番外編1 「三連動大地震=国難 8月15日―16日前」
本文中には地震および津波の描写が出てきます。
苦手な方は閲覧をお勧めしません。
※ 本作はフィクションです。実在の人物・団体・国家などとは一切関係ありません。
――西暦201X年8月15日 日本列島 太平洋側全景
「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください。」
かつての怪獣映画の土俗的な恐怖感をあおる音楽によく似たアラームとバイブレーションが人々のポケットの中で鳴り響いた。
ほぼ同時か少し遅れ、カタカタという忍び足のような揺れを人々は感知しはじめ、あわてて周囲を見渡し始めた。
テレビでは、ニュースやバラエティーに割り込んで青と灰と毒々しい赤いバッテンで構成された日本列島周辺の地図が表示され、「チャランチャラン」という生理的不安を意図的にあおるような警報音が鳴り始めた。
たまたま電気店の店先でそれを見ていたものや、午後のひとときを過ごしていた主婦、あるいは食事中のサラリーマンの顔からは血の気が引いていく。
その画面にはこうした文字が出ていたからだ。
「M8.9」。
あとから考えれば過大な表示であるが、その数字と紀伊半島南端の沖合に記された震源をあらわす×印、そして予想震度が6を超える真紅に塗りわけられた地図が関東地方南部から東海地方・南中部地方・南近畿地方・四国地方全土から九州に至る日本列島太平洋側の全土を占めていることからすれば、日本人の誰もが蒼白になってもおかしくない状況にあるのは確かだった。
少なからぬ人々が「シュッ」あるいは「ヒュッ」と喉に空気が通り過ぎる音を聞き、数秒後慌てて動き始めた。
火を使用している者はあわてて炎を止め、工場では強制的にブレイカーが落とされた。
新幹線や鉄道などでは緊急停止のために急ブレーキがかけられている。
机の下へ避難できた家庭内にいれた者や、耐震建築であるビルの中に逃げ込めた者、また対衝撃姿勢をとれた者が数多い点は日本という国が長年かけて培ってきた非常事態対処方針の賜物だろう。
事実、のちの調査によれば速報を耳にしたり初期微動を感知できた人間の実に7割近くが何らかの行動をとって来るべき時に備えており、残る3割も何事かが起きることを知ることができていたのだ。
早めの行動を起こすことができた人間は、日本人がなぜそんな表情をしているのか、また警報の意味が分かっていないらしい海外出身の観光客の手を強引に引っ張り「Earthquake(地震)!!Big(大きい)!!Big(大きい)!!」と叫びながら強引に避難させたりもしている。
すでに、日本列島の地下や海底に設置された地震計群は極めて巨大な地震が発生し、地殻が数十メートルのオーダーで跳ね上がりつつあることを電子的に東京の気象庁へと伝えていたし、そこを起点として各地の官公庁や警察署・消防署、そして国防軍関連施設に緊急警報が響いていた。
J-アラートと称される全国瞬時警報システムの成果である。
本来は核ミサイルの飛来などを想定して作られたものではあるが、大規模地震とそれに付随して発生する被害は十分に国家の安全に対する脅威だった。
蝉が、唐突に鳴き止んだ。
道端からは鳥やカラスのたぐいが一斉に空へと飛びあがり、山からはまるで煙のように鳥類猛禽類が空へと「避難」しはじめる。
飼い犬は狂ったように吠えはじめ、
さかんに生命を謳歌していた虫たちはあるいは地下から這い出そうとし、空中の蚊までもが何かにとりつかれたかのように高く舞い上がり、あるいはブロック塀にぶつかっていた。
あまりに異常な光景に子供や外国人の中には泣き叫ぶものもあるが、大人たちはその数秒の間無言だった。
そんなことをしても無駄であると彼らは体験的に知っているからだ。
むしろ、事態がおさまった後に即座に行動できるように体に力をみなぎらせ、あるいは足のばねをきかせて肩幅立ちしふんばっている。
