番外編2 「密議=既定事項 8月15日―13日前」
作中、登場人物の認識につき現実では不適切と思われる表現が行われております。あらかじめご注意ください。
※ 本作はフィクションです。実在の人物・団体・国家などとは一切関係ありません。また、本作はいかなる差別的な事案も許容するものではありません。
――西暦201X年8月19日未明 中国 中南海
「これは脅迫かね!?」
「はい。いいえ。委員長閣下。軍の総意に基づく『進言』いえ『要請』であります。」
目の前で不敵な表情を浮かべる参謀本部作戦第二部長 唐克日少将を国家主席と背広を着た男たちは半ば殺意を込めて睨みつけていた。
「雲南の虎」という異名に似合わず狸に近い顔に「心外だ」とばかりのふてぶてしいとってつけたような形相だ。
「どこがだ!君の左右に誰が並んでいるのかを、その意味を知らぬとは言わせぬぞ!」
「そうだ!軍は党の指導を無視するつもりか!?これは反逆だぞ!」
主席の周囲の文官たち――いずれも主席の出身母体である党青年団の出である――が叫ぶ。
しかし唐はそんな「小物」など歯牙にもかけない余裕を見せていた。
なぜだ?
と主席は引きつりつつある顔を引き締めて優秀な(そうでなければこの官僚国家のトップにはたてない)頭脳を回転させた。
自分の失脚を狙う気か?
主席は、記者会見帰りのそのままであるセミフォーマルな仕立てのいい背広の端を無意識に左手の中指で弄んだ。
先ほど、自分は記者会見を開いて隣国の日本列島で生じた大きな悲劇について哀悼の意を表したばかりだった。
それが終わった途端にこの男はあろうことか「釣魚島と琉球諸島回復のための警察行動」のための作戦の承認を迫ってきたのだ。
主席は唐の左右でこちらを見つめている男たちの役職を苦々しく思った。
中国軍南京総軍(南京軍区)指令員(司令官)、そして東北総軍(瀋陽軍区)指令員(司令官)。
大中華の実に7分の2の面積、半数近い人口地帯に展開する軍、それも実戦艦隊と航空部隊の半分以上を間接的あるいは直接的に影響下においた男たちだった。
この二人は仲が悪いはずではなかったのか!?と主席は絶叫したくなる気分を必死で抑えた。
現在の共和国を作り上げる総仕上げとなった「国共内戦」において国民党軍を撃破する主力となり、中朝・中露国境地帯を守る精鋭たる東北部(旧満州)の瀋陽軍区、そして大人口地帯かつ経済の中心地であり台湾海峡をにらむ南京軍区、この大軍区同士は仲が悪い。
原因は様々あるが、その対立は時として重大な問題とともにさらに両者の溝を深める結果となっている。
たとえば南京軍区が主導して準備され、朝鮮戦争当時実施寸前にまでいった台湾侵攻作戦は瀋陽軍区の要請によって中止されたうえ南京軍区は朝鮮半島に50万の兵力を捨て駒として(旧国民党軍の将兵だったとはいえ)投下させられていたし、後方から中越戦争をたきつけた南京軍区のしりぬぐいとして中露国境地帯に圧力を加えたソ連軍や日本列島の米軍の矢面に立たされたのは瀋陽軍区だった。
このほかにもさまざまな国境紛争において両軍区はその予算とプライドのために対立しており、それは改革開放以後の軍の「自活」事業においても変わりはない。
政府も軍の統制のためにその対立を積極的に利用しており、両者がいがみ合う合間を縫って海軍艦隊がほぼ政府の統制下におかれているというのが現在の状況であった。
首都周辺の北京軍区を除けば空軍の戦略爆撃機部隊や第二砲兵部隊(戦略核ミサイル部隊)、公安(警察)武警(武装警察)のたぐいこそ直轄下においていたものの、これがかつての人民解放軍の実態であった。
こうした体制を改革すべく歴代の指導者たちは努力していた。
冷戦終結後は独自勢力であった海軍を大幅に増強して対抗馬とし、陸軍には兵員削減と引き換えの近代化を飴として与えてゆっくりと軍区の統廃合を推進、大軍区の内部に政府系のかつての小軍区や北京生え抜きの将帥たちを組み入れることで独自の行動を抑止していったのである。
そうした歴史をみれば、この二大軍区のトップがそろって参謀本部の若手(といっても30代後半)と仲良くお手手をつないで主席を脅迫するという事態がいかにありえないかがよく分かるだろう。
確かに、近年の情勢は不安定だった。
独自勢力であるはずだった海軍は陸の軍区と手を組んで海洋での強硬論をぶち上げる主力となってしまっていたし、地方軍区の将帥たちを田舎者と蔑視していたはずの参謀本部生え抜きの士官たちの中にも強硬な軍事力手動の北東アジア新秩序形成を主張する一派が台頭しはじめていた。
この状況は近年の東中国海(東シナ海)での緊張状態によって補強されており、昨年南シナ海で発生した「第二次対越自衛反撃戦」という名の南沙諸島「奪還」作戦によってより顕著にはなっていた。
21世紀に入ってからしばしば党のコントロールを離れていた「反日」を名目にした人民の声もまた無視できなくなっており、これらを解決すべく党と政府は軍の統制強化に本腰を入れつつあった。
だからか!
