ミズキと手をつなぐ資格などない。

 誰かと触れ合っていい人間ではないのだ。

 そんなネガティブな思考が湧き上がるのが止められない。

(……死にたい)

 いつも、最終的にそこに行き着く。

 心が空っぽになって、空虚な倦怠感に侵される。

 しかし――

「――どうしたの……?」

 ミズキの不安に曇った顔がカナコを見上げていた。

「泣きそうな顔してる」

 ミズキの言葉に、カナコは首を傾げた。

悲しくなどない。

ただ空虚なだけだ。

泣きたいわけじゃない。

ただ――

「私は……」

 言葉が出ない。

ミズキが手をつないでくれたのが嬉しくて、それを伝えたかっただけなのに。

そんな事すら出来ない自分が歯がゆくて、何も言えない自分が情けなくて。

「私……」

 ミズキの顔が見られない。きっと困惑しているだろう。立ちつくしている自分を不審に思っているかもしれない。そう思うと、もう前を向けなかった。

 そうしていると。

「――カナコ」

「え……?」

 柔らかな感触と共に、ぎゅっとミズキに抱きしめられていた。つないだ手はそのまま、空いている手でカナコの頭を抱くように。

「あたしね、昔はよくいじめられてて。泣いて家に帰ったら、お母さんがこうやって抱きしめてくれたんだ」

 泣く子をあやすよう母親のようにミズキは言った。彼女の髪の匂いが、カナコの鼻腔(びこう)をくすぐる。

(どこのメーカーのシャンプーだろう?)

 そんな、どうでもいい事を考える。

 ひどく落ち着く。

 ミズキの身体の柔らかさと体温が心地良い。

「あのね、あたしはカナコに出逢ったばかりで、まだ何も知らないけど――泣きたい時は泣いていいんだよ」

「!?」

「悲しいのに泣けないのは辛いよ。だから人は泣くんだよ。悲しくなくするために。だから、泣いていいんだよ?」

 ミズキの言葉にはっとした。

(私は『悲しい』って感情すら判らなくなってたんだ……)

言われるまで気付かなかった。

「……私は嬉しかったの、あなたと手をつなぐ事が出来て。でも、それを表現出来ないのが悲しかった」

 そう。これは悲しいという感情だ。

「だから、違うの……嬉しかったからで、泣きたいわけじゃなくて――」

 上手く言葉に出来ない。こみ上げてくる感情を処理出来ない。

 それを察したのかミズキは、

「あのね、嬉しくても人は泣くんだよ。だから、泣いてもいんだよ」

 と、もう一度繰り返した。

 そこでカナコの感情は溢れた。

 空っぽのはずの心が、感情で満たされた。

 気付けば、ミズキの身体にしがみつくようにして泣いていた。

 こんな風に人前で泣くのは何年ぶりだろう。

 ずっと心を閉ざして生きてきた。

 他人と関わらなくても生きていけると思っていた。

 いや、違う――そう思わなくては生きていけなかったのだ。

 他人に対する恐怖が始まった日。

 それは新たな絶望の始まりの日だった。

 その日からカナコの感情は少しずつ死んでいった。

(いつか、すべての感情が死んで、私も死ぬと思ってた)

 だが、ミズキと出逢った。

(ミズキが私を救ってくれる? 〈スサノオ〉じゃなくて……?)

〈スサノオ〉。

 それはカナコの救済のはずだった。

 タタリガミを殲滅(せんめつ)するための機神(きしん)にして、心のよりどころ――そのはずだった。

(――――ッ!?)

 そしてカナコは、真っ黒に染まった〈スサノオ〉の姿を幻視(げんし)した。その形相(ぎょうそう)は見なれたヒロイックなものではなく、鬼神(きしん)のような禍々(まがまが)しいものだった。

(……そう。いつか、あなたが私を殺してくれるのね)

 新たな絶望と、ほんのわずかな安堵感が胸中を満たす。

 やがて、心に浮かんだ黒い〈スサノオ〉の姿が消える。

 同時に、今、自分が幻視したものも忘れてしまっていた。


          †  †  †


 廊下で抱き合って立ちつくす二人の少女の姿に目を留めた人々は、一瞬、何事かと声を掛けようとしたが、ミズキが『大丈夫です』という顔で笑うので、実際に声を掛ける事はしなかった。

 幸い、すぐ近くにベンチがあったので、ミズキはカナコの身体を抱いたまま移動し、二人で座った。幼い子供のように泣きじゃくるカナコを、ミズキは無言で抱きしめ続けた。

 やがてカナコの泣き声が寝息に変わった。疲れたのだろう。

体重を掛けられているはずなのに、それを重いと感じないのは、カナコが痩せているからだと判る。

(身長はカナコの方が高いのに……体重は同じくらいかな?)

それはちょっと、ずるいと思う。

それから、カナコの無防備な寝顔に視線を向ける。普段は『綺麗』な印象だが、寝顔は『可愛い』と感じる。

(もっと仲良くなれば、もっと色んなカナコが見られるかな?)

 それは、すごく魅力的で楽しみな事に思えた。

 だけど、悲しい顔はもう見たくない。

 そんな事を思っていると、カナコの身体が何かに(おび)えるように、一瞬、びくんと震えた。

「………………〈スサノオ〉――」

 悪夢にうなされるように、カナコの唇が動いた。わずかに聞き取れた単語は、ミズキもよく知る機神の名だった。

夢の中で〈スサノオ〉の名を呼んでいるのだろうか?

助けを求めるように。パートナーの名を呼ぶように。

目尻(めじり)に涙を浮かべたカナコの表情からは、推測する事しか出来ない。

だが、それでミズキは自分の気持ちに確信が持てた。

「泣いてる顔も綺麗だけど、あたしはカナコの笑顔が見たいよ」

そう言って、自分の腕の中で眠る少女の目尻に浮かんだ涙を、そっと(ぬぐ)った。

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