第一話『ガール・ミーツ・ガール』
極東の島国――日本。
そこには独特の文化がある。
それは巨大な『ロボット』や『怪獣』というものをモチーフにした娯楽作品が多い事だ。この国ではわざわざ『巨大な』という形容詞を用いるまでもなく、ロボットと言えば人型をした巨大兵器を。怪獣と言えば、やはり巨大生物を誰もが想像する。
無論、巨人や異形の怪物が登場する神話や物語は古くから世界中に存在するが、それらに独自の解釈やアレンジを加えて製作されるアニメーションや特撮作品は世界一――むしろ、日本の独壇場とも言えた。
それは西暦二一一四年の現在においても変わらない。
たとえ現実に巨大な異形が現れ、それを打倒するための人型兵器が実戦配備されている現在でも、そういったものに対する憧憬はなくならない。
人は強く巨大なものに、怖れと共に憧れを抱く。
どれだけの時が流れても、人間の本質は変わらない。
彼女の様に――
「…………」
自宅のリビングで、少女はテレビ画面を食い入る様に見つめていた。
肩にかかるくらいの、ややウェーブがかかった黒いショートヘア。ぱっちりとした大きな黒い瞳。体格は同年代の少女と比べても小柄で、どこかハムスターの様な小動物を思わせる可愛らしさがある少女だ。
及川ミズキ。
先日、高校生になったばかりの十五歳。
ロボットアニメが趣味という点を除けば、極めて一般的な女子高生である。
「…………」
ミズキが無言で観ているのは国営の朝のニュース番組だ。そこには白を基調にした『ロボット』が、黒い『怪獣』と戦っている映像が映されている。
アニメや特撮ではない。実際に記録された映像だ。
テロップの日付と時間は四月八日の夜――昨夜に当たる。
「――ミズキ、早く食べないと学校に遅れるわよ」
「……うん、判ってる」
祖母に急かされても、ミズキはテレビ画面から目を離さない。すでに諦めているのか、祖母はそれ以上は言葉にしない。
映像は白いロボットが黒い怪獣にとどめを刺すシーンに変わっていた。ロボットが日本刀のような片刃の剣を振り下ろし、怪獣の頭頂部から下腹部までを一刀両断にしていた。
これだけ聞くとお茶の間の放送に流せないグロテスクな情景が頭に浮かぶが、怪獣の断面からは肉や骨、内蔵器官などは見えず、体液が飛び散る事も無い。数秒もするとその身体は砂の様な光の粒子になって分解されて、跡形もなく消え去った。
そこで映像は白いロボットの勝利を称えるように上半身をアップで映した後に、ニュース・スタジオに切り替わった。
「あれ? 〈スサノオ〉の左腕の装甲がへこんでたけど、編集でカットされたのかな?」
〈スサノオ〉。
それが白いロボットの名前である。
正式名称は対タタリガミ戦用機神〈スサノオ〉。
そして『タタリガミ』とは〈スサノオ〉が倒した怪獣の総称である。
――巨大ロボットと怪獣。
それは現代において架空の存在ではなくなっていた。
「ミズキ、いい加減にしないとバスの時間に間に合わないわよ」
「あ、はーい」
しかし、人々の日常が一変するほどの大事でもなくなっていた。
現に『昨夜、ロボットと怪獣が戦った』という事実に誰も驚かない。ちょっとした事件が起きたくらいの認識だ。
テレビではニュースキャスターとコメンテーターが〈スサノオ〉の武器の話をしている。
「あの剣、〈アメノムラクモノツルギ〉っていうんだ……」
トーストをかじりながらも、ミズキはやはりテレビから目が離せない。ここ高千穂に移り住んでから、初のタタリガミの出現。それを撃退するため〈スサノオ〉が昨夜、戦闘を行った。
しかも新たな武装を携えて。
彼女はその事実に興奮を抑えきれない。
「……カッコイイなあ――」
ミズキはトーストをかじるのも忘れて〈スサノオ〉に想いを馳せる。
まるで恋する乙女のように――いや、実際に彼女のそれは恋に近い感情だった。
〈スサノオ〉が実戦配備されてから約二年間、ミズキはずっとその姿に憧れていた。白を基調としたカラーリングとヒロイックなデザインに心を奪われた。
正真正銘の人型。
顔は小さく、バイザーの奥には二つの目。
まさにミズキの愛するロボットアニメから抜け出てきたようだと感じた。
「どんな人が乗ってるんだろう」
