産まれたときに「我儘になる」と言われた令嬢は悩んだ末自ら我儘令嬢になった
フィールズ男爵家に最初に産まれたのは女の子だった。身内を招いたお披露目でその子の顔を見た本家の当主は「この子は我儘になる」と言ったらしい。人を見る目に長けた当主の見立てに、周囲の大人は子の子はいったいどんな我儘な子に育つのだろうと恐れたという。それと共にできる限り躾けていかなければいけないと誓い合ったそうだ。
我儘令嬢サマンサはそうやって産まれた。
物心ついた頃、サマンサは困惑していた。自分が何かしようとしたり、自分のものを大切にしようとすると、それは全部我儘と言われてしまう。
例えばお母さまが家の事が大変というから「お手伝いしたい。」と言うと「我儘で出しゃばりね。手伝わせてあげるけれど、我儘を言ったんだから、今日のデザートは遠慮しなさい。」と腹立たしげに言われてしまう。
お気に入りのリボンをつけて両親と本家のお茶会に行った時に、従妹のリンダに「可愛いリボンね。」と褒められたから嬉しくなって「ありがとう。気に入っているの。」と答えたら、お父様に「そうじゃないだろう。リンダはそのリボンが欲しいと言っているんだよ。あげるよな?サマンサ。ほら、なんで渡すのを渋っているんだ。お前は本当に我儘だな。」と呆れたように言われてしまう。
リンダと「好きな色はピンクで一緒だね。」と話していたのを聞いたお祖母様にまで「本当に我儘な子ね。なんでリンダと同じ色が好きだなんて答えるのかしら。」と言い掛かりのようなことまで言われると、もうどうしていいか分からなくなってしまった。
両親も親戚も口をそろえて「サマンサは我儘だ。」という。だんだんサマンサはとにかく自分のものは譲ればいいと学び、何か聞かれても「お先にどうぞ。お好きになさって。」が口癖になっていった。
「君の家、おかしいんじゃないか?」
15歳になってサマンサは学園に通うようになった。学園でも「お先にどうぞ。お好きになさって。」を続けてしまった結果、面倒な仕事を押し付けられることが多かった。
今日も教諭会議で使うという資料のホチキス止めという時間ばかりかかる下働きを、教科準備室で臨時教師のナオルと2人で行っていた。
大学を卒業したばかりのナオルはひょろりとした体型に柔らかいくせ毛のせいで実際の年齢より若く見えた上、臨時教師というのと相まって、教師というよりちょっと年上の先輩のような気安さがあって、ミランダにとっては珍しく気を許せる相手でもあった。
度々雑用に駆り出される2人はこの日も、音楽が好きという共通の話題で話が弾みながら作業をしていたが、会話の流れで、サマンサが流行りの楽団のチケットが取れたけれど、お母さまが「あら、いいわね。」と言ったので譲ったと話すと、ナオルはサマンサがビックリするような大きな声を上げた。
「有り得ない!君が行きたくて取ったチケットだろう?君は何でせっかく取れた大切なチケットをそんな簡単に譲ってしまうんだ。しかも親が子供のものをねだるだなんて、おかしいだろう?」
「え。でも、遠回しに欲しいと言われたら差し上げないのは我儘ですから。」
「いや、何言っているんだ。そんなの我儘じゃないだろう。」
ナオルはホチキスを止める手を完全に止めて、信じられないものでも見るようにサマンサを見つめた。
「君が行きたいと思って、自分で手に入れたチケットだろう?それを自分で楽しみたいって思うのは、とても自然な気持ちだよ。我儘っていうのはね……」
ナオルは少し考えるように視線を宙にさまよわせ、サマンサの目を見つめながらゆっくりと口を開いた。
「他の人を踏みつけにしてでも、自分だけ得をしようとすることだ。誰かを泣かしてでも自分の楽しみを優先するとか。そういうのを我儘って言うんだと思う。」
「でも、誰かが欲しいといったものを差し上げないのは自分だけが得をすることだし、断られた方は悲しくなってしまうでしょう?」
サマンサが恐る恐る言うと、ナオルは呆れたようにため息をついた。
