完璧で冷徹な双子の弟は、無自覚な兄をすべて支配したい
初投稿はファンタジー系執着溺愛をテーマにした短編です。
朝の大学の食堂は、いつもどおり賑やかだった。
高い天井に吊るされた魔石のシャンデリアが、まだ眠たげな朝の空気をやわらかく照らしている。長テーブルの端から端まで、貴族も平民も関係なく席を埋めていくのが、このアスティル魔法大学の食堂の、俺――リオンの好きなところだ。
「リオン、おはよう。隣、いいか?」
声をかけてきたのは、同じ学部のトマスだった。トレイを持ったまま、当然のようにこちらの隣の席を指す。
「ああ、もちろん――」
言いかけた瞬間、横からすっと影が差した。
「おはよう、兄さん。――隣、座るね」
気づけば、フェリクスがトレイを置く位置で、トマスの座るはずだった場所をきれいに塞いでいた。
完璧な、にこやかな笑顔。 だが、その瞳の奥は一切笑っていない。フェリクスがトマスに向かって小さく会釈すると、トマスは本能的な恐怖を感じたかのように一瞬で顔を強張らせた。
「あ、いや……お邪魔、だったな。またな、リオン!」
苦笑いというよりは引き攣った笑みを浮かべ、トマスは逃げるように離れていった。
「邪魔じゃないだろ、別に。普通に座ればいいのに」
「いいんだよ。兄さんの隣は、僕だけの席だから」
フェリクスはそう言って、当然のように隣に腰を下ろす。
完璧すぎる所作で。完璧すぎる笑顔で。 座った拍子に、フェリクスの肩が俺の肩にぴたりと寄り添い、テーブルの下では、フェリクスの膝が俺の膝にぴたりと寄り添う。接触した部分からは温もりが伝わってくる。
癖のない美しい銀糸の髪、整いすぎて作り物めいた冷徹な顔立ち、大学指定のジャケットの上からでもわかる程よく均整のとれた体格――フェリクスは、誰がどう見ても「完璧」という言葉がそのまま似合う男だった。同じ日に生まれた双子だと言うと、たいてい絶句される。
俺は自分の跳ねる癖毛を指先で軽く払った。 フェリクスとは対照的に、俺の目元は柔らかく垂れていて、どちらかといえば「気が抜けている」と評される顔立ちだ。その上細身だ。 同い年で同じ学年、同じ授業を受けているのに、並んで歩くと本当に双子かとよく聞かれる。
そのたびに、フェリクスは決まって誇らしげに、そして独占欲を滲ませて「僕の、兄さんです」と答えるのだった。
――まあ、いつものことか。
物心ついたときから、こうだった気がする。 見た目こそ立派に成長したが小さい頃のままお兄ちゃん大好きな甘えん坊だなと、深く考えたことはなかった。
触れたままの箇所のフェリクスの体温だけが、やけに熱く、肌の奥にまで残っていた。
授業が終わると、教室はざわめきとともに解放感に包まれた。 俺が鞄をまとめていると、後ろの席からエマが声をかけてきた。
「ねえリオン、これから図書塔行かない? 来週の実技試験の課題、一緒にやろうと思って」
「ああ、いいよ。ちょうど俺も――」
「兄さん。今日は僕に付き合ってもらうよ」
返事をする前に、フェリクスがすでに真横に立っていた。 教科書を片付ける手は止まらないまま、氷のように冷たい視線だけをエマに向けている。エマが「ひっ」と小さく息を呑むのが聞こえた。
「え、急にどうしたんだよ、フェリクス」
「温室の管理当番で、手伝いが必要なんだ。僕一人だと心もとなくて」
学部首席を独走する完璧なフェリクスが、温室の管理ごときで「心もとない」はずがない。 けれど、その理屈の不自然さを指摘する前に、俺の鞄はすでに彼の手の中にあった。鞄を奪うように取り上げたフェリクスの指先が、俺の手の甲を、ねっとりとかすめる。
「あ……うん、エマ、また今度でいい?」
「う、うん! 全然! またね!」
エマは弾かれたように教室を飛び出していった。
廊下を並んで歩きながら、俺はふと口を開いた。
「温室の当番なんて聞いてないけど」
「今決めたから」
「それ、ただの口実だろ」
フェリクスは答えず、ただ美しく薄く笑っただけだった。 その笑顔があまりに自然すぎて、俺はそれ以上追及する気をなくしてしまう。
この時、自分の世界がフェリクスに支配されつつあることに、俺はまだ気づいていなかった。
◇◆◇
【フェリクス視点】
兄さんは、今日も何も気づいていなかった。
エマとかいう女に向けた、あの無防備な笑顔。 あれは、僕に向けるものと同じ温度だった。誰にでも、平等に優しい。
それが兄さんの美徳で――そして、僕が一番、狂いそうになるほど苛立つところでもある。
温室の鍵を回しながら、僕は今日もまた一つ、兄さんの周りから余計な羽虫を取り除いたことを確認する。
トマス。エマ。数えればきりがない。 誰も悪くはない。ただ、僕の兄さんに近づきすぎた。それだけの理由で、彼らは僕に排除される。
正直に言えば、誰かを遠ざけ、兄さんの世界を狭めるたびに、胸の奥がドロドロとした歓喜で満たされていくのがわかる。これが普通の感情ではないことくらい、とうの昔に気づいている。
だから何だ、とも思う。 歪んでいるなら歪んでいるでいい。この気持ちを、捨てるつもりも、正すつもりも毛頭ない。
