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十三歳年上の隣国皇帝に嫁いだ夜に「じつは俺、枯れ専なんだ」と打ち明けられました

作者: たっこ

 とある小国の第三王女が、領土を接する大帝国の若き皇帝に嫁入りしました。


 王女の名前は、テレサといいます。

 今年の春で十二歳。幼くも賢い姫君です。


 一方、皇帝の名はイザーク。

 歳は現在二十五歳。武勇を誇る英雄です。


 テレサ姫は、聞き分けのよい娘です。

 王侯貴族の血の何たるかを、よくよく(わきま)えていました。

 真綿にくるまれ、蝶よ花よと可愛がられて育っても、それが無料の敬愛でないと、しっかり理解していました。

 民の血税で磨き上げられた宝玉は、民を養うためにこそ、(あきな)われなくてはいけません。


 ですから、ある日、父に呼ばれて、顔も知らない皇帝のもとに「嫁げ」と命じられたときも、文句の一つも口に出さずに、素直にこくりとうなずきました。

 すぐに子どもを産まねばならぬと、重々覚悟もしています。


 ところがどっこい!


 盛大きわまる婚礼を挙げて、いざ寝室で二人になると、彼女の夫、皇帝イザークは、両手を合わせて「すまん」と頭を下げたのです。


「夫婦の間に、秘密は無しだ。……じつは俺、枯れ専なんだ」


「カレセン……とは?」


「お歳を召した貴婦人でなければ、抱きたくない……という意味だ」


 なんと、まあ。

 テレサは、ぽかんと口を開けました。


 イザークは、「本当にすまん」と言いながら、身振り手振りを交えつつ、(にい)(づま)に熱弁しました。


「俺よりふた回りは年上の、白髪をきちっと結い上げた品の良い老貴婦人に、もてあそばれつつも『まったく仕方のない子ね』と甘やかされていたいんだ」


「はあ……」


「こちらがどれだけ必死になっても、余裕たっぷりににっこり受け流されて、『よく頑張りました』と頭を撫でられて褒められたいんだ」


「そうですか……」


「だから、その……ちょっと君とは、難しい」


 イザークは、困ったなあ、という表情で、再び両手を合わせました。

 困ったなあ、は、テレサのほうです。


 そりゃあ、確かに。

 イザークは、十三歳も年上です。

 テレサには、大人の魅力はありません。

 胸はぺたんこ、背も低くって、子どもっぽいかもしれません。

 でも、だからって、白髪でないと嫌だなんて!


 一応、テレサは訊いてみました。


「イザーク様は、なぜ枯れ専に?」


「聞きたいか」


「ええと、まあ」


「いいだろう。俺の()(へき)を決定づけた、この血の運命(さだめ)、今こそ語ろう!」


 イザークが、謎のポーズをとりつつ語った経緯(いきさつ)は、こういうものでした。





 王侯貴族は、どこも血筋を重んじます。

 この帝国も、もちろんそうです。


 若い姫君や令嬢は、貞操を固く守ります。

 ところが、皇子はその反対です。

 「来たるべき時に備えて、きちんと練習しておけ」と、厳しくしつけられるのです。


 この『練習相手』というのは、(おおむ)ね貴族の未亡人です。早くに夫を亡くした婦人が、依頼を受けて、引き受けます。


 さて、ここで、一つの事件がありました。

 この帝国の、数代前の皇子様は、真面目にしきたりを守って、定められたお相手と、()(ごと)練習に励んでいました。


 そのお相手が、なんとご懐妊したのです。


 さあ、大変!