「それは君も同じだろう?君だって行けなくて、悲しいだろう?どうして君の家族は君を悲しませて平気なんだ。」
「……わたくしの、悲しみ?」
思いがけない言葉に、サマンサは自分の胸に手を当てた。チケットを渡すとき胸の奥の温度はどうなっていただろう?すごく冷たくなっていなかっただろうか。
「だって、君、本当は行きたかったんだろう?その楽団の話をしている時の顔、すごくうれしそうだったぞ。」
「それは……その楽団が、とても好きで……。いつか本物を聴けたら素敵だなって、ずっと思っていて……。だからチケットが取れた時は、飛び上がるくらいうれしくて……」
そこまで言ってサマンサは、はっと口をつぐんだ。
自分の気持ちをここまで言葉にしたのは、もしかしたら初めてかもしれないと気づいたからだ。
ナオルは穏やかな声に戻って、ゆっくりと問いかけた。
「それなのに、母親に一言『いいわね』って言われただけで諦めたのか?『これは楽しみにしている大切なチケットだから渡せない』と、なんで言えなかったの?」
「言えませんわ。そんなことを言ったら、『なんて我儘な子なの』って……。」
「だからさ、その『我儘』の使い方が変なんだよ、君の家。」
ナオルはきっぱりと言い切った。その言葉には、からかいも遠慮もなかった。
「君の気持ちは、君のものだろう?それを口に出すことまで、どうして罰みたいに扱われなきゃいけないんだ。」
サマンサは返す言葉を見つけられず、ただ手元の資料を見つめた。ホチキスの銀色が、僅かに滲んで見える。
「君の家、おかしいんじゃないかって言ったのはね、君が変だからじゃない。君は、ただ普通に『好き』って思ったり、『欲しい』って思ったりしてるだけだ。それを全部『我儘』ってラベル貼ってる周りが、おかしいんだ。」
「……わたくしは、我儘ではない……?」
おそるおそるこぼれた小さな問いに、ナオルは即答した。
「少なくとも、今聞いた話のどこにも、我儘なところはなかった。」
その言葉は、水面からボチャンと投げ込まれた小石がゆらゆらと揺れながらも水底に落ち着くように、サマンサの頭を混乱させ、胸の奥に静かに沈んでいった。
帰宅したサマンサは自室のベッドに腰掛けて、ナウルとの会話を理解できるまで考えてみようとした。
「ただ普通に『好き』って思ったり、『欲しい』って思ったりするのは普通のこと。」
頭ではそう繰り返してみても、心の中がゆらゆらとして落ち着かない。
もし本当にそれが普通のことだとしたら、今まで自分が我儘だと責められてきたあれこれは、いったい何だったのだろう。
「わたくしの家族が、おかしい……?」
そこまで考えて、サマンサはぶんぶんと首を振った。
そんなはずはない。お父様もお母さまも、お祖母様も、皆が同じことを言っていたのだ。世間でも人を見る目が確かだと評判の本家の当主様が見立てを間違うはずはない。
間違っているのは、いつだってサマンサ一人のはずだった。
けれど今は、ナオルの言葉が、どうしても頭から離れてくれない。
「……もし本当に、わたくしが我儘だとしたら。」
ぽつりとこぼれた呟きは、誰に届くでもなく、静まり返った部屋に溶けていった。
「だったら、ちゃんと我儘になってみようかしら。」
口に出した言葉に乾いた笑みがこぼれる。鏡を見ないでも今まで浮かべたことのない笑みだと自分でも分かった。
翌朝、男爵家の朝食の席は、いつも通り整然としていた。
長いテーブルの中央には花が飾られ、焼きたてのパンとスープ、色とりどりのジャムが各自の席に並べられていた。
サマンサは自分の席につきながら、胸の中で何度も言葉を反芻していた。
今日やるのは、ほんの小さなこと。
誰かから何かを取り上げるわけでもなく、泣かせるわけでもない。
ただ、自分の「好き」を、自分で選ぶだけ。
メイドが紅茶の入ったポットを持ってきてカップに注ごうとするのをミランダはそっと手を挙げて止めた。
「今日は、コーヒーをもらえるかしら?」
言ってしまった。
