阿弥陀の剣
残酷な描写がありますのでご注意ください。
罪をきる弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき
最上義光息女・駒姫。
「かかれっ!かかれぇぇっ!」
男はまさしく戦場の鬼であった。
右手には大太刀、左手には鉄の指揮棒。
元は煌びやかな具足は、泥や返り血に染まり、元の色が分からないほどだ。
加えて、その兜の額近くには生々しい弾痕。
その隙間から見える髪は乱れ、頬はこけ、無精髭が覆い、目の下には分厚い隈が縁どられている。
それは、さながら幽鬼めいた風体だが、眼だけは砥石で研いだように異様に輝いていた。
かかれと叫び声をあげながら、ゆらりゆらりと只管、前に歩み続ける。
迫る敵兵を右の太刀では斬りとばし、左の鉄棒では兜ごと頭蓋を砕く。とても常なる人ではない。
だが、この人物こそ出羽二十四万石の主。大名・最上義光その人である。
大名でありながら自らが戦の先頭に立ち刀を振るう。
小勢の主ですらありえないその在り様。奥州にその人ありと言われた程の大名が声よ嗄れよと叫び続けるは、異常という言葉でも最早ぬるくもある。
ひとりの武者がそんな義光へ駆け寄ってきた。
彼もまた主に負けず劣らず襤褸切れのようなその者こそ。
出羽にその人ありと知られた志村光安。義光の股肱の臣である。
「殿! 殿っ! 義光様!辺りをご覧なされ!」
振り返ると片手で数えるほどの味方の兵しかおらず。それも疲労や傷で満足な風体な者は一人もいない。
無理もない。
僅か三千あまりの兵で二万を超える軍勢を相手に死力を尽くして戦いぬいた後だった。
敵は上杉。
軍師・直江兼続率いる、謙信公以来の強兵を誇る大国だ。
百二十万石という五倍の領土を持つ勢力の襲撃で、最上は風の前の塵に同じであった。
だが、後の世に『関ヶ原』という名前で括られることになる戦は、はるか西において、僅か一日をもって決着した。
上杉の属した西軍・石田方が敗北したのだ。
上杉方はその報せを受けるや。辺りに火を放ち、精鋭二千を殿に残すと軍を引こうとした。
好機をその知略から狐とまで呼ばれた男が逃すはずもなく、義光はそれまでの鬱憤を晴らすべく追撃戦を仕掛けた。
「大将が先頭に立たねば、誰が付いてくるものか!」
その言葉と共に苛烈な戦は、様々な資料に残されている。
この追撃戦で両軍合わせての死者二千人。
関ヶ原の名を冠するのに不足ない、戦国史上有数の規模の戦いであった。
だけれども、元来、義光の戦はこういったものではなかった。
あだ名は『奥羽の狐』。
その名のイメージ通り、謀略により刀を交えず相手を切り崩す事を得意とする将だ。
裏切り、暗殺、引き抜き、騙し打ち等。
それは後ろ暗い『梟雄』の戦であり。
彼の敵やよく知らぬもの、そして、遠い未来に歴史を語る一部の人間からも卑怯者と蔑まれ憎まれた。
だが、それは滅びる間近な国の跡取りとして生まれ、力の無い中でも領民を思い、流れる血を避ける事を第一とした選択の結果であった。
だが、血と華の世の終わりの大戦。羅刹となった義光はそれがどうしたことかと味方の犠牲も顧みず、一心不乱に戦場で刀を振るっていた。
「離せっ、光安。まだだ、まだ終わっておらぬ!」
振り払おうとするが、すでにその手には力がなかった。もう限界などとうに超えていたのだ。
生まれついての人並はずれた剛力を誇る自らの主が、自分程度を振り払う事が出来ない程に衰弱してる事を知り光安は奥歯を噛む。
「後生じゃ!光安、離せっ!」
もう上杉を十分に痛め付けた。だが、深追いしたことで手痛いしっぺ返しも受けた。
あまりにも多くの兵や将を失い。義光自身も銃撃により被弾し命を散らすところであった。
それでも尚挑みかかるのは、そうせねばならない無念の心故と光安は知っている。
いや彼だけではなく領民の誰もが分かっていた。光安にもどこかその主の願いを聞き届けたい思いもある。
この時のために、主は五年も耐え忍び、今この時を待ったのだ。命ある限り戦い続けるだろう。
あの日より、最上義光今日この時のためにあったのだ。
だがそれでも、出羽の、最上の明日の為、ここで義光を失う訳にはいかないのだ。
「もうおやめ下され義光様。我々は勝ったのです。お二方もきっと喜んで下さいましょう」
その言葉お数瞬の後、義光は振り上げた刀を力なく取り落とした。
代わりに、懐から二対の観音像を取り出すと、震える右の掌に納める。
「成し遂げたのです。ご立派な敵討ちにございました」
その言葉に、繰り糸が切れたかのように、義光は膝から崩れた。
頭を垂れ観音像を抱き込み亀のように身を丸める。
「おおお…おおおっ!おおおおおおおっ!!」
