第10話「拒絶とは、過去との決別宣言である」
僕が兄アルフレッドの申し出をきっぱりと断った後、門の前には重苦しい沈黙が流れた。
アルフレッドは、僕の背中に向かって何かを言おうとして、しかし言葉を見つけられないでいるようだった。彼のプライドの高い性格からすれば、弟に、それも一度は捨てたはずの弟に、これほど明確な拒絶を突きつけられたのは、生まれて初めての経験だったのだろう。
「……カイリ、本当に、それでいいのか」
やがて、アルフレッドは絞り出すような声で言った。その声には、怒りよりも、むしろ戸惑いの色が濃く滲んでいた。
「しつこいな。僕の答えは変わらない。君たちの甘い言葉に乗って、またあの息の詰まる鳥かごに戻るつもりは毛頭ない」
僕は振り返らないまま、冷たく言い放った。
「鳥かごだと……?アルクライト公爵家が、お前にとってはそうだったというのか」
「ああ、そうだ。金メッキで飾られた、立派な鳥かごさ。そこでは、スキルの優劣が全てで、それ以外の価値は認められない。僕は、そんな世界はもううんざりなんだ」
僕の言葉が、アルフレッドの胸に突き刺さったのが分かった。
彼は、僕がそんな風に感じていたとは、夢にも思っていなかったのだろう。
彼にとって、アルクライト家は誇りであり、世界の中心だったのだから。
「……分かった。お前の意志は、固いようだな」
アルフレッドは、諦めたように、深くため息をついた。
「だが、覚えておけ、カイリ。この話は、これで終わりではない。父上は、お前の力を、決して見過ごしにはしないだろう。たとえ、力ずくででも、お前を連れ戻そうとするはずだ」
それは、忠告のようであり、脅迫のようでもあった。
「……忠告、感謝するよ。兄さん」
僕は、初めて振り返り、アルフレッドの顔をまっすぐに見つめた。
「だけど、僕も、僕の大切なものを守るためなら、力を使うことをためらいはしない。たとえ、相手が、アルクライト家であろうと、この国の王であろうと、だ」
僕の瞳に宿る、揺るぎない決意を見て、アルフレッドは息を呑んだ。
彼は、もはや僕が、かつての無力で従順な弟ではないことを、悟ったようだった。
「……そうか」
アルフレッドは、それだけを言うと、僕に背を向け、馬車へと乗り込んだ。
騎士のバルトも、複雑な表情で僕に一礼すると、馬に乗り、主君の後に続いた。
去っていく馬車を見送りながら、僕は、一つの時代の終わりと、新しい時代の始まりを感じていた。
過去との、完全な決別。
僕は、僕自身の意志で、アルクライト家との縁を、完全に断ち切ったのだ。
「……カイリ、大丈夫?」
隣にいたリリアが、心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
「ああ、大丈夫だ。少し、すっきりしたくらいだよ」
僕は、彼女に微笑みかけた。
それは、強がりではなかった。本当に、心のつかえが取れたような、晴れやかな気分だった。
「そっか。なら、いいんだけど……。あの人、カイリのお兄さんだったんだね」
「……うん。まあ、色々あってね」
僕は、それ以上は語らなかった。
リリアも、それ以上は聞いてこなかった。彼女は、僕が話したくないことは、無理に聞こうとはしない。そういう、優しい気遣いができる少女だった。
***
その夜、僕は村の幹部たち――村長さんや、新しく移住してきた職人たちのリーダーなどを集めて、緊急の会議を開いた。
議題はもちろん、アルクライト家、そしてその背後にいるであろう王国への対策だ。
「兄の言葉が本当なら、近いうちに、彼らは実力行使に出てくるでしょう。この村を、僕の力を、手に入れるために」
僕がそう言うと、集まった人々は、ごくりと唾を飲んだ。
「軍隊を、差し向けてくるということか……?」
鍛冶屋の親方が、険しい顔で言った。
「その可能性は、高いと思います」
「我々に、勝ち目はあるのか……?相手は、国の正規軍だぞ」
不安そうな声が上がる。
無理もない。僕たちは、ただの村人だ。いくら城壁や門があるとはいえ、本格的な軍隊を相手に、戦えるはずがない。