 子を授かったご婦人は、これを好機と捉えました。

 まだ(きさき)もない皇子様に、自分を(めと)れと迫ったのです。

 そして、産まれてくる赤ちゃんを、世継ぎにするよう訴えました。


 この国では、女は自力で貴族になれません。

 夫を亡くし、栄華の道を断たれてしまったご婦人にとって、これは望外の再起なのです。


 困り果てたのは、皇族です。

 皇子様には、あらかじめお妃候補がいたのです。

 それも、国政を左右する、有力な侯爵家の娘です。

 そちらを反故(ほご)にはできません。


 だけど、皇子はそれを知りつつ、ご婦人を無下(むげ)にもできません。

 なんといっても、自分の初めての相手です。

 何から何まで知られています。

 すっかり情も湧いています。


 最終的に、皇族は、ご婦人の産んだ赤ん坊に『公爵』の位を与えてやりました。

 財産はやる、地位もやる。ただし皇帝の継承権は、(はな)から放棄してもらう。

 そういう立場の爵位です。


 ご婦人はすっかり大喜びです。

 皇子と結婚はできませんし、息子も世継ぎにはなれませんが、貧乏貴族の未亡人という、日陰者ではなくなりました。


 ただし、事件はこれでは終わりません。

 腹を立てたのは、婚約者の父、侯爵様です。


「偉大なる皇族の血を盗むがごとき暴挙である」


 彼のつぶやいた怒りを受けて、影で人々が動きました。


 ある朝、突然、生まれたばかりの公爵閣下は、ぽっくり亡くなっていました。看取った医者は「よくある幼児の病だ」とだけ言いました。

 しかしご婦人は信じません。


「私の子どもは、殺されたんだ!」


 必死に訴え続けましたが、誰もそれには取り合いません。そのうち、ご婦人本人も、ぽっくり亡くなってしまいました。

 新公爵家は、お取り潰しです。


 独り残された皇子様は、深い悲しみに暮れました。


「自分のような過ちを、二度と繰り返してはならない」


 やがて皇帝になった彼が、最初に制定した法は、次のような内容でした。


『男に()(とぎ)を教える女は、子を産めぬほど老いていること』





「……つまり、そういうことなのだ」


「ええと、どういうことですか?」


「この俺の練習相手も、麗しき老貴婦人だったのだ」


 なぜかキメ顔のイザークは、ポーズを変えて、こう言いました。


「素晴らしい教師だった……。俺は、人生で大切なことを、彼女にいくつも教わった」


 感極まった様子のイザークに、テレサはジト目で突っ込みます。


「皇族が子を残すのも大切では……」


「まあ、そうなんだが、出来ないものは仕方ない。……しかし、俺も、君には悪いと思っている。お詫びにこれを受け取ってくれ」


 イザークが「よいしょ」と言って取り出したのは、一つの大きな箱でした。綺麗な紙で包装されて、レースのリボンがついています。

 「開けてごらん」と彼が言うので、テレサも遠慮なく開けました。


 果たして中身は、大きなクマのぬいぐるみでした。


「……あの、イザーク様」


「うん。気に入ったか? かわいいだろう」


「私のこと、子ども扱いしてますね」


「五十歳以下はみんな子どもさ。ちなみにこれは、君のためにと色々悩んで、俺が直接選んだクマだ」


「……そうですか。一応、お礼は言っておきます。どうもありがとうございます」


「どういたしまして。そういうわけで、すまんが、君はクマと寝てくれ。俺は君とは寝られない」


「はあ……わかりました。でも、家臣たちには、何と説明するのですか?」


「うーん、まあ、適当にごまかしておくさ。ただ、君のお付きの侍女にだけなら、本当の事を言ってもいいぞ。女同士だ、下手な秘密はバレるだろうし」


 結局は、そういうことになりました。


 イザークは、テレサに背を向け大いびき。

 テレサはクマを抱きしめながら、やけに疲れた、とため息をつき、そのまままぶたを閉じました。

 痛い思いをしなくて済んだ、と、ほんのちょっぴり安堵して。





 ところが、それから十日ほど後。

 城下町は、皇帝の噂でもちきりでした。


「我らが偉大な皇帝陛下は、若い女が嫌いらしい」


「人妻でないと抱く気にならんと聞いたが、そりゃあ本当かね」


「枯れ木みたいなヨボヨボの婆さんが好き、と俺は聞いたぞ」


「おいおい、それじゃあ、この前いらした可愛いお(きさき)様はどうなる」


 もちろん、()(せい)のそんな噂は、お城の中まで届きます。

 皇帝陛下の執務室には、大臣たちが勢揃い。

 みんな揃って怒り狂って、イザークを怒鳴りつけました。


「これはどういうことです、陛下!」


「貴き皇族の品位に傷が!」


「責任意識に欠けますぞ!」


