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第三話『名前を呼んで』

 時刻は午後七時。

〈タカマガハラ〉施設内にある食堂は、食事をするスタッフ達で賑わいを見せていた。

 メニューは割りとバラエティに富んでおり、大手のレストラン並だ。ミズキは迷った結果、ハンバーグのセットを注文した。

 対して、彼女の向かいの席に座っているカナコはホットコーヒーのみだ。それに備え付けの角砂糖を五個以上入れ、更にミルクを追加してかき混ぜている。

「……神宮寺さん、甘くない?」

 どこかぼけっとしているミズキだが、さすがに気になって()いてみた。

「甘いわ――だから何?」

 カナコは無表情に答えて、コーヒーを(すす)った。

「ううん、別に。甘いの好きなの?」

「ええ」

「でもご飯時だよ? それだけでいいの?」

「ええ」

 ミズキの問いかけに対して、カナコの返答はそっけない。元より会話を弾ませる気などないのだろう。

 だが、それでもミズキはめげない。カナコは問えば答えてくれるのだ。無視されるよりはずっと良い。

 もっともカナコにしてみれば、無視して付きまとわれるより、さっさと質問に答えて解放されたいだけだ。だから仕方なく、こうして食堂でミズキと相席している。

 その光景は〈タカマガハラ〉のスタッフ達の目には、ある意味で異様に映った。

〈スサノオ〉の搭乗者であるカナコの顔を知らない者など、この施設にはいない。そして彼女は常に独りで、誰も近くに寄せ付けない事を知っている。

 だから、『あのカナコが見知らぬ少女と食事をしているらしい』――そんな情報が広まるのはあっという間だった。

「うわ、マジでカナコちゃんが女の子といる」「誰、あの子。友達かしら?」「うちの〈戦姫(いくさひめ)〉は今日も見目麗しいねえ」「いや、見知らぬ少女の方もなかなか……」「ねえ、百合(ゆり)? 百合なの!?」「うるさいぞ。気付かれるだろう!」

 自分達の席を遠巻きに見つめる一団――としか呼びようがない――に気付いていない振りをしながら、ミズキは「もう気付いてるけどね」とカナコに(ささや)く。

「……気にしなくていいわ」

 いつもの事だとカナコは嘆息する。

「ねえねえ、〈戦姫〉って神宮寺さんの事でしょ? うわあ、かっこいいなあ」

「あなた、私の事、馬鹿にしてるでしょう?」

「違うよ! それにロボットに乗ってるなら二つ名はあってしかるべきだよ!」

 ステータスだよ、とミズキは付け加えた。

「もしかして、あの人達って神宮寺さんのファンクラブとかじゃないの?」

「……知らないわよ。馬鹿馬鹿しい」

 カナコはそう言ってまたコーヒーを啜った。無表情に。

 それが照れ隠しに見えたのは都合が良すぎるだろうか、とミズキは思案した。

カナコは無愛想だが、それはただ不器用なだけのようにも思える。きっと感情表現が苦手なだけだと。

 改めてカナコの容姿に目を向ける――美人だ。

 透徹(とうてつ)した人形のような無表情も美しいが、笑えばまた違った魅力があるに違いない。

「…………なに? 急に黙って」

 無言で自分を見つめるミズキに、カナコは不可解そうな表情を浮かべた。

「ううん。神宮寺さん、笑えばもっと可愛いのになって」

 思ったままを言葉にすると、カナコはほんの一瞬だけ唖然とし、

「……何を言ってるの? 口説き文句のつもり?」

 と、怪訝(けげん)な顔をした。

「あ――ち、違うよ!? そういうんじゃなくて、あの……」

 ミズキはしどろもどろになって言葉を探す。

 思った事をすぐ口にしてしまうのは自分の悪いところだ。

「あはは。何言ってるんだろうね、あたし」

「…………」

 カナコはただ無言。

 ミズキも乾いた笑いを浮かべるだけで、言葉が出ない。

 その間にミズキが注文した料理が席に届く。

「うわあ――美味しそう」

 思わず口にしてから、ミズキがハンバーグに手を付ける。ナイフとフォークで切り分けると、肉汁が溢れ、視覚的にも食欲が刺激される。

しばし、ミズキは食事に専念した。

 会話が途切れ、場が沈黙する。


「――あなた、何なの? どうして私に構うの?」

 

