番外編3 「尖閣沖=壮挙 8月16日―12日前」
短いですが、投下します。
「3つ目の人間の国では、2つ目の人間は異常である」
――西暦201X年8月16日深夜 尖閣諸島 大正島沖30海里
なぜこんなことになってしまったのだ…?
中国国家海洋局所属の海警中尉 宋天凱は顔面が蒼白になるのを止められなかった。
「撃て!!撃ちまくれ!!」
「海上に逃げた連中も逃がすな!海の藻屑にしてやれ!」
艦長が絶叫すれば、艦つきの政治委員も目を血走らせながらそれに応じている。
射撃管制システムの前に陣取る「砲長」は引き金を引き、それにあわせてこの海警哨戒艦「海警638」の主砲である57ミリ速射砲と30ミリ機関砲が連続射撃を敢行しつつあった。
およそ3キロ先では、白と青に塗り分けられた「巡視船」が黒煙で曇天を赤々と照らし出しながら船尾を上にして沈みつつあり、その隣では、「護衛艦」…いや、「駆逐艦」が今まさに炎上しつつある。
艦体横には大きな破口が開いており、沈没するのも時間の問題だろう。
炎は「駆逐艦」の艦籍番号「172」を照らしつつゆらめいている。
日本国防海軍ミサイル駆逐艦「島風」。冷戦時に計画された艦艇らしく、装甲が薄いうえに老朽艦である。
この10年あまりの釣魚群島(尖閣諸島)沖での軍事緊張を受け、日本海軍が退役を延期していたこの老嬢は、わが海警からのミサイル攻撃を受けて沈みつつあったのであった。
それ自体はまだいい。
百歩譲って、いい。
3日前の「天罰」、日本本土での大震災(宋はこのような文言が嫌いであるが、今や「天罰」だけで通じるようになってしまっていた)に伴ってわが海警は海軍東海艦隊の指揮下に入っているし、その艦隊司令部からの命令にのっとり自衛反撃を行うのは命令系統上問題ない。
たとえ、攻撃を受けたという事実が明らかに確認できなくとも、それは「そういうもの」なのだ。
国家の安寧を図るために予防戦争を行う、それは納得はできずとも理解できる。
それが北京の決断なら従うほかあるまい。
だが…
宋は思った。
「総員退艦した乗員を撃つのが『正義』なのか…!?」
熱狂するブリッジ(艦橋)にあり、宋はひとり孤独を味わいつつ呟いていた。
彼が先ほど艦長に述べた内容を反芻するかのように。
「いかに敵とはいえ、最低限の人道は守られるべきだ。そうしてこそ文明発祥の地である中華の威光を輝かせることができる。」
と述べた宋に対し、艦長はこう返した。
「そんなことをしても無駄だ。抗日戦争で奴らが何をしたのか忘れたのか。」
その日本軍の蛮行には大いに誇張が混じっていると返そうとした宋に、こんどは政治委員が嘲るように述べる。
「君はあの小日本に染まってしまったのか。漢奸なのか。」
漢奸。民族の裏切り者、売国奴。そう言われれば宋は沈黙するしかなかった。
彼は、日本の大学に留学経験があった。
数年で北京に戻ったとはいえ、そう疑われる下地があることは事実である。
漢奸。
かつてそう呼ばれた者たちは裏切り者のレッテルをはられ、残虐な私刑の果てに死亡し、一族ごと悲惨な運命をたどってきた。
なぜか?