 イザークは、てんで(こた)えた様子も見せず、「うるさい、うるさい」と手を振ります。


「そうは言っても、実際問題、()たないんだから仕方ないだろう」


「陛下は気合いが足りんのです!」


「無茶言いやがる。無理なものは無理なんだって!」


「しかし、民から軽んじられます!」


「言いたいやつには言わせておくさ。人の噂も七十五日!」


 イザークは執務室から逃げ出しました。

 老貴婦人は愛していても、爺さんたちは苦手なのです。


 駆け込んだのは、王妃の部屋です。

 テレサが気まずくうつむきます。


「イザーク様、本当に申し訳ありません。侍女ひとりにしか言わなかったはずなのですが……」


 つまり、こういうことなのです。

 テレサは、イザークに言われた通り、お付きの侍女に話しました。

 その侍女が、掃除婦やコックに話しました。

 掃除婦は、近所の友人に。

 コックは、家で妻や子どもに。

 ねずみ算式に広がって、今では街中大騒ぎ。


「まさか、あの人、あんなに口が軽いだなんて……」


「まあ、仕方ない。人の口に戸は立てられないな」


 イザークは、ひょいと肩をすくめました。





 さて、ところで、若き皇帝イザークは、自分の噂が広まることを、本当に予想しなかったのでしょうか。

 大臣たちが、「務めを果たせ」と詰め寄ることを、本当にわかっていなかったのでしょうか。


 いえいえ、まさか!

 ここまですべてが、彼の思惑通りです。


 彼は、若くとも、賢帝です。

 だからこそ、テレサの国も、まだ十二歳の幼い姫を、急いで彼に嫁がせたのです。

 他の国々に遅れを取ってはならぬ、とでも言わんばかりに。


 イザークは、それこそが嫌だったのです。

 彼は、女性が若すぎる内に子どもを産むと、様々な問題が起こることを、よくよく知っていたのです。

 何しろ、彼の母親も、十代で三人子どもを産んで、二十歳を迎えることなく、無理が祟って逝ったのですから。

 生まれた子どもも、イザーク以外、すぐに亡くなってしまっています。

 若すぎる出産というのは、母にも子にも、悪影響です。


 しかし、社会というものは、時として人を踏みにじります。

 皇族の脈々と続く血統は、『産め』と『産むな』の圧力に()()てられた産物です。


 イザークは、時代の悪さを恨みながらも、初めは従うつもりでした。

 おのれの祖先の繋いだ道を、軽んじることはできません。


 けれども、彼は見たのです。

 この帝国の大臣たちが、いまだ幼いテレサ姫に、「月経はすでに来ておりますか」と、無遠慮に問うていたところを。

 まだ十二歳のテレサ姫が、血の気の失せた無表情で、「()(つき)(まえ)に」と答えたところを。


 あんな子どもに、なんて仕打ちだ。

 時代の圧など、糞喰らえ。


 イザークは、道化になると決めました。

 少女に無体を強いるよりなら、望んで汚名を(こうむ)ってやる。


 ところが、単にイザークだけが、妻との夜伽を拒んでしまえば、不条理なことに、臣下も民も、悪く言うのは妻なのです。


『皇帝陛下の妻でありながら、いつまで世継ぎを産まぬのだ?』


 それを誰にも言わせぬために、イザークが取った方法こそが、『枯れ専皇帝』だったのです。

 案の定、民はイザークを笑いながらも、皇后テレサを気の毒がります。


『よりにもよって、旦那があんな変態だったら、仕方ないわな』


 市井の噂に、彼はすっかり満足です。

 わざわざ口の軽い侍女をつけてまで、策を(ろう)した甲斐がありました。


 ただし、イザークが老貴婦人を敬愛しているということだけは、まるきり嘘でもないのです。

 彼に夜伽を教えてくれたマダム・カリナは言いました。


『夫婦に一番大切なことは、互いを想う気持ちです。体つきだとか、小手先の技、そんなことは二の次なのです。イザーク様もお后様を大切にしてくださいね』


 一昨年の冬、ついに天国へ逝ってしまった得難き教師を思い浮かべて、空を見上げて、彼は心に誓いました。


(見ていてくれよ、マダム・カリナ。あなたが教えてくれたとおりに、俺はテレサを守ってみせる)





 果たして、彼の変態嗜癖の噂はちっとも疑われないまま、一年が経ち、二年が経って、気づけば七年経ちました。


 国民からは、『名君であるイザーク様のたった一つの欠点』と、酒の席では定番の笑いの種になっています。

 大臣たちは、早くイザークに子どもを作って欲しいので、長年にわたる頭痛の種なのですが、やや諦め気味です。


 イザークは、満足でした。

 すべて自分の狙った通り、うまくいったと思っています。


 ……ですが、本当にそうでしょうか?