 沈黙を破ったのは意外にもカナコだった。ミズキが料理を平らげるタイミングを待ってくれていたのだろう。それに気付くとミズキは無性に、温かい気持ちになった。

 しかしカナコは無感情な瞳を向け、無感情な声音でミズキに問うてくる。

 初めて出逢った時と同じ、どこか寂しげな瞳で……。

 

          †  †  †

 

 カナコにはミズキの意図が判らなかった。今日初めて出逢った彼女が、何故、自分をこうも構ってくるのか。

 カヤ達に頼まれたから?

 それとも、他に何か目的があるのだろうか?

 判らない。ミズキの考えている事が判らない。

 判らないという不安は、怖いという感情に繋がる。

 他人が自分をどう思っているのか判らないのが――怖い。

 無関心ならいい。下心があったり、嫌われているのも構わない。もう慣れた。

 だが、ミズキのカナコに対する態度や表情は、そういった類のものではない。

 ならば彼女は自分に対して、何を思っている? 

 それが判らなくて怖い。

 だから問うた。

「――あなた、何なの? どうして私に構うの?」

 自分でも驚くほど底冷えのする声が出た。

 それは恐怖の裏返し――怖れを悟られまいと虚勢を張っているだけだ。

「…………」

 問われたミズキは無言――いや、何を言われたのか理解出来なかったのかもしれない。それほどにカナコの問いは、異国の言語の様な、呪文めいた響きを伴っていた。

 それは叫びだった。

(みっともないな、私――)

 内心で呟き、カナコはうつむく。

(何を期待していたんだろう)

 膝 (ひざ)の上で力なく握った手を見つめる。

(何を言ってほしかったんだろう)

 判らない。

(私は……)

 自分で自分の気持ちが判らない。

(…………死にたい――)

 意識が思考の闇に沈んでいく。

 だが――

 

「――神宮寺さん!」

 

 突然の声に、沈みかけていたカナコの意識が浮上した。

 正面に視線を戻す。そこには、今にも泣き出しそうなミズキの姿があった。

「あ、あたし――あたしは……」

 あたふたと慌てふためきながら、ミズキは言葉を探している。

「あたしは及川ミズキ、十五歳、七月七日生まれの(かに)座、血液型はO型、好きな食べ物は肉料理全般、スポーツは苦手で、趣味は……カ――カッコイイ、ロボット!」

「…………」

 一息でまくし立てるミズキに、今度はカナコが無言を返した。

 そして気付いた。今のは、先ほどのカナコの問いに対する答えだ。

「あたしはね、神宮寺さんの事を知りたい! 友達になりたいから!」

「…………」

「だから、その、迷惑かな……?」

 不安げにこちらを見上げるミズキに、カナコは戸惑った。

 友達。

 久しく縁がなかった言葉だ。

 だからだろうか、ミズキの言葉に現実感がなかった。テレビ画面の向こう側のような、舞台上の芝居のような、遠い世界の出来事のような感覚。

「……神宮寺さん?」

 ミズキの(うかが)うような声が、カナコを現実に引き戻す。

 問うたのは自分だ。ミズキはそれに答えた。

 だがカナコはどう返せばいいか判らなかった。

 だから――

「……趣味はロボットって、何それ?」

 そんな言葉しか出てこない。

 しかしミズキは気を悪くした様子も見せず、

「へ、変だよね。男の子みたいってよく言われるんだ」

 そう言って「あはは」と苦笑するだけだ。

 ちくりと胸が痛んだ気がした。

 違う。こんな事が言いたいのではない。

 嬉しかったのだ、ミズキの言葉が。

 だが素直にそう表現する事が出来ない。その方法を忘れてしまった。

 それに怖かった、自分をさらけ出すことが。

 なのに、ミズキはそれをやってのけた。

 苦笑して見せているが、恥ずかしかったに違いない。まだ顔が上気している。

 だからだろうか、カナコも少しだけ本音を言いたくなった。

「変じゃないわ……私も、好きだもの」

 呟くように言葉にする。

「――でもそれは、あなたの『好き』とは多分、違う」

 そうだ――『好き』などというロマンチックな感情ではない。

「私には〈スサノオ〉しかない。だから〈スサノオ〉に乗るの。〈スサノオ〉に乗っている時だけが安息なの。〈スサノオ〉だけが希望なの。〈スサノオ〉だけが救いなの。〈スサノオ〉に乗っている時だけ、私は私でいられるの」