それが正義とされたからだ。
かつての抗日戦争中に日本軍に協力したものはほぼ例外なくそんな目にあった。
そして今、過去の亡霊はよみがえりつつあった。
10年来のこの釣魚群島沖での緊張状態、唯々諾々と過去のプロパガンダに従うことをよしとしなくなった日本の国民と政府という現実は、積極的な宣伝と中華に蘇った誇り――あるいは虚栄心――をもって日本への反感に転化した。
容易には武力行使に及ばない日本に対し、「ちょっとした制裁」を行えばすぐに動く人民に気をよくしたのか、あるいはうまく利用しようと考えたのかここ数年わが祖国は積極的な行動に出続けていた。
あわゆくば「正義の懲罰」に移れるように。
しかし、日本人は安易に挑発に乗らず、逆に中国人民の方がフラストレーションをためこみ続けたままで数年が経過。
そうこうしているうちに、86世代といわれる改革開放の頃に生まれ育った「強い中華」である今しか知らない新世代がついに中間管理職にまで進出してゆき、強化された反日教育で教えられた「事実」が常識となっていき――
いつしか中日間の感情的な応酬は修復不能な溝を生んでいた。
少なからぬ数の日本方面に留学した「非エリート」(中華においてエリートはまず欧米へ留学する。日本へゆくのはそんなことができない連中といわれているのだ)たちは現実を知っているはずであったが、沈黙していた。
誰だって命は惜しい。
それに、祖国は強大になりつつあり、「敵国」日本は相対的に弱体化しつつある。
「最終的に日本が折れるのだから気にする必要はない」し、「信じたいことが信じられる」のだ。
その誘惑と、恐怖にあらがえる人間はごく少数だったのだ。
何より、祖国はそうした「反日」を明らかに擁護していた。悪の日本人から中華人民を解放したのが現在の祖国であるためだ。
「宋!聞いてみろ!!」
艦長が叫んだ。
どうやら思考の海に沈みこんでしまっていたらしい。
ちらりと射撃管制システムに映し出された救命ボートと、それに乗っていた人間の残骸を見て胸が悪くなった宋は、できるかぎりの真面目さと愛国心を動員して艦長殿の方へ振り向いた。
「祖国は我々の懲罰を報じているぞ!!」
ラジオの音声がまるで尊い何かであるかのように艦長は指をさしていた。
耳をそちらへ向けると、臨時ニュースとばかりにラジオからは「中国東海でわが軍艦が攻撃を受ける」と伝えていた。
唐突に、宋は気付いた。
そうか。これは決まっていたことなのだ。
決まっていた「事実」なのだ。
こうも早く、情報が報道されるなんて、ありえない。
わが祖国は、少なくともこの一件を仕組んだ人々はそうやって戦争をはじめるつもりなのだ。
攻撃を受けたのなら、人民は一気に爆発することだろう。
そしてその声は慎重論を文字通り殲滅してしまうはずだ。
そう、あのマルコ・ポーロ橋のように――
「まことに――壮挙ですな!艦長殿!!」
宋は、そう応じた。
やっとお前も分かったのか、と同胞に向ける暖かな笑みを浮かべる艦長と、それを見ていた艦橋の面々が口々にそれを肯定する。
宋は、すさまじい自己嫌悪の中で笑顔を浮かべ続けた。
【用語解説】
「中国国家海洋局」――従来5つの組織に分かれていた海洋関連の組織を統合して2013年に設置された海洋管理組織。
日本国における海上保安庁というよりはアメリカ沿岸警備隊の役割に近い。
発足当時から海軍の旧式艦艇を警備用として導入したり、武装系統を軍と統一するなど有事のおける軍との共同作戦を重視している。
この点は近年の日本海上保安庁と同様である。
作中においてはこの前日発生した三連動大地震に伴い日本政府が非常事態宣言を布告したことを受け警戒レベルを上げ(海上警備行動に相当)海軍の指揮下に入っていた。
「57ミリ速射砲」――旧式化した旧東側装備。あくまでも海警は「海上の武装警察」であるという建前から76ミリ砲を撤去した…ということになっているが、実際は速射性能を上げ実質的な強化が行われている。
「30ミリ機関砲」――旧東側諸国で採用されていた旧ソ連製の30ミリ機関砲をライセンス生産したもの。西側製の「ゴールキーパーCIWS(近接防御火器)」のシステムと結合されており、ミサイル迎撃能力も持つ。