兄さんの一日を、僕はすべて把握している。 何時に起きて、誰と話し、笑って、何を食べたか。 手帳の予定も、部屋の引き出しの中身も、文通の相手も――兄さんが知らないところで、僕はとっくに目を通し、管理している。
エマが今朝、兄さんの下駄箱に入れようとしていた手紙も、今僕のポケットの中にある。 愛の告白? 虫唾が走る。兄さんの目に触れることは、永遠にない。
さっき、鞄を取り上げたときに触れた手の甲の感触が、まだ指先に残っている。 たったそれだけのことで、全身の血が沸き立つほど満たされる。これでいい。兄さんの世界には、僕だけがいればいい。
兄さんは知らない。自分がどれほど危うい血筋を抱えて生きているか。 あの本家の人間たちが、どれほど汚い企みで兄さんを狙っているか。
だから僕が、代わりにすべてを排除している。 ――いや、違う。それは半分、綺麗な言い訳だ。
本当は、ただ兄さんが誰のものでもなく、僕だけのものであってほしい。それだけ。兄さんの世界に、僕の知らない場所があることが、耐えられないほど許せない。
兄さんの優しさは、誰の手にも届いてしまう。 だから僕が、先に全部、刈り取っておく。兄さんが気づかないうちに、兄さんの世界のすべてを、僕の手の中に収めて鍵をかける。
――いつか、兄さんがすべてを知る日が来る。 そのとき、兄さんの足元には僕しか残っていないように。
窓の外、夕暮れに染まる大学の尖塔を眺めながら、僕はポケットの中の手紙に、もう一度だけ視線を落とした。
差出人のない、実家の『本家』の紋章だけが押された不穏な一通の手紙に。
――そろそろ、向こうが動き出す。 兄さん。僕から離れたら、死ぬよ?
◇◆◇
放課後、俺は珍しく一人で街に出ることにした。
来週の実技試験のための薬草を、自分で選んで買ってみたい――そんな、ささやかな思いつきだった。いつもなら影のように張り付いているフェリクスが少し離れている隙に、今日は「一人で行ってくる」と手紙を残して、逃げるように下宿先を出た。
少し、後ろめたさがあった。けれど同時に、何か自由を取り戻すような、小さな高揚感もあった。
街は夕方の灯りに染まり始めていた。 薬草店の軒先で目当ての品を選んでいると――不意に背後から、凄まじい勢いで伸びてきた手が、俺の手首を壊れそうなほど強く掴んだ。
指先が、ガタガタと恐怖に震えているのが、掴まれた肌越しに伝わってくる。
「――っ、フェリクス!?」
振り返ると、肩を激しく上下させ、息を切らしたフェリクスが立っていた。 額には汗が浮かび、その瞳は見たこともないほど血走っている。いつもの完璧な笑みは、木端微塵に消え失せていた。
「どうして、一人で来たんだ」
地を這うような、聞いたこともない低い声だった。
「いや、別に……ただ、自分で選びたくて」
「僕に、一言も言わずに消えるなんて――!!」
掴まれた手首に、骨がきしむほどの力がこもる。俺は思わず悲鳴をあげそうになった。
「フェリクス、痛い……っ!」
「――っ、ごめん。ごめんなさい、兄さん……!」
謝りながらも、彼は手を離さなかった。それどころか、フェリクスは俺を自分の方へと乱暴に引き寄せ、壊れ物を抱くように強く抱きしめてきた。
間近で見るフェリクスの顔は、完璧な仮面が剥がれ落ち、ただ余裕のない、狂気を孕んだ一人の男の顔だった。
「兄さんは、僕がいないとだめなんだ。わかってる? 一人で出歩くなんて、あり得ない。危ないんだ。僕の目の届かない場所に、行かないでくれ……!」
「大袈裟だよ、ただ街に来ただけ――」
「大袈裟なものか!!」
街中に響くような、剥き出しの絶叫だった。 フェリクスは俺の肩に顔を埋め、獲物を逃すまいとする獣のように、何度も俺の匂いを嗅ぎ、手首を確かめるように締め直す。
「兄さんは知らない……僕がどれだけ、兄さんを……っ。兄さんが僕の前から消えたら、僕は、この大学も、実家も、世界も、全部どうでもよくなる……!」
喉の奥で、狂気と嗚咽を堪えるように息が震えている。 だが、その瞳に宿る光は、一点の迷いもない「本物」だった。
「兄さんは、僕のものだ。生まれたときからずっと、僕だけのものだ。誰にも渡さない、指一本触れさせない……!」
俺は、初めて正面から弟の、いいや、「一人の男」の目を見た。 そこにあったのは、これまで俺が呑気に見落としてきた、途方もなく重く、暗く、飢えた情念だった。
「……フェリクス。お前、どうしてそんなに……」
フェリクスは俺の首筋にそっと顔を寄せ、熱い吐息とともに囁いた。
「……近いうちに、嫌でもわかるよ。誰にも奪われないように兄さんの全てを僕が管理するよ」
その一瞬、フェリクスの指先が、俺の手首を確かめるように、離れがたいというように微かに震えた。
夕暮れの街角で、俺は生まれて初めて、底冷えするような戦慄と――そして、得体の知れない高揚感を覚えていた。 俺は実家について、何か決定的なことから目を逸らしてきた。そして、この弟の異常な執着からも。
――仲の良い双子という虚像は破られてしまった。フェリクスの腕の中から、もう、逃げられない。
(了)