 賢帝と称えられている彼ですが、ひとつだけ見落としていました。

 いつでも彼のそばに寄り添う彼女の気持ちを見逃しました。


 そう、皇后テレサです。

 彼女は今では十九歳。次の春には、二十歳です。

 テレサがこっそり隠した不満は、今まさに、爆発の時を迎えようとしていたのです。





 それは、お茶会の席でした。

 この夫婦、何だかんだでいつも一緒で、特別な用事が無いときは、必ず午後にお茶をします。


 イザークは、テレサの着ているドレスに目を留め、言いました。


「そういえば、君はずいぶん地味なドレスを選ぶなあ。まるでご隠居の奥様だ。せっかく若くて綺麗なんだから、華やかなのを着たらどうだ?」


 テレサは、じっとり半目でイザークを見て、ぷいと視線を逸らしました。


「……そろそろ、私も『枯れて』くる年頃かと思いましたので」


「何言ってるんだ、咲き誇ってるよ。もっとおしゃれを楽しみなよ。今度、新しく仕立てさせよう。誕生日も近いことだし。桜色なんか良いんじゃないか?」


 善意の提案だったのですが、テレサの返事はため息です。イザークは、困ったなあ、と首を傾げました。





 さて、勘の良い皆さまは、とっくにお気づきのことでしょう。

 イザークは、今に至るまで、テレサに手を出していないのです。

 そして、テレサはいい加減、イザークに触れてほしいのでした。


 このイザークという朴念仁、「テレサを守る」と言いながら、七年間でやってきたことが、まるで親戚のお兄さんなのです。

 初夜に贈ったぬいぐるみのクマが良い例です。

 他にも彼は、綺麗な万年筆だとか、かわいい懐中時計だとか、花型ランプ、木彫りの動物、オルゴール付き宝石箱と、女の子が喜びそうなものを、手当り次第、テレサにプレゼントしていたのです。


 これらは、テレサが生国に対し、「子は無いけれど、夫婦ふたりの関係は良い」と報告できるように……という、政治的配慮が発端でした。

 けれども、テレサが「子ども扱いはやめてください」と言いつつも、隠しきれない嬉しさを声音や仕草ににじませて、もじもじ感謝をつぶやく姿が、どうにも癖になってしまって。

 イザークは、テレサに贈り物をすることに、すっかりハマっていたのです。


 他にも彼は、自分の国の花畑だの湖だの、景色がきれいな名所があれば、すべてをテレサに見せました。

 彼女が興味を惹かれるような工芸品が一つでもあれば、忙しい政務の合間に時間を作って、一緒に視察に行きました。

 硝子(ガラス)工房、機織り屋敷、(こう)()に画家に彫刻家。数えればきりがありません。


 イザークはもはや自分のことを、テレサの親戚のお兄さんだと、完全に思い込んでいました。

 日に日に綺麗に、大人になっていくテレサを隣で見て思うことが、「テレサは俺が育てた」なのですから、救いようがありません。

 何ならば、「テレサを泣かせる男がいたら許さん」とまで思っています。

 一度鏡を見るべきです。


 テレサの前で自信満々に「俺は枯れ専だ」と言ったくせに、毎晩律儀に同じベッドで眠っているのも、片手落ちです。

 寝室をふたり別々に分けて、浮気相手の老貴婦人が本当にいるふりでもすれば、テレサも多少は信じたでしょう。

 隣でクマを抱きしめている思春期真っ只中のテレサが、どんな気持ちでいるかも知らずに、彼は毎晩仲良く隣に並んで眠っていたのです。


 まったくこの男ときたら、賢帝なんだか、抜けているんだか。


 ここまでくれば、テレサも完全にわかっています。

 彼が枯れ専だというのが、幼い彼女を守るための、方便に過ぎなかったのだと。

 イザークは、自分のために道化にもなる、心の優しい男なのだと。


 だから彼女は、イザークに、自分がもう大人だということを、早く気づいてほしいのです。

 だけど、高貴な淑女たるもの、なかなか直接言えなくて。

 それで、年老いた貴婦人のような、地味な装いに身を包んで、健気にアピールしているのでした。





 場面戻って、お茶会です。

 察しの悪いイザークは、(今時の若い女の子って、何色のドレスが好きなんだろう)とか、的外れなことを考えながら、あれこれ提案しています。


「君は賢くて落ち着いてるから、青や緑もよく似合うけど、濃い色よりは淡い色のが、可愛らしいんじゃないかなあ」


「……いいんです、私は紺や茶色を着ます」


「そうか。まあ、俺もおっさんだ。君のセンスに任せるよ。ところでテレサ、何か悩みでもあるのかい。なんだか最近、機嫌が悪そうに見えるけど。俺でよければ、相談に乗るぞ」