「艦長」――海軍指揮下であるので「哨戒船」ではなく「哨戒艦」であるというたてまえから。
もともとこの海警の艦艇は一部が対艦ミサイルを搭載するなど攻撃力が高く、軍艦といっても支障はない。
「海警638」――作中の2年前に就役した高速哨戒「船」。尖閣諸島周辺や台湾海峡における中長期間の哨戒を目的に開発された。
外観は海軍の「江凱Ⅱ(054)型フリゲート」の縮小型(3075トン)である。
主兵装は57ミリ速射砲1門と30ミリ機関砲2門、対艦ミサイル発射器2連装1基。
最大速度は40ノットと公称されており、日本側の「はてるま」型巡視船と同等である。
作中においては尖閣諸島北方の大正島沖で警戒にあたっていたが東海艦隊からの「自衛反撃命令」にのっとり攻撃を実施した。
3キロという至近距離で警戒にあたっていた巡視船「かみやま」(はてるま型巡視船)とミサイル駆逐艦「島風」を撃沈し、対日戦争最初の勲章受章艦となった。
「ミサイル駆逐艦『島風』」――艦番号DDG172 、はたかぜ型護衛艦2番艦として1983年就役。イージスシステム採用前最後のミサイル護衛艦である。
作中時点で就役から40年近くが経過し近く退役予定であったが、それゆえ尖閣諸島沖の警備任務に投入された。
作中においては至近距離からのミサイル攻撃を受け、2発が命中。
沈没した。
脱出した兵員の生存者は「皆無」である。
なお、この「海戦」とその後の様子はネットワーク経由で東京に伝達されており、日本側にある決断を促すことになる。
「天罰」――日本列島で生じた三連動大地震を称した言葉。
「かつての歴史を反省しない日本という悪鬼に下された天罰」と某国が論評し、それを受けて中国国内でも流行している。
「漢奸」――漢族の奸物、つまり民族の裏切り者という意味。
南宋帝国末期(11世紀頃)に使用されはじめたとされる。その後元朝の成立後異民族への排外感情の一環として繁用されるようになり、明王朝末期において思想書によく登場するようになった。
日中戦争前後においては対日協力者に対し浴びせられ、戦後の対日協力者に対する裁判は「漢肝裁判」と呼ばれる。
反日感情の高まりとともに再びSNSなどで繁用されるようになった。
「非エリート」――日本への留学よりも欧米への留学のほうが得るものが多いからであるという。
ただし、学費その他の負担が少ない日本留学組は数の上では決して無視できる数ではない。
作中においても多数が日本国内に留学しているが、その反応は沈黙するか暴徒化するかの両極端にわかれている。
(本作はフィクションです)
「射撃管制システム」――砲塔や艦橋据え付けのカメラからの映像を見つつ照準をあわせる砲射撃システムと、ミサイル用の射撃システムの二系統がある。
作中においては赤外線画像を用いた暗視システムが使われている。
3キロという至近距離かつ炎上する艦艇という明かりがあるため、「吹き飛ぶ人体」などがよく見えた。
「ラジオ放送」――東海艦隊の母港、浙江省寧波の地元ラジオと、南京の国営放送地方局が実施した第一報。
宋が想像したように、事前に南京軍区などとあわただしく打ち合わせがなされていた。
「マルコ・ポーロ橋」――いわゆる盧溝橋のこと。日中戦争はこの橋近郊における銃撃戦を発端として発生した。
事件の真相は不明ながら、事件が人々を激昂させ戦争へ誘う大きなきっかけとなったのは確かである。
「宋天涯」――寧夏回族自治区出身。
いわゆる漢族に分類されるイスラム教徒であるが、戒律にはあまり従っていない。
先祖は西夏の出身であるということになっているが本人は懐疑的。
日本への留学経験があるが、その後北京大学へと移り、海洋政策を専攻した。
彼のような、趣味として日本に興味を持つ者は数多いが、漢肝の汚名を恐れて口をつぐむものが大半である。
「脱出した兵員に銃撃を加える」――当然ながら戦時国際法に違反するが、往々にして守られないことが多い。
作中においては、長年にわたり蓄積された反日感情が爆発したため発生した。
(本作はフィクションです。)