のちに、観光客として浅草雷門にいたアメリカ人は「すべての日本人が軍事教練を受けているのかと思った」と述懐する緊張の数秒感が過ぎたとき、初期微動は「本震」にかわった。
和歌山県全域から高知県、三重県、愛知県、そして静岡県にかけては震度6強から7を観測。
これは、立っていられない揺れであり、また生半可な建造物では倒壊するというすさまじい揺れである。
日本以外の国であるなら、揺れに襲われた地域では超高層ビルのような比較的丈夫な建物以外はそろって自重に耐え切れず押しつぶされるほどの強さだ。
本来ならば空襲や核攻撃でも受けたような惨状が広がるはずの日本列島の太平洋側は、7割以上の建造物がそれに耐えた。
だが中身までも無事ではない。
固定されていない家具は住人の上に倒れ掛かりいやな音をたてて骨を叩き折り、高層建築では机や椅子、そして洗濯機や冷蔵庫が不用心な人間に容赦なく「横から」襲いかかっていた。
本震の「揺れ」は音速をはるかに超えるスピードで竜のような奇妙な形をした列島を揺さぶり、地殻のやわらかい部分を何度も跳ね返りながら10分近くにわたって人々を弄び続けた。
そして揺れが初期微動よりは少し弱いくらいにおさまった頃には、揺れを経験したほぼすべての人間がテレビやラジオのスイッチを入れ、携帯電話を取り出しワンセグ放送やインターネット回線をチェックしたりしはじめた。
あわせられたチャンネルや電子の海の向こうからは「津波」「避難」の単語が人々の耳を打つ。
すでに条件反射的に標高の高い場所を目指し始めていた人々の波に、大半の人々が加わりはじめた。
大津波警報が発令された地域では避難袋に加えて通帳や印鑑などを手にした人々が走りはじめたり自転車の上で真っ赤になりながら坂をのぼり、自動車が山を目指していた。
正常性バイアスといった楽観にとらわれた人々に平手打ちがされ、テレビの向こうからは緊迫した言葉が次々に届きはじめる。
「大津波警報が発令された地域の皆さんは、今すぐ、高い場所に避難してください。
津波は何度も押し寄せます。今すぐ、高い場所に避難してください!!」
公共放送のアナウンサーが上ずりながら連呼する。
のちの調査では、避難対象地域では8割近くが即座に指示に従った。
数年前に東北地方を襲った悲劇の記憶は、初動としてはまず及第点に達するであろう割合で人々を動かしたのだった。
しかし、避難しなかった人々も少数は存在する。
物理的に不可能であった老人などや、この期に及んで警告を無視した連中、そして、避難するわけにはいかない人々だった。
発電所の運転員や、公共交通機関の車掌や車長たち、避難誘導にあたる警察官や公務員たち、そして軍人たち。
彼らのうちのちに命を落とすものは決して少数ではない。
だが、いったん事に及ぶと発揮される人間の義務感――あるいは覚悟か一種の諦め――に従って彼らは己の本分を果たし続けた。
死の瞬間に後悔に襲われて泣き叫ぶかもしれなかったが、彼らによって救われた人間がいることも確かである。
地震発生から10分あまりが経過したとき、日本人たちはパニックではなく熱狂の中で自然発生的な秩序をもって未来への脱出を開始していた。
震源地からほど近い和歌山県南部では住民の大半が海のすぐそばにまで迫った山岳へ退避を完了させつつあり、東海地震の恐怖に数十年間さらされ続けた静岡県でも住民の大半が避難に向けた行動を起こしていた。
都市部では、地震によって割れた窓ガラスで身体を切り裂かれた人々や瓦礫に打たれた人々に応急処置が施され、背負われて人の列に加わっていた。
すでに命を失った躯が放置される様子はある種の割り切りであったが、のちにトラウマになる人間も少なくないだろう。
だが、今は一分一秒が惜しい。
追い立てられるように人々は速足や走りながら建物の屋上や少しでも標高の高い場所をめざしはじめた。
郊外や田舎では、軽トラックの荷台に人を乗せたご近所さんが制限速度を無視して山へ向かいつつあり、空気の読めない者はワゴン車の中に家財を詰め込んでいた。