 悩みの原因が、この態度です。

 深々とため息をついて、テレサはついに言いました。


「恋の悩みです。私も年頃の乙女なので」


「そうか、恋かあ。……え、ちょ、待った、ちょっと待った!」


 イザークは、カップを取り落としかけました。お茶をぶちまけずに済んだのは、単なる幸運です。


「あ、あ、相手はいったい誰だっ! ろくでもない男とは、許さんぞ!」


 まったく、これです。夫のくせに。

 親戚のお兄さん気取りです。

 さすがにイラッときたテレサは、少し意地悪をすることにしました。


「イザーク様もご存じの方です」


「えっ、どいつだろう。大臣の爺さん達ではないとして……」


「なにせ、イザーク様じきじきのご紹介でお会いしました」


「何っ! ええと、じゃあ、伯爵の……いや、侯爵家の次男かも……」


「頬に口づけしたこともあります。抱きしめると暖かいんです」


「な、な、な……だ、駄目だ駄目だ! くそ、そいつの名前はなんだ! 今すぐ国外追放だ!」


 慌てふためくイザークの姿に、たまらずテレサは吹き出します。ひとしきり大笑いしてから、答えを教えてあげました。


「彼の名前は、パトリックです」


「パトリック! よし、衛兵! 今すぐそいつを牢にぶち込んで、……うん? 確か、パトリックって……」


「私のクマです。イザーク様がくださった」


 そう、彼女の言うパトリックとは、テレサが毎晩一緒に寝ている、大きなクマのぬいぐるみです。

 毎晩大事に抱きしめて寝て、時には頬にキスだってする、イザークよりも親密なクマです。


「パトリックは、寂しい夜に、いつも抱きしめてくれるんです。乙女心をわかっています」


「え、まあ、そうか……。確かにな……」


「反対側でグーグー寝ている誰かさんとは大違いです」


「それ、もしかして俺のこと?」


「他にどなたがいるんですか」


 テレサは、ぷいと顔を背けました。

 そして、わずかに赤面しながら、怒ったように言いました。


「……ですから私、パトリックとの、道ならぬ恋に身を焦がしているんです。夫の愛を得られない、孤独で寂しい妻なので」


「いやいや、俺は、誰より君を! ……あっ、ええと 君、まさか、その」


 鈍感すぎるイザークも、この時ようやく、テレサが何を求めているのか気がつきました。

 彼らは、しばらく真っ赤になって、何も言えなくなりました。

 やがて、イザークは襟を正して、真面目くさって言いました。


「えー、あー、ゴホン。我が后よ。そなたもいまや、我ら皇族の一員だ。身勝手な真似は許さんぞ」


「はい、陛下。いかなる罰もお受けします」


「パトリックは、室外追放の刑に処す。今夜ひと晩、やつの身柄を、洗濯室にて拘束する」


「まあ、そんな!」


「そして、后よ。そなたも禁錮処分とする。場所は、その、……余の寝室だ。明日の朝まで、出られると思うな」


 大根役者ふたり組は、真っ赤な顔を見合わせます。

 先に音を上げたイザークは、歯切れの悪い物言いで、うつむいてぼそぼそつぶやきました。


「ええと……その……まあ、テレサ、その、だから今夜は、そういうことで……」


 気まずさと恥ずかしさとでいたたまれないイザークの胸に、今は亡きマダム・カリナの教えがふっとよみがえります。


『たとえ親切のつもりでも、押し付けがましくしてはいけませんよ。相手をよく見て、よく聞いて、お互いが心から喜ぶことを、確かめ合うのが大切です』


 イザークは、テレサの様子を改めてうかがいました。

 うつむき加減で照れ屋の彼女は、その唇をもぞもぞ噛んで、喜びに顔がにやけそうなのを、ごまかそうとしています。

 嬉しそうなのが、まる分かりです。


「テレサ。その、長く待たせて、悪かった」


 いつかのように両手を合わせ、イザークが彼女に詫びると、テレサはくすっと小さく吹き出し、満面の笑みで言いました。


「まったくもう、仕方のない人!」


 彼女の台詞は、七年前にイザークが使った方便の、「こんな女性が好きだ」と例に挙げた言葉、そのままでした。

 わざわざ覚えていてくれたテレサの純な健気さと、すっかり大人になった彼女の、それでもちょっと背伸びした笑みに、イザークは心の中で(あ、俺、この子がめちゃくちゃ好きだ)と、今さら自覚したのでした。

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