と主席は唐突に納得した。
体制が固まる前に、彼らにとって「望ましい」成果を上げて、統制を行う政府の方を軍よりにしてしまう。
これは「人民の声」にも則った――裏を返せばフラストレーションを発散させる人気取り――措置だから快哉をもって迎えられるだろう。
だが。
「君たちは理解しているのか?そんなことをすれば我々は世界各国から袋叩きにされるぞ。
ただでさえ日本人に同情的にならざるを得ない悲劇の直後だ。」
釣魚島奪還は成るかもしれない。だが、それに加えて琉球までも「奪取」しようとするのはやりすぎだ。
いかに今話題の中華琉球臨時政府なる団体が独立の正当性を訴えたとしても、琉球の人民が米軍よりわが中国軍をとるとは思い難いし、まして国際社会がどう見るかは明らかだ。
「では、閣下ならどうされます?」
「決まっている。日本人には哀悼の意を表し、連中を国際司法裁判所に引っ張り出すと脅す。
そのために軍事圧力をかけるのはいいだろう。
この時期に軍事力を行使されるのは奴らも望まないだろう。一兵も損なわずに我々は釣魚島を手にし、台湾の目と鼻の先に補給拠点を構築できる。
面目も立つ。
これが武力の使い方だ。」
「甘すぎますな。」
「なに?」
主席は眉をひそめた。
「人民がそれで納得しますかな?」
「そんなことは関係ない。釣魚島を得るという久々の日本人に対する『勝利』で納得すればよし。そうでなければ納得してもらうだけだ。」
そうですか。
と唐は首を傾げた。
「ですが…」
「くどい!!」
一喝した主席は、唐が面白そうに告げた一言に総毛だった。
「日帝の卑劣な奇襲攻撃を受けたにも関わらずそのような弱腰で、人民が納得しますかな?」
「何ィ?!」
主席の横にいた党の重鎮がうなり声のような間抜けな声を上げた。
「貴様、まさか!」
「ああ、言い忘れておりました。つい先ほど、東海艦隊から連絡が入りました。
赤尾礁(大正島)沖で定期活動中であったわが哨戒艦が日本海軍の攻撃を受けました。
これに伴い、東海艦隊は直ちに自衛反撃を実施しております。」
「バカな!貴様、いつそれを――」
そこまで言って主席はニヤニヤ笑うこの軍人どものロジックを理解した。
正確には、頭が受け付けた。
はじめからそのつもりだったのだ。
「・・・わが軍の被害は?」
「哨戒艦1隻であります。しかし、わが軍は反撃を開始しております。必ずや卑劣なる野心に膺懲ようちょうの一撃を加えているでありましょう。
幸いにも、日本空軍はその輸送機の大半を本土へ送っておりますし軍艦は琉球諸島周辺にわずか4隻、米軍も敵本土で発生した――そうですな、天罰に対応するためにかかりきりです。
わが軍の『作戦』がなされればその脅威も排除できましょう。
安心してわが軍は琉球を回収すればよいのです。」
「作戦、だと?」
「わが第二砲兵の誇る東風41号S型によりまして敵の核電を破壊します。」
「なんだと!!」
核電、すなわち原子力発電所。
それを攻撃するというのだ。
「いかな米軍といえど、日本人ごときのために核を使用する勇気はありますまい。
わが軍による核報復を受けるのですからな。」
「ダメだ!弾道弾を使うだと?東風は――」
そこまでいって、主席は気付いた。
東風41号、すなわち最新鋭の大陸間弾道ミサイル。
それをもとにして作られたS型は、俗に対艦弾道ミサイルといわれる、米軍の原子力空母を標的にした弾道弾だ。
弾頭は「戦術兵器」であるため核弾頭ではなく、劣化ウランを用いた運動エネルギー弾頭である。
核爆発は伴わない。
しかも――
「貴様、まさか!」
そう。
戦術兵器。
運用にいちいち北京の許可をとらずに臨機応変に使用するため、非常時たる戦争状態においては運用は海軍と発射地の軍司令部の合意に基づいて行われる。
そして、今は「戦時」。
日本人の攻撃を受けて立った正当なる反撃の真っ最中――そういうことになっている。
「さあ、どうされます?」
主席はうめいた。
もうすでに事態は大きく動いてしまっている。
自分が拒否しても、唐たちは対艦弾道弾を発射することができる。
そうなれば、米軍はわが軍による警告と考えるだろう。
核攻撃に準じる恐るべき所業だ。
中米間の核戦争・・・悪夢に等しい事態を覚悟してまで戦争を行うのか?
いや、躊躇するに違いない。
その隙をついて、琉球を回収する。
抗美援朝戦争(朝鮮戦争)のように国連軍という形で米軍が参戦するか?
いや、日本は旧敵国。
それにこちらは安保理の拒否権を持つ常任理事国だ。
何より日本人と米軍はあの悲劇にかかりきり。
無防備な南琉球諸島は1週間もせずに制圧できる。
最悪でも、釣魚島――奴らのいう尖閣群島は手にできる。
中華琉球に賛同する琉球人もいる。
何より、人民はこちらが引き下がれば激発するだろう。
抗日は正義だ。
かつての蛮行をまったく反省しようともせず、大国となった中華を尊重しない連中相手に行われる造反は正義だ。
そういうことになっている。
これに政府自らが反したとなれば、人民どもは大手をふるって党の「親日派」を攻撃できるのだ。
だが。
「何をためらいます?」
迷う主席に、唐はいらだつように言った。
「奴らは日本人ですよ?」
その一言に、すべてが要約されていた。
嘲り、苛立ち、不満、優越感、そして怒り。それが何に由来するかはともかくとして。
――かくて、第一の引き金は引かれた。