先程までの鬼はどこにもいない。そこに残されたのは憑き物が落ちた、くたびれた初老の男。
左手に握られた鉄棒で地面を叩く。
何度も何度も、まるで駄々をこねる童のように。
『奥羽の狐』と近隣の大名からも恐れられた男は、人目もはばからず声を上げ泣いた。
■
かつて、義光には娘がいた。
駒姫。伊万とも。
彼の『独眼竜』伊達政宗の従妹にあたる。
東国一の美少女とうたわれ、それは麗しく、雪中に咲いたひと片の花びらの様な人だった。
義光の可愛がりようは目に入れても痛くない程の溺愛っぷりだったと伝えられている。
奥羽の雪は深く、夜は長い。生きるだけでも困難な地。
下剋上の理に支配された世に滅びを免れない家で義光は生き抜いてきた。
妹は政治の道具とされ、父と争い、親族を殺しもした。
だからこそ、手の届く範囲の家族の絆だけは何よりもあたたかなものであった。
「駒よ、今宵の膳は鮭だ。滅多に食べられぬだろうから、たんと食べておけ。どれ、儂のもあげるとしよう」
そう言いながらも惜しそうに、ちらりちらりと娘に渡した皿を覗く。ひどく未練がましい。
鮭は江戸期にはいっても、なかなか大名の口にも入らい食べ物であり、義光にとって何よりも好物だったのだ。
「もう、父さま。子供みたいなんだから」
「我が夫ながら、仕方ない方ですこと」
駒姫の母も呆れた様子でためいきをつく。義光は気まり悪げに烏帽子を直す。
駒姫はそれを見て、差し出された膳を父の前に運ぶ。
「はい、お返しいたします。美味しいものはみなで食べた方がもっと美味しいのですよ」
「そうか、そうか。駒がそこまで言うならば」
「ほら、あなた。慌てると箸の持ち方がおかしくなりますよ」
駒姫が笑う。母が笑う。その笑顔を見て義光も笑った。
まるで宝石の様な日々だった。
だが、時代はそんなささやかな営みすら許さない。
東国一の美貌と称えられた駒姫の評判を聞きつけ、時の関白・豊臣秀次は是非に側室にと申し出た。
義光は何度も断ったが、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の甥である最高権力者の意に逆らえぬはずもなく。
最悪、豊臣の世に叛の気ありと、最上領が攻め滅ぼされる事すら考えられる。
「最上の民が安らかに暮らせるよう、駒は関白様のもとへ参ります」
華奢な外見に似合わぬ強さを持っている娘の決意の言葉に、義光は力なく腕を下ろした。
まだ十をわずかに数える歳頃であり、せめて十五になったらと約束するのが精いっぱいの抵抗だった。
そして、時が訪れる。
関ヶ原の大戦の五年前である。
京にて、ある政変があった。
関白・豊臣秀次。
乱行狼藉により切腹申しつけ候。
関白は藤原道長に代表されるよう公家の頂点である。それどころか、戦国の終わりも見えたこの時代。
武家をも束ね、天下一の権力の座にあった。古の平安をも超えた絶頂期である。それがどうしたことか死を申しつけられたのだ。
罪状は酒色に耽り執務を顧みなかった。むやみに人を斬り、妊婦の腹をも裂いた極悪人。殺生関白と。
普通に考えて、秀次には権力者特有の多少の驕慢はあったかもしれないが、仮にも天下を治める者の分別はなかろうはずがない。
それは悪意に塗れた讒言であった。
「許すまじ、許すまじ」
では、なぜか。そのような沙汰を下せる人物がただ一人いたのだ。
秀次にその地位を譲ったのはかの太閤秀吉である。
「許すまじ、許すまじ」
なぜ、自らの一族ひいては自分の支配基盤を崩すような事を行ったのか。
大名、武士、町人、百姓問わず誰も彼もがその理由を知っていた。
秀吉には長らく子がなく、この甥を後継者に定めていた。
しかし、老境に差しかかった折についに実子が産まれたのだ。
あとは簡単。その我が子可愛さに、将来の障害に為りうる甥に切腹を申しつけたという訳だ。
秀吉は日輪の子と自称する。
百姓から|渡りの者(小間使い)になり足軽、侍、大名を経て。
ついには貴族に列せられ、関白の頂へと昇った男。
それはその名に相応しく他に二人としていない輝かしいものであった。
だが、光輝には影が付きまとう。
その光が余りにも眩しかったゆえに、その影もまた色濃く歴史に足跡を残した。
晩年の秀吉はその闇に引っ張られ、自らの偉業を汚した。
すでに老境の英雄は、我が子のゆく手を阻むと感じた(・・・・)モノを自分の目が黒い間に根こそぎ削ごうとした。
だから、秀次だけでは飽き足りず。
遺されたその係累全てに斬首を命じたのだ。
まだ物も話せぬ幼子も、何の力無き女性も区別なく容赦なく。
その数、実に三十六人。