しかし、僕は落ち着いていた。
「皆さん、心配は要りません。僕に、考えがあります」
僕は、皆の顔を見回して、言った。
「物理的な戦力では、僕たちに勝ち目はありません。ですが、僕の力を使えば、戦わずして、彼らを退けることが可能です」
「戦わずして……?」
村長さんが、訝しげに聞き返した。
「はい。僕のスキルは、物事の『概念』を書き換える力。それは、物質だけに限った話ではありません。例えば……人の『感情』や『意志』といった、形のないものにも、干渉することができるんです」
僕は、かつてミナの心に宿る「恐怖」を、「僕が守るという約束」に書き換えた時のことを思い出していた。
あの応用だ。
「つまり、攻めてきた兵士たちの『戦意』そのものを、別のものに再翻訳してしまえばいいんです」
僕の突拍子もない提案に、皆、呆気にとられていた。
「そ、そんなことが、可能なのか……?」
「やってみなければ分かりません。でも、試す価値はあります。そのためには、皆さんの協力が必要です」
僕は、ホワイトボード代わりの大きな木の板に、僕が考えた防衛計画を書き出していった。
それは、僕の【再翻訳】スキルを最大限に活用した、前代未聞の籠城作戦だった。
兵士たちの士気を削ぐための、心理的な罠。
彼らの装備を無力化するための、概念的な妨害。
そして、最終手段としての、大規模な感情の再翻訳。
僕の説明を聞き終えた村人たちは、最初は半信半疑だったが、次第にその目に、決意の光が宿っていくのが分かった。
「……分かった。カイリ君に、乗ってみよう」
村長さんが、力強く言った。
「そうだ!ここまで来たら、とことん付き合うぜ!」
「俺たちの村は、俺たちで守る!」
皆の心が、一つになった瞬間だった。
***
それから数日間、僕たちは、来るべき日に備えて、着々と準備を進めた。
村人たちは、僕の指示に従い、城壁の各所に、様々な仕掛けを施していく。
リリアは、女性たちをまとめ、食料や水の備蓄に奔走してくれた。
ミナは、その優れた聴覚と嗅覚で、村の周囲の警戒にあたってくれた。
村全体が、一つの大きな家族のように、団結していた。
誰も、恐怖に怯えたりはしていなかった。むしろ、自分たちの手で、自分たちの未来を掴み取ろうという、強い意志に満ち溢れていた。
僕は、そんな村人たちの姿を見て、胸が熱くなるのを感じた。
『絶対に、守り抜いてみせる』
この、僕がようやく見つけた、かけがえのない居場所を。
僕を信じ、ついてきてくれる、大切な仲間たちを。
***
そして、運命の日は、思ったよりも早くやってきた。
アルフレッドが村を去ってから、わずか1週間後のことだった。
ミナが、血相を変えて、僕の元へ駆け込んできた。
「カイリ!大変!たくさんの人たちが、森の向こうから、こっちに向かってくる!」
その耳はぴんと立てられ、尻尾は逆立っている。
「……来たか」
僕は、静かにつぶやくと、見張り台へと駆け上がった。
遠眼鏡で、森の向こうを見据える。
そこには、整然と隊列を組んで進軍してくる、数100の兵士たちの姿があった。
鎧は陽の光を反射してきらめき、掲げられた旗には、王国の紋章が描かれている。
王国の、正規軍。
その先頭で馬に乗っているのは、見覚えのあるプラチナブロンドの髪。
――兄、アルフレッドだった。
彼の隣には、父、アルクライト公爵の姿もあった。
どうやら、親子揃って、僕を迎えに来てくれたらしい。
「全軍、進め!あの村を包囲し、抵抗する者は、一人残らず排除せよ!」
アルフレッドの号令が、谷間に響き渡った。
いよいよ、戦いの火蓋が、切って落とされようとしていた。
僕は、深く息を吸い込んだ。
心は、不思議なくらい、落ち着いていた。
「皆、準備はいいか」
僕の声に、城壁の上に配置された村人たちは、力強く頷いた。
その手には、クワやカマが握られている。
しかし、その瞳には、一欠片の恐怖もなかった。
「始めよう。僕たちの、村の防衛戦を」