慌てて個人的パニックが起これば強引に手を引かれ顔を張られていたし、日頃とは夫婦の力関係が逆転した家庭も数多い。
子供たちは不謹慎な昂揚感で質問を繰り返し、気が立っている両親に一喝されたりもしていた。
――すでに残っている者は少ないが、港湾や河川などでは恐るべき勢いで潮が引き、くろぐろとした海底が顔をのぞかせていた。
そんな様子は定置カメラで首都の各所に伝えられ、揺れに襲われつつも津波の心配がない人々に「これから起きること」を確信させている。
空へ舞いあがったヘリコプターや国防軍の偵察機、そして偶然目撃者になったその時点で空にいた航空機たちは、炎上する市街地と白波をたてて引き続ける潮うしおの流れをその目とディスクに刻んだ。
地震発生から20分あまり。
高知県南部と和歌山県沿岸に津波の第一波が到達した。
最初は少しずつ水かさが上がってゆき、数十秒もしないうちにその勢いは激しい急流のようになっていく。
堤防の向こうを数分で満たすと、海はすでに黒一色になっていた。
海底の泥が巻き上げられた「黒い波」だ。
その上を白波が立ち続けている様子は、まるで地獄の河のようだった。
そして、地獄の窯の蓋が開いた。
低標高地域には時速数百キロという恐るべき速度で水が襲い掛かり、逃げ遅れた人やモノを飲み込んでいく。
少し標高がある場所にははじめひたひたと足の先を濡らす程度に、その数十秒後に水面が腰のあたりにきて同じく人やモノを黒い海に引きずり込んだ。
流された物は引きずり込まれた脆弱な人体に容赦なくぶつかり、人自身も建造物にぶつかるなどまるで洗濯機のようにもみくちゃにされた。
避難をすませることができた人々の中には、他人事で見つめていたらあわててさらに高台に逃げることになったり、油断していて黒い地獄に呑まれたものもいた。
だが、大半は50メートルほどの少し高い場所から「黒」が街を飲み込んでいく様子を見つめていた。
「あー。」
「やられた。」
他人事のように事態を評する声があたりに響く。
他人事のようにしなければ、現実を受け入れられないのだ。
これが悪夢であるならばもう少し出来がいいはずだ。
サーフィンできるような巨大な波が襲い掛かってきたり、爆発なんかも起きるだろう。
が、この圧倒的な現実は流れ作業のように淡々と破壊をこなしていた。
かえってそれが恐ろしい。
――似たような光景は日本列島各所で見受けられた。
高知県は県庁所在地も含めた都市部や港湾部が根こそぎ押し流され、徳島県では吉野川を津波が遡り、リアス海岸が被害を拡大した愛媛県南部から大分県、宮崎県も大きな被害を受けた。
鯨で有名な和歌山県太地町や田辺市は町ごと津波がさらってゆき、はるか奥日本第二の都市、大阪市でも沿岸部が津波にのまれた。
三重・和歌山の県境新宮市から志摩半島の鳥羽にかけては悲惨だった。
震源地に最も近い場所であったうえリアス海岸独特の地形は愛媛県南部をはるかに上回る大被害をもたらし、伊勢の二見浦もどす黒く染め上げられた。
伊勢湾沿岸も被害を免れなかった。四日市のコンビナートは緊急操業停止にもかかわらず石油タンクが爆発し大被害を現出させていたし、海上では航行不能になったLNGタンカーがこれまた炎上。オイルタンカーが沈没して原油をまき散らしていないだけまだマシな状況だった。
名古屋市はの熱田神宮付近にまで浸水が達し、三河湾から渥美半島を経て遠州灘に至るあたりは津波と正対し当然ながら直撃を受けていた。
浜名湖は潮をかぶり、復元された新井関ごと東海道新幹線の橋げたを押し流した。
駿河湾から奥まった富士山周辺も被害を受け、名勝美保松原はほぼ全滅状態だった。
浜岡原発が停止中であったことなど何の救いにもならない。
伊豆半島では港を次々に波がさらい、また山は土砂崩れを起こして孤立状態を強いていた。
相模湾から館山一帯も波をかぶり、3メートルほどの津波が逃げ遅れた人々を飲み込んだ。
東京湾には数年前の震災の倍近い2メートルの津波が到達していたが、伊勢湾のようにコンビナート炎上という事態は繰り返さなかった。