〈スサノオ〉の搭乗者は公表されていない。判っているのは有人機であるという事だけだ。
「…………」
そうしてまた〈スサノオ〉の事を考える。
時間は家を出る予定時刻を過ぎていた。
† † †
西暦二一一四年四月九日。
まだ桜が満開の時期。
日本の九州地方。宮崎県北端部にその学校はあった。
県立高千穂高等学校。
生徒数は約四百人ほどの、どちらかと言えば小さな学校である。
「はあ……」
教室に続く階段をゆっくりと上りながら、少女は憂鬱な気分と戦っていた。
腰まで届くストレートの長い黒髪と、黒曜石のような黒い瞳。黒いセーラー服を着た姿は極一般的な日本の女子高生のそれだ。
しかし、その少女は美しかった。
整った顔立ちと、すらっとした体型。何かが突出しているわけではないが、均整のとれた容姿には隙がない。それは『少女』という成長途上の一定期間にしか許されない、無垢な美しさと言える。
だが、少女の雰囲気は気怠い。不機嫌そうですらある。
何がこの美しい少女の機嫌を損ねさせているのか。
理由はいくらでもあるが、ひとつ挙げるとすれば――現状だ。
少女は今、自分の在籍するクラスの教室に向かっている。
これから教室に入り、まだ一度も座った事のない自分の席に座り、延々と息苦しい気分と戦わねばならない事を思うと死にたい気持ちになる。
「…………」
だから目的の階に着き、廊下につながる角を曲がった所で、少女の足は止まった。
やはり教室に行く気にはなれない。すでに授業が始まっている教室に入っても悪目立ちするだけだ。
(……屋上に行こう)
そう考えて少女は踵を返す。
すると、しんと静まり返っていた廊下に慌ただしい足音が聴こえた。誰かが階段を駆け上がってくる。その足音がだんだんと大きくなってくる。
そして――
「――あ!?」
「――え?」
授業中の廊下に人がいるとは思わなかったのだろう。階段を駆け上がってきた誰かは、その勢いのまま曲がり角を九十度ターンし、出会頭に少女とぶつかった。
† † †
(――綺麗な子だ)
及川ミズキはそう思った。
祖母の言葉に空返事をし、〈スサノオ〉に関する放送を最後まで観てしまったミズキは、当然の如くバスに乗り損ねた。東京で暮らしていた彼女にしてみれば、次の便に乗ればいいという気持ちだったのだが、ここは田舎だ。バスの便数は限りなく少ない。
テレビに――いや、〈スサノオ〉に夢中だったミズキはそれを失念していた。結果、学校に到着した頃には一時間目の授業が始まってしまっていた。
バス停から校門まで走り、下駄箱で靴を履き替え、教室に向かってまた走った。
遅刻の理由をあれこれ考えていたのが悪かったのだろう。完全に注意力が散漫になっていた。こんな時間に廊下を歩いている者などいない――自分の事は当然棚に上げて――と思いこんでいたミズキは、教室に繋がる曲がり角で信じられないものを見た。
――学校の廊下に女神がいた。
言葉にしてしまえば、ありふれた陳腐な表現だが、その時には他の表現が浮かばなかった。
だから次の瞬間、「――あ!?」などという言葉しか出てこなかったのも、ある意味で自分らしいとも思った。語彙が貧困なのだ。
しかし、それも無理からぬ事だと思う。
『女神』はあまりにも美しかったのだから。
ぶつかる直前の「――え?」という短い言葉にすら、鈴を転がしたような澄んだ美しさがあった。
その直後の柔らかい感触を忘れる事はないだろう。
全速力でぶつかったミズキは勢いを止められず、『女神』を押し倒していた。
そして気付いた。自分がぶつかったのが、とんでもない美少女である事に。
さらさらの長い黒髪。黒曜石のような黒い瞳。抱きしめたら折れてしまいそうな細い肢体。
ぶつかった時にも感じたが、この少女には重さがないのではないか。きっと、見た目以上に華奢な身体つきをしているに違いない。
押し倒された体勢でミズキをじっと見ている少女の姿は儚げで、どこか嗜虐心をそそられる。
美しい少女を押し倒している――その状況がミズキの思考を変な方向に加速させる。自分が同性である事すら忘れさせる、その少女の美しさは魔性だ。ミズキの癖っ毛のショートヘアとは対照的な長い黒髪が、乱れて顔にかかっている姿は艶やかで美しい。
しかも――
(うわ、スカートがめくれてる。しかも……黒!?)