両親もメイドも、そろって目を見開きサマンサを見つめる。
「どうしたんだ?これまでコーヒーなんて飲まなかっただろう?」
父が怪訝そうに眉を上げる。
「そうよ。あなたはいつも紅茶だったでしょう。」
母も呆れたように続けた。
サマンサは、胸の鼓動が早くなるのを感じながらも、できるだけ落ち着いた声を保った。
「今朝は、シャキッとしたい気分の日、なんです。」
一瞬、食卓に沈黙が落ちた。
母が鼻で笑う。
「気分で飲みたいものを選ぶなんて我儘ね。いつもの紅茶で十分でしょうに。」
予想していた言葉だ。
それでも、サマンサは視線をそらさなかった。
「えぇ。私は我儘なんです。」
父はしばらくサマンサを見つめていたが、やがて肩をすくめた。
「……コーヒーぐらいで目くじらを立てるほどのことでもないだろう。厨房に言って、淹れてきてもらいなさい。」
「あなた、そんな勝手を許したら――」
母が不満を口にしかけたが、父は軽く手を上げて制した。
「たまには違うものを飲んでみたいというだけだ。好きにさせても問題ない。」
メイドがほっとしたように一礼し、コーヒーの用意のために部屋を出ていく。
サマンサは、テーブルの下でそっと両手を握りしめた。
――誰も泣いていない。
――誰からも何かを取り上げていない。
――ほんの少し、自分の「飲みたいもの」を選んだだけ。
それでも、胸の内では、さっきまでの会話が信じられないほど大きな出来事のように感じられる。
やがて香り高い湯気を立てたカップが、そっとサマンサの前に置かれた。
「お嬢様、コーヒーでございます。」
「ありがとう。」
サマンサは、ゆっくりとカップを持ち上げた。
「……いただきます。」
一口、口に含む。
焙煎された香りが強いコーヒーは思っていたよりも苦くて、けれど不思議とすっきりとした味わいだった。
「苦い。」
これまで気が付かずに我慢してしまった後悔に似た苦さだ。
思わずこぼれた言葉に、母が「我儘言うからよ。」と小さく呟いたが、今度はその言葉が、胸の奥深くまで刺さることはなかった。
今は苦いだけだけれど、きっとこれからコーヒーが好きになる予感がした。
――これが、わたくしの選んだ、最初の我儘。
サマンサはそっと息を吐き、もう一口コーヒーを飲んだ。
登校したサマンサは、教科準備室のドアをノックした。
「失礼いたします。サマンサ・フィールズです。」
「どうぞー。」
中から聞こえた気の抜けた声に、小さく息を整えてからドアを開ける。
机の上には書類の山、ナオルは袖をまくって赤ペンを走らせていた。
サマンサは扉を閉め、意を決して口を開いた。
「ナオル先生。家から離れてみたいんです。どこかいいサマーキャンプとかあったら教えていただけませんでしょうか。」
カリカリと紙の上を走っていたペンの音が、ぴたりと止まった。
「……家から、離れたい?」
顔を上げたナオルの表情には、驚きと、少しの心配が混じっている。
「はい。」
サマンサは両手を前で組み、ぎゅっと指先に力を込めた。
「ずっと自分のものは譲ればいいと思ってきました。でも、先生のお話を聞いてから、家族との関係を少し離れた場所で考えてみたくなりましたの。」
そこまで言って、自分でも「大げさだったかしら」と不安になる。
けれど、もう引っ込めたくはなかった。
「ですから、夏の間だけでもいいので、親元を離れて過ごせる場所があれば、教えていただけないかと思いまして。」
ナオルはしばらく黙ってサマンサを見つめていたが、やがて小さく笑った。
「君、思い切った我儘を言うようになったな。」
「我儘、でしょうか。」
不安混じりに尋ねると、ナオルは首を横に振る。
「いい意味でだよ。ちゃんと自分のために、自分の行き先を選ぼうとしてる。そういうのは、俺は大いに賛成だ。」
「ありがとうございます。我儘を申しますが、よろしくお願いいたします。」
我儘ね、と言われてももうサマンサは笑って答えられる気がした。
「えぇ。わたくし我儘令嬢なんです。




