第12話「決戦前夜とは、覚悟を固めるための儀式である」
やがて、太陽が昇り、王国軍の野営地が、にわかに騒がしくなってきた。
彼らが、第二波の攻撃を仕掛けてくるであろう時間だった。
僕たちは、固唾を飲んで、その時を待った。
しかし、いつまで経っても、突撃の号令はかからなかった。
それどころか、野営地の様子が、どうもおかしい。
遠眼鏡で覗いてみると、兵士たちが、武器を手にするでもなく、ただ、ぼんやりと座り込んでいる姿が見えた。ある者は、空を見上げて、ため息をつき、またある者は、故郷の方角であろう空を、恋しそうに見つめている。
戦場にいるとは思えないほど、彼らの間には、厭戦的なムードが漂っていた。
「……どうしたんだ、あいつら?戦う気がないみたいだぞ」
リリアが、不思議そうに言った。
『……効いている』
僕は、心の中で、静かに勝利を確信した。
僕の【再翻訳】は、確かに、彼らの「戦意」を「郷愁」へと書き換えたのだ。
その異常事態は、当然、指揮官である父や兄の耳にも入っていた。
「貴様ら、何をぐずぐずしている!さっさと攻撃準備にかかれ!」
アルフレッドの怒声が、野営地に響き渡る。
しかし、兵士たちの反応は、鈍かった。
「……はあ。もう、戦なんて、どうでもいいですなあ」
「ああ。家に帰って、嫁さんの作ったシチューが食いたい……」
「うちの子供、今頃、元気にしているだろうか……」
兵士たちは、口々に、そんな弱音を吐いている。
昨日までの、精強な軍隊の姿は、そこにはなかった。
彼らは、ただの「家に帰りたいおじさん」の集団へと、変貌してしまっていたのだ。
「……き、貴様ら、正気か!敵前で、そんな弱音を吐くとは!軍規違反で、全員、処罰するぞ!」
アルフレッドは、必死に彼らを叱咤するが、もはや、その言葉は、誰の心にも響いていなかった。
「処罰、ですか。どうぞ、ご自由に。いっそのこと、クビにしてくれた方が、ありがたいくらいですよ」
一人の兵士が、そう言い返したのを皮切りに、他の兵士たちも、次々と不満を口にし始めた。
「そうだそうだ!こんな辺境の村1つ、潰すために、なんで俺たちが命を張らなきゃならんのだ!」
「そもそも、公爵家の私怨に、我々を巻き込むな!」
事態は、アルフレッドの想像を、遥かに超える方向へと進んでいた。
兵士たちの間に、反乱、あるいは、ストライキのような空気が、蔓延し始めていたのだ。
「……何が、起きている……」
父、アルクライト公爵は、その信じがたい光景を前に、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。
彼が長年かけて築き上げてきた、絶対的な権威と支配が、目の前で、音を立てて崩れ去っていく。
僕は、城壁の上から、その全てを見届けていた。
『これが、僕の戦い方だ』
血を流さず、誰も傷つけず、ただ、相手の戦う意志を、奪い去る。
これこそが、【再翻訳】というスキルの、真の力なのかもしれない。
やがて、王国軍の中から、一人の兵士が、武器を地面に投げ捨てた。
「俺は、もうやめた!こんな馬鹿げた戦い、付き合ってられるか!俺は、家に帰らせてもらう!」
その行動は、伝染した。
一人、また一人と、兵士たちが、武器を捨て、兜を脱ぎ捨てていく。
そして、彼らは、指揮官である父や兄に背を向け、それぞれの故郷へと、歩き始めてしまったのだ。
「ま、待て!貴様ら、どこへ行く!持ち場を離れるな!」
アルフレッドの制止の声も、もはや、誰にも届かない。
500人いたはずの軍勢は、あっという間に、その数を減らしていく。
まるで、潮が引くように。
***
数時間後、谷の入り口に残されていたのは、呆然と立ち尽くす、父と兄、そして、ごくわずかな側近たちだけだった。
彼らの軍隊は、戦う前に、瓦解してしまったのだ。
「……あり、えん……」
アルフレッドは、膝から崩れ落ち、力なくつぶやいた。
彼の【時空干渉】スキルも、これでは、使いようがなかっただろう。
父は、ただ黙って、僕が立つ城壁を、見上げていた。
その瞳には、もはや、怒りも、憎しみもなかった。
ただ、自分の理解を完全に超えた存在に対する、畏怖と、そして、完全な敗北の色が、浮かんでいるだけだった。
僕は、ゆっくりと、城門を開けた。
そして、リリアと村長さんと共に、彼らの前へと、歩み出た。
僕たちの後ろには、クワやカマを手にした、村人たちが、静かに控えている。
僕と父の、視線が交差する。
「……お前の、仕業か」
父は、かすれた声で、尋ねた。
「さあ、どうでしょう。兵士たちが、戦いに嫌気がさした。ただ、それだけのことかもしれませんよ」
僕は、とぼけてみせた。
「……」
父は、何も言わなかった。
いや、何も言えなかったのだろう。
彼は、この戦いで、全てを失ったのだ。
軍隊、権威、そして、息子からの信頼も。
「もう、お分かりでしょう」
僕は、静かに、告げた。
「この村は、僕の村だ。あなた方の好きにはさせない。もう2度と、この谷に、近づかないでいただきたい」
それは、最後通告だった。
僕の言葉に、父は、ゆっくりと、頷いた。
その姿は、かつての威厳あふれる公爵のものではなく、ただの、年老いた、一人の男にしか見えなかった。
彼は、アルフレッドに肩を貸され、よろよろと、馬車の方へと歩いていった。
去り際、アルフレッドが、1度だけ、僕の方を振り返った。
その瞳には、複雑な感情が渦巻いていた。
憎しみ、嫉妬、後悔、そして、ほんの少しの、羨望。
彼らは、何も言わずに、馬車に乗り込み、王都の方角へと、去っていった。
2度と、この谷に戻ってくることはないだろう。
彼らの姿が見えなくなると、僕たちの後ろから、わああっ、という、地鳴りのような歓声が上がった。
村人たちが、僕たちの勝利を、喜び、称えてくれている。
「やった!やったぞ!」
「俺たちの、勝ちだ!」
リリアが、僕に飛びついてきて、思い切り、抱きしめてきた。
「カイリ!すごいよ!本当に、勝っちゃった!」
「ああ。僕たちの、勝ちだ」
僕は、リリアを抱きしめ返しながら、青い空を見上げた。
戦いは、終わった。
僕たちは、自分たちの手で、平和を、そして、未来を、守り抜いたのだ。
この勝利は、きっと、すぐに、世界中に広まるだろう。
辺境の小さな村が、王国の正規軍を、戦わずして退けた、と。
そして、この「希望の谷」は、もはや、誰にも、無視できない存在となる。
僕たちの物語は、まだ、始まったばかりだ。