 これは『依存』だ。自分は〈スサノオ〉に生かされている。

「〈スサノオ〉が……〈スサノオ〉だけが――」

 譫言(うわごと)のように繰り返す。

〈スサノオ〉――と。

 そして気付いた。今、自分はどんな顔をしているのだろう。

(気持ち悪いな、私――)

 ミズキの顔が見られなかった。彼女はどんな顔で自分を見ているだろうか。

 自己嫌悪で死にたくなった。

 受け入れてもらえなかったらどうする?

 いや、もう充分に引かれているだろう。

 拒絶されてしまったらどうする?

 そしたらきっと……。

(私はもう、生きていけない)

 それきり思考が停止する。もう何も考えたくない。

 だから、ミズキが何か言う前に立ち去ろうとした。それがお互いのためだと。

「待って!」

 なのに、ミズキはカナコを引き止めた。

 先ほどまで泣きそうなくらいに慌てていたのに、今、カナコを見つめるミズキの目は真剣だった。

 ミズキの大きな黒い瞳に自分が映っている。それが確認出来るほどの至近距離で、カナコはミズキと見つめ合う。

 言葉が出てこない。思考も働かない。

「……えっと」

 引き止めたミズキも同じらしい。だからカナコも少しだけ冷静になれた。

 少なくともミズキは嫌悪感の類を表情に出してはいない。引いた様子もない。

 それだけで、また少し安堵した。

「あ、あのね――神宮寺さんの『好き』が、あたしなんかとは比べられない事は判ったよ。それってすごい事だよね!」

 と、ミズキが興奮気味に言った。

「神宮寺さんと〈スサノオ〉は一心同体で、そこには深い絆とか、熱い信頼関係があるって事でしょ?」

「……そんな上等なものじゃないわ。これは私の……ただの依存症よ」

「ううん。だとしても、きっと素敵な片想いだよ」

『片想い』――ずいぶんと詩的な解釈だ。

 ミズキと話していると、おかしな気分になってくる。彼女は自分を偽らず、飾らず、本音でぶつかってくる。

それが嬉しかった。だから、カナコも少しだけ自分の事をさらけだしたくなった。

〈スサノオ〉に乗って戦う理由を。

 それはタタリガミを倒すためではない。

ましてや世界平和のためなどでは決してない。

 カナコには、そんな正義感や使命感などない。正直なところ、この世界がどうなろうと、カナコの知った事ではない。

 彼女が〈スサノオ〉に乗ってタタリガミと戦う理由――それは『戦いたいから』だ。

それだけが自分の存在価値だから。

それだけが自分の存在理由だから。

 だから戦う。

自分のために。ただ、それだけのために。

「幻滅したでしょう? 私は世界を護るヒーローなんかじゃない。ただ自分勝手に戦うだけなの」

「それでもいいんじゃないかな。『世界のため』とか、『誰かのため』とか、そういうお題目は立派で綺麗だけど、そういうのって現実だと、なんか胡散臭(うさんくさ)い気がするし」

「…………」

「自分のために戦える神宮寺さんはすごいよ。あたしはそう思う」

 ミズキの言葉は自信に満ちている。

 だが、その根拠はどこにある?

「私の事、何も知らないくせに」

 カナコが警戒するように身構える。

 しかしミズキは、

「うん、まだ何も知らない。だから教えて、神宮寺さんの事!」

「……つまらない女の、つまらない話よ」

「つまらないかどうかは、あたしが判断するよ」

「……………」

 カナコは観念したように席に座り直した。

 それからはミズキの質問攻めだった。たいしたことは訊かれなかった。カナコにしてみれば他愛もない、どうでもいいような事ばかり。

 しかし、ミズキは楽しそうに自分の話を聞いてくれる。それが嬉しかった。

 ミズキとの会話を楽しいと感じた。

 まだ自分にそんな感情が残っていたのが不思議に思えた。

 同時にこうも思った――ミズキも楽しいと感じてくれているだろうか?