少女の下着の色まで確認したところで、ミズキはまず先にすべき事に気付いた。
「ご、ごめんなさい! ……大丈夫?」
押し倒してしまった少女に手を差し出す――が、その手は少女によって払いのけられた。
少女は自力で立ち上がり、スカートに付いたほこりを払うと、無言で階段を上っていった。
まるで何事もなかったかのように。
ミズキと一度も言葉を交わす事もなく。
しかしミズキは見てしまった――少女の、吸い込まれそうになる、どことなく寂しそうな黒い瞳を。
「…………?」
そして床に落ちている物に気付いた。ミズキも持っている生徒手帳だ。
「あの子のかな?」
恐らく、先ほどぶつかった時に落としてしまったのだろう。生徒手帳を拾い、裏返す。そこには顔写真が印刷された学生証が収められている。写真は間違いなくあの少女だ。
「『1年A組 神宮寺カナコ』……同じクラスだ」
ミズキがこの高校に入学して一週間。まだクラスメイト全員の顔と名前は覚えていないが、あれだけの美少女が同じクラスにいれば忘れるはずもない。
だが、カナコの顔に見覚えはない。初めて会ったはずだ。
「…………よし」
ミズキは拾った生徒手帳を持って、少女を追いかけた。すでに遅刻は確定している。そんな事より彼女を追いかけるべきだ。
階段を駆け上がると扉があり、その先は屋上だった。
† † †
神宮寺カナコは今年の春から高千穂高校に入学した一年生だ。
だが、彼女は授業はおろか、入学式にも参加していない。そもそも、高校に通うつもりもなかった。にもかかわらず、こうして制服を着て、形だけとはいえ学校にいる。
「はあ……」
カナコは溜息を吐き、呟いた。
「…………死にたい――」
天気は快晴。校庭を見下ろせば、まだ満開の桜が綺麗に見える。
なのに、カナコの気分は憂鬱だった。
今に始まった事ではない。物心がつく頃から彼女の気分はそうだった。
生きる事に意味を見出せなくなった。
生きる事を面倒に思うようになった。
生きる事が嫌になった。
理由は判らない。なぜか、そうなってしまった。
それからは他人が怖くなった。
世界そのものに疎まれている気がした。
どこにも自分の居場所はないと思っていた。
それでも今日まで生きてきた――生きてこられたのには理由があった。
それが……。
「〈スサノオ〉――」
呟く。
愛おしい人の名を呼ぶように。
そこへ――
「――あなたも好きなの? えっと……神宮寺カナコ、さん?」
カナコとは別の少女の声がした。
振り返るとそこには、先ほど廊下でぶつかった少女がいた。肩にかかるくらいの、少しウェーブがかかった黒髪。大きめの黒い瞳はこちらを窺うように落ち着きがない。それなりに可愛らしい容姿だが、特に印象に残るほどでもない。
「……どうして、私の名前を知ってるの?」
警戒するようにカナコは訊いた。
「これ、さっき落としたでしょう?」
ショートヘアの少女が差し出したのはカナコの生徒手帳だった。
「ごめんね、勝手に見て。あたし、同じクラスの及川ミズキ。ミズキでいいよ」
及川ミズキというらしい少女は、少し興奮気味にそう言った。その様子はどこかハムスターの様な小動物を思わせる。
一瞬、礼を言うべきか悩んだが、そもそもの原因はぶつかってきたミズキだ。だからカナコは無言で生徒手帳を受け取った。
「ねえ、あなたも好きなの?」
ミズキはそんなカナコの態度に気を悪くした素振りも見せず、再度そう問うてきた。
「……何の事?」
「――〈スサノオ〉! さっき名前を呼んでたよね!?」
独り言を聞かれた事よりも、ミズキの異様なテンションに気圧された。無視すればいいものを、カナコは質問に質問で答えてしまった。
「……『も』って何? あなた、ああいうのが好きなの?」
「――うん! 大好き!」
正直、少し引いた。
この少女は白昼堂々、何を告白しているのだろう。
いや、別に自分が告白されたわけではないのだが、妙に気恥かしい気持ちにカナコはなった。そのくらいミズキの表情は真剣だった。
「カッコイイよね、〈スサノオ〉! あんなリアル系のスマートなデザインなのに、スーパー系が使いそうな武器とか魔法で戦うとかあり得ない! これで空が飛べたらまさにスーパーロボットだよね!? けど陸戦兵器ってところが燃えるのかも! 昨日は日本刀みたいな武器……〈アメノムラクモノツルギ〉だっけ? あれを使ってたけど、ロケット・パンチとかないのかな? あとドリルは基本だよね!」
滔々(とうとう)と熱弁するミズキ。
(リアル系? スーパー系? ロケット・パンチ?)
