寝起き
三題噺もどき―ななひゃくよんじゅうご。
心なし重たい足を引きずりながら、リビングへと向かう。
足の裏に返ってくる廊下の冷たさが心地いい。
ここに日が当たることはないから、猫でも夏場は常にここに居そうなくらいには冷えている。冬場は少々辛いところがあるが。
「ふぁ……」
思わずこぼれる欠伸に、この体のだるさは寝不足だろうかと、思案しながら廊下からリビングへと続く扉を押し開く。
外からの夕日によって橙に染められた部屋が視界に飛び込んでくる。
らしくもなく、思わず眩しさに目を細めた。
「おはようございます」
そう、声が聞こえてきたのはキッチンの方からだ。
エプロンを身に着け、手を洗いながらこちらを見ているのは、私の従者である。
小柄な青年の姿をしているが、ほんの数十分か数分前には蝙蝠の姿で、鳥籠の中で眠っていたはずだ。
「……おはよう」
返した返事の声が、いつもより低くて自分で驚いた。
ホントにこれは寝不足なのか……やけに体は重い気がするし、頭も未だにすっきりしない感じがしていて、少々気分が悪い。不調気味ではあったが、はて。
あまり表に出したくはないが、寝起きというのはコントロールが効きづらくていけない。
「……」
「……なんだ」
何かを言いたげに、じいと見つめてくる。
こういう時のコイツの目は苦手だ。
「……なんでもありません」
少々不満気にそう答え得てから、作業に戻った。
朝食の準備をこれから進めていくのだろう。
いつもシャワーから上がったのと同時に朝食を食べられるようにしてくれている。
「……」
まぁ、本当に体調が悪ければ何とかするが、まだ寝起きなので自分でも何とも言えないのだ。
とりあえずは、いつも通りに動くとしよう。
そう決め、足はベランダへと向かう。
「……」
リビングに置かれたソファの上にかけっぱなしにしてあった、上着を手に取る。
外はきっと暑いだろうからいらないかとも思ったが、それ以前に太陽に当たるのはそもそも体力を削られることに変わりはないのだ―と、言い聞かせられたので羽織るようにしている。たまに忘れるが。
「……」
適当に袖を通しながら、ベランダの窓を開ける。
若干の冷たさを伴った生ぬるいようなあまり気持ちのいいとは言えない風が、吹き込んできた。すん―と、鼻を動かすと、かすかに雨の匂いがした。
今日はこれから雨が降るのだろうか……後で天気予報でも見ておこう。
「……」
後ろ手に窓を閉めながら、ベランダにおかれたサンダルに足を通す。
……今日はやけに賑やかだが、何かあったんだろうか。
そう思い、ほんの少し手すりから身を乗り出してみると。
「ぉ」
目の前までしゃぼん玉が飛んできて、パチンと弾けた。
何かと思えば、下で子供たちが遊んでいるようだ。
制服ではないが……あぁそうか、今日は休日か。日曜日だったな。
「……」
ふわふわと飛んでいくしゃぼん玉を追いかけて手でつぶしたり、ただひたすらに大量に飛ばしたり。その玩具ひとつでどれだけの時間遊んでいたのだろう。
思わず大人が嫉妬してしまう程には、彼らは遊びの天才だからな。いつから遊んでいたのかも忘れてしまう程に楽しんでいるのだろう。
「……」
しかしその彼らも、もう帰る時間だ。
遠くから、それぞれの名を呼ぶ声が聞こえてきはじめる。
それに、雨は思ったよりも近くにいたようだ。太陽の沈む反対側の空を見れば、灰色の雲が覆っていた。
「……ん」
そこではたと気づいたが。
私はうっかり煙草を持ってくるのを忘れていたようだ。
殆ど無意識に行っている行動だからすっかり忘れていたらしい。
「……」
まぁ、たまにはいいだろう。
吸わないと死ぬわけではないのだ。
今日くらいは大人しく禁煙としておこう。
「ご主人」
「ん、なんだ」
「……体調は問題ないんですね」
「ん、まぁ、大丈夫だろう」
「…………」
「……何かあったらすぐ言うさ」
「……そうしてください、絶対」
お題:しゃぼん玉・嫉妬・雨