 楽しいと感じているのは自分だけなのではないか?

 途端に寒気がした。

 ――もしそうだったら?

 ネガティブな感情がカナコの思考を侵食していく。

 いつもこうだ。悪い方向にばかり気持ちが傾く。

 傷付きたくないから。

 傷付くのが怖いから。

 心に予防線を張って、周囲に壁を作って生きてきた。

 だが、もうそんなのは嫌だ。

 だから――

 

          †  †  †

 

 カナコの様子が変わったと、ミズキは直感的に察した。

「神宮寺さん?」

 急に黙り込んでしまったカナコに声を掛けると、彼女は小さく肩を震わせた。

 何かを恐れるように。

 何かに(おび)えるように。

 その『何か』の正体をミズキは知っている。

 だから――

「…………ねえ、及川さん――」

「ミズキだよ」

 カナコの言葉を制して、ミズキは言った。

「あたしの名前――ミズキ。及川さんじゃなくて、ミズキって呼んで」

「…………」

 ミズキの発言にカナコは再び黙り込む。だがそれは先ほどまでの気まずい沈黙ではなく、どこか気恥かしさを感じる間だった。

「………………ミズキ」

 ためらいながらミズキの名前を呼ぶカナコの表情は、どこにでも居る十六歳の少女のそれだった。彼女の不安――それは自分との距離感だろう。どこまで踏み込んでいいのか判らない。目には見えない心の距離。

 それを縮める方法をミズキは知っている。

 お互いを名前で呼ぶ事。

 最初はそれだけでいいと思う。

 まず踏み込んでみて、それからお互いに安心出来る距離を知っていけばいい。

 最初の一歩を――傷付く事を恐れていたら、多分、何も始められないし、始まらない

 傷付いてもいい。

 傷付けられてもいい。

 きっとそこから、すべてが始まるから。

「うん! なに?」

 ミズキは笑顔でうなずく。

 カナコが踏み込んでくれたのが、ただ嬉しくて。

 

          †  †  †

 

 カナコは気恥かしさでいっぱいだった。

 ただミズキの名前を呼ぶだけで、気力を使い果たしてしまった気がする。

 この雰囲気で自虐的な発言など、無粋(ぶすい)なだけだろう。

 だから、

「……何でもないわ」

 と、自分のネガティブな思考と共に、くだらない言葉を切り捨てた。

「えー、何でも訊いてくれていいんだよ?」

 ミズキが不満げに言う。だが気を悪くした様子はない。

 それに安心する。この空気を壊さずに済んだ。

(――ミズキ)

 胸中で呟く。不思議な響きだ。

 名前そのものに意味があるのか、その名を冠する少女の存在によるものなのか。どちらにせよ、カナコにはその名が心地良く思えた。

 自分の名前はどうだろう?

 カナコ。

 自分の存在を表す名前。

(私の名前――)

 ――呼んで欲しい。

(私も。ミズキに)

 ――名前を呼んで。

(そしたら、きっと)

 きっと――

「――神宮寺さん」

  ミズキの声に、はっとして視線を移す。

「……なに?」

 努めて平静を装う。

 しかしそれも徒労に終わる。

 

「あのね……あたしも神宮寺さんの事、名前で呼んでいい?」

 

 心を読まれた気がした。

 恥ずかしさで死にたくなった。

 思考回路が働かない。

 だから――

「…………好きに呼べばいいわ――」

 それだけ言うのが精一杯だった。

 空になったコーヒーカップに一度視線を落として、窺う様にミズキに戻す。

 彼女の表情は喜色に染まっていた。

 笑みを浮かべてカナコを見ている。

 そして、その唇が言葉を(つむ)ぐ。

 

「うん! ありがとう――カナコ!」

 

 ミズキの言葉がゆっくりとカナコの心に浸透していく。

 胸がいっぱいになる。

 思考回路はとっくに焼き切れていた。

 顔が熱くなっていくのが止められない。

 名前を呼ばれただけなのに。

 ただ、それだけの事なのに……。

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