ミズキが何を言っているのか判らない。確かに〈スサノオ〉は陸戦兵器だが、それ以外は何を言っているのか理解が追い付かない。ドリルというのは削岩機の事だろうか?
カナコは珍獣を見るような目をミズキに向けた。
「あなたが何を言っているのか判らないわ」
「――へ!? あれ、もしかして好きじゃなかった……?」
「…………」
「じゃあ、どうして? さっき〈スサノオ〉って言ってたよね……?」
ミズキの問いに、やはりカナコは無言を返した。
好きか嫌いかなど考えた事がなかった。
ただ、カナコにとって〈スサノオ〉が特別な存在である事に違いはない。
なぜなら、彼女は――
「私は――」
カナコが何かを言おうとした時、ふいに警報が鳴った。
それは本来ならあり得ない事だったから、ミズキは警報の意味に気付くのが遅れた――否、彼女だけではない。ほとんどの人間がそうだっただろう。
「…………タタリガミ警報」
カナコの呟きに、ミズキは自分の耳を疑った。
† † †
突然のタタリガミの出現の予兆。しかし事態に反して、タタリガミ迎撃基地〈タカマガハラ〉の発令所は落ち着き払っていた。
慌てたところで仕方がない。
何よりも、彼等はこの事態を予測していたのだから。
「――どう?」
自衛隊の士官用制服に似た衣装に身を包んだ若い女性が訊ねた。
鳴海カヤ。
年齢は二十七歳。
長い茶色の髪をアップにしており、引き締まった表情からは『出来る女』に見えなくもない。
〈タカマガハラ〉における戦闘指揮官である。
「うーん……」
カヤが問うた先にいたのは、紅白の巫女装束を着た娘だった。
「アラミタマ反応、感知。予測出現位置は……高千穂高校方面だねえ」
閉じていた目を開き、のんびりとした口調で巫女装束の娘は言った。
飯綱メイ。
見た目は二十代前半くらいに見える。
長い髪は白く、瞳の色は赤い。見る者によっては兎を連想するかもしれない。
可憐な容姿に特徴的な色の髪と瞳――同じ器量良しでも、カヤとはまったく方向性が違っている。カヤが『近所に住んでいる綺麗なお姉さん』だとすれば、メイは『物語の中のお姫様』だろう。
「目と鼻の先か――」
カヤが口を開く。
「カナコは学校に行ってるわね?」
「現在位置は追跡しています。学校の屋上にいます」
カヤの問いかけに、彼女やメイのいる場所からは一段下になるオペレーター席の一人が答えた。
「……そう、教室じゃないのね――」
あらかじめ予想していたようにカヤは呟いた。
「〈スサノオ〉の修復状況は?」
「昨夜の戦闘で破損した左腕の修復が間に合いませんが、出撃は可能との事です。ただし、〈アメノムラクモノツルギ〉は禊中で使えません」
「装備は〈トツカノツルギ〉に変更。〈スサノオ〉、出撃準備」
カヤの指示に、彼女の部下であるオペレーター達が、それぞれに「了解!」と応え、自らの仕事をする。
ちなみに、『発令所』と言っても大規模なモニターやコンソールがいくつも並んでいるわけではない。部屋の広さはせいぜい学校の教室くらいで、設備も民間のテレビ局と同程度だ。
「住民のシェルターへの避難状況は?」
「警報は出していますが、一部で混乱が発生しています」
別のオペレーターがカヤの問いに答えた。
無理もない。昨夜に続いてのタタリガミの連続出現――これは前例がない。タタリガミが観測される様になって二年経つが、一週間と経たずに新たなタタリガミが出現する事はこれまではなかった。だから、タタリガミの発生には最低二週間の間隔がある――一般人はそう思いこんでいた。