しかし、被害状況を冷静に見つめることができたという点では、東京周辺の住人が一番顔色が悪かったかもしれない。
また、公共交通機関の停止は再びこの人口3000万の巨大都市圏に帰宅困難者をあふれさせていた・・・
マグニチュードはその日のうちに8.8に修正された。
この日のうちに日本政府は「三連動大地震対策本部」を設置。
同時に来る17日に召集予定であった臨時国会は前倒しでの召集が決定された。
だが、この時点においては当然ながら誰もが、これが「はじまり」であることに気付いてはいなかった。
そう。日本を混沌の渦に叩き込むその張本人たちでさえも。
【用語解説】
「緊急地震速報」――日本が世界に誇る地震警報システム。
地震の揺れには初期微動(P波)と主要動(S波)の二種の波が混在している。
このうち初期微動の方が圧倒的に速度が速いうえ、地震の種類や強さによって特徴的な変化をきたす。
そのため、地震計を多数埋設することによる三角測量と波長分析を瞬時にコンピューターで行い、地震の規模や震源地、そして被害を予測し警報を発するシステムである。
完全な地震予知ではないものの、甚大な被害が予想される地域にて操業中の工場や公共交通機関が全力運転中に地震の揺れを受けるような事態を回避できる(スイッチを落としたり減速を開始できる)数秒から10秒程度の猶予は確保できる。
また、近年の携帯電話高速情報通信網の発達によって個人単位で警報を発し地震に不意打ちをされることを防止する効果もあった。
「怪獣映画の土俗的な」――緊急地震速報のメロディーは不安感と注意を喚起する目的でわざと不協和音で構成されている。
その作曲にあたってはゴジラなどの怪獣映画で知られる故伊福部昭氏
の楽曲が参考にされたとされる。
「Jアラート」――全国瞬時警報システム。
国民保護法に基づき整備が推進された緊急警報システム。
緊急地震速報などもこのシステムを用いて各自治体や機関に伝達される。
核攻撃やミサイル攻撃にも対応できるようにほとんど瞬時に警報を発することができるが、裏を返せば地震災害はそれらの戦争に匹敵する国家の危機であるといえるのだ。
「軍事教練」――日本の学校教育で行われる整列や行進の練習、避難訓練などは海外では立派な軍事教練である。
一例をあげれば、軍隊などが行う「行進」や整列などは日本人はたいてい大人になると自然にできるが、海外においては「わざわざ軍で訓練を行う」ものでもある。
集団行動も同様。ボーイスカウトなどの野外集団行動は牧歌的に思われるが、英語の「スカウト」が「斥候兵」という意味も持っていることを考えれば立派に「軍事教練を通じた心身の鍛錬」という創設意図が推し量れるだろう。
しかし日本においてこれらに文句を言う絶対平和愛好者の方々はそういない点、ある種奇妙かもしれない。
「地殻が数十メートル」――地震の発生原理については省略するが、大規模なプレート境界型地震においては一気に地殻が数十メートル跳ね上がる。それにともなって津波が発生するのである。
たいていが海面下数千メートルの海底であるため、その上の何億トンという大量の海水が持ち上げられ、それに近海の「薄い」海がおしのけられる。そのため津波は沿岸に接近するにしたがって巨大化するのである。
「被害」――本話においては8月白昼に地震ならびに津波が発生したものとした。
関東大震災において生じたような昼食調理中の火が延焼する形での火災の連鎖については緊急地震速報に加えてガス管の自動閉鎖システム、そしてブレイカー類によって防止されるものとした。
津波については被害規模は平均10メートル程度のもの(震源地近くを除く)としている。
「三連動大地震」――東海・東南海・南海地震を総称する。
日本大震災という名も考慮に入れられたが、地震規模の点や先の大震災とまぎらわしいためこの仮称がつけられている。
「臨時国会」――作中においては国防軍関連の議論が紛糾しているため早期召集される予定となっていた。