乱世とはいえ、これだけ苛烈な処遇は後にも先にも無い。日本最大の英雄にして日本最悪の英雄の狂気のなせる業である。
そして、義光の娘の駒姫もこれに巻き込まれた。
彼女は関白秀次の側室になる予定であったのだ。
駒姫が輿入れのため上洛してから、間もなく、秀次は秀吉の詰問を受け関白職を剥奪。高野山にて切腹。
この時、ふたりはまだ顔すら合わせてなかった。
例え望まぬものが幾許か混じった婚姻であったとしても。
父母から離されようと遠く離れた地に向かおうとも。
時の最高権力者の下に嫁ぐこと、それは。
その後の最上一族の繁栄すら約束するはずのもので、決してこのような結末に結びつくものではなかった。
なんとか助命をと、義光は京を駆け回り。頭を下げ、恥も外聞もかなぐり捨てありとあらゆる手を尽くした。
ついには、秀吉の気まぐれで鎌倉で尼になることを条件に助命をひきだしたが、知らせを持った早馬は僅か一町(110メートルほど)の距離で間に合わず。
享年わずかに十五歳。将来を嘱望された駒姫は花開くことなくは蕾のまま儚く落ちた。
(罪のない私の身は)罪を斬る阿弥陀の剣に斬られるものなどなく極楽へ行く妨げはあるでしょうか
冒頭の辞世の句の訳である。
更には。
『畜生塚』
処刑場に穿たれた穴に、他の姫君や幼子もろとも放り込まれ、打ち捨てられ、その碑だけ置かれた。
遺骸は返されず、弔う事も人として扱う事も許されなかった。
そして、誰もが、秀吉をはばかり。何も言えず口をつぐんだ。
義光は最愛の子を、救えず、霊を慰める事すらもできなかった。
それどころか、なりふり構わず八方駆け回ったことで秀吉の勘気に触れ、ともすれば最上家の存続さえも危ぶまれるような状態だった。
義光は粛清の雷が頭上を通り過ぎるのを、ひたすら耐え忍ぶしかなかった。
そして、失意の義光に追い討ちをかけるような事が起きた。
食も水すら喉を通らぬほどの苦痛で滅入っていた義光。
だが、夫人の落ち込みは輪をかけてひどかった。
駒姫の死から二週間後、つまり二七日。
失意あまり、自らその命を断った。
義光は最上側の抗議と取られぬよう、その死を病死とするしかなかった。
一人残された義光の絶望の深さは到底書き記せるものではなかった。
その後、秀吉との謁見の場にて。
『娘の一命を持って罪を許す』
謝辞を述べるために頭を垂れた時、義光の伏せた顔にはどす黒い恨みの情念が渦巻いていた。
噛みしめる奥歯は、今にもひび割れそうなほど歪んでいた。
娘に、妻に、果たして何の罪が咎があったというのか、あるならば今この目の前にいる男だ。
魔王と呼ばれる男はかつて世に存在した。最後は自ら播いた火に焼かれ死んだ。
だとすればそれ以上の悪を為す、この男を何と呼べばよい。そして、その罪をどのように購わせればよい。
我が子可愛さに、他人の子を殺してでもいいなどと、天が決して許さじ。
天が許しても我が許さじ。
「許すまじ。許すまじ」
そのときから、身を焼く業火に突き動かされ、豊臣の世を葬らんと義光は動き始めた。
義光は思う。こんな理不尽が罷り通るこの世は間違っておる。
あまりにも容易く人の命を奪う乱世は、悲劇を百年も生み出し続けているのだ。
もうよいではないか。人が人らしく生きられない世は、弱きものが強きものに怯えるだけの世は。
終わらせ無くてはならない。
自分達だけではなく、もう皆十二分に苦しんだのだ。
せめて、自分達が最後であるように。
そうして出羽一国を切り取った謀略の牙を再び研ぎ始める。
後に江戸幕府を開く徳川家康に接近。忠実な先兵として動く事になる。
自身こそが阿弥陀の剣となり、巨悪を討たんと。
駒姫の為、妻の為、最上の民の為、ひいては天下万民の為。
秀吉は数年の後病を得て亡くなる。その後に、豊臣の主柱となるべきだった秀次はもういない。
空白となった後継者の席を目指す者たちの関ヶ原が起こる。
そこで義光は決定的な役割を果たす。
上杉を背後より釘付けにして家康が留守の江戸への攻撃を許さなかったのだ。
そうして、戦は終わり、世の流れは徳川の物となった。
「太平の世が来るぞ」
長い冬が終わり春が訪れる。そんなうららかな日差しの下。
「何を奪う事も、何も奪われぬ事無き世が。誰も殺さず、誰も悲しむことのない、美しい世が」
杯は三つ。肴は鮭。京より遅咲きの桜を見上げながら一人、膳を囲む。
その後、義光は身を粉にし、民に尽くし善政を敷いた。
彼は今日も山形の地で名君と称えられ敬われている。
美少女に死ぬほど萌える話だと思って、萌える美少女が死ぬ話を読んだ時の怒りは計り知れないってばっちゃが言ってた。とかなんとか。
英雄譚の裏にはこういった悲劇が山ほどあるよと、今の世相の勇ましい話を見るたびに思ってみたり