「避難誘導を急いで。戦闘に巻き込まれるわ」
タタリガミの出現位置はある程度決まっている。高千穂神社を中心に半径約五キロメートル以内だ。その範囲内数カ所に地下シェルターが設置してあり、そのひとつが高千穂高校の地下にある。付近の住民は速やかに避難出来るはずだ。
「〈スサノオ〉の出撃準備、完了しました」
「判ったわ」
部下の声に答え、カヤは懐から携帯電話を取り出し、目的の人物の番号を呼び出した。
「カナコ、警報は聞こえてるわね。〈スサノオ〉はいつでも出せるから、迎撃、お願いね」
通話を終え、携帯電話を仕舞う。
そうしている間に正面の大型モニターに、格納庫の〈スサノオ〉の姿が映る。
白を基調にした兵器としては派手めのカラーリング。人体を模したスマートでヒロイックなデザイン。おまけに顔もある。
(まるでアニメだわ)
カヤは時折、そんな風に考える。
「――タタリガミ、顕現するよ」
メイが、どこか緊張感に欠けた口調で言った。
† † †
タタリガミは高千穂高校の校庭に顕現した。
「……あれが、タタリガミ?」
恐らく、肉眼でタタリガミを見たのは初めてなのだろう。ミズキは屋上の鉄柵に身を乗り出すようにして、眼前に顕現した異形を見つめている。
そう――異形だ。
腕がある。脚がある。しかし、その数が異常に多い。口がある。目もある。だが配置がおかしい。こんな姿をした生物など自然界には存在しない。まともな感性のある人間であれば、目を背けたくなる醜悪な姿をしている。
「――早く避難した方がいいわ」
ミズキと同じようにタタリガミを見つめているカナコが、視線はそのままでミズキに言った。その顔には表情がなく、恐怖を感じている様子は微塵も感じられない。
「神宮寺さんは逃げないの?」
「私はやる事があるから」
だから早く逃げろ――カナコの目は言外にそう語っている。
しかしミズキは避難しようとしない。
「……さっきの電話、誰から?」
「…………」
対するカナコは無言。
「聞こえたよ、〈スサノオ〉がどうとか。もしかして、あなた――」
ミズキが言葉を続けようとした時。
――しゃらん。
鈴を鳴らしたような音が聴こえた。
カナコが制服の袖を捲り、細い右腕を露にする。右手首に巻かれていたのは赤い紐で繋がれた、いくつもの天然石と鈴だった。
カナコが軽く腕を振るうと、また鈴の音が鳴った。
「――来て、〈スサノオ〉」
カナコの言葉に、ミズキは耳を疑った。
今、彼女は何と言った?
それを確認する前にその現象は起こった。
まず景色の色が反転した。そして、光り輝く円状の幾何学模様――魔法陣の様なものが屋上に描き出される。
そこから、水面に浮かび上がるように現れたのは白い巨人。
対タタリガミ戦用機神。
その名をミズキは知っている。
「…………〈スサノオ〉?」
そう、それは〈スサノオ〉だった。今朝、ニュースで観たばかりだ。
そうでなくてもミズキが見紛うはずもない。
彼女が憧れ、恋焦がれたその姿を。
それをカナコが呼んだ。
ミズキがカナコに視線を向ける。
「…………」
カナコは無言でこちらを見ていた。
「あ……」
言葉が出ない。
まるで金縛りにあっているように身体が動かない。
カナコの瞳から目が離せない。
ミズキを見る無感情で透明な瞳が、やはり、どこか悲しい色